第七話 Flying Sparks


「小夏ちゃんの中に新しい器を宿らせる。それが、アタシがここへ来た理由なんだ」

「「ええ〜!?」」

 私と同じタイミングで皧狐が驚いた。

「いや、なんでお前も驚くんだよ」

 逃さず緋咫椰さんが素早く突っ込んだ。

 二倍驚かれ、目をパッチリ開けてビックリしている彼方さんが、驚いている皧狐の姿に視線が向くと、すぐに表情を暗くさせた。


 その表情から何となく察しがついてしまう。

 亡くなった親友の面影を、思い出しているのだろう、と。

「あ、あの、彼方さん、この子は⋯⋯」

「良いんだ、そういう縁も、あるって事で」

 気を遣おうと言葉をかけたけど、辿々しくも明るいいつもの彼方さんに跳ね除けられてしまった。

「はい⋯⋯」

 杞憂に終わっていれば、良いんだけど。と、心配をしている間に皧狐が私たちの間に入り込む様にして、彼方さんの目の前へ歩いていっていた。

 陰りの見える表情を浮かべた彼方さんに対して、皧狐の表情には一点の曇りもない、目の前の相手に興味を持つ眼差しで彼方さんを見つめていた。

「ん? どうした?」

 優しく声をかける彼方さんに、皧狐は堂々と手を差し出した。

「今日からコイツの居候の由里香ゆりかだっ、よろしく!」

 太陽みたいな明るい笑顔で言い放って、握手を求めた。

 か、軽い、コミュ強だっ。

「それはちゃんとした自分の名前?」

 しかし皧狐の手を、彼方さんは握らない。彼方さんは表情を変えず、出方を疑う様に皧狐を見ている。

「当たり前だ」その言葉を聞いたと同時、皧狐の手は簡単に払い除けられた。

「う〜ん、信用は出来ないね。私たちの間で何か名前を付けようよ、どう? 姫李ちゃん」

「ん⋯⋯別に何でも構わんぞ」

 姫李さんはいつの間にか奥にあった冷蔵庫から飲み物を取り出して、その場で適当に飲んでいた。

 それらを見た緋咫椰さんが更に不機嫌そうに足で床を小刻みに叩きながら、

「髪が白くてモコモコしてるからヒツジ」

 とんでもなく投げやりな、ストレスを少しでも軽くしたいが為の発言をした。

 な、なんか始まっちゃってる?

「適当すぎますわ緋咫椰さん⋯⋯せめてアレキサンダーとか」

「無関係すぎます、お嬢様」

「どれもイマイチ。小夏ちゃんは?」

 どのネーミングも駄目だと彼方さんは即答し、最終的に私に振ってきた。

「え、ええ? き、急だなぁ、えっと〜」

 皧狐を上から下まで、改めてじっくりと観察してみる。

 白くて長い、パーマのかかった雲のような髪⋯⋯肌もモチモチしていそうだ。

 それに、涎を垂らしてた敵とは思えないほど、今は忠実な柴犬のような性格になっている恐れを知らないコミュ強。

 彼女はこっちが本来の性格なのだろうかとそれも踏まえて⋯⋯名前、なまえは⋯⋯。

「シロちゃん⋯⋯とか?」

 下手な笑顔で提案してみるが、数秒間、時間が止まったみたいに静寂が訪れた。

 故にラオシャの深いため息が私に向けられたものだと、ハッキリ伝わってしまう。

 一番マシやと思ったのに⋯⋯なんでなん?

