第六話 Light a fire in my heart


「あのザクロの神社について調べてみたけど、駄菓子屋も、そこで商いをしている御老人もちゃんと実在しているようだねぇ。御老人の娘と言い張ったこの狐も、恐らくちゃんと実在する人間、なのだろうね」

 捕まえた皧狐を囲む私たちへ、左右に歩きながら考察し、考えを発言する姫李さん。

「当たり前だ、僕はウソなんかつかない」

 両手を縛られて身動きの取れない皧狐が、姫李さんの言葉に反応する。

 最初に出会った頃とは違って、今は随分毒が抜けて子供のような振る舞いでいた。

 確かに、あの神社で違和感のある所といえば、私たちが立ち入ったあの古い御堂と、その中から持ち込んだ新しめの本だけ。駄菓子屋のあった場所は、特に何の違和感もなく、ちゃんとあの場所に存在していたように思う。

「私は何度もあの場所を訪れていますから分かりますわ。あの駄菓子屋は、確かに昔から存在している、神社のシンボルの様な場所ですわ」

 菜々さんは自信たっぷりに言い放ち、明確にあの駄菓子屋の存在を裏付ける。

「じゃあ皧狐は、ハロウィンにグリムさんがうっかり迷い込ませた迷魂って訳じゃ無さそうですね⋯⋯」

「ふむぅ、ワシの予想は外れのようじゃな。異世界人であれば、ワシらの知らない言葉を使っていたり、何かの目的で殺人を働く、という動機も辻褄が合いそうじゃったが」

 三年前、姫浜で起きたアーガルミットの一件を踏まえたラオシャの考えは、どうやら的を得ないようだった。

 だとするとやはり目の前の皧狐の正体を繋ぐ鍵は、御堂で見つけた一冊の本にある可能性が高い。

 私はその本を取り出して、皆に見せる様に手前へ置いた。

「⋯⋯なあ」

「この本に書かれている、"妖怪"というのが皧狐の存在に関係してるとするなら⋯⋯えっと〜⋯⋯結構ファンタジーな話になるんですけど」

 適当にページをめくり、妖狐と書かれた箇所に指を指した。

「⋯⋯おい」

 そこには、古い時代に描かれたであろう怪しげな狐の絵の横に添えられた、幾つかの解説があった。

「ここに描かれてる、妖狐と呼ばれる存在ですけど⋯⋯こいつが、私たち人間に取り憑いてて、悪事を働いている。これなら自然な繋がりじゃありませんか?」

 という私の意見に、姫李さんがすぐに

「いや、その記述の中には妖狐そのものが人間に化けるというのもある。こっちのが正しいだろう、現にコイツは、禊猫守の顔のまま──」


「おい!! なんでオレん家で集まってるんだってくだりが、完全に抜けてるだろう馬鹿共がっ!!」


 緋咫椰さんの怒号とテーブルを殴る音に、思わず皆が押し黙った。

 しかし表情一つ変えず、平常運転の姫李さんはニヤニヤと笑いながら緋咫椰さんの方を見て話しだした。

「なんでって緋咫椰くん。我々には今猫カフェの様に集まれる場所が無いんだ」

「簡単には近寄れない様な場所が必要なのですわ」

 続けて菜々さんも。

「ならバナナのクソでか敷地で良いだろ⋯⋯わざわざオレん家に変な狐まで連れ込みやがって」


 神社での一件の後、気が抜けたように倒れ込んでいた皧狐を捕まえて、姫李さんの先導で場所を移動して──

 何故かだだっ広い家に着いたなと思ったらそこはどうやら緋咫椰さんの家で⋯⋯取り敢えず成り行きでリビングまで上がってしまっていたという前置きがあったんだけど⋯⋯あまりにも皆しれっとしていたので、私もその場の空気に流れてしまった訳である。

