22:十六年
物心ついた頃には、既にその男が実の親ではないと理解していた。
それでも、その男は自分に優しく接し、育ててくれた。
だから自分も、その男を実の親のように思い、慕った。
その内に、聖堂会で他の子供たちと一緒に教育を受けるようになった。
退屈だった。
何か違和感のようなものに常に付きまとわれていた。
他の子供と仲良くしようなんて、これっぽっちも思わなかった。
むしろ、鬱陶しくて仕方がなかった。
しかし、幼いながらも、それを表に出してはまずい、とは理解していたので、周りには明るく振舞った。
一方で言葉遣いなどは必要以上に丁寧にし、一定の距離は置くようにもしていた。
そうして昼間は死人のように、空虚な時間を過ごした。
生きた人間ではなく、空っぽの人形として。
一方、日が暮れてからの時間は、親に教室では教えられる事のない事を、色々と教えてもらいながら過ごした。
格闘技や、基礎的な医療、レリキア等機械類の操作、他者との対話を有利に進める為の会話術、などなど。
そちらはとても充実した時間だった。
十代に入り、体が操縦席に合うようになると、ギアの操縦も教えてもらった。
そして、その扱いにも熟達すると、次はアルタモーダを与えられた。
親からは夢中で色々な事を学んだ。
親はいつも優しかった。
自分が間違った事をしても、怒りもせず、笑って許した。
「それが、おかしな事だとは思わなかったの?」
更に成長し、自分は正式に聖堂会の組織に組み込まれる事になった。
親の直下で、要人警護などの任に就く事になった。
そうした仕事は本来衛士の仕事だが、自分達はそれともまた違う所属らしかった。
服も黒い聖衣を用意された。他では見たことがないものだった。
よくは分かっていなかったが、親を信じ、親に従い、忠実に任務をこなした。
とても充実した時間だった。
やがて新たな任務を与えられ、親のもとを離れ、フォルシュニクという組織へと送り込まれた。
ヴァリオント・トトールという名は勿論知っていた。
この組織には彼が一枚噛んでいて、賢人会議への反抗を計画しているらしい。
その中で自分はどう動けばいいのか。特に指示らしい指示は与えられていなかった。
目的はこの組織への純粋な協力なのか、それとも諜報や破壊工作なのか。
それすらも分からないままにヘタに動くわけにもいかず、とりあえずは成り行きに身をゆだねるしかなかