第一話 制服の猫巫女 前編

──いつも同じくらいの起床時間。


──準備でいつもギリギリになっちゃう登校時間。


──毎日同じようでいつも違う、延々出来ちゃう友達との話。


 

 そんな毎日だけを重ねて、私の日常を彩っていたい。

 特別な事なんてたまにで良い。私は今が一番楽しいって思えていたから。


 登校までちょうど一時間前。

 部屋の窓から朝を知らせる日差しが差し込む中、まずはいつもの時間に設定してある私の時計くんから目を覚ます。

 ヂリリリと、私の頭上から部屋まで音が鳴っている。それを聞いて目覚めた私はもぞもぞと、布団から最小限の動きで時計くんの方へ手を伸ばして、小言混じりにその音を停止させた。


「⋯⋯目覚ましくんへ。もっと寝ていたいです⋯⋯小夏より⋯⋯うぐっ」

 寝ぼけ眼のまま布団からの脱出を果たし、ずるりずるりと自分の部屋から出て階段を降り洗面台へ向かう。

 置いてあるくしで髪を整えながら、肩まで伸びた私の髪をヘアゴムで一旦後ろに縛る。

 歯磨きと洗顔を済ませ、スキンケアで顔を整えた後は部屋に戻り、制服をクローゼットから取り出して着替える。

 メイク道具用のポーチの中身を展開し、顔目掛けて淡々と努力の結晶を積み上げていく。


 中学三年からメイクというものに本腰を入れて以降、母親から、友達から習うようになった。一年経った今も軽く済ませる程度にしか出来ないがそれでも良い、隠せるものは隠したいのです。

 既にコンビニでもメイク用品が購入出来るようになっていて、プチプラという流行りも生まれており、これは学生でいる間はずっとお世話になる事だろうとありがたみを感じながら、今日もメイクをササッと済ませる。


 努力の結晶として塗りたくった後は、髪を左右二つに分けて、肩に当たらない所で括り肩の前に髪を下げて、いわゆるおさげの完成。後は前髪を整える為にアイロンとドライヤーを当てていく。

 スタンドミラーの前に立ち、全身をチェックし自分の中でヨシ! と納得出来たら、朝食を食べにリビングへと移動する。朝食も済ませた後は、スマホで気になるニュース記事を片手間に確認する。

 これが私の毎朝のルーティーン。

 そんなこんなで登校の一時間前には必ず準備に入っているのにも関わらず、何故なぜだか時間との戦いを繰り広げてしまう。

 私はいつものように慌てて前髪や制服を整えて、鞄とスマホを手に取り、飛び込む勢いで階段を降り玄関まで駆けていく。靴べらをまるで槍で突撃する兵士のように持って勢いそのままに靴を履き、お母さんに挨拶をして扉を開けた。

「行ってきま〜す!」

 しかし門扉に手を添えてすぐに違和感を感じ取り、学校へ向かう足を止めて、違和感の方へ目を向けた。

 違和感の正体はすぐに分かった。

 門扉から一メートルも無い塀の上で足を収めるように寝座り、耳をツンと立てながら尻尾を左右に振る灰色の小さな猫が、真っ直ぐな眼差しで私を見つめていたんだ。宝石のエメラルドグリーンのように綺麗な瞳が、目を向けた私を一瞬で虜にさせる。

「うわあ! 猫ちゃんだ! か、可愛い⋯⋯耳ピクピクしとる⋯⋯こんなん天使だろ⋯⋯」

 添えていた手で門扉を開けながら、漏れ出る言葉と共に目を輝かせながら、猫の方へと近寄って失礼ながらまじまじと観察をする。


 私が近寄ると香箱こうばこ座りをしていた灰色の猫は起き上がり、屈伸をし始め、首に付けられた首輪の鈴を鳴らしながら真っ直ぐ座る姿勢へ移行すると、その宝石にも劣らない綺麗な瞳を丸くさせて、私を怪しむ事なくジッと見つめ始めた。

「⋯⋯か、かわぁ⋯⋯でも首輪があるってことは⋯⋯ご近所さんの子、だよね⋯⋯?」

 もしかすると迷子になっていて、飼い主を探してこの辺までやって来たのかもしれない。そんな考えを張り巡らせている内に心配になり、鞄からスマホを取り出して、写真を納めようとした。

「ごめんね〜、じっとしててね⋯⋯」

 スマホを猫のいる方へかざし、画面越しから視認しようとしたのだが、その一瞬の合間で猫は塀から姿を消していた。

 咄嗟に周りを見渡すがどこにも居ない。あの一瞬の中、どこへ行ってしまったのだろうか。

「帰っちゃったのかな⋯⋯可愛かったけど心配⋯⋯あっやばい、早く学校!」

 スマホをしまう時に時間を見てしまった。やばい、歩いていたら遅刻する。

 猫の事は気になるがそれはそれと焦りながら駆け足で、私の通う神無咲かんなさき高校への道を駆けていった。

 

     ✳︎


 なんとか遅刻せずに済んで昼休みまで過ごせた私は、お弁当を片手に食堂へ向かい、四つ席の空いたラウンドテーブルを確保した後一人スマホを両手に、情報サイトを閲覧しながらまもなく来るであろう友達三人を待っていた。

「うぬぬ〜⋯⋯! 確か明後日の夜中から配信だったよねぇ......待ち遠しいなあ⋯⋯何しろ二年も待ってたんだからっ⋯⋯!」

「お、また何か唸っとるねぇこなっちゃ〜ん」

西野にしのさん、いつもありがとね⋯⋯席」

 唸りながら頭に花を咲き散らす私の向かいからやってきた二人の友達は、予め確保していた席に腰を掛けながら、私に話しかけてきた。

 スマホを伏せて、いじられる前にいつもの言い訳を並べ立てる。

「あ、ああ⋯⋯沙莉さいり綾乃あやの⋯⋯! いや、えっと〜⋯⋯なんでもないの、本当に⋯⋯えっと、読んでた漫画の続きが気になっててね、あはは⋯⋯」

 最初に陽気に声をかけたのは沙莉さいり

 私とは別クラスの、ボーイッシュな見た目でひょうきんなオーラを纏った襟足の短い黒髪ショートの女の子。私と同じ坂多さかおお府出身だけど、私よりも方言の偏りが強い。隙あらば私に絡んでくる、非常に距離の詰め方が下手な子だと思う。

 そして細く透き通った声で私に感謝の言葉を掛けてくれたのは綾乃あやの

 沙莉と同じクラスで、ツインテールの眼鏡っ子。

 沙莉とは正反対と言って良いくらい人見知りの性格で、時々髪の右側に編み込みが入っているのは沙莉が暇潰しでやっているみたいで、綾乃本人もむしろ喜んで受け入れているそうだ。

 趣味は読書とアニメで、沙莉から誘われて見た深夜アニメをきっかけに夢中になっていったらしい。今のイチオシはドラゴンがメイド姿の人間に変身して、ご主人の周りの悪を制裁するという内容のアニメ⋯⋯。とにかく私も知らないような作品ばかり鑑賞しているようで。


 二人に最初に出会ったのは始業式の時で、私が校内で迷っていた所を二人が見つけてくれて、そこからクラスは違えど仲良くするようになった。

「綾乃、前にも言ったけど私の事は名前で呼んで良いんだよ? 確かに入学式からの友達だけど、もうすぐ二ヶ月も経つんだし、ね?」

「あ、うん⋯⋯ありがとう、こ、小夏こなつちゃ⋯⋯」

「なんや、めっちゃ幸せ見せつけてくるやん、好き⋯⋯。で、こなっちゃんのそれは、ホンマに漫画なんかぁ?」

「ま、漫画だよぅ⋯⋯! えっと、その、二年ぶりに、漫画の続きが読めるってニュースがあったから⋯⋯!」

 咄嗟に辻褄の合いそうな言い訳を陳列ちんれつしてみたが、沙莉の顔は頬を緩めてにんまりとこちらを見つめてくる。完全に隠し事があるのはバレているのだろう。

 しかし沙莉はその中身に踏み込む事はあまりない。そうして私の反応を楽しむ為にああして弄り倒して来るだけなのだ。実はその踏み込まないラインを超えないというのは、私にとってはありがたい事でもあるんだけど。

 そうやって沙莉に弄ばれているともう一人、私の後ろから落ち着いた声と共に靴の音がコツコツと耳に入った。


「程々にしなさいね沙莉。小夏、隣座るね」

つむぎ先輩! こんにちは、どうぞどうぞ!」

 優しく包むように声をかけながら私の隣に座ったのは、学年が一つ上のつむぎ先輩。整えられた顔立ち、腰まで伸びた真っ直ぐな艶のある髪、性格は一言に冷静沈着。

 そしてこの学校の風紀委員長を務めている。

 出会いのきっかけは放課後、私が先生に提出物を渡そうと、先生の居る職員室へ入ろうとした手前で紬先輩にぶつかってしまった事が始まり。

 そこで色々やりとりをして以降、先輩から私に声をかけてくれるようになり、昼休みには私の友達まで交流が出来て、気付けばこうして四人集まって、お昼ご飯を食べながら時間を過ごすようになった。