「僕は変じゃないぞ、変なのはお前たちの方だ」

「うるさいお前は黙ってろ」

「それに、ボクにとって猫カフェは家でもあったんだ。そこが特定されて、命の危険もあるとなれば帰るに帰れない」

「はっはっ、住所不定の禊猫守ですな」

 姫李さんの現状を聞いて、緋咫椰さんのダエグ君が嘲笑を浮かべる。

「ああそうだな、身分を証明する物も無さそうだし、こいつは今ホームレス巫女って訳だ」

「変な蔑称は止めたまえ、ボクは意外とガラスのメンタルなんだぞ」

 とにかく、どこか懐かしさを感じさせる和風作りの豪邸、中は夏休みには必ずここで勉強するシチュエーションすら見えてくるリビングを借りて、私たちは皧狐の情報を引き出そうとしていた。


「お前のメンタルの弱さなんて知らねえよ⋯⋯んで? 結局コイツは、何者なんだよ」

 そう言いながら緋咫椰さんは近くの椅子にもたれ掛かり、目の前の皧狐を見下ろす。

「⋯⋯妖怪、だと思うんですけど」

「妖怪、ねえ⋯⋯そんないきなり出てきた意味不明な単語を信じるなんて、オレには出来ないけどな」

「僕が妖怪? 何言ってるんだ? もしかして、お前たち妖怪知らないのか?」

「貴方が住む世界だけの言葉ではありませんの? この書物に書かれている言葉は所々で、私たちが聞いた事もない物ばかりですわ」

「ボクたちの目線でいくと今の所キミは、香山詩音の身体に取り憑いている、狐の妖怪だ」

「香山詩音さん⋯⋯三年前、突然背後から刀で斬られ、惨殺されたと、イズンさんから散々聞かされましたわ。惨殺された詩音さんの遺体を発見したのは偶然近くにいた猫巫女で、すぐさま警察に通報を。ですが⋯⋯」

「警察が到着する頃には何故か遺体が消えていた。猫巫女がすぐそばに居たはずなのに⋯⋯原因は一切不明、血痕すら綺麗さっぱり消えていたから、通報した猫巫女は虚偽通報だと疑われるハメになって⋯⋯結果、注意喚起で済まされたらしいがな」

「組織内で散々聞かされた、皧狐による最初の被害だねぇ」


 ──そう、禊猫守になる事が決まっていた私も、三年前に香山さんの事をイズンさんに聞かされていた。

 そして事の詳細が確認出来るまでは、沙莉には黙っておくように釘を刺されている。

「⋯⋯知らない。僕は、目覚めた時にはこの姿だったから」

「ほお? ではやはり、その身体は別人なんだね?」

「⋯⋯ふぅん」

「な、なんだよ」

 緋咫椰さんが椅子から立ち上がり、無言で皧狐の真後ろへ座ると──

「おらよっ」

 突然皧狐の服を掴むと、そのまま躊躇なく引きちぎられた。

「「「なっ!?」」」

 唐突な展開に思わず大きく口を開けて驚いてしまう。

 皧狐も顔を真っ赤にし羞恥に襲われた。晒に包まれた胸部が露わになり、微かな弾力を持って弾んでいる。

「な、なな、何をやっていますの!?」

「き、キサマ!? 一体何を!?」

「いや、背中にキズあるのかなーと思って⋯⋯おお、ダエグ見てみろ、ガッツリ跡が付いてら」

 緋咫椰さんはそう言うと、皧狐の背中の傷を興味津々に指でツーッと撫でた。ダエグ君も緋咫椰さんの背後ではしゃいでいる。

 更に隣では釣られて姫李さんも覗き見する様に皧狐の背中をまじまじと見ていた。

「おおっ! こりゃこっちでもなかなか見ないキズっすねー!」

「あっな、なぞるな! 変態! すけべ!」

「おお、晒越しでも隠しきれない程の大きな傷! これは香山詩音の身体で間違いないねぇ! 肉付きも憑依されてるとは思えない健全さだねぇ!」

「はぁ⋯⋯下品ですわ」

「あ、あはは⋯⋯」

 はしゃぐ人達の向かいで頭を抱える菜々さん⋯⋯。

 ごめんなさい菜々さん、本当は私も向こう側に参加したい! でも今は我慢しなきゃっ!

「絶対良からぬ事を考えておるな、小夏⋯⋯」

 

 少しして、冷静に菜々さんがはしゃぐ側へ声をかけ始めた。

 皧狐は散々弄られた為か涙を浮かべてショボくれてしまっている。

「はぁ、皧狐の衣服をそんなに引き裂いてしまったのも含めて諸々、彼女の処遇はどうされますの?」

「⋯⋯それは考えてなかったけど、ここで送っとくのが良いだろ」

「いーや駄目だ、彼女は良い研究対象になるし、他の皧狐を誘き出すエサにもなれる。送ってしまうのは早計だ」

 ぎゅるぎゅるぎゅる⋯⋯と、皧狐のお腹の虫が鳴った。


 考えてみよう、このまま保護するにも場所が必要だし、監視の目だって欠かせない。

 敵対してはいるものの、最低限の衣食住は彼女の為にも必要だ。

 ああ、こんな時無意識に発生する、私のお節介はここまで来ると──

「うう⋯⋯おなかすいた」

 それに⋯⋯沙莉に似てて──

「あの⋯⋯私が、この娘を保護します」

 皧狐のそばへ寄り、提案した。

 うん、近くで見るとハッキリ分かる。

 ちょっとした表情の変化もどこか懐かしさを感じてしまう。

 ちゃんと、沙莉のお姉さんの顔だ。

 

 私の言葉を聞いたラオシャは困り顔で、すぐに私に駆け寄ってきた。

「お、おい小夏っ! それは幾らなんでも甘すぎるぞ⋯⋯」

「ごめんねラオくん。私、どうしても譲れない。友達が関係してるのに⋯⋯私が何か出来るかもしれないのに、しなかったら⋯⋯それは私に責任があると思うから」

「⋯⋯ん?」

 皧狐は困惑した表情を浮かべながら、純粋な目で一点に私を見つめる。

「えっと⋯⋯ウチ、来る?」

 両手を縛られたまま、皧狐は身体を私の方へ預ける様にもたれ掛かると、首元をスンスンと嗅ぎ出した。

 そんな懐かれた犬の様な行動にびっくりして、思わず身体を震わせてしまう。


 不可抗力で私も皧狐の方の匂いを嗅ぐが、至って普通の、少し汗の匂いが混じっている匂いだ。

「え!? ちょっと!?」

「あれ⋯⋯っ、うん⋯⋯お前、何か、知ってる匂いがして、イイな」

「えっ⋯⋯?」

「分かった。良いぞ、コイツに免じて暫くは大人しくしててやる。どうせ六花が迎えに来るからな」

 両手を縛っていた拘束具を最も簡単に壊し、平然と皧狐は立ち上がった。

「オレん家にあった手錠⋯⋯簡単に壊しやがって」

「なんでそんな物騒な物を持っていますの⋯⋯」

「いやあでも困ったねぇ。皧狐を個人で保護するリスクが大きいよね。今小夏は猫巫女の器が壊れてしまっている。彼女が暴れるかもしくは、彼女のお迎えが来たら、小夏は抵抗の術も無く、やられてしまう。いやはや困ったよね〜、なあ小夏」

「⋯⋯予想はつきますわね」

「捨て狐のおまけに住所不定巫女が付いてくるだけだ。まとめて拾ってやれよ」

「ええ⋯⋯ま、まあ、姫李さんをこのまま一人にしておくのもちょっと気が引ける、のかな」

「流されやすいお方⋯⋯」

「そこが小夏の良い所でもあるがの〜」

 警戒心の強い菜々さんのセバスチャンの隣で、ラオシャが私の事を自慢げに話している。

「感謝したまえ〜? 最強の守りだ、もし襲われたとしても、ボクがいれば安心安全だ」

 姫李さんはドヤ顔で、私の顔を覗き込む。

 子供の様な振る舞いを多々するけど、姫李さんは何歳なのだろうか⋯⋯。

「二人についてはもう良いか? じゃあ、今後の事もついでに話しておこうぜ」

 兎にも角にも、皧狐と姫李さんを拾った、次の話に移ろう。

「イズンさんに関しては、以前見つかっていないんですよね?」

「ああ。姫李の天眼でも見つからない所を見ると、東都を離れてるんだろうな」

「もしかしたら、ブラギ様の所に居るのかもしれませんわね」

「ん? お前、ブラギのじいさんの場所、知ってんのか?」

「あ、いえ⋯⋯場所までは流石に⋯⋯。ですが、ブラギ様に会うだけなら、東都を移動しなくても可能ではあるという事ですわ」

「確かに、あの猫カフェは、簡易的ではあるが扉という扉が転移する穴になっている。ブラギに会いたいと思うならまず猫カフェを利用しようとするだろうねぇ」

「小夏がまた禊猫守に戻るには、結局はブラギに会わなきゃ行けないんだ。このままイズンを待ってても、時間の無駄かもな」

「猫カフェの奪還、最優先事項はそこかな。次点で、小夏の能力回復も必要だ」

「でも、それらをクリアするには⋯⋯」

「皧狐と戦って、勝たないといけない。そこだよね〜」

 全員で話し合っていると、向こう側からの声も会話に参加してきた。

「はぁ?」

 緋咫椰さんがキレ気味に玄関の方向を向く。

 当然だ、また一人家に上がられたのだから。

 声の主であろう足跡は堂々と私達へと近づいて、姿を見せるのに時間は掛からなかった。

 大きく栗毛が揺れて、見知った顔がこちらを覗き込む。予想していない客に、私は思わず席を立って大きい声をあげた。

「⋯⋯!? 貴方は⋯⋯っ!」

 私に気付いたその人はウインクをして、最高の笑顔を見せながら私の元へ近寄ってきてくれた。

「久しぶり〜小夏ちゃん。んーで⋯⋯何か知ってる面々もありながら、知らない娘もいるね」

梵彼方そよぎかなたさん!!!」

 長い栗色の髪に、ダウナーな容姿、しかし中身は大人のお姉さんで、私の憧れの人。

「知り合い?」と、菜々さんと緋咫椰さんが首を傾げる。

 皧狐も勝手に盛り上がる私たちを目で追っている。

「ボクが彼女を呼んだんだ。彼女も無関係では無いと判断したからね」

 また姫李さんが自慢げに言い放つ。

 気持ちが高揚しすぎて身体が熱い、しかしこんなタイミングで出会うなんて⋯⋯!

「話は聞いてるよ、小夏ちゃん、力を失ったんだって?」

「あ、はい⋯⋯皧狐にやられちゃって⋯⋯」

「ちょうど良いねぇ、今それについて話していたんだ。小夏の器を元に戻すにはブラギに会う必要がある。だから猫カフェを取り戻す為に戦おうと思っているんだ」

 彼方さんは私を見つめたまま離してくれない。どうにかなりそうだ。

「皧狐に勝算があっての事なの?」

「それは⋯⋯全く」

 彼方さんの言葉に、目を逸らす。

 勝算は、恐らくカケラもないから。

「それじゃダメだね。アタシ達は戦う術を持たないただの巫女なんだ。戦うという選択自体はナンセンスだ。例外は、居るみたいだけど」

 彼方さんは緋咫椰さんをチラりと見て笑う。

 緋咫椰さんはそんな彼方さんにそっぽを向くが⋯⋯確かに、私達が戦おうと思えるのは、緋咫椰さんの存在あっての物だ。

「アタシも戦えない訳じゃ無いけど、戦力は依然不足したまま。小夏ちゃんなんて戦力外。戦うには駒も足りないし、駒の強さも足りてない」

「じゃあ、どうすれば⋯⋯」

 弱音を吐くと、彼方さんは肩を優しく叩く。

「ふふ、その為の、アタシ」

「どういう事ですか?」


「魔力を司る器が無いなら、作ってしまえば良いんだよ、小夏ちゃん」


「えっ?」


「小夏ちゃんの中に新しい器を宿らせる。それが、アタシがここへ来た理由なんだ」

 

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