第4話 レニングランドにて

(1)

 “沈黙は美徳”と人は言う。しかし、所詮は他人の価値観である。

 此処にそれを痛感している男が居る。

「……でさ、お前はその郊外の森にあるっていう家へ行く道は分かるのか?」

レニングランドの街へと繋がる山道の途中、リョウは得体の知れぬ弟・セイに、何度と無く話しかけていた。確かに、今聞くことではないかもしれないが、この空恐ろしい弟をどう扱ったものか,リョウは模索しなければならなかった。

 しかし間も無く、先程の兄の問いに対し、

「さあな」

とセイの素っ気ない返事が聞こえてきた。

「……いつそこへ行ったんだ?」

時は戦乱である。兄弟であれば双子といえども区別を付け、兄には一応の監督義務を負わせて個体保護に資する慣習である。兄として、慣習法上の監督義務者として、根気よくリョウは続けて問いかけるも、

「大昔」

と、またも素っ気ない答えが返ってきた。早速、沈黙が始まる。何せ、この兄弟はろくに会話などした事がなかったのだ。気を遣ったリョウが弟に何か話しかけても、彼は素っ気なく返事をするだけで、何か気まずい雰囲気が漂っていた。しかし、沈黙嫌いのリョウは、必死で何ら話題を出そうとする為、その悪循環は暫く続いていた。

 この重苦しい沈黙が破られたのは、セイが歩みを止めたその時だった。

「止まれ」

弟にやっと声をかけられたものの、リョウは何が起きたのかよく判らない。

「気が付かないか? 囲まれてるぞ」

見兼ねたセイが、小声で兄に警告した。しかしこの期に及んで兄はというと、

「何に?」

と暢気に首を傾げていた。妖鳥・リナでさえ、リョウの肩を離れて避難したというのに。

「もういい、退け!」

会話に煩わしさを感じたセイが、先に剣を取った。

「え!?」

リョウは息を呑む。こんなに近くに魔物がいるということへの驚きもあるにはあったが、その魔物がこの森の動物達の傷の元凶であることに気付いたリョウは、確かな憤りを感じていた。

 刹那、セイがリョウの前に躍り出る。剣を素早く鞘から抜いた彼は、見事な居合いで、いきなり2匹のイーヴィルラットに斬りかかっていた。一連の無駄の無い弟の所作は流石というべきものだったが、それだけに、リョウは違和を覚えるのだ。即ち――

「剣じゃ効率悪いだろ?」

すぐに己の背後にも幾つかの殺気を感じたリョウは、取り急ぎ呪文を繰る。そう、複数を相手に戦うならば、圧倒的に攻撃魔法の方が有利だと、彼は思うのだ。

『光に導かれし刃(グリタークロス)!』

リョウが伸ばした両腕から閃光が放射状に広がる。光魔法分子であるそれは軌道上にいた魔物を飲み込むとすぐに結晶化し、殺傷性の高い負のチカラを発動させる。やおら光の柱が空を射して伸びた。声すらあげられずに絶命した魔物の、その亡骸ごと、光が消し飛ばしてしまったのだ。

「(コイツ……)」

4匹はあった魔物の気配を一瞬でかき消す魔法を繰り出され、思わずセイは兄を振り返る。

「うわーッ! 記念すべき初勝利だなッ! やっぱオレ、ウィザード(魔法使い)になろうかな!」

そこには、魔物の群れを退治できて、一人歓喜している兄の姿があった。

「一々うるせえよ」

セイはやっとそれだけ言うと、リョウのすぐ前を歩き始めた。

「あ、ハイハイ(せわしない奴!)」

リョウもそれにくっ付いて行く。一体どちらが監督義務者なのか分かったものではない。

(2)

 森を抜けると、間もなく大きな門が見えた。レニングランド北の市門である。

 リョウは、久しぶりに見る街の活気に自然と心を弾ませていた。ところが、

「この店で休んでいろ」

とある喫茶店で足を止めたセイは、兄に待機を指示した。一方の彼は、これから情報収集に行くのだそうだ。当然ながら、

「オレも行く!」

と反論したリョウに、

「お前がいると色々面倒なんだよ」

と言い放ったセイには取り付く島も無い。これでは腑に落ちないリョウは抵抗を続けるが、弟に掴みかかる前にハッと気が付いた。レニングランドの町に不案内なリョウは、どうしてもセイについて行かざるを得ない。しかし、彼に付いて歩き、道中でこのようにケンカになれば、住民に保安官を呼ばれるのがオチであろう。

「分かりゃ良いんだよ」

セイはその場を離れた。残念だが、妥協するしかない。リョウはきちんと付いて来ている妖鳥・リナを遊ばせて、渋々その店へと入った。

 喫茶店には先客があった。“お一人様”のリョウは、彼等から離れたカウンター席へ座る。街の空気も人々も、そして喫茶店という店そのものも久しぶり過ぎて、リョウはつい、気後れしてしまう。そこへ、

「おぉ? セイじゃねェか! 久しぶりだなァ!」

座った瞬間、オーナーが親しげに「弟」の名を呼びかけてきた。

「いや、オレはセイじゃなくて……」

リョウが訂正しかけた瞬間、オーナーも錯誤に気付いたようで、苦笑して詫びた。セイが連れて来た店なので、彼はセイの知り合いなのだろうということを察したリョウは、注文ついでに、

「まァ、オレとセイとは双子の兄弟だし、間違うのも無理ないよ」

と少ない来賓用に言い慣れた言葉を返しておいた。「毎度!」と威勢の良い声がして燻した豆の袋を開ける音がした。オーナーは早速調理を始めたようだ。が、彼は直ぐにキッチンからカウンターへ飛んできた。曰く。

「セイの兄弟だァ?!」

オーナーはリョウの顔をまじまじと見つめてきた。こちらが照れてしまうくらいの見事なノリ・ツッコミである。

 世渡りの良さを発揮して甘いものが好きであることをオーナーに伝えたリョウの元に、「サービス」という名目で様々な菓子が運ばれた。それらを平らげて、少し気持ちも落ち着いてきたリョウの耳に、離れて座っていた男達の会話が届いてきた。

“この間はそのセイって奴が一人であの魔物の集団をツブしたって話だ”

“アイツなら、ひょっとしたらポスト・ランダが期待できるかもな。

“止せよ。それこそ、あのセレスの二の舞にさせちまうかもしれないだろう?”

“セレスだァ? あの恥さらしよりは何とかなりそうじゃねェの?”

 彼等は外に出てしまったらしく、もう何もリョウには聞こえなかった。

「(ヒドイ言われようだな)」

リョウは、見たことも無い実父とやらに少し同情した。もっとも、彼がそれよりも関心があったのは、冒頭に出た弟の話題であるが。

「(セイが魔物の集団をツブしたって、どういうことだろう?)」

セイの兄には違いない彼ですら聞いたこともない話であった。丁度そこへ、

「済まんなァ、全く、無礼な奴等だよ」

などと声を荒げて、オーナーがキッチンから出て来た。他に周りに客が居なかったので、それは自分に向けられた詫びであるのだが、何故詫びられたのか判らないリョウは、きょとんとしてしまった。オーナー憮然とした表情のままだ。

「マオちゃんから聞いてるよ。君達は、セレスの息子さん達なんだろう?」

オーナーは声をひそめた。どうやら、彼はマオとも親しくしている人物らしい。リョウは思いきって、疑問に思った事を彼に尋ねてみることにした。

「セイって、結構街に来たりしてるんですか?」

リョウは街へ行く事を固く禁じられていた。まだ戦士として未熟な時期にランダの最後の子孫に何かあってはいけないからだ、とリョウはマオから説得されていた。

「成程な」

オーナーは一つ唸ってみせた。

「ここに来るも何も、セイは、レニングランドの守護神さ。先日も、北の市門付近を

荒らしていた魔物の群れを、たった一人で退治してたそうだよ」

と言って、漸く笑顔を見せてくれた。

「セイが魔物退治?!」

リョウはオーナーから告げられた事実を復唱してしまった。

「ああ、何だやっぱり兄ちゃん知らなかったのかい?」

愛想が皆無のセイの方をよく知るオーナーは、彼と双子の兄が見せる表情豊かなリアクションとのギャップに大笑いしてしまう。それにしても、

「セイがピースキーパーなんて……」

てっきりケンカでも仕掛けに街に下りていると思っていたリョウにとっては、驚愕の事実であった。

「あの無口で、排他的で、素で破壊的思想を口に出すような奴が慈善なんて!」

「アイツも根っからの個人主義者だからな。そういう事は一切口に出すような柄ではないとは思っていたが……全く、変なところが親父に似たもんだ」

オーナーはなおも口元に笑みを浮かべていた。セレスをもよく知る人物なのだろう。遠くを見ているようなその目は、何だか懐かしそうだった。リョウは、何だか安心した。得体の知れない存在だった弟や実父のことが少しだけ見えた気がしたからだ。

 丁度、

「誰の話だ?」

という聞き慣れた不機嫌な声が聞こえた。リョウは条件反射で背筋を伸ばす。振り返った直ぐそこに、カウンターに歩み寄る弟の姿があった。

「お? 漸く来たか。兄ちゃんが待ちくたびれてるぞ!」

オーナーは、リョウと椅子1つ隔てた場所に座るセイにコーヒーを出した。

「セイ、お前って意外とやるじゃん」

リョウはそう軽く詰ってやったつもりだったが、弟からは驚愕の回答があった。

「魔物退治が? あんなに割の良いバイトはねェよ」

セイは薄く笑ってみせた。金のことを考えている時の顔である。

「(ちょっとでもコイツの良心に賭けたオレがバカだったか)」

リョウは一気に幻滅した。やはり、セイはセイであるようだ。

「ハハ、バイトか。流石だな」

オーナーは苦笑いしてみせた。どうやら、オーナーもこんな調子のセイには慣れてしまっているようだ。彼は構わず、聞きたい事を聞いてきた。

「今日、発つのか?」

セイはコーヒーを一気に飲み干して肯定した。「それなら」と、オーナーが気を利かせて代金は餞(はなむけ)とした。これも“勇者”ならではか、とリョウは思う。続けて行き先を問うたオーナーに、セイは「ダーハ」という町の名前を出した。

「ダーハへ行って、船でも探そうかとも思っているが……恐らく、難しいだろうな」

そう言ってセイは地図を確認する。

「(あ、そうなんだ)」

リョウの知らない間に、行き先は決定していたようだ。一応、同行者として、一言相談は欲しいと言いたかったリョウだが、残念ながら特に異論も反論も見つからなかった。

「何にせよ、頑張ってくれよ」

ダーハ方面の情報を幾つか紹介して、オーナーは双子達に励ましの言葉をかけてくれた。いつものように突っぱねるわけにも行かず、セイは溜息を返事に代えた。慌てて、リョウが取り繕う。

「ハイ。頑張って、リノロイドやっつけてきますよ」

リョウは当分このような役回りをする事になるだろう。何ともちぐはぐなこの双子達ではあったが、事実、光の民・人間にとって戦況は劣勢。誰もが“勇者”の到来を持ち望んでいるのだ。オーナーは双子達の肩を両手で数度叩き、更に激励してくれた。

「どうか、セレスの分まで」

彼は実父の親友だという。セイの表情が明らかに変わったのを、リョウは見逃さなかった。

「――あの男は、お前達を四天王から守り抜く為に、黙って死んだんだ。アイツは何も言わねェから誤解されるんだ。どいつもこいつも、皆あの男が無駄死にしたと思ってやがる! この町は、セレスの所縁の土地だってのに……」

