第八話 至福の猫巫女 後編

 小夏が予定をぶん投げたお陰でワシは何もする事が無くなってしまった。全く自由な奴め、ワシには定期的にサバ缶を取り上げる癖に⋯⋯。


「退屈なんじゃよな⋯⋯普通に⋯⋯」


 小夏の部屋の窓際に座り込んで、景色を眺めながらその景色の中へもそもそと言葉を吐き捨てていると、その道を歩いている綾乃が見えた。綾乃と分かるや否やワシは身体を起こして、無駄遣いと分かっていながらも小夏が机に置いていったモノクルまで走り、綾乃の場所までワープしようと目を瞑って念じた。


 首輪によって魔術を使う事が出来ないが、あくまでそれはワシから直接唱える場合に限る。小夏の星を抱く舟ネイヴィアス・ステラによって物体に移された魔力であれば、少し強引ではあるが少量扱う事はできる。


 念じてすぐ、ワシとモノクルは光り出し、瞬きの間に近くを歩く綾乃の元まで移動出来た。目の前まで移動したせいか、そのまま小夏には存在しない膨らみのある綾乃の綾乃まで突っ込む形で着地。綾乃もそこで静止して、ワシとモノクルを受け止めてくれた。


「ぴゃっ!え、え⋯⋯?ラオシャ君、どうしたの?」

「綾乃よ⋯⋯今日一日構ってくれ」


 埋もれた顔をなんとか外に出して、目を潤わせながら綾乃に訴えかけた。綾乃はまだ少し戸惑いながら笑顔を向けて言葉をかけた。

「な、何があったの、かな⋯⋯?」

「うむうむ! 今頃は小夏と猫巫女活動に勤しむ筈じゃったのに、彼方からの連絡を見るや否やワシを置いて、なんと彼方のとこまで行ってしまったのじゃ⋯⋯! 寂しい! 何もやる事無いんぞ、ワシ!」


 溢れ出た不満を純度そのままにして、綾乃に向かって全部ぶちまけた。余程可哀想な顔になっていたのか、微笑みを含ませた様な呆れ顔を見せつつも、一緒に降って来たモノクルをスッと顔に掛けた。

「じ、じゃあ⋯⋯小夏ちゃんの代わりに猫巫女をしたら、良いかな⋯⋯? ちょっと不安だけど⋯⋯」

「お、おお⋯⋯! やってくれるか! 流石ワシと契約した猫巫女じゃ! やろう! そして道すがら愚痴らせてくれ!」

「うん。丁度帰る所だったから、このまま探そっか」

「感謝するぞ綾乃! では行こう、猫巫女活動じゃ!」

 そうして小夏の居ない間、綾乃に抱えられながら町を見回る事になった。綾乃の天眼は幅広く見れない為歩きながらの探査になるが、これもまた一興だろう。夕日が少し差し込んだ町の中、小夏の事を愚痴りながら、綾乃と共に猫巫女活動へと歩みを進めた。


     ✳︎


「猫を守る⋯⋯猫巫女⋯⋯?」

 猫を守るとはどう言う事だろうか。彼方さんへの問いに思わず顎に手を当てて首を傾げたが、すぐに彼方さんから返事が返ってきた。


「うん。猫巫女として目覚ましい成績を収めている、あるいは才能に秀でた人は、特別な役割を授けられる事があるみたい、なんだよね」

「その特別な役割が、猫を守るっていう事なんですか?」

「ユー君に聞いた話だから、アタシも詳しくは言えないけどね。どうかな? もし小夏ちゃんにその気があるなら、町を離れてもっと大きな場所で猫巫女活動を──」


「ちょ、ちょっと待って下さい。町を、離れるんですか⋯⋯」

「そう言う事になってくるだろうね。猫巫女として更に上を目指すのなら、ユー君たちを飼っている上位の猫から猫巫女に直接、言伝が来るはずなのね。都心部に拠点を用意されて、上位の猫を守る役目を与えられつつも、そこで猫巫女を続ける事になるだろうね〜。」

 再び手を当てて、精一杯思考を巡らせる。

 ここまでで色々な情報が入ってきて頭が混乱しそうだが、私にとって気にかかる点はやはり町を離れる事だった。もし私にその話が来たとしたら、沙莉たちと離れて、恐らくここよりも大きい都市で猫巫女活動を始めることになるのだろう。

 私には話が大きくて、どうしようもない。何より友達と離れるなんて、今の私にはとても考えられなかった⋯⋯。


 しかしラオシャにとってはどうだろうか。仕事として姫浜町に配属されて、私をパートナーとして選び、私の家を拠点として迷魂を送っている。そんな所からより大きな場所で、もっと多くの迷魂を対処する様になるなら願ったり叶ったりかもしれない。私ともっと長く居れる。


