AntitheseⅠ

Eみほ

第1話 ONCE

(?)

 子は親を選べない。

 生まれた理由など無く、生まれた原因だけが生々しく残ってはワケも分からず生かされて、まとまらない結果論に健気にも意義を探しては一喜一憂して。


 人気の無い殺風景な海辺に、栗毛の少年がやってきた。

 大きな目をぱちりとさせて「戦争とは何か」と尋ねて首を傾げた少年は、真夏だというのに長い袖・長い裾の衣服を着せられている。養父からの暴力によってつけられた痣だらけの腕や足を隠す為である。

「光の民・人間は、闇の民・魔族が嫌いなの。魔族も人間が嫌いなの。だからずっと、ケンカが続いているの。それを戦争って言うの」

何とか簡単に説明しようと腐心するブロンドの女性は、その日の海の色と同じ色をした目を泳がせる。つくづく子は親を選べないのだ、と溜息をつきながら模範解答を探す自分の姿は、この少年から見れば聊か滑稽であろうと自嘲しながら。

「お伽話を知らないかしら?」

 古代期の説話を多く集めた『サンタウルス聖記』に登場する双子の兄弟が、長きに亘って続いていた人間と魔族の戦争を終わらせたということは、この世界中誰でもが知っていることである。

 この書物によると、彼等は『光のチカラ』と『闇のチカラ』で元は一つだった大陸を、北は人間居住区(サンタウルス)、南は魔族専住地(サテナスヴァリエ)に分けたという。

 これが真実だと言う者は誰もいないが、この分裂した大陸の北方を人間へ、南方を魔族へと移住させ、以後、長きにわたり共存という形を維持していたのは史実である。

「まだ、文字を教わってないんだ」

少年は困った表情をしていた。普通教育を受けさせていない養父母を責められるのが心苦しいのだろう。怯えてさえ見える。

 子は親を選べない。が、この少年はというと、理不尽に傷付けて来る養父も、養子を守りきれない養母も、得体の知れ無い実親も、等しく愛して止まないのである。

「でも、これからはちゃんと勉強するよ。レニングランドで。新しいお母さんのところ」

それが良い、と彼女は思った。少年の左手の親指に巻かれた新しい包帯はまだ新しい血の色に滲んでいるというのに、少年の表情は眩しいくらい明るくて、彼女はつい、怯んでしまう。

カナッサ、と、少年が彼女の名を呼んだ。

「カナッサは、ニンゲン?」

少年の無邪気な問いに、彼女、もとい、カナッサは少なからず驚いた。

「だって……オレはカナッサの事、好きだよ?」

子は親を選べない――カナッサは、己の下半身である「鰭」の鱗を撫でた。

「(例えば自分が親を選べたら、決して人魚の子にはならなかった)」

カナッサは目を伏せた。曰く。

「お別れの挨拶をしなきゃね」


 魔族の王が変わり、また、戦争が始まった。

 町一つ滅びる程の恐るべき魔法を以て多くの魔族の支持を得た女帝・リノロイドに、脆弱な魔法文明しか持たない人間達は苦戦を強いられ続け、かつての人口の2割が戦没者となってしまったのである。

 レニングランドという田舎町に疎開することになったらしいこの少年もやがて、光の民らしく己に宿る光属性魔法分子の慣性に従って、闇の民を嫌悪するようになるだろう。闇の民の亜種である人魚をも……


「さようなら」

小柄で華奢な少年の身体を抱き寄せた人魚は、少年の持つ「人魚との記憶」と澎湃たる光魔法分子の一部を封印した。

 これが闇の民の為になると信じて――


(1)

 民は歴史に何を学んだのか。

 誰も望まぬはずの戦争が繰り返され、終えては始まる戦いはまるで輪廻の如きである。

 闇の民の女帝・リノロイドによって齎された光の民の絶望の時代、“勇者”は歴史上に姿を現した。何の前触れも無く現れた救世主の名は、ランダ。彼は同志と共に南へ向かい、遂に”魔王”とも呼ばれたリノロイドを封印するに至ったのである。

