第2話 双子の兄弟と白い鳥

 (1)

 凡そ、兄弟ゲンカなどというものは下らない。下らないが、当事者は至って真剣なのだから厄介である。「どう考えてもアイツの所為だろ?」と、互いに思っているのだから、更に厄介である。

 仰向けに倒れたリョウもまた、師の横ヤリに納得がいかないままふてくされていた。

「あァ? もう幾つだアンタ達は?」

青筋をたててマオは嘆く。此処に他に同情する者が居ないところが辛い。

「昨日で17歳になったっていうのに、大人げない!」

その点については双子達も自覚しているので、それぞれ小さく反省する。暫くマオの小言に付き合わざるを得ないとも思っている。依然として、修行場は騒々しい。

「(中略)これじゃあ、リノロイドに会う前にくたばっちまうよ。もうそろそろランダ様の後を継いでもらわなくちゃならないっていうのに!」

金髪を振り乱してそう怒鳴り散らす彼女に、リョウは母親らしさを感じることもしばしばあるのだが、彼は10年近くマオとセイとは別居していた身の上である。今更師でもある彼女を“母”とも呼べずにいた。勿論、他人以上の特別な存在であることは確かであり、師として、人として、リョウはマオに格別の信頼を寄せていた。「包容力」とも言うべきマオの大らかな基質は、時と場合によっては男勝りでズボラと呼ばれたりもするのだが、基本的には感情豊かな温かい人格で、途中からの居候のリョウでもすぐに心を許すことのできた人物だった。リョウにとっての敵は、闇の民と双子の弟・セイのみである。

「(中略)とにかく、もう少し、勇者としての自覚を持ちな」

この双子達に、光の民・人間の将来を託さなければならない。戦いに明け暮れる激動の日々を、すさまじく仲の悪いこの双子達が乗り越えられるのかどうか、マオは心底不安だった。

「勇者? ったく面倒臭ェな」

やっと口を開いたセイが、やおら気だるげにぼやく。養母の気苦労を知ってか知らずか、このセイという弟の無気力・無関心は、兄のリョウにはそら恐ろしい印象を与えていた。

「セイ、アンタ自分の先祖が勇者・ランダってのは御存じかい?」

眉を思い切りつり上げて睨んでみせたマオの表情も相当凄みが効いているのだが、セイはそれを物ともせずに一貫して無表情である。

「確かに、魔王を封印したのも、復活した魔王に殺られたのも、その部下に殺られて嘲笑買ったのもオレの御先祖様に違いねェ」

この双子のケンカの多発する原因の一つが、このような、かなり痛烈な部分があるセイの言動である。この17年間セイと暮らしているマオにとってはただの日常会話であっても、横で聞かされているリョウは、どうしてもピリピリしてしまうのだ。察したマオがリョウをなだめ、

「毒吐く暇があるんなら、早いトコ魔王倒せるよう精進しな!」

と、セイを諌めた。しかし、セイの毒はなかなか引かない。

「失敗しても恨んだりしねェだろうな?」

などと、またも彼はぼやくのである。

「それ以前に、失敗したら命が無いの! この世にはいないの! 影も形も!」

セイから売られたケンカに乗りかけて、マオはさらにムキになる。こうなると、リョウの方が冷静だった。

「マオさん、出発する前にそんな事言われても縁起でもないしさ。ね、落ち着こう」

実は、二人の出発は7日後と決定していた。誰にも告げず、知らせず、双子達は旅立つこととなる。そんな事もあって、少々ナイーヴになっているマオだが、それを隠すのに腐心していることも双子達には伝わっていた。渋々、セイが舌打ちして収拾がついた。

「ま、とにかく、さっさと仲直りしな。分かったね?」

マオは強引に双子達の手を取り、強引に握手させ、その場をまとめた。

「チッ!」

双子達はいち早くその手を振り解き、そっぽを向く。

「全く。アンタ達がこんなんじゃあ、この先が思いやられるよ」

長い長い道中、常にこのようなケンカをされていては、世界を救うなどという使命どころではない。マオは嘆息を漏らす。

「サンタウルスを守る為にも大切なことなんだけどな」

しまった、とリョウは思った。そして案の定、

「ドイツもコイツも死んじまえば話は早い」

セイの再びの問題発言が飛び出した。それに再びマオが力説し始めるので、また振り出しに戻る。その一連の流れに疲れたリョウは、ふと、森へと視線を投げた。背中では喧騒が続く。

「あのね、アンタ一応、勇者なんだよ? 光の民の最後の希望なの。魔王を倒せるのは、アンタとリョウしかいないの!」

「別に誰が倒しても良いんだろ?」

「皆『勇者』を待ってんだよ! 期待されてんの! もう少し自覚しろ!」

「期待? “押し付け”の間違いだろ? 請け負った覚えは無えよ」

――マオは負けた。セイは毒を吐くものの、その実、現状を皮肉るだけなのだ。いつの間にか誰も反論できずに閉口させられている。

「アンタ、本当にリョウの弟?」

マオはセイの後方を指差した。嫌な予感がして、セイが振り返ると、そこには先刻まで疲れて座り込んでいた兄は見る影もなく、その更に向こうで野うさぎ数匹を追いかけ回している彼の姿があった。

「好きで奴と同じ腹から出てきたワケじゃねえ」

お気楽な平和主義者の兄は、セイにとっては鬱陶しく、邪魔な存在としか映らないようだ。大きな溜息をついて、セイはそのまま私室へ戻っていった。同時に、

「マオさーん! オレこいつら飼う!」

リョウの明るい声がやたら呑気に聞こえてきた。

「ダメかもしんない」

この時、マオは本気でそう思ったという。

(2)

 育ってきた環境が違う、などという言い訳ではすまないくらい、リョウとセイの性格は正反対であった。

 リョウは心優しく、好奇心旺盛で活発な楽天家である。その存在を秘匿しておかなければならなかった都合上、世間と隔てて養育していた為か、警戒心が薄く親切心が過ぎる故、多少世話好きな面がある。商業が盛んな都会からこの片田舎であるレニングランドに疎開してきた彼は、野生動物が珍しいのか、小動物を見かけると手当たり次第に寄って行き、戯れている。また、得意な魔法で傷を負った動物を回復呪文で癒しもする。何処を取っても毒の無い人物である。

 一方、セイは何に際しても無表情であり、何についても無関心であり、何事が起こっても無干渉の個人主義者である。何が彼をそうさせるのかは知らないが、度を越えたニヒリストであり、敵を作り易い。故に、絶えず何かに苛付いていて近寄り難いことこの上ない。兄・リョウと同じく、世間と隔てて暮らさなければならない身の上であるにもかかわらず、彼は日中殆ど家を空けており、何をしているのかもよく分からない。時々、傷を負って帰って来るので、「間違いなくケンカしに街へ出ている(リョウ談)」と思われる。

 このような双子である。“仲良し兄弟”である筈が無い。何かと世話を焼きたがるリョウと、干渉されることが嫌いなセイは反発し合ってしまう。

 ――まるで光と闇の如きである。

(3)

 旅立ちまで残り数日というところ、準備に追われて忙しいこの屋敷に変わった客が来た。客といっても、それは人ではなく、真っ白な羽を持つ鳥だ。マオ曰く、“以前自分が飼っていた鳥”なのだそうだ。勿論、動物好きのリョウが放っておく筈がない。

「マオさん、その白い鳥は?」

目をきらきらと輝かせながらリョウは尋ねる。一つ唸ったマオは言葉に詰まっている様でもあったが、

「妖鳥ってことになるのかな」

とまとめた。

「ヨウチョウ? 普通の鳥とは違うの?」

「ああ。まあ、ねえ……」

マオは横目で白い鳥を見た。リョウに頭を撫でられても、嫌がりもせずにじっと窓の縁にとまっている。

「本当……天使みたいに白い羽だし、瞳も金色だし、格好イイ!」

どうやら、リョウはこの妖鳥を相当気に入ってしまったようだ。そんなリョウの様子に、マオは次に彼が何を言い出すのかすぐに分かったので、とっさに言葉が出てきた。

「ダメだ」

「まだ何も言ってない!」

ムッとするリョウに、マオは全く遠慮もせず、

「“この鳥旅に連れて行く”とでも言うんでしょう?」

と畳み掛けてやった。どうやら図星らしく、唸り声を上げたリョウであったが、もう次の瞬間には「ダメ?」と上目遣いでマオを見つめ、懇願してきた。人一倍愛嬌のある彼には何度と無く負けてきたマオであったが、今回ばかりはそうはいかない。

「諦めて寝な」

マオはリョウの頭をポンと叩く。リョウは叩かれた箇所を少し掻くと渋々彼女から離れた。

「しかし、どうして今頃になって戻って来たんだろうな」

本当に、賢そうな鳥だとは思ったケド、とリョウはもう一度白い鳥を振り返った。その時、丁度その鳥と目が合ったのだが、それがまるで窺っているかのように見えた彼は、小さく驚いてしまう。

「そうだね」

マオも妖鳥の方を見ていた。

「どうして今頃帰って来たんだろうね?」

――この白翼の妖鳥の名は、リナと言うらしい。

(4)

 何の進展もないままに、慌しく出発を翌日に控えた二人は、この日もやはり別々に行動していた。セイはいつものように行方を告げずに家を出た後である。動物達の治療の為に、リョウが森へ行こうとすると、どういうわけか、この日はリナも付いてきたのだ。勿論、彼にとっては願っても無い素敵な出来事であったが、何だか見守られているような気さえしてきた。


 「良かったな、ケガ治って」

この森には怪我をした動物が多い。魔物も棲んでいるからだと、セイがぼやいていたのを、何時だったか、リョウは聞いた覚えがある。

「(治る傷なら治せば良い)」

ヒトの匂いが付いて親が警戒しないよう、極力手を触れずに回復呪文(ヒール)を唱えてやったリョウは、静かにその場から立ち上がった。何の得も無いが、そうしてやりたいのは、単に彼が動物好きだからということになるのだろうか。

「それとも、親とは死に別れちまったのかな」

――因みに、リョウとセイの実の父親は魔王軍に暗殺され、実の母親は持病の悪化の為に亡くなっている。

「帰ろうか」と呟いて、リョウは立ち上がった。妖鳥・リナは、この時もこの不憫な少年の肩にじっと留まったままである。

「戦争に行かなきゃなんないから、明日からは見回れないな。仕方ないって諦めるしかないんだろうケド」

リョウは一つ大きな溜息をついた。そして、おもむろに立ち止まり、リナを指にとまらせた。それは単なる独り言には違いないが、こうでもしなければ、彼だって、その使命を見失いそうになるのだ。

「オレの曽祖父があのランダ様なんだって。で、魔王をぶっ飛ばさなきゃならねェらしくてさ、」

10年前にマオやセイと出会う前までは、リョウだって、勇者・ランダの話などお伽話の世界だと思っていた。リョウは自嘲気味に笑うと、妖鳥・リナの頭を軽く撫でた。彼女が話を聞いてくれているように見えてくるのは自己都合だろうか。

「ホントは、“面倒臭い”って言っちゃえるセイの気持ちも、分からなくもない――なんて、そんなこと言うと、マオさんに怒られるかも知れないケド……」

足を折って蹲っていた小鹿が、森の奥へと駆けていった。

「ま、でも頑張るさ。その為に、オレもセイも7年みっちり修業したんだもんな」

何とか踏ん切りを付けたリョウは、再び屋敷へと歩き出す。

まるでタイミングを計っていたかのように、リナが翼を広げた。彼女はそうやって何処かに飛んでいった後、きちんと家に戻ってくる。リョウは気にせず家路についた。

「(最後の日だし、マオさんの手伝いでもするかな)」

少し、リョウは早足になった。

(5) 

 街へと続く山道に、一本だけ、山桜が植えてある。

 花の見ごろはとうに過ぎ、今は青々と葉を茂らせている何の変哲も無いその木の下に、セイは佇んでいた。寄り添うとも抗うとも付かぬ立ち位置で、何の面白みも無いその山桜の木の根元を、セイはじっと見つめているのである。

「流石に今日は街には下りないようだね」

そのセイに声をかける女がいた。長い銀髪から突き出た尖った長い耳は、明らかに彼女が人間と敵対する闇の民・魔族であることを示していた。

「……またお前か」

レニングランドの街中で時々見かけるセイの顔馴染みだ。リノロイドの絶対的支配体制に反発して人間居住区(サンタウルス)へ逃れた、よくある亡命者の類だと思われる。セイは彼女に敵意がないのを知っていたが、むしろセイの方が彼女に敵意に似た嫌悪感を持っている。勿論、彼女が魔族である為である。

「明日発つんだろ? オーバーワークは止めておけよ」

女はセイに近付こうとしたが、セイが剣を突き出したので剣身以上は近付けなかった。

「全く……物騒な奴だよ」

そう笑って風に遊ぶ長い髪を掻き上げる魔族の女に、セイは素っ気なく、「何の用だ?」と問うた。

「別に。単なる様子見さ。――フフ……予想以上に機嫌が悪いらしいな。まァ、無理もあるまいが」

この女の知ったような口調に露骨に不快感を示したセイは、彼女と会話を交わす代わりに剣を鞘に収めてしまった。

「もう帰るのかい?」

「オーバーワークは良くないんだろ?」

セイは女に背を向けた。今日でなければ叩き切ってやりたいところだと、これから魔族と戦う旅に出る立場の彼は、彼女にそう釘を刺す。

「(これから、嫌というほど戦い続けなければならないのに)」

苦笑しつつ彼の後姿を見送った女魔族は翼を広げた――それにしても、白翼のその姿は一見、天使のようでもあった。



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