第八話 至福の猫巫女 前編
人生生きている中で色々⋯⋯いや、それどころではない、でも衝撃の度合いは僅差だ。
私のスマホの通知画面にたった今とんでもないメッセージが飛び込んできた。冷静になろう、いや駄目だ。冷静になろう、いや無理だから取り敢えず、取り敢えず現状を確認しよう。今日は平日の放課後で、帰って着替えたばかり、そしてこの後猫巫女活動をしようとして外に出ようかと自室の扉の前に立った時に、私のスマホから一つの通知が来たんだ⋯⋯。
『後輩ちゃん、ショッピング行こ〜♪』
と、その横に、梵彼方さんという私の推しで、偉大なる大先輩の名前が添えられてあった。
見た瞬間から手が震えた気がする。電流も流れた気がする。なんなら数秒間記憶がぶっ飛んでる気がする。
「えっと⋯⋯」
頭を手で抑えながら、溢れ出る感情のままメールを返してはいけないと、彼方さんのメッセージを真顔で見つめながら、何とか冷静を取り戻そうとする。
「ラオシャ⋯⋯ちょっと非常事態」
「ん?なんじゃ。何かあったのかの」
ラオシャは急いで駆け寄ってきて、家具を伝い私の肩まで移動して、私の視線の先にあるスマホの画面を覗いた。
「ショッピング行こ⋯⋯彼方からか」
「彼方さんからです⋯⋯」
「⋯⋯今日は迷魂を探して送り迎えを済ます日じゃろう」
「そうなんだけど、断れないです⋯⋯行きたいです、ラオシャさん⋯⋯」
先週風邪を引いて行けなかった事も重なって、今この瞬間最大のイベントの誘いが来たとなれば、私が取る行動はもう、一つしかないのである。
「今月入ってまだ何もしとらんのじゃからショッピングなどは断るべきじゃろう⋯⋯別に急いではおらんが、もう出かける直前ではないか」
「ラオシャ、分かった。そこまで言うなら──」
「そうじゃな。では行くぞ、いつも通り見通しの良い──」
「ショッピングへ行きます!」
「大馬鹿じゃ!」
結局気持ちを抑える事も、冷静になる事も出来ずにメールを返信し、ラオシャの視線を感じながらも迅速に準備を済ませて着替え直し、立派にお洒落を決めてから大慌てで家を飛び出した。
こんな機会は今後あるかも分からない、私は推しに会うんだ。その気持ちだけを背負って駅まで直行して都会へと向かった。
『はい! 是非! 行かせていただきます!』
後になって気付いたが、どうやって私の連絡先を知ったのだろう、別に彼方さんがやって来るなら何でも良いのだけど。それだけが少し頭をよぎったのでありました。
✳︎
こなっちゃんが風邪を引いた日の帰り。綾乃と別れ、私一人家まで歩いていると、一人見知った人が、家の前に立っとった。私に気付くとその人は手を振って「あ、お〜い沙莉ちゃん、君、香山の子だよね〜♪」と声をかけてきた。この人は確か彼方さん、こなっちゃんの猫巫女の先輩。こなっちゃん自身は先輩でもあり推しだとか、変な事言うてたけど。
彼方さんは私よりも背が高くて、髪色も明るくて非常に垢抜けていてお洒落だ。私も挨拶を返しながら彼方さんへと近付いていった。
「あ、ども。確かに香山の人ですけど、なんか私に用事ですか?」
当たり障り無い態度で挨拶を返すと、彼方さんが私に目線を合わせてきて、一つお願いをされた。
「あのね、小夏ちゃんの連絡先、教えてくれないかな? 交換するきっかけ作れてなくてさ〜、アタシ知らないままなんだよね」
「あ、ああ⋯⋯良いっすよ。じゃあ、私から彼方さんのとこに送っときますね」
なんやそんなことか、と淡々とスマホを取り出してこなっちゃんのIDを送ろうとしたら、彼方さんが近寄って、私の手を握るとブンブンと激しく上下に振り回された。激しめのスキンシップに私はされるがまま身体ごと揺らされる。
「ありがとう〜! 助かったよ沙莉ちゃん!」
「ど、どうも⋯⋯。じゃあ、会う機会があれば⋯⋯」
「またね〜♪」
家へ入ろうとする私の手を解いて、笑顔で手を振って別れを告げた。見た目によらず激しい人やな⋯⋯。
こなっちゃんも、ああいう人の方が⋯⋯いやいや、なに考えてるんや私は。早く家に入ろう⋯⋯。
✳︎
流れる様にやってきた都会、改札を抜けてエスカレーターを降り、流れる人混みの中集合場所の広場を目指して歩く事五分。広場の柱に良く見知った姿の人がもたれかかって、誰かを待つように、ではなく私を待っていた。
本当にいた⋯⋯。もはやこの出立すら尊い。これが私を待っている推しの姿だ⋯⋯。撮っておこうかな⋯⋯。
近付けずに遠くから眺めていると、彼方さんが此方に気付き、即効で距離を縮めて私の両手を掴んで来た。
「久しぶり小夏ちゃん! 元気〜? ねえ元気〜?」
ぎゅっと握られた私の手をブンブンと振って、私の身体を揺らす。なんて素晴らしいグリーティングなんだ。思わず身体が溶けそうになったが思い止まって、私から話題を口に出した。
「ああ〜どうも彼方さぁん⋯⋯えっへっへっへ、あ、どうして、今日、あの、私を⋯⋯?」
今年一番キモい微笑みが出ている気がするが、これを制御する術は今の現代世界には多分存在しない。推しは一挙手一投足尊いもので、それらを私の身体を通じて行われているこの現状は、あらゆる生物にとって栄養となる事なのだ。
「勿論! 小夏ちゃんと服を買いに行こうと思って。後、色々猫巫女の事、話しとこうかなってね。じゃ、行こう〜♪アタシが知ってるお店で良いかな?」
「うぼあ、ももも、もちろんです⋯⋯! 行かせていただきます⋯⋯!」
ビッグイベントの幕開けが始まってしまい、感無量な私でありましたとさ。ありがとう世界。生きてれば良い事あるな⋯⋯。
✳︎
偉大なる推し、彼方さんとのショッピングはそれはもう至福のひと時で、おかげさまで秋物と冬物の服を同時に揃えることが出来た。
彼方さんが先導してくれたおかげもあってスムーズに足を選ぶ事が出来た上、恐れ多くも彼方さんのセンスで服を選んでくれたり、色々な服を試着してそれぞれ楽しんだ。そして極め付けはリンクコーデをしてくれた事だ。その時が幸せの最高潮だった気がする。嗚呼、推しとこんな時間を共に出来たなんて、夢しかない。スマホで撮った彼方さんが何枚も連なっていて、帰り道もホクホク顔で帰れる事だろう。
「それなりに買い揃えたねえ小夏ちゃん。アタシもホクホクだよ〜」
お互い服の入った袋を腕に抱えて店内を出た。確かにこんなに奮発したのは初めてだ。来年はアルバイトを検討しよう。彼方さんとまたショッピング出来るなら私はなんでも出来る。
「はい、結構体力使いましたね⋯⋯」
「そうだね。それじゃあ近くの喫茶店に寄って、休憩しよっか」
「はい! 喜んで!」
✳︎
さっき買ったお店からほんの少し歩いた先の少し小さい喫茶店へ足を運び、奥の席へ向かいあうかたちで座った。
片手で持った袋の重みに解放されて落ち着いたが、今度は彼方さんの顔が正面にあって、これはこれで気が抜けない。
「あー、本当に楽しい時間だったねえ。自分のお店や猫巫女の事を忘れて、普通の日々を過ごすのも悪くないね、小夏ちゃん」
「そうですね。彼方さんは特に、還さないといけない迷魂も多いでしょうから⋯⋯」
「そうなんだよね〜。ユー君と手分けして探し出しては送ってるけど、大きい町を一人で担当するのはホント、心が折れちゃうよ。小夏ちゃんの方はどう? 数は少ないみたいだけど、まだまだ始めたばかりでしょ? 悩んでる事はない?」
そう言うと彼方さんは前のめりになって、私の顔を覗き込もうとしてきた。深傷を負ってしまうので私も目線を逸らさざるを得ない。
「な、悩んでる事⋯⋯ですか。うーん、それがあんまり無いんですよね⋯⋯ラオシャとやる猫巫女は、何というか、楽しいので⋯⋯」
「そっか〜。じゃあ、順調なんだね。確かにこの前、沙莉ちゃんに憑依した迷魂を引き剥がしたりしてたもんね〜。すごく短い期間で神衣を使えてるし、小夏ちゃんは本当にすごい子だね」
「いえいえそんな⋯⋯」
「⋯⋯じゃあ、先の話はどうかな? もし、町を守る猫巫女じゃなくて⋯⋯」
「え?」
気付いたら彼方さんがいつになく真剣な表情になっていて私を見つめていた。こんな表情の彼方さんを見るのは迷魂を沈めている時以来だった。
「猫を守る猫巫女になれたら、小夏ちゃんはどうしたい?」
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