第3話 旅立ち
(1)
セイが屋敷に戻ったと同時に、妖鳥が別の窓から入るのが見えた。
「(リナか。またあの低知能がウルサイんだろうな)」
セイの予想を裏切らず、マオの怒鳴る声が彼の脳天を貫く。
「ダメだって言ってるでしょ!」
「お願いマオさん! 幸薄い旅のお伴に是非ともリナが必要なんです!」
「鳥に何ができるって言うんだよ! 諦めなって!」
「大丈夫。田畑では牛や馬、寒い所では犬ぞり用の犬、食糧に至っても人間ってのは動物無しでは生きてゆけないものなんです!」
――マオはまた敗けていた。
「(アホか)」
セイは二人の漫才を横目で睨みつつ私室に戻ろうとしたが、マオに呼び止められた。
「メシ作ったトコだから座ってな」
仕方なく、セイは剣をリビングの隅に立てかけて椅子に座る。何とは無く部屋の隅から隅を見渡して、セイは一つ溜息をついた。17年間世話になった屋敷だが、暫く、或いは永遠に戻ってくることは出来ない。
「何だ? ガラにもなく心配事か?」
ふと、自分の前に銀器が置かれたのでセイは我に返る。いつの間にかリョウが向かい側に座っていた。
「ま、無理ないか、お前は17年も此処に居るもんな」
「何か?」
自分の考えている事が兄に悟られたのが気に入らなくて、セイは素っ気なく応えてしまう。
「無理するなって」
飄々と食事の支度をしているリョウに、セイは閉口を禁じ得ない。
夕食はリョウが手を加えたものであるとセイにはすぐに分かった。自ら何故とは一切問わないが、兄は料理の腕が確かで、マオのそれよりも数段上であったからだ。
「(それよりも、)」
セイは兄・リョウのことを知らなさ過ぎる。人間居住区(サンタウルス)首都・サンタバーレのある本大陸へと繋がる関所を管轄する“ベルシオラス”という街から来た、自分と同じ顔をした男――
セイには全く先が読めない旅となるには違いなかった。
(2)
「(あーあ。とうとう明日か。緊張するなァ……)」
リョウはベッドに横になったまま、明日からのことで頭が一杯だった。
「(魔物ってどんなのだろう? やっぱデカくて、でっかい牙とかあって、おまけに変な魔法使ってきたりして!)」
栗色の髪を撫でるように掻き上げ、寝返りをうってみたが、彼の想像は止まらない。
「(じゃあ、父さん殺したっていうのは? 魔族? 耳が尖ってて、やっぱ、魔法ガンガン使ってきたりするのか?)」
もう一度寝返りをうつも、リョウの不安材料は益々増えるばかりである。
「(じゃあ、魔王って? 家ぐらいのデカさで、口から火ィ吹いたり吹雪吹いたりするのか? いや、ひょっとして街一つぶっ飛ばすくらいの大爆発呪文なんか持ってたりして?)」
リョウは思わず体を起こした。
「オレ、死ぬじゃん?」
いや、これはオレの単なる想像で、とリョウは思い直すことに努めた。
「(大丈夫だよな。セイは鬼のように強ェし、オレはオレなりにこの7年はみっちり体鍛えたし)」
これまでの辛い辛い修行を振り返れば、何となく大丈夫な気がしてきた――この楽観的思考は彼の強みでもある。
「(よし! 寝る!)」
そこから漸く何とかリョウは眠りにつくことができたのであった。
同じ頃、セイは剣の手入れをしていた。それは先程まで自分が使っていたものではない。勿論、リョウのものでもないのだが、明日から自分が携帯するものであった。
「(魔王か)」
セイはその銀色に鈍い光を放つ剣身を見た。刹那、彼の鋭い目じりが更に鋭さを増す。
「(一体、どんな化け物だろ)」
左手だけが握りしめていた柄に右手を添えた。これはセイの普段の握りとは逆であったが、最早直す気にもならなかった。そのまま、セイは剣を正面に構えてみた。案の定、違和感だけが残る。
「(ま、そんな事はどうでもいい)」
セイは柄を右手に持ち換えた通常の型で握ってみた。俄かに視界が拓ける。
「(オレが殺りたいのは――)」
彼の瞳はよりいっそう険しくなった。その目が追うものは、いつか剣の切っ先にいるであろう、父の仇……そう、セイの目的はそれである。
“セレスなんて、結局何も出来ずじまいだったじゃないか”
“詰まるところ、魔王軍にビビッちまったのさ”
ふと、彼の脳裏に人影が映っては消えていった。セイは放り投げるように剣を置く。
“人間皆『勇者』を待ってんだよ! 期待されてんの!”
