第六話 秘密の猫巫女 前編 〜初めてパーティ用のゲームを一つは用意しとこうって決意したよね〜

 人生生きている中で色々あるけど、身体ごとひっくり返る様な衝撃を受ける事は決して多くはないと思う。だけどその大きな衝撃が一度起きると、巡り巡って更なる衝撃を生み出していく。私自身もそうだ。始まりは喋る猫を飼いだしてから。何度も味わうことの無い衝撃を短期間でこの身で受けてきている。


 そんな短期間の衝撃を全て塗り替えた今のこの状況は今後私と、私に同化した猫に絡みついて離してはくれないのだろう。


 何故なら私たちは今、友達の家のベッドの上で唇と唇を⋯⋯。

 

 どうしてこんな事になっているのかは少し前まで遡ります。


     ✳︎


 事の始まりはアレを見てから。沙莉が憑依されてから数日後。

 いつもの様に学校に登校した私は、体育の合同授業の為に体操着とジャージに着替えて、体育館へと移動していた。

 その途中で私と同じ、学校指定の紺色のジャージをトップスの上から着て、下は膝丈程の長さのあるハーフパンツの格好をした沙莉と綾乃と仲良く揃って歩いていたのだが、暫くして遠くの廊下から何やらざわざわと、十人くらい他の生徒たちが私たちと反対側の廊下を塞ぐ様にして集まってざわついていた。


「なんかあったんかな?」

 沙莉がまず先に疑問を口にして、私たちも不思議な表情を浮かべて様子を伺った。

「なんだろう⋯⋯?」

「見に行ってみる?」

 

 私たちがそのざわついている所へ足を運ぼうとした矢先、集まった生徒の更に奥からキャーと甲高い黄色い女子生徒の声が、私たちのところまで廊下を響かせた。

 そして集まった生徒たちが通路を開ける様に動き、そこを堂々と歩く紬先輩の姿があった。


「紬先輩⋯⋯?」

「パイセンやん」

 紬先輩の表情を覗くと何故か自信たっぷりというか、誇らしげに笑顔を見せて歩いていた。確かに普段は表情を崩さない人で、こんなにも満ち溢れた笑顔を見せる人ではないのだが、それだけでこんなに人集りが出来て、黄色い声が上がるのだろうか。そんな紬先輩を遠くから見つめていると、こちらに目が合ったので私は思い切って手を振って、紬先輩に元気に挨拶をしてみせた。


「紬先輩ー! おはようございます!」

 私の声に反応して、紬先輩がこちらに向かって誇らしげな笑顔のまま歩いてきた。しかし紬先輩は適切な距離を保って挨拶を返すのではなく、そのままの勢いで私との距離を縮めてきた。

「え、あ、あれ? 紬せんぱっ、え?」

 慌てて私はそのまま後退して、近くの壁を背にする形でお互い静止した。紬先輩は至近距離で、後ろの壁に手をついて私をじっと顔を近づけて見つめてくる。

 遠くからだと誇らしげな表情に見えたが、至近距離で見つめてみると頬は少し紅潮していて目の奥が怖い様な⋯⋯。

 それにこの状況、これはいわゆる壁ドンという奴だろうか。紬先輩の後ろをチラッと見てみると、沙莉と綾乃がそれぞれ顔を赤くさせて、口に手を当ててコチラを見据えている。沙莉に至っては耳まで真っ赤だ。


「んふふ、小夏って、そう⋯⋯あなたが⋯⋯」

 そう私の顔を見つめながら囁いた紬先輩が、もう片方の手の人差し指で私の頬から下顎にかけてツーっとなぞり始めた。先輩の指先から伝わる感触が、私の判断力を削ぎ落としていく。心拍数も跳ね上がって、思考回路も回らない。私が動揺しきって固まっていると、紬先輩はなぞっていた指先を止めて、私の顎をクイっと掴んで更に顔を近づけて、唇が当たるギリギリで囁いた。


「私を、大切にしてあげなさいね⋯⋯」

「ほ⋯⋯?」

 完全に動揺し切って、ようやく絞って出た声がは行の五個目になってしまった、サボテンみたいな顔になってしまっている私から紬先輩が、その囁きを最後に身体を離してその場を去っていってしまった。


「ほ⋯⋯ほ⋯⋯」

 サボテンのまま崩れ落ちた私は、沙莉と綾乃に両方から慰められながら授業に向かった。

「わたしも憑依された時、こんなんやったん?」

「いや⋯⋯全然違うと思う⋯⋯」

「ほ⋯⋯」


     ✳︎


「とにかく紬先輩は、あの流れからして迷魂に憑依されてると見てます⋯⋯」


 サボテン状態がなかなか抜けない中、何とか授業を切り抜けて昼休みまで持っていった私はいつもの食堂の席で二人と合流して、紬先輩に関して話し合っていた。

 いつもなら紬先輩もその場に居るのだが、今日は来ていない。

 お弁当で元気を取り戻してサボテンから人間へ昇格した私はようやく冷静に考えを巡らせて、沙莉と綾乃に議題を投げかけた。


 沙莉はあの一件以降私と綾乃が猫巫女だという事を聞いている。ラオシャとも再度私の家で会って会話を交わしているし、その会話の中でラオシャが猫巫女の契約を促したが、沙莉はアッサリとそれを断った。

『そんなのに頼らなくてもこなっちゃんは守れるから』と、照れくさい事を言っていた気がするが、私はその時友達と一緒に遊べる様なジャンルのゲームもコントローラーも無くて気が死んでいたのである。ラオシャとの出会いは私を独りから徐々に解き放っているのだなとゲームを通じてその時ひしひしと実感していた。

 

 そんな悲しい話は戻って現在、話の分かる沙莉と綾乃と向かい話し合っている。

「私もそう思う⋯⋯外見に変化はなかったけど⋯⋯」

「でもあからさまに性格がな〜。後何か艶かしいっていうか」


「⋯⋯『大切にしてあげてね』か⋯⋯」

「こなっちゃん?」

「ううん、何でも⋯⋯。本当にもし憑依されてるなら、神衣を使うしか無いよね。帰ったらラオシャにも話してみるよ」


「行動的やね〜こなっちゃんは。あ、紬先輩の件とは関係ないねんけどな?」

 沙莉が両手を後頭部に持っていき、椅子を斜めに傾けながら話し始めた。そんな隣では食べるペースが比較的遅い綾乃がハムスターの様にお弁当を口一杯に頬張って沙莉の話に耳を傾けている。私もそんな愛らしい綾乃と共に話を聞く事にした。


「他の生徒から聞いた話やねんけど、昨日から『メンヘラ花子さん』ってのが一部で噂になってるらしくて、聞いてみたらトイレの花子さんと同じ事やねんけど、言動がメンヘラみたいやねんて。せやから『メンヘラ花子さん』言うて、学校の七不思議の一つとして認定されつつあるらしいわ」


「⋯⋯この時期に? 夏ももう終わって気温も落ち着いてるのに、『メンヘラ花子さん』とか⋯⋯どんな事言うの?」

「その話をしてた生徒が言うには、特定のトイレの個室をノックすると、その中から『どうせ私なんて、私なんて⋯⋯あー消えたい、消えたらいっそ愛されるかな⋯⋯』って言うねんてさ」


「それは確かにメンヘラ⋯⋯紬先輩とは全く関係ないけど、でも幽霊とか都市伝説の類って、迷魂との関連性ありそう〜。あんまり考えてこなかったけど」


「全部で十二体くらいおるんやろ? この学校に一体くらいおりそうなもんやけどな」

「うん⋯⋯。取り敢えず紬先輩と、その『メンヘラ花子さん』は一旦持ち帰るよ。綾乃もそれで良い?」


 沙莉は話終わると水筒からお茶を注いで綾乃に渡した。綾乃はそのまま無言で頷いて笑顔を返してくれたので、お昼休みはそれでお開きとなった。


 そしてそれぞれその場では結論が出せず放課後になり、私は紬先輩に見つからないようにそそくさと家に帰り、ラオシャにもこの事を話すことにした。


     ✳︎


「ただいま〜、⋯⋯もふっ」

 真っ直ぐ帰宅して制服から私服に着替えた私は、リビングのソファの端で寛いでいたラオシャを見つけるや否やお腹目掛けて吸った。最初は声を上げて嫌がっていたが、今はもう動じる事も無く私の顔が埋まるのを受け入れている。


 自室以外ではラオシャは話せない為、いつも私の眼を見て必死にアピールしてコミュニケーションを取っている。話がある際には私からラオシャの鼻を人差し指でツンと触るのが合図で、今日はすぐに吸った後に鼻をつついた。

 

「お母さん、ラオシャと遊んでから課題やっとくね〜」

「は〜い、遊び過ぎちゃダメだよ〜」

 リビングの左側の奥で料理をしているお母さんに向けて声をかけて、ラオシャを抱えながら自室へ戻った。

「⋯⋯ラオシャ、太った?」

 飼い始めた頃は軽かったけど、今はしっかりと、主にお腹周りに脂肪が増えた気がする。あまり眼を合わせてくれないので気にしているのだろう。家族の居ない間に勝手にサバ缶カーニバルだのフェスティバルだのやっているからだ。自業自得とはこの事である。

 自室に着いてラオシャを降ろし、私もいつもの熊の下半身クッションに腰を降ろしてリラックスした。


「はー⋯⋯今日すごい事になったんだよラオシャ⋯⋯」

「うむ⋯⋯太って見えるか」

「見える、将来たぽたぽ。紬先輩に多分迷魂が憑依しててさ、後学校内で都市伝説も起こってて、ちょっと忙しくなるのかなって」

「まさかの二件か。それに一件が憑依とはの⋯⋯」

「それでお願いなんだけどラオシャ、今日中に神衣で紬先輩助けちゃわない? 寝てる間に、とかさ」

 身体をラオシャに向けて真剣な顔で尋ねる。

「別に構わんが、お前、身体は大丈夫なのか⋯⋯?」

「何が? 全然大丈夫だよ?」


「神衣は、小夏の身体を全部使ってワシの力を最大限発揮するものじゃから、何かしら疲労があっても可笑しくはない筈なんじゃが⋯⋯」

 不思議そうに私を見つめているが、別に大した変化も無ければ、異常も違和感もない。


「そういう魔法じゃないの? だって沙莉に踏まれた傷が治ってたじゃん」

「そんな魔術はワシは何も⋯⋯」

「あ、やっぱり魔法だったの」


 ラオシャがつい言ってしまったと顔を歪ませたがすぐに冷静になって訂正した。

「そ、そうじゃ⋯⋯しかし魔法ではなくて魔術じゃ。細かい説明は省くが、これまでの力は魔術によって動いておったのじゃ。いずれ話そうと思っておったのじゃがな⋯⋯」

 

「うーんうーん⋯⋯私にとっては同じだし、後悔もしてないし、構わないよ。私やり切るからさ」

 少し暗い顔をしていたラオシャに、私は笑顔を向けて言葉を返した。ラオシャも顔が晴れて、少しほっこりした空気が私たちを包んだ気がする。


「お前は本当に変な奴じゃな⋯⋯良いぞ。迷魂を全て還すその時まで付き合ってやる」

「任せて下さいよ、才能はありますから〜」

 鼻を伸ばして自信満々に答えてみせた。

 

 ラオシャとは随分仲良くなったが、正直最後の時がやって来る事が惜しい。もし許されるのであれば、猫巫女でなくなった後も、帰ってくる場所が私の家であれば良いなと、密かに思う。私はラオシャと、何もないいつも通りの日常を──


 過ごしてみたいと願ってしまうのでした。

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