「紬パイセンは身長も高いし脚もスラッとしててめっちゃ羨ましいな〜。なあ、こなっちゃん?」

「う、うん、私ももう少し身長伸ばしたいかな⋯⋯」

 紬先輩は確かに男子にも引けを取らないくらいで、胸もちゃんとあって羨ましい。私なんて身長も無ければ匍匐前進ほふくぜんしんもスッとこなせるほどのちんまさである。

「⋯⋯。小夏は今がちょうど良いと思うわよ。いくら身体が大きくても、私自身そんなに得した事はないのよね」

「確かにその可愛いおさげにちんまい身体はウチも好っきゃわ〜。何より弄り甲斐があるしな〜、ニシシ」

 なんなのかこの勝ち誇った顔は⋯⋯。

 確かに沙莉は私の中でもトップに登り詰めるほどナチュラル美人だと思うし、身体もそれなりに、しっかりとつくものはついてるし、移動中一緒にいると男子からの視線をたくさん感じるけれども。

「ダメだよ沙莉⋯⋯あんまりこ、小夏ちゃんを責めないであげて⋯⋯」

「そうだぞ、私はもっと大きくなりたいの! 少なくとも沙莉よりは大きくなって見返してやるんだから」

 沙莉だけは越えるべき壁なのだろうとこの時強く感じた。いつか紬先輩と肩を並べて歩いて、その勝ち誇った顔を崩してやりたい。

「はあ、もう身長の話は良いから食べるわよ皆」

「は〜い。⋯⋯こなっちゃん、今日も弁当の中身変えっこしようや」

「やだ。今日は私の好きなのばっかりだし」

「ケチやなあ〜ええやんかちょっとくらい。な〜綾乃?」

「え、えぇ⋯⋯」

「食べる時くらい話すのをやめなさい、沙莉」

「は、はい⋯⋯パイセンうるさいな、こなっちゃん、な?」

「うるさいのは沙莉やから⋯⋯後であげるから大人しくしてて⋯⋯」

「流石こなっちゃん⋯⋯!」

「もう⋯⋯」


 こうして楽しい会話を送ることで、私の学校生活に色がついていく。


 その後授業もそれとなく終わり放課後になった。

 いつもと同じ、私は真っ直ぐ家に帰る。お昼休みに話した友達の中でも帰宅部は私だけなので、放課後はすれ違っても別れの挨拶だけを済ませて、一人家へと直行する。

 この繰り返しの日常は、側から見ると何でもないようで、私をなんでもない枠に当て嵌めてくれている大事な歯車なんだ。

 この歯車だけは卒業までずっと傍で在り続けて欲しい。そんな事をたまに思ったり、思わなかったり⋯⋯。

「⋯⋯課題を片付けて、それから夜は⋯⋯今日こそ⋯⋯絶対倒す⋯⋯」

「ほう、倒すとは⋯⋯?」

「え⋯⋯?」

 しかしそんないつもの帰り道に突然何かに語りかけられた私は、歩く足を止めて、そっと背後を振り返る。でも、そこには人の姿はなかった。

 確かに私の独り言を聞いた低い男の声が語りかけてきたはず⋯⋯すると直後にまた同じ声が私に語りかけてきた。

西野小夏にしのこなつよわい十六にして猫巫女ねこみこの適性がこの町で一番高いとは、中々の才であるな」

「また声が⋯⋯? あ、こっちから⋯⋯」

 止まった場所から左にある公園の木陰、声と共に影が揺れ動いたのが視界にはいる。

「えっと。ど、どなたですか⋯⋯? なんで私を⋯⋯?」

 そう言いながら、木陰から揺れる影へ身体を丸くさせ一歩一歩、恐怖や違和感を抱きながら、声のする方まで歩く。

 すると影はまた一つ声を発して、私に向かって歩き出してきた。

「うむ⋯⋯ワシを手伝うに相応しい者が君ぐらいしか居なかったのでな。依代となって欲しいんじゃよ、猫巫女という名の、な⋯⋯?」

 影は木陰から現れて、陽の光によって姿が照らし出される。

 その姿は朝、登校前に見かけた一匹の猫の姿だった。そしてそんな猫が、私と同じ言葉を喋りながら、近寄って来たんだ。


「あ、ああっ⋯⋯! ね、猫が......! 猫が⋯⋯! 喋ってるっ⋯⋯!」

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