マオの言葉が剣を放り投げた瞬間に噛みついて来た。舌打ちをしたセイは鞘にも入れられないままに投げだされた剣を睨みつける。
鈍く光るその剣は、彼らの父・セレスの形見の剣であった。
(3)
旅立ちの日は穏やかに晴れていた。開け放たれた窓から、柔らかな青い山の風が夏の名残の強い陽光と共に差し込んできた。
「よく眠れたかい、2人共?」
いつもよりも穏やかなマオの声が、やたらとその晩夏の景色から浮いている。
「オレはいつもと変わんねェケド」
努めて平静を保たんとするリョウが、真横の弟の方を見遣る。いつも何を考えているのか分からない弟にしては珍しく露骨であった。
「あ?」
とセイは睨みを利かせるも、その目の焦点は微妙にズレており、誰がどう見てもかなり眠たそうである。
「寝不足のようだね、大丈夫かい?」
自業自得だろうから心配はしないが、とわざわざ添えてマオは苦笑した。この絶好の攻撃の契機をリョウも逃しはしない。
「へぇ、意外と純情なんだ」
しかし、リョウがその言葉を言い終えぬうちに、セイの手から簡易魔法球が放たれた。一つ、マオが唸る。
「うんうん、コントロールはさておき、威力も魔法分子を集める早さも抜群だ。私の知らない間に、また腕を上げたんだね、セイ」
感心するマオと面倒臭そうに顔を背けたセイをよそに、リョウは倒れていた。
「朝食がてら、二人には言っておきたいことがある。旅立つ前にね。ホラ、座んな」
マオは修業中の時よりも厳しい表情で言った。当然、二人には飯を味わえる程の心の余裕も無かった。
「いいかい? 魔王リノロイドを倒すといっても、今のアンタ達じゃあ、その配下の四天王にさえ殺られちまう。これはちゃんと言っておくよ」
マオのその言葉に二人は黙り込んでしまった。
魔王軍が誇る「四天王」と呼ばれる世界的術者(ユーザー)の脅威は、二人とも知っているつもりだった。魔王軍の中でも、特に優れている4人のユーザーには、魔王直々に『四大元素』――炎・水・風・大地のチカラの根源――を与えられているという。彼等もまた「魔王」の次位のチカラを持つ「四天王」と呼ばれ、光の民の脅威となっていた。
しかし、ここまで過酷な修行を重ねてきた双子達にしてみれば、何とかならなくも無いだろうという漠然とした自信があったし、それが拠り所でもあったのだ。それが、今、師によって否定されてしまった。
但し、不安そうな表情を見せた双子達を、師も放置はしない。「これはランダ様直々の、遺言みたいなものなんだケド」と前置きしたマオは、
「二人にも、「四天王」のように、直接チカラの根源と盟約を結んでもらうよ?」
とニッと笑った。
「え? 何? それ本気?」
昨晩の想像の所為か、リョウは魔法使い(ウィザード)に肯定的であった。魔法の盟約というものが一体どういうことなのか、今の彼にはよく分からなかったのだが、強くなれるならそれはそれで構わないと思っていた。一方、
「随分回りくどいやり方だな」
それなら旅立つ前に盟約を結んで然るべきところだ、と思ったセイの関心はそこにあった。ランダの子孫を世間に秘匿している関係でそうなったのだろうということは、彼にも容易に想像できる。ただ、
「(例えば、これで能力を上げれば、名も知らない他人達がまた“勇者”だのと持ち上げるのだろうか)」
と思ったセイは、つい、舌打ちしてしまった。構わず、マオは話を進める。
「セイは一度行った事があるんだけど、レニングランド西部に広がる郊外の森に、大きな屋敷があるの。覚えてない?」
いきなり会話を振られたところで、返事などするセイではない。傍らのリョウはピリピリしているが、構わず、マオは話を続けた。
「そこに行って主と話しつけて、“絶対元素”とあえて盟約を結ぶこと」
「ゼッタイゲンソ?」
リョウはその単語を聞いた事すらなかった。
「そう、“絶対元素”。これは“四大元素”って、要するに火・水・風・大地の4つの魔法分子より以前に発見され、古くは『旧・サンタウルス聖記』に登場する勇者が大陸を分断する際に利用したという『白きチカラと黒きチカラ』を示す――」
マオの説明中だが、リョウから挙手があった。
「あのーマオさん、簡潔に頼みます」
リョウは早速寝息をたてているセイを指差した。
「……要するに、“光”と“闇”のコトさ」
マオはセイを起こしにかかる。“光”属性なら、光の民なら生来会得しているものであるが、“闇”属性は本来、闇の民・魔族が生来会得しているものである。そんな魔法属性と正式に盟約することの意味など、まだこの双子は知る由も無かった。
「……!(とうとうオレもウィザードかぁッ!)」
「……。(眠い)」
出発前から、この双子達の歯車の食い違いぶりは凄まじいものであったという。
(4)
二人にプレゼントがある、と言ったマオが席を立つ。間も無く、羽音と共に妖鳥・リナがやってきた。
「もしかして!?」
リョウの目が輝き始め、セイがシラけ始めたのは記すまでもない。
「冥土の土産に、連れて行くといい」
双子達が、このマオの言葉の深い意味を知ることになるのは、まだだいぶ先のことである。
「え? でもあんなにダメって……」
マオの反対が強く、半ば諦めていた分、少しだけリョウは躊躇していた。
「嫌かい?」
「いいえ断じてそれはございません」
リョウはリナをマオの指から受け取った。リナは素直にリョウの指へと留まる。
「アンタ達2人と旅したいんだとさ」
マオは冗談で言っているのだろうが、リョウには、この鳥が自らの意志で彼の指に留まってくれたように感じられた。
「ま、耳そろえて返せ、なんて言うつもりはないから、……適当に面倒見てやってね」
面倒見る事など全く無いかもしれないが、とマオは言う。妖鳥というのは、そういうものなのだろうと、その時のリョウは勝手に解釈していた。
一足早く朝食を終え、ゴキゲンのリョウはリナと共に私室へ戻った。
「ケッ……余計な土産を持たせやがって」
毒を吐きつつだが、セイは柔らかい陽の差し込む窓の外をぼんやり眺めていた。また此処へ、戻ることがあるのだろうかなどと思っていたのかどうかは、判らない。
「何か、アンタには母親らしい事は何にもしてやれなかったな」
ぽつりとマオは懺悔した。セイは一度だけマオを見てやった。
「別に」
と言い棄てた彼は、直ぐに視線を逸らす。
「ちゃんと、帰ってくるんだよ」
――保障はできない、と言おうとしたセイは慌ててその言葉を呑んだ。嘘なら嘘で、吐き時というものがある。
「帰って来ないと、絶対グーで殴るからな」
ニンマリ笑って拳を振りかざして見せるマオ。
「――元気でな」
嘘とは言うまでもなく、
「……」
ただ、お互いに目の前の人を安心させてあげたかったのだろう。
「分かったよ」
ほんの少しだけ、セイは笑ってみせただろうか。しかし、すぐにいつもの無表情に戻る。マオにはそれで十分だった。
(5)
リョウは本棚に手を伸ばす。本棚といっても、其処に本は一冊もなく、事実上、単なる物置となっていた。取り出したのは、父親・セレスの形見といわれている剣である。父親は、二本の剣を自在に使う剣の名人だったらしいのだが、詳しいことは、リョウは知らない。訊いても忽ち忘れてしまうからである。
父の遺した二本の剣の内、もう一本はセイが持っているらしいのだが、弟が今まで形見を持ち歩くのを見たことも無いので、それすら本当かどうかも分からない。
「あーあ。旅立つんだな」
と、リョウは小さく溜息をついた。
父の形見の剣の横には、“金のブレスレット”をわざと置いていた。リョウはそれを手に取って、傍らのリナの首にそっとそれを通してやった。金属の重たさを感じる筈なのだが、不思議とリナは嫌がりもせず、じっとしていた。
「ピッタリだな。似合うよ、リナ」
そのブレスレットは、リョウとセイの母・レジェスの形見である。それぞれ実親の形見を携帯するのは、彼なりの親孝行のつもりであった。
「(セイの奴、ちゃんとマオさんに別れの挨拶できたんだろうな?)」
リョウの早々の退席の理由はそれであった。それは養母の1人でもあるマオへの恩返しのつもりであった。もっとも、セイのあの性格ではあまり成果は期待できないが。
そこでリョウは、7年前まで自分が住んでいた街・ベルシオラスでの養父母を思い出し――いや、思い出そうとして途中で止めた。
「(あの10年は無かったことにしておくんだったっけか)」
剣が滑らないようにと言い聞かせ、リョウは両手に皮手袋をはめた。
携帯品は他に、衣類、水筒、医薬品……何せ、見当もつかない旅である。何がどのくらいいるかなど、分かったものではないので、準備などナンセンスかもしれないが、「一通り」と言い訳をつけ、リョウは支度を終わらせた。後はそれらを持って、勢いよく扉を開けさえすれば良い。
「行こうか、リナ」
リョウ扉に手を掛けた。
(6)
旅立ちの日は穏やかに晴れていた。
周りの森はいつもと変わりないのだろうが、双子達はいつもと違う、凛とした風を肌に感じていた。この季節は大地いっぱいにサクラソウが咲き乱れているのだが、この日は、少しだけ寒そうに風になびいて揺れている。
「行ってらっしゃい、二人共」
マオは二人の背をポンと叩いて送り出した。歩き始めた、まだ幼さを残したままの少年達を少しでも永く見ていたいと、マオは扉の外に出て、大きく手を振る。
「絶対戻って来るんだよ!」
念を押すように彼女は叫んだ。
「あぁ! 任せとけって!」
マオに手を振り返すリョウと、傍らの兄の言葉に少しだけ頷いてみせたセイ――
「行ってらっしゃい!」
マオの言葉は二人の背を優しく強く押し出した。そのまま、見えなくなるまで手を振り続けた彼女は、漸く、その頬が濡れていることに気が付いた。
二人の“勇者”は今日、大いなる戦いの旅に出た。
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