 しかし、歴史は繰り返され、戦いは輪廻する――


『我が名、バラーダ・ラダム・リノロイヅの名に於て、彼の者を解放せしめ給え』

暗い地下の実験室で、少女の声が呪文を綴る。彼女は、自分の母に施された結界を解こうとしていた。そう、かつて勇者・ランダが魔王・リノロイドに施したとされるものである。

『解放呪文(ディスベル)!』

青白い淡い光が、所々腐敗しているかつての女帝の肢体全体に広がる。すると、カーテンのように魔王を覆っていた光の膜が、まるでガラスを割ったように亀裂を生じ、音もなく崩れていった。


 ランダによって施された、魔王の封印が解かれたのである。


 「母上!」

母から譲り受けた亜麻色の髪と、まだあどけなさを覗かせる少女は母に駆け寄る。

「バラーダか」

喘ぐような声で腐りかかった唇を動かし、魔王は愛娘の名を呼んだ。地下室に響く声にならない声と酷い呼吸はあまりに痛ましい。

「母上、少々お時間を」

治療をを手配するバラーダの言葉を遮るように、鈍く、肉のはがれ落ちる音がした。小さく悲鳴を上げた娘の声を聞いたのかどうか、やがて、その肉の塊は息子の名を呼んだ。否、探しているのだ。

「ヴァルザードはどこに?」

という言葉がやっと聞こえたところで、狼狽していたバラーダはどうにか気を取り戻し、質問に応じると、

「間も無く戻りますよ」

と母に伝えた。

「ヴァルザード……」

とにかく痛いのだろうし、苦しいのだろう――彼女の娘として、バラーダは堪らなくなった。

「母上、早く回復を!」

このままでは”魔王”が死んでしまう。それは即ち、闇の民が掴む復讐への契機を失うことを意味する。それを避けるべく回復呪文(ヒール)を唱えようとする娘の手を、腐食した骨と皮(それはかつて“手”と呼ばれていた部位)が制した。

「バラーダ、光の民は憎いか?」

歯をガタガタ震わせながら、魔王が音を発した。

「母上……」

痛ましい母の姿に言葉を失ったまま、とにかくバラーダは頷いた。光の民を嫌悪する母をよく知っていたからこそ、そうさせたのだ。

「勿論、光の民が憎い!」

母をこの様な姿にさせ、このサテナスヴァリエに土足で乗り込む図々しさといい、忌々しさといい――バラーダは唇を噛んだ。

「母上、報復しましょう! やって下さいますね?」

娘の言葉に満足したのか、リノロイドは口元に笑みをたたえた。

「勿論」

魔王の、顔から溢れんばかりの唇が上に引きつった。血の繋がりはあるにしろ、あまりにおぞましい姿の母親は見るに堪えず、バラーダは思わず顔を背けてしまう。

「バラーダ、私の望みを1つだけ叶えておくれ」

それにしても腐敗が酷い。魔王が語りかけてくる度に、そこら中に肉が零れ落ち、飛散していく。その母親の姿に耐え切れなくなっていたバラーダは言ってしまったのだ。

「はい。何なりと」

と――

 

 遠く、鉄の扉が音を立てて閉まる音が聞こえてきた。兄が戻ってきたのだろう。しかし、バラーダはとうとう、兄の帰りを迎える事は無かった。


「では、お前のその身体を……私に預けておくれ!」


血肉の付いた骨が床にぶちまけられた音がしたのと同時に、バラーダから「バラーダ」は消えた。


 復活した魔王・リノロイドは、世界各地から人材を集めた。

 術者の中でも、特に魔力キャパシティーが高い上級術者(ハイユーザー)を拾い集めて軍隊を組織した。

 その軍事力を駆使し、光の民の監理下に置かれてたサテナスヴァリエ首都・アンドローズを奪還した。

 あまり時間もかけずにこれらのことができたのは、伝統的に「魔王」が持つカリスマ的ヘゲモニーが未だに全く衰えていない所為であろう。


 歴史は廻り続けている。それともそれはそういう宿命なのだろうか。光の民は再び絶望の方へと転がっていったのである。

 (2)

 勇者・ランダによる魔王封印以後に闇の民の専住地・サテナスヴァリエへ移り住んでいた光の民達は、皆一目散に逃げ出した。魔王の持つ巨大な軍事力の餌食となるのを恐れた為である。“軍事力”とは、魔王により組織された大量殺戮の為の軍隊「魔王軍」のことであるが、この魔王軍の存在も、光の民達にとって大いなる脅威になっている。


 魔王軍はリノロイドの命に従い、光の民の殲滅の為、次々と人間達を追い詰めていた。

 ある者は“炎”で焼き尽くされ、またある者は“水”に圧し流され、あるいは“風”に巻き上げられ、更には“大地”の底へと沈められた。

 光の民は、領土の3分の1をあっさりと失った。


(あの“勇者”・ランダは救ってくれないのか)

 光の民の拠り所はそれだけであったのだが、ランダは、アンドローズへ赴くと人々に告げて以来、戻って来ることはなかった。

(もう、“勇者”は現れないのか)

 光の民が大きな期待を寄せていた青年がいた。

 セレスという名の彼はランダの孫に当たり、ランダに養育された為、剣技では右に出る者はいないと言われるほど強力な戦士だったのだ。それなのに、セレスは旅立つこともないまま、魔王軍によって殺められたのだった。

 光の民達は絶望し、悲観し、彼等の中にはかつての英雄ランダやセレスさえ疎ましく思う者すら出てきたのである。


 しかし、ランダと共に戦った同志達は誓うのであった。

「この子達を必ず守り抜き、そして貴方の意を継がん」

――セレスには実は、二人の息子がいたのである。そしてこの兄弟こそが、この物語の主人公である。

(3)

 サンタウルス北西部最北端の町・レニングランド。

 魔族固有の地・サテナスヴァリエに比較的近い地区であるにも関わらず、火山帯と浅瀬という地形の妙もあって、サンタウルスの中でも割合平和を維持し続けている町の一つとなっていた。その町の市門を出てすぐにある山地に、大きな屋敷がひっそりと建っている。

 そこには今年で17歳を迎えたばかりの双子の兄弟と、彼等の保護者(血縁関係が無いのであえてそう呼ぶ)のマオというユーザーが3人で暮らしている。様々な経緯があって、3人が一緒に暮らし始めたのは7年程前。この双子達が10度目の誕生日を迎えた時からである。

 

 「ハイ、終了!」

マオが声を張り上げる。

「やっと終わったかァ」

兄・リョウが栗色の髪を掻き上げるように汗を拭った。長髪とまでは行かない長めの髪は聊か修行には煩いのだが、昨日で17歳になったばかりの彼にとっては、修行中の身とは言え、ファッションは手を抜けないのである。一方、

「もう終わりか」

弟・セイは右手に持っていた竹刀を下ろした。兄のリョウとは対照的で、こちらは汗一つかいていないし呼吸の乱れも殆ど無かった。ただ、昨日までは束ねるほど長かった髪を、今日兄よりも短く切ったばかりで、それが先程から気になっているようだった。

「お疲れ様。今日の修行はこれにて終了ね」

マオは無作為に束ねていた髪をほどいた。この双子とは対照的に明るい金色の髪がその肩にかかる。

「で?」

極めて短い言葉でリョウが今の試合について尋ねた。彼女の戦評だけがこの兄弟の修行のやりがいであるので、マオも十分言葉を選び、空気を読む。

「リョウはよく頑張ったね。セイを相手にこの時間ずっと防ぎ切れたら大したものだわ。セイ、アンタについては、もう今更コメントは要らないな。この大陸じゃあもう無敵だね」