マオさえきちんと教えてくれなかった事実に、リョウとセイはそれぞれ驚く。

オーナーの話によると、双子達の父・セレスは、自ら討ち死にしたという形を取る事によって、魔王軍の資料上に“ランダの子孫は潰えた”と残したかったようだ。それは功を奏し、魔王軍の注意はこのレニングランドから外れ、こうして無事にリョウとセイはこの旅立ちの日を迎えることができた。但しこの功績は、セレスが救ったこの街の住民ですら全く知らないのである。

「頼んだぞ二人共。親父の為にもな」

客が入ってきた。オーナーはその応対へと移る。リョウは、胸に熱いものを感じていた。

実父・セレスが残してくれたもの――彼が命と引き換えに残してくれたものは、正に自分自身なのかと。

「(ん?)」

町中では場違いなほど強烈な殺気を感じたリョウは、ふと傍らにいる弟を見た。しかし、弟の表情を垣間見ただけで、リョウはすぐに目を逸してしまった。血の繋がった兄弟でも恐怖を抱くほど、セイは何かに強い殺意を向けているような瞳をしている。

「行くぞ」

セイに促され、漸くリョウは我に戻った。慌てて先を行くセイの後をついて歩いたところ、

「頑張って来いよ、二人共!」

と“勇者”を送り出したオーナーの声が、優しくリョウの背を押してくれた。

(4)

 数度にわたって馬車を乗り継いで、目に映る景色まで夕暮れ色に染まったところ、漸く、双子達はレニングランド西区に着いた。とりあえずそこで一泊して、翌朝までにレニングランドを抜ける予定である。一方的通行気味のぎこちない会話の中、慣れない長時間移動に疲れた双子達は早めに就寝することにした。

 しかし、リョウはなかなか寝つけずにいた。

「(セイって、よく分かんねェな。初めて会った時からそうだったケド)」

リョウは7年前を思い出していた。

「(レニングランドから、誰だったっけ、女の人が迎えに来て……)」

新しい養母にして、師・マオとの対面を済ませて間もなく、リョウは7、8年ぶりに弟と会うことになる。自分に弟がいたことなど全く覚えていなかったのだが、それでも少しは感動的な対面を期待しただろうか。しかし、

“セイ! 兄貴にきちんと挨拶しなよ!”

とマオが声をかけるまで、弟は部屋からも出てこなかったばかりか、

“あ?”

と露骨に不機嫌な声と共に漸く少しだけ扉を開け、久しぶりに対面する双子の兄に隙間からガンくれてきただけだった。

「(まあ、無理ないか)」

育ってきた環境の違いだろう。当時のリョウの背丈は、当時のセイの背丈に頭一つ分以上差をつけて低かった。体力や戦闘技術などは、頭一つ分どころでは済まされない位の差がつけられていた。

「(思えば、あの時から恐ろしい奴だったよなァ)」

リョウは、今では殆ど背丈の変わらない弟を横目で見た。今朝の彼の様子からして、昨晩あまり眠れていなかったのであろう。セイは寝息すらたてずに眠り込んでいた。

「(他人なんか、眼中にねェってコトだろうな)」

むしろ「弟」と聞いてリョウが脳裏に浮かべるイメージは、当時の自分が為す術無くぽつねんと見つめていたセイの部屋の「扉」である。リョウは1つ溜息をついた。

「(仕方ねェか。確かに実力はアイツの方がはるかに上だし)」

その実力というものは、どうやら父親の仇を討つ為のものらしいということを、幾人かの大人達から聞いた。先程の弟の殺気は、その父親の仇に向けられたものであることくらい、リョウにも判る。

「(仇か。セレスの)」

一方のリョウは、実の父親でさえどこか萎縮してしまい、“父親”というフレーズも、うまく使えない。

 この先、一体どうなるんだろう――リョウは思い巡らせてみた。何も思いつくものは無かったが、とりあえず、前途多難という事だけは分かっていた。

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