 ラオシャにとっては悪くない話、私にとっては悪い話。私の決断一つで、今までの日常を過去とするラインを引かなくてはならなくなる。

 うんうんと思い悩んでいると、彼方さんが言葉をかけて励ましてくれた。


「まあ、あくまでアタシの予想だから、そんなに気にしないで♪ もしも声がかかったとしても小夏ちゃんの人生なんだから、小夏ちゃん自身の答えを選べば良いと思うよ」


 悩みながら奥の壁にかけてある時計に目をやると、もう日も暮れて暗くなろうとする時刻を指していた。


「はい⋯⋯あ、もう結構な時間ですね。そろそろ出ましょうか?」

「あらあら、もうそんな経っちゃったか、残念。また今度だね〜」

 荷物を手に、彼方さんと一緒に喫茶店を後にして、早足で電車へと向かった。


     ✳︎


「時間が過ぎるのはあっという間だね〜小夏ちゃん」

「はい。今回は色々とありがとうございました。服も一杯買えましたし、猫巫女の話もして下さって⋯⋯」

 電車に乗り、並んで席に座った私たちはそこでも話をしていた。そして隣にいる彼方さんからは何処となく、珈琲の匂いがする様な⋯⋯?

「あれ? 彼方さんいつの間に珈琲豆買ったんですか?」

「ああ、これ? さっきのお店で何も頼んでないのに気付いて、悪いから出る時にこれだけでもと思って買ったの」

 なるほど。それで何時もより珈琲の匂いがしたのか。確かに色々な事に夢中になり、あのお店には悪い事をしてしまっていた。今度訪れた時には必ず何か注文しておこう。

「そういえば水も飲まずにただただ居ただけでしたね⋯⋯すみません⋯⋯」

「たまにはアタシのお店にも、来て欲しいけどな〜?」

 彼方さんがそう言いながら、私の目をジッと見つめて離さない。それは余りにも尊くて胸に突き刺さる、推しのあざとくて、ずるくて、眩しいそんな上目遣い。

 そんな即死級の必殺技を至近距離で放つ彼方さんに倒れそうになりながらも、何とか際で耐えて答えてみせる。

「はうっ⋯⋯はい、是非、行きたいんです⋯⋯行きたいんですよね⋯⋯あはは⋯⋯」

 推しの住む場所なんて軽々しく行って良い場所では無いと言うセーフティが発動する故、中々自分からは行けないのだが、推しが来て欲しいとお願いされているのだからもう行きたくて仕方がない。吐きそうだ。至福ってこの上なく苦しい事を言うのか。


「⋯⋯? まあ良いけど⋯⋯。あ、猫巫女の昇進だけは忘れないでね! 小夏ちゃんにも、結構大事かもしれないからね」

「あ、はい! それは勿論です。自分なりに、色々考えてみようと思います」

「うんうん。小夏ちゃんはまだ若いから沢山悩むと思うけど、軸を大事にね!」

 話しているうちに電車は姫浜へ着いて、彼方さんとお別れした。

「今日は色々あったな⋯⋯すっかり遅くなっちゃったし、急いで帰ろう」


 ずっと袋を抱えていた為手が少し痛い。早足気味で改札を抜けて、坂を降って家へと向かった。


 帰る頃にはすっかり暗くなっていたが無事家まで着き、服の入った袋を持って自室へと戻ろうとして階段を上がろうとした時に、お母さんに引き止められた。

「あ、小夏おかえり〜。あなたにお客さん、来てるわよ」

「ただいま〜、ん? 客?」

「今部屋でゆっくりしてるから」

 私に客って誰だろう⋯⋯? しかもこんな遅い時間に?

 少し不安になりながらも階段を上がり、部屋の扉をゆっくりと開けた。

「ただいまラオシャ〜。なんか客来てるって⋯⋯ああ、綾乃じゃん」

「あ⋯⋯小夏ちゃん⋯⋯」

 お客さんと言わず友達と言えば良いのにと思ったが、綾乃の座る向かい側に、見知らぬ猫耳姿の女性がリラックスしていた。私がその女性に気付いて目をやると、凛々しい声を発して私に話しかけて来た。

「ああ、来たね。君が西野小夏だね」

「あーえっと⋯⋯どちら様で⋯⋯?」

 

 大人ロックという言葉が当てはまる様な、一見激しい様で大人しくも見えるファッションセンス。髪型はあまり見たことがない外ハネのレイヤーボブに、エクステなのか私と同じおさげの様に肩に伸びたクリーム色の髪が、その人の印象を彩ろうとする。加えてその人のふんわりと優しげな青い瞳のつり目に吸い込まれそうになる。


「突然でごめんね。ワタシの名前はイズン。今日は猫の王の代理として、君を迎えに来たんだよ、西野小夏。君を禊猫守みそぎびょうしゅの候補としてね」

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