マオは二人から竹刀を受け取った。これではアドバイスというものには程遠い「感想」である。しかし、もうこの双子達にはそれで十分だという彼女の判断である。そう、彼等は師の手を離れる時期にあった。

 兄のリョウはどちらかというと魔法の方を得意としていたが、剣も師・マオに相当した腕前を持っている。一方、弟のセイはリョウよりも3年早く修業を開始している為、魔法・剣ともに能力が高く、とりわけ剣に関しては記述の通りで、大陸中に敵がいないとマオに言わしめるほど、優れたものを持っているのである。


 山奥に隠れ住みながら武道の修行に勤しんでいる彼等こそ“勇者”であり、光の民の希望となると信じる者達がいた。というのも、この双子の兄弟・リョウとセイこそが、セレスの息子達で、英雄・ランダの最後の子孫であるからだ。

(4)

 この双子は、修業を重ねるごとに、あの英雄ランダの血統たる才覚を顕してきていた。17歳になったばかりの彼等は、光の民では通常扱えない程の魔法分子を操り、今すぐにでもサンタウルス正規軍の傭兵として最前線で活躍できる程度までの格闘技術を会得していた。それなのに、この兄弟にはマオを始め、周囲の事情をよく知る者達に旅立ちの決断をためらわせてしまう程の致命的な「欠陥」があるのだった。

「オイ! 今ワザと魔法球ぶつけてきただろ!?」

兄・リョウの声が山奥の修業場に響く。

「当たる方が悪い」

リョウとは距離を置いて攻撃呪文の練習をしていた弟・セイは、激高している兄を一瞥もせずに言ってのけた。

「当たる方がねェ……」

弟の言葉が癪に障ったリョウはすぐに魔法分子を召喚した。この発光する魔法分子をかき集めて一つの球状の結晶状にすると、リョウは怒りと憎しみを込めて弟に投げ付けた。それは負のチカラを発動しながら、見事にセイの後頭部を直撃する。

「痛ェな殺すぞこの野郎!」

これは簡易魔法球と呼ばれるれっきとした魔法攻撃である。致死性は無いが、魔法分子間の結合力が比較的強く、衝撃と同時にチカラをより攻撃的なものへと働きかける負のチカラが発動する為、直撃すると棍棒の強振と同程度の破壊力を持っている。

「アラまあ、セイ君ったら鈍臭ェなァ」

飄々と竹刀を片付け始めたリョウに悪意がある事は明白である。セイは兄を睨みつけると、傍の竹刀を取って、兄の後頭部目掛けて力一杯投げ付けた。間もなく、リョウのうめき声が修行場に響く。

「痛えんだよ! ……ったくテメエはッ!」

竹刀が直撃した後頭部を摩るリョウには一切目もくれず、「元気の良い竹刀だなあ」とセイは素知らぬ顔である。勿論、彼の故意である。弟のその態度に、リョウの怒りは頂点に達した。

「テメエ……」

リョウの殺気に呼び寄せられた魔法分子が、小さく空気を震わせた。

「何だ低知能、やるのか?」

ケンカの売買はセイの得意技である。リョウの召喚した魔法分子に対抗するように、セイも魔法分子を召喚した。

「殺ってやるよ今日こそは!」

「お前なんぞに殺られりゃあ浮かばれねえな」

「楽に逝けると思うんじゃねえよ!」

「は? 十年早え」

山奥の修行場に不自然に集まった光属性魔法分子が激しく閃光を放った。戦闘開始の合図であるが、互いが相手の間合いに入る前に、間一髪割り込んだ師・マオの攻撃呪文で、リョウとセイの頭上に光が降り注ぎ、二人を何とか戦闘不能に追い込んだ。

「いい加減にしな、アホ共!」

見兼ねたマオが、この兄弟ゲンカの仲裁に入ったのだ。


 そう、リョウとセイは確かに優れた戦士であったが、兄弟仲は劣悪極まりなかったのだ。

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