 沈黙を解いたのは彼方さんだった。

「それで良しって事にしとこう」

「なあ、こういう場合、僕の意見を聞いたりとかするもんなんじゃ?」

「じゃ、シロちゃんと姫李ちゃんは小夏ちゃんが世話するとして⋯⋯さあっ話を戻そうか」

「おい!」

 両手を叩き、元の話題へ戻ろうとする彼方さん。あまりシロちゃんの事は考えたくないんだろうな⋯⋯名付けの所から、ずっと目を逸らして皧狐の方を見ようともしない。

 そして、本題は私だ。

「うん、分かってる顔をしてるね」

「はい。でもどんな方法で器を?」

「それはね」と私の胸へ指を差した。

「小夏ちゃんの深層心理に非常電源を挟み込んで、自己再構築させるんだ」


 ⋯⋯よく分かんなかった。


「どういう意味ですか⋯⋯?」

「もう少し簡単な方が良いか。ええっとね」

 頭を傾げて私を見た彼方さんの表情が和らぐと、微笑みながら要約を試みてくれた。

「猫巫女の力っていうのは、相棒のケットシーから一方的に身体へ流れる魔力を扱って初めて成立する物。これは分かるね?」

「はい、ラオくんの魔力を通じて、初めて力が扱えていました」

「そして、魔力を受け止める器というのは未成熟な身体から偶発的に生まれ得て、それが猫巫女の才能に直結するんだけど⋯⋯聞いた事はない? 猫巫女の能力のランク付けみたいなの」

 彼方さんの言葉を聞いて、三年前の記憶の引き出しから幾つかの言葉が引き出さられる。

「ラオくんから活動報告として聞いた事があるような⋯⋯基礎B、応用A+とか」

「えっ、お前そんな高いのか⋯⋯」

 緋咫椰さんがテーブルに肘をつきながら、口を開けて驚いた。

「お嬢は基礎Eで応用EXと、特殊な評価でしたからね〜」

 緋咫椰さんの懐からダエグ君が、小言を漏らす様に言う。

 緋咫椰さんの驚いた表情、意外だ。

 私なんかよりももっと強い適性を持ってると思ってたから。それに適性の高さで禊猫守が選ばれるとも思ってた。

「そう、それ! それが器の許容量の目安になってたんだよ!」

「なるほど⋯⋯そういう仕組みでしたのね」

「教えたのはボクだけどねぇ」

「本当秘密主義だよね⋯⋯。そんな訳で小夏ちゃん、キミの器は他の人よりも大きめなんだよね、だから時間は少しかかるけど良いかな?」

「もちろんです! 早く力を扱える様になって⋯⋯迷魂も皧狐も助けたいです!」

「助ける? 皧狐をか?」

 緋咫椰さんが案の定噛み付いてきた。

 でもここは食い下がる訳にはいかない。

 私の行動原理は戦いには無い。

「はい、助けたいです。もし何かがあって皧狐が猫巫女を襲っているなら、私はその原因を知りたい。彼女達を救えるなら、それは巫女である私の役目です」

 緋咫椰さんは苛立ちつつも何も言わず、私を一点に睨んで離さない。

 一瞬の沈黙だったが、途轍もなく長い時間を過ごしたような感覚だった。

「って言っても、護身術すら身に付けないのは危険だから、アタシが教えておいてあげるけどね」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあ解散で良いかい? 話し合いももう飽きた。それに夕暮れ時だ、緋咫椰もそろそろ、噴火しそうだからね」

 いつの間にかチョコを頬張っている姫李さんが、私の言葉を聞くなり早々に立ち上がる。

「ダイアモンドが取れると良いですね、お嬢」

「ダエグ、それどっちの意味で言ってるんだ?」

「あ、あの、わ、わたくしも⋯⋯」

 皆が帰り支度を始め出した時、菜々さんが声を上げた。

「私にも、護身術をご教授願いたいですわ、彼方さん」

「菜々さんも?」

 菜々さんの戦い方は確かに、治すべき箇所があると私も感じる程だ。

 私が見た限りだと、能力に身体が追いついておらず、銃を中心に行う物であるはずが、銃に振り回されている印象があった。

 一方的な行動を余儀無くされている様な、状況によっては無鉄砲な動きになりかねない事だってあったはずだ。

「んー、構わないけど、お嬢様に出来る?」

「無論、出来ますわ!」

 手を胸に当て、自信たっぷりに言い放った。

「おーけー、じゃあ、明日から二人を鍛えてやりますか」

「小夏さん、私、これ以上不甲斐ない姿は見せませんわ。一緒に頑張りましょう」

 そう言って、菜々さんは私の方へ手を差し伸ばす。

 菜々さんはお嬢様だけど、努力を隠さない所が素敵だな。菜々さんと二人でなら、私ももっと頑張れそうだ。

「はい! よろしくお願いします!」

 敬意に応える様に、私は勢い良く菜々さんの手を取った。

 姫李さんと違って、ずっと真面目に話を聞いていたからかしっとりしていた。

 

「用が済んだらさっさと帰れ。おい待て久木野はこれ片付けてからだ」

 もう一つ向こうの机に無造作に置かれたお菓子の袋達が目に入る。

 喋ってる間にめちゃくちゃ食べてた⋯⋯。


 沢山話し終えた後、皆と手を振り合って解散し、残ったシロちゃんと姫李さんとで私の家へ向かおうとしていた。

 外はもううっすら暗くて、街灯と手元のスマホの光が照らすだけだ。

 調べてみると幸い家からは近い様で、このまま徒歩で帰れる距離だった。

 歩いて帰ろうとスマホをしまった途端、背中からずしりともたれる感触に襲われた。

「もう眠たいぞ〜、小夏、おぶってくれ」

 もたれ掛かってきたのはシロちゃんだった。

 ガス欠したみたいに身体から力が抜けていて、既におぶられるのを待っている。

「あー、はいはい。おぶるから、そのままもたれないで⋯⋯」

「甘いのう、小夏は」

「後ろからボクが観察しといてあげよう」

 居候、というか子供が二人、増えたような気がする。

 しかし振り返ってみると、本当に緋咫椰さんの家がデカすぎる。

 もしかして緋咫椰さんは怖い系の人なのだろうか⋯⋯。

「シロちゃん、お腹空いてない?」

「う〜ん」と唸りながら顔を背中に擦り付けて、ぎゅるるるぅとお腹で返事をした。


「ワクドナルドにしますか⋯⋯」


     ✳︎


 都内のマンションの一室が、現在の私の小さな家である。

 コンパクトな間取りではある物の、多少ミニマリストの気があるので広さに困った事は一度もない。

 シロちゃんをおぶりながら、鍵を開け家へと入った。

 明かりをつけると、そこはもう私の全て。

 多少長い一本の廊下から左右にキッチンとリビングスペースが多少顔を出して待っているのだ。

「おー、まともな部屋だー!」

「お世話になるぞ〜」

 私から降りたシロちゃんが早速リビングに向かいだし、姫李さんも追う様にずかずかと上がり込んだ。

 うーん、何となく察してたけど、忙しくなりそう。ため息を一つ漏らす。

 自炊はあんまりしないからキッチンは綺麗なままを保っているけど、二人がどうするのか⋯⋯。

「小夏、とにかく飯じゃ。今は腹が減って仕方がない」

 ラオくんもリビングへ走っていった。

「まあそうだね。ワック冷めちゃうし」

 袋の中に潜んでいる大変美味しい匂いが、悩む私の鼻を刺激する。

 悩み事も、美味しい物を食べてから。

 ハンバーガーの詰まった袋を引っ提げて、私もリビングへ向かった。

「シロちゃ〜ん! 食べるなら手を洗ってから!」



「いただきまぁ〜す!!」

 帰宅して早々、シロちゃんは警戒心も無くテーブルに着き、勢い良くチーズがたっぷり入ったハンバーガーに齧り付いた。

「うんま〜〜い!!」

 私もシロちゃんを眺めながら片手に持ったハンバーガーを頬張る。

 私のはピクルス多めの揚げたてチキンが挟んであるハンバーガー。

 適度に掴むと肉汁がレタスを通ってバンズに染み込んでいく、食欲を誘ってくるとってもハッピーな品。

 ピクルスを多めに頼んだ事で酸味の主張が強く、チキンの旨味とのバランスが上手く取れていて、尚且つシャキシャキと鳴る食感も良く、これまた美味い。


 シロちゃんは目に星を浮かべてチーズバーガーを食べてはポテトを挟み、口一杯にした後はジュースで一気に胃に流し込むのを繰り返し、美味しさの余韻に浸っている。とっても可愛い姿に、私のハンバーガーもより美味しくなる。

 姫李さんはというと、さっきまでチョコを食べまくっていたのでお腹が空いておらず、今は冷蔵庫に入れていた私のエナドリを飲みながらタブレットを眺め、叔父さんみたいにソファで寛いでいる。

 各々自由に座って過ごしている状況だ。

 しかしどうしようか、この後二人の寝る場所を確保しなくてはならない、お風呂だってまだ入ってないし。

 シロちゃんを眺めながら少し考えていると、足元にラオくんが擦り寄ってきた。ラオくんは一足先にご飯を食べ終えたようだ。

「ふむぅ、奇妙な事になってきたのう」

「そうかもね」

「ずっとシロをここで保護する訳にもいかんじゃろう、これからどうするのじゃ?」

 ラオくんは慣れた動きで飛び移りながら、私の肩へ着地する。

「彼方さんに色々教えてもらいながら、暫くは三人暮らし、かなあ。禊猫守としては、何も出来る事が無いから」

「戦わなくて済むのう?」

 少しニヤけて、ラオくんがこっちを向く。

「いや⋯⋯戦う為の、リハビリの時期なのかも」

 私の言葉を聞いて、ニヤついた表情から眉を落としていった。

「後悔は無いか?」

 考えながら、シロちゃんの隣へ座り、ハンバーガーの最後の一口を放り込む。

 包み紙をくしゃくしゃに丸めて、頭の中を整理しようとする。

 しかしもうくしゃくしゃにしてしまっているから、綺麗には纏まらない。

「⋯⋯ゴミ箱にダンク」

「迷っているようだねえ」

 迷う私を見ていた姫李さんが、間に言葉を挟む。

 それを聞いてシロちゃんも、ポテトを片手に私に振り向いた。

「悩み事か? 何でも聞いてやるぞ!」

「シロちゃんはお気楽だなあ」

「そんな事ないぞっ! 悩みを聞くのは僕の得意分野だからな!」

 思わず笑みが溢れる。

 能天気で、純粋なシロちゃんの性格が羨ましい。でも、

「シロちゃんと戦う事になったら、シロちゃんはどうするの?」

「勿論、お前ら全員倒すぞ」

「それしか方法は無いの?」

「お前らを倒すのが僕たちの目的だからな」

「なぜそんな事をする必要があるんだい?」

「さあな。僕は六花に付いていっただけだから」

 そう言って、ポテトの箱を口に持っていき、残りを全て口に流し込んだ。

 平然と言ってのけた、一連の発言。

 やはり彼女達には人を殺める事に躊躇は無いのだろうか。

 違和感があるとすれば⋯⋯シロちゃん自身が望んで戦っていなかった事。

 そしてシロちゃんが時々口にする六花という人物。

 確か、最初に出会った時に居た、真ん中の人だったかな。

『塗り替えられた世界に終焉をもたらし、本来在るべき物に修正する』

 その時の言葉を思い起こす。

「塗り替えられた、世界⋯⋯」

「六花と呼ばれていた人物が発していた台詞かい?」

 小さく囁いたつもりが、姫李さんには聴こえていたようだ。

「あ、はい。最初に出会った時に」

「⋯⋯あまり考えたくない、いや? ボク達にとってそれは、考えなくて良い事なのかもしれないけどねぇ」

 意味ありげに、何かを含ませるように姫李さんは笑う。

「どういう意味ですか?」

「いやいや、分からなくても良いよ。ボクが深読みしてるだけだからね。そもそも、狐の言葉が真実なのかどうかも怪しいからね」

「よ、余計気になるんですけど?」

「っぷはぁ! ご馳走様でしたっ!」

 姫李さんに翻弄されている所を、シロちゃんの声に断ち切られた。

 冷静になろう。まず目先の事を考えなくては。

「お粗末さま、シロちゃん。お風呂一緒に入ろっか」

「お、良いぞ! 一緒に入ろう!」

「姫李さんも」

「はぁ? そんな面倒くさい物、ボクが入る訳が──」

 二度目は無い、という冷たい目線を姫李さんに送る。

 姫李さんは基本だらしない、一緒に住むとなれば常に清潔にしてもらうのは最低条件である。

「ええ? お前風呂入らないのか⋯⋯? 臭いぞ」

 シロちゃんによる直球ストレートな言葉が姫李さんに突き刺さったのか、すぐに重い腰が持ち上がった。

「し、仕方ないね。これはコミュニケーションの一環だ。狐とも交流を築けるのか、という一つの、ね。あはは」

 三人一緒に入れるような広さをしていないけど、姫李さんの言うようにこれは交流の為だ。頑張ろう、いやでも興奮してきたな。

 

 リビングを曲がって浴室前へ。

 観念した姫李さんの服を私が脱がしていく。

「白衣を脱がすと、仄かに匂う汗が脇に伝っているのが見えてしまい、途轍もなく性欲をそそられた。エッロ」

 姫李さん、服くらい自分で脱ぎましょうよ⋯⋯私お母さんじゃないんですから。

「なんだか地の文と台詞が逆になっていないかい? そういう時いつも怖いぞ?」

「昔から小夏はエロガキじゃからな」

「言い方!! そんでラオくんは出てって!!」

 お尻を押して、ラオくんを追い出す。

 再び姫李さんの方へ視線を戻すと、ちゃんと白衣の中の服は自分で脱いでいた。その奥ではシロちゃんが豪快に全部をさらけ出そうとしている。

 うーん、改めて見ると姫李さん、ギャルなんだよな⋯⋯目も鋭くておっきいし、何よりインナーカラー赤い髪が厳つい。

 シロちゃんは⋯⋯肌が白い、おっきい。くびれも良いし、ええ、羨ましいぞ⋯⋯モデルか?

「急に無言になったと思えばしゃがんで覗き込むとはね⋯⋯」

「はっ! い、いつの間に私は!」

「お前たち、変態だな〜。良いから早く入ろう」

 シロちゃんが私たちを置いて浴室の扉を開け、途中言葉が浴室から響いていく。

 冷静になろう、ヤバい。

 着いていく様に浴室へ移動する。三人だとやはり狭いな。

「シロちゃんは先に浸かってて良いよ、姫李さん洗っておくから」

 そう言いつつ、左手にシャワーヘッドを持って、蛇口を捻る。

 流れ出るお湯を姫李さんの背中に当て、徐々に身体全体を濡らしていく。

 私の目の前には姫李さんの華奢な背中、鏡には姫李さんの、私を受け入れる表情をして待っている。

「ジロジロ見過ぎじゃないかねぇ」

 私の視線に気づいた姫李さんと鏡越しに目が合う。へへへへ。

「はぁ〜、生き返る〜」

「じっとしててくださいね。今から洗うんですから」

 化粧品の容器やディスペンサーが並んだ薬棚に手を伸ばし、シャンプーの液体を手の平に出し、馴染ませてから姫李さんの髪をゴシゴシと洗う。

 他人の手にやられるシャンプーは気持ちいいのか、姫李さんは抵抗なく目を閉じ、腕を組んで洗われるのをジッと待っている。

 髪は充分に洗えたので、サッとシャワーで流そうよし身体だ、身体。

 タオルの隣に掛けていたピンク色のバスリリーを取り、棚にあるボディソープに付けて──

「前は自分でやる」

 と、泡立った所で即効で取り上げられてしまった。

「背中は⋯⋯任せる」

 キタコレ。

「よし、ボクも小夏の背中を洗ってやるぞ」

「え、いやあ、私は別に」

 シロちゃんが浴槽から飛び出して、私の背中に手を伸ばす。

「良いから良いから。どうせ暮らすんだからさ」

 私がやったのを真似して、タオルで背中を洗い始めた。

 人に背中を洗われるのはいつぶりだろうか。少し恥ずかしい。

 それに⋯⋯狭い。

 一人分の浴室に、一人分の備品、三人同時に入る事は想定されていない。

 時々、二人の身体が直接肌に触れてドキドキする。

 立ったまま⋯⋯女の子三人並んで裸の付き合いなんて、側から見たら奇妙に感じる絵面かも、ね。

「後でシロちゃんも洗ってあげるからね」

「ああ、良いぞ。にへへ」

 敵だろうと、脱いじゃえば同じ、なんだよなあ。


     ✳︎


 お風呂に入った後は二人とも私の部屋着に着替えてもらった。Tシャツに短パンと、三年前から私のファッションセンスはあんまり変わっていない。

 そしてシロちゃんがゲーム機を見つけたので、それを遊んでいるのを隣で楽しく見ていた。

 姫李さんは変わらずタブレットを眺めてたけど⋯⋯途中途中ゲーム画面を見て、シロちゃんがボスを倒すのを見守ってた気がする。

 シロちゃんは案外ゲームが上手くて、オープンワールドの死に覚えゲーだったけど結構サクサク進んでた。

 チュートリアル終わってすぐの金色の騎兵も倒してたし、センスは充分にある。

 そしてこれは周知の事実だけど私の家には複数人で遊べるゲームは存在しない。孤独なゲーマーなのだ。


「そろそろ寝よっか」

「んーー」

 時間も経って、シロちゃんが先に眠たくなったので、今日はもう寝る事にした。

 寝所を確保しようとしたのだが、ソファ位しか無く、またシロちゃんはベッドで寝たいと言うので、私と一緒に寝る事になった。

 寝室もこれといって特徴は無い、物もあんまり置いてないし。

 あるとすればラオシャのトイレだけ。

 姫李さんはあんまり眠らないらしく、ソファで大丈夫だと言ってくれた。


 布団に潜るシロちゃんに続いて、私も中へ入る。

 ライトを夕方にして、ほんの少し視界を確保できるように。

「なあ、小夏」

 寝る準備をしている時に、シロちゃんに声をかけられる。

「んん?」

「ありがとうな。ホントは監視しなきゃ行けないのに、一杯世話されちゃった」

「気にしてないよ。色々思う事はあるけど、なんとなく、ほっとけないから」

「やっぱお前、良い奴だな。昔の友達みたいだ」

「昔の友達?」

「うん。コトハって奴なんだけど、そいつに似てる」

 蕩けた優しい声で話すシロちゃんと見つめ合いながら、話し合う。

「⋯⋯教えちゃって良いの? 私、シロちゃんの敵だよ?」

「お前みたいに仲良く出来る奴なら、良い。それにもう、友達みたいなもんだろ?」

 やっぱり、この笑顔を見てしまったら、戦いなんて出来るなら避けてしまいたいと思ってしまう。

「あと、お前らは喋りすぎだな。僕がいる中で堂々と、作戦会議してたもんな」

「いやぁ〜まあ、あれは⋯⋯あはは」

 成り行きでというか、その場の勢いというか⋯⋯。

 皆も心の何処かでシロちゃんは喋ったりする子じゃないって思ってたのかもしれないな。

「あ、でも、明日は私居ないから姫李さんと一緒に居てね」

「そっか、分かった。アイツは⋯⋯なんか悲しそうな目、してるよな。時々」

「悲しそうな目?」

 そんな表情、してたかな⋯⋯。

「結構してたぞ。また明日見てやると良い」

「そっか。じゃあ、また明日だね」

「うん、明日な。もう、ねむたい、おやすみ、こなつ」

 シロちゃんはゆっくり目を閉じる。

 すやすやと眠り始めるまでに時間はかからなかった。

 私も寝よう、大学もあるし、その後は彼方さんに鍛えてもらうから。

 

 ⋯⋯寝てる間に、他の皧狐に襲われません様に。

「おやすみなさい」


     ✳︎

 

 スマホにセットしていたアラームが鳴る。

 朝六時、窓からの日差しを浴びて、意識を起こしていく。

 ゆっくりと瞼を開いて、次は身体をっと動かそうとする直前、ある異変に鼻から感知する。

 

 知っている匂いが、私の食欲を掻き立てる。

 この匂いは、味噌だ、味噌の匂いがする。

 シロちゃんは、まだ寝てる、か。

 え⋯⋯? て事は、姫李さんが何か作ってる⋯⋯?


 興味をそそられ、いつもより力強く身体が起き上がる。

 まだ重い瞼を擦りながら扉を開けると、匂いはより鮮明になっていった。

 キッチンの方から匂いがする事にすぐ気付いた。

 リビングに姫李さんの姿は無い。が、先に起きたのか、姫李さんのタブレットだけが机に置かれている。

 もしかして姫李さん、料理してる⋯⋯?

「姫李さ〜ん、居るの?」

 ゆっくりキッチンの方へ向かうと、そこには味噌汁を作っている、二人の姿が。

 一人は姫李さんで、もう一人は⋯⋯。

「あ、おっはよー小夏ちゃん!! お早いですな〜」

 ピンク色の髪を揺らして、太陽が挨拶をかわす。

 えっ、え!? 嘘!?

 まさかと思い、一瞬で眠気が覚めていく。

「ボクは作らなくて良いと、毎日言い聞かせているんだがね」

「釣れない事言わないで、ほら、食べよ? お魚もそろそろ焼けるからね〜」

「え、ええっと⋯⋯モモさん」

「は〜い⭐︎、モモだよ?」


 マジか。

 子供二人を預かった次の日の朝、トップアイドルが私の家で味噌汁を作っている、だと⋯⋯!?

「モモさん!? なんで!?」

「朝から騒々しいぞ、小夏」

 驚いていると、ラオくんに後ろから話しかけられた。

「ら、ラオくん! いつの間に!」

「ふむ、家を開けたのはワシじゃ。モモは何を隠そう、ああやって姫李に毎日料理を振る舞っておるのじゃよ」

「ボクは毎日止めろと言っているのだけどねぇ」

「私が作らなきゃ、姫李ちゃんずっとエナドリ飲んじゃうんだもん。そんな不健康なのは駄目なんだから」

「料理の腕を磨く練習に使われてるのだとばかり思っているのだが」

「小夏ちゃんの分もあるからね!」

「ああ、どうも⋯⋯恐縮です」


 そんなこんながあって、私たちはモモさんの朝食を食べる流れになった。

 モモさんは料理ができるや否や家を去ってしまって、お礼を言いそびれた。


 な、なんか⋯⋯色とりどりになってきちゃったな、私の家。


 食べ終えた後、シロちゃんがようやく起きてきて、

「ふわぁあ⋯⋯ん? なんでお前ら、変な顔してるんだ?」

「うん⋯⋯? 色々、あってね。あはは⋯⋯」

「キミの分もあるから、後で全部食べたまえ」

「んん? へんなの」

 ラオくんだけが満足そうな表情で、優雅に毛繕いをしていた。

「久しぶりに腹一杯食えたのう、ふふふ」


「ウチの出入り、とんでもなくなっちゃうな⋯⋯」

 

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