第六話 秘密の猫巫女 後編
その日の夜。家族も寝静まり、深い時間に差し掛かろうとしている頃。
「よし、良いよ、ラオシャ」
「依代司るは神の衣、我、真名の開示により力を解き放つ──」
また私の意識がそこで一旦眠りについて、私の身体は一旦ラオシャに託される。私が沈んでいる間にラオシャ曰く、この後私の身体が光り出して、目の色が変わり、猫耳が生えた後巫女服の様な装飾の羽織りを纏われる、らしい。
そしてこの神衣中はラオシャと意識を交代しながら話すので、私の身体が二人分を喋る事になる。
「⋯⋯よし、神衣完了じゃ。その場で紬の家をチェックするぞ」
「ゴメンなさい先輩、覗かせてもらいます⋯⋯」
神衣の影響で常時天眼になっているラオシャと同じ色の眼で、カメラがズームする様に視界を動かして紬先輩の家の方向を覗く。部屋の奥、ベッドの上で静かに眠る紬先輩がすぐに確認出来たが、そこに被さるように赤い反応があった。
「わ、本当に憑依されてる⋯⋯!」
「ふむ。寝ている間に家に入り込んで、早々に片付けてしまうか」
「そ、そうしようか。あ、その前に学校も見てみようよ、迷魂いると思うし」
私は徐に、学校の方向へと視線を動かして、迷魂の反応を探る。
しかし反応がありそうなトイレを粗方見て確認するが、それらしい反応は一つも見当たらない。
「う〜ん、全く反応ないけど⋯⋯」
「誰かの悪戯というオチでは無いかの」
「まあ、七不思議だしね⋯⋯」
メンヘラ花子さんは実在する。それが分かっただけで収穫として、私は紬先輩の方へ眼を向けた。
「それにしても沙莉の時と違って、なんていうか静かだね⋯⋯」
「赤い迷魂である以上何かしら悪戯しておるはずじゃがな⋯⋯よし、窓から飛び出して、屋根を伝って向かうぞ」
ラオシャが私の身体を動かして、部屋の窓から身体を乗り出そうとした。私は慌てて自分の体を制止させた。
「ちょ、ちょっと何しとるん! 死ぬやんかそれは!」
慌て過ぎて方言が漏れ出てしまった。ラオシャはそんな私に食い気味で促してくる。
「そんなんでは死なんからワシを信じてみよ。神衣で身体能力も上がっておるし、ワシに身体を預けて見ておれ」
「ほんまに?」
「行くぞっ⋯⋯!」
ここは素直にラオシャに身体を委ねる事にして、意識の中で私を見守る事にした。
そして何となく察していたのだが、私の身体一つを二人で共有していると言うことは、恐らく感覚も共有しているのだろう。今私は怖いと同時に生まれてくるはずのない心の余裕を感じている。
躊躇なく私の身体は窓に足をかけて、目一杯真っ暗になった外に向かって身を放り出した。その勢いのままラオシャは私の身体を捻らせて半回転すると、身を放り出した窓の間上にある屋根の先端部分目掛けて鎖付きの
「ほらの、このくらいは簡単じゃ」
「な、なんか変な感じ⋯⋯神衣って結構凄いんだ」
「あんな一瞬で
「あ、そうだったね。あのさ、次は私が動いてみるよ⋯⋯」
私の家から紬先輩の家まで、大体徒歩だと十分ほど。屋根を伝って行けば、三分も経たずに着けるだろうか。近隣の家家の屋根を眺めながら予測して、私はなるべく地面を視界にいれない様に心がけながら、屋根の先まで素足を持っていく。
「行ける、行ける⋯⋯私は猫巫女、私は猫巫女⋯⋯」
足の指先を震わせながら、私は意を決して一心不乱に向かいの屋根まで飛ぶ気持ちで跳躍した。
「せーの、ほ!」
身体は空中へ、助走無しで飛んだ事に多少後悔したが、気付いた時には向かいの屋根まで難なく着地出来ていた。自分の身体とは思えない程高く飛び、着地時の反動もクッションの上を歩く様に柔らかかった。
「おお〜! 神衣の力って凄い⋯⋯!」
「続けて他の屋根へ移るぞ」
「今私が感動しとるやろ!」
ラオシャの淡々とした言葉に多少の憤りを覚えながら、私は次々と屋根から屋根へ飛び移って、暗い空間の中夜風を感じながら空を駆けた。
「風が気持ち良い⋯⋯! とにかく身体が軽いねラオシャ」
「慣れたもんじゃな、すっかり動き方を身に付けておる。言ってる間に紬の家へ着くぞ」
「このまま行こう〜!」
屋根を飛び移る事三分。あっという間に紬先輩の家まで着いた。部屋の窓のそばまで近付き、そっと部屋の中を見る。
ぐっすりと布団を掛けて眠っている紬先輩を確認してから、ゆっくりと窓を開けようとしたが、窓は内側で鍵が掛かっていた。
動揺しかけたが、すぐに意識の中でラオシャが交代して来て私の身体を動かすと、手のひらを鍵のある方に向かってスリスリと擦り始めた。
そして擦った手を止め、窓に手を掛けると、鍵が掛かっていた窓が開いた。罪悪感が否めないが、迷魂を引き剥がす為致し方無いと、身を乗り出して部屋の中で入った。暗がりではあるが天眼なので物はハッキリと見えた。窓から入った紬先輩の部屋は実にシンプルにお洒落で、目の前には丸型のマットの上に可愛いローテーブルと、側にはクッションが置いてある。右手には小さなオープンラックに他の部屋へ続く扉があり、左手には机と椅子、引き出しが並んで置いてあり、もう一つ窓があった。
そしてテーブルを挟んで向かいには紬先輩の眠るベッド。私は静かに忍び寄って、ベッドの前まで近づいた。
沙莉の時と同様に意識の中に入らないと行けない為、この状況下で自分の額と紬先輩の額を合わせないといけない。変な気持ちが芽生えそうになる前にベッドに手を置き、仰向けになって眠っている紬先輩を覆い被さる形で、自分の顔紬先輩の顔まで持っていく。
静寂な空間の中で、私の早まっていく心臓の鼓動の音だけが鳴っている。
なんて事はない、額を合わせるだけ。額を、合わせて──
「先輩、失礼します⋯⋯ん?」
合わせようとした手前で、背中から何かの感触が伝わって来た。私はその何かを調べようと振り向くと、紬先輩が両手を伸ばして、私を包む様に抱いていた。
「ちょ、ちょっとせんぱっ──んむっ! んー! んー!」
紬先輩が起きている事に気付いた私が咄嗟に顔を再び合わせて呼びかけたその瞬間、零距離まで顔を近づけて唇と唇を重ねていった。その重なった甘い感触が、私の思考を奪い去ってゆこうとする。必死に抵抗して身体を離して、その衝撃から全力で逃げた。
「っぷぁ⋯⋯! ラオシャ! ラオシャ交代! 後は任せたから⋯⋯あむっ、んー!」
馬鹿野郎と聞こえた気がするが、今はそんな事どうでもいい私にはもう正常な判断は出来ない。身体をラオシャに強引に任せて、私は唇を奪われながらも額を合わせ、紬先輩の意識へ入り込んだ。
ごめんラオシャ、せめて私の身体だけでも、無事に守っていてくれ。
✳︎
沙莉と同じ、白だけの空間。どこまでもその空間を落ちていく自分と、さっきまでの唇の感触が残っていた。
「即確保したるからな迷魂ー!」
落ちていく空間に向けて、全力で声を張り上げて主張する。すると白い空間が変わって、瞬きをした次の瞬間には、紬先輩の家の真上を飛んでいた。
「ホント唐突だなあ⋯⋯ていうか、同じ場所?」
フワッと屋根の上へ着地して、入ってきた部屋の窓へ歩み寄る。するとそこには、机の引き出しに向かっている、少し若くなっている紬先輩の姿があった。
「過去の出来事か⋯⋯何してるんだろ」
耳を澄ましてみると、話している内容が私の耳に届いてきた。
「今日はどのゲームにしよっかな〜。デーモンファンタジスタは一度始めたら長くなっちゃうし、レグメンティアもな〜」
恐らく中学生の頃の紬先輩が、なんと私と同じ様なゲームを選んで迷っていた。それこそデーモンファンタジスタは、ラオシャと出会う前後で遊んでいた一人用のゲームタイトルである。
デーモンファンタジスタの発売日から考えるに中学三年生の頃の紬先輩だ。つまり紬先輩は発売日からすぐに購入して遊び尽くしたのだろう。
「私より凄い人おった⋯⋯」
そのまま眺めていると視界に靄がかかり、また白い空間へと戻ってきた。
「紬先輩は、私と同じ独りゲームをする人⋯⋯そこがヒントなのかな⋯⋯?」
考えているうちにまた空間が変化して、次は私たちが通っている神無咲高校へと場所が変わった。屋上へ着地して、天眼で紬先輩を探す。周りを見渡すと桜が咲いているので、この時は入学式の日だろうか。
「紬先輩が入学した日かな⋯⋯あっいたいた」
教室を隈なく探していると、何か思い悩んでいる紬先輩を見つけた。周りの様子も見てみると、上手く輪に馴染めていないのか、紬先輩だけ独り席に座っている。
そんな先輩を眺めていると、赤い迷魂が私の眼前へ割り込んできた。ビックリして口を抑えながら身を引くと、赤い迷魂が私に語りかけてきた。
「あの子、どう思う?」
「えっ⋯⋯紬先輩の事?」
「そう、あなたから見て、あの子はどうなの?」
突然の質問に困惑の表情を浮かべながら、私はそれに答えてみた。
「そりゃあ、独りで、友達が出来ないままだから、寂しそうだなって⋯⋯いやいや、そうじゃなくて、あなた! 紬先輩に憑依して、私にキ、キ⋯⋯!」
「ええ、あの子の中にある気持ちを汲み取ってあげたのよ。あなたは知らないでしょうけどね」
「気持ち⋯⋯?」
気持ちとはどういう事なのだろうか。
また悩んでいると場面が変わって、目の前の迷魂と共に職員室の方まで移動していた。
「よく見てなさい、ここからのあの子。孤独な自分を変えたくて、委員長になり、二年生に上がって間もない頃よ」
「二年生になって間もない頃⋯⋯あ⋯⋯」
その職員室での出来事は私も見覚えがあった。初めて紬先輩と出会い、ぶつかった場所。抱えていたプリントを二人で拾い、そこから仲良くなった私たち。紬先輩が初めて出来た最初の友達。それが私だった。
「あたた⋯⋯ごご御免なさい! 私よそ見してて⋯⋯えっと⋯⋯」
「あ、ああ、えっと、良いの。ほら、プリント、ひ、拾いましょ、手伝うわ」
「ありがとうございました! あの、良かったらお礼がしたいので、お名前だけでも! 後仲良くしたいです⋯⋯!」
「あ、ああ。私は
「私は西野小夏です! 今度良かったら私の新しく出来た友達も紹介しますね、紬先輩! では失礼します!」
「先輩⋯⋯先輩⋯⋯か。そっか、先輩⋯⋯」
遠くで当時の私たちを見る。
「先輩って呼ばれた事も無かったんだ⋯⋯」
「ええ、そして暫くして現在、そんな紬先輩にワタシが憑依したんだけど」
「あ、え? 迷魂、学校にいたの⋯⋯」
「ま、気付かれないよね⋯⋯私なんて、生前はそれはそれは惨めだったし、毎日消えたかったし、便所メシの毎日とSNSの承認欲求だけが生き甲斐だったわ」
それを聞いて私はハッとなり、沙莉から聞いた噂が脳裏に浮かんできた。
恐る恐る、赤い迷魂に向けてアレを聞いてみた。
「も、もしかして⋯⋯あなた『メンヘラ花子さん』?」
「はあ? そんな名前付けられてんの! マジそれ病むわ〜、なにそれ⋯⋯うわ死にたい⋯⋯もう死んでるけど」
「えっと、つまりどういう事⋯⋯」
「あの子は、変わりたい自分を紡いでくれたあなたを特別視してるから、余計好かれたいんでしょうね。そんな部分が強まって、私と共鳴したのよ。諦めなさい、あの子も私の存在を認めちゃってるから」
「それは話が別だよ⋯⋯私はあなたを引き剥がしに来てるんだから」
「やだやだ! ワタシここにいたいのよ! ワタシもあの子も愛すより愛されたいから! 色々片付くまで一緒に居させて! 悪い様にしないから! あなたとキスしてくれればそれで!」
「情緒不安定なんかあなたは! ていうかキスとか止めて! 貞操守りに来てんねんこっちは!」
もう何なんだろうこのやりとりは⋯⋯。話を聞いてくれる様にもならないし、とにかく面倒くさい。
「良いの? あの子の身体のまま、ワタシ泣くわよ?」
迷魂が距離を詰め寄って私を責め始める。観念して私はとにかくこの話を持って帰る事にした。
「ぬあーもう分かった! 分かったから取り敢えず、ラオシャに相談させて⋯⋯もう嫌⋯⋯何なんこの花子さん⋯⋯」
「にへへ、今日はこれにてお開きね。花子さんとあの子はいつでも、あなたを見てるわよ」
「あーはい。じゃ⋯⋯」
最低限の気力で言葉を交わし、意識の空間を後にした。もう色々、色々疲れた。
「じゃねー、あの子を大切にしてあげてねー」
✳︎
「そういう言葉だったんかい⋯⋯」
現実に戻ってきた私は、すぐにラオシャに語りかけようとしたが、何故か身体がとても疲れていた。息が苦しい、腰も痛くて、身体も火照っている。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯え、え⋯⋯ラオシャ⋯⋯そっち、どうだっ──」
「す、スゴかったぞ⋯⋯」
意識が途中交代して、ラオシャは一言言い放ち、すぐに私に戻ってきた。
「終わった⋯⋯」
身体から感じられるあらゆる熱と知らない感覚が私を襲いながら、私は守れなかった事実を知る。隣でぐっすり眠る紬先輩も、寝汗が凄い事になっているに違いない。
「えっと⋯⋯はぁ、も、戻ろう⋯⋯腰痛いし⋯⋯熱いし⋯⋯」
その時の夜風は丁度気持ち良く、私の身体の熱を覚ましてくれた気がした。そして、思ってしまいたくない気持ちを押し殺しながら、自分の家へ帰った。
✳︎
後日、学校での昼休み。紬先輩を含めた私たちはいつもの場所へ集まって、メンヘラ花子さんの事について、恥ずかしい所は伏せて話をした。
事前にラオシャにも相談したが、残り一匹になった時に送ってしまっても構わないだろう、しかし小夏は過敏に身体が跳ねるだの本当にうるさい事を交えて喋っていた。
そして友達の意見も聞いて多数決を取った結果、二対二で引き分けになってしまった。完全に沙莉の犯行で結果、紬先輩とメンヘラ花子さんとの一時的共存が決まってしまった。
しかし衝撃のアレがあった手前、後には引けない私は何とか交渉し、貞操は守らさせて下さいと一線を引いた。
キスもそれ以外も契約上今後阻止するが、早急に対策が必要である。ラオシャの魔術で何とか出来ないか帰ったら相談しよう⋯⋯。もう襲われるのは懲り懲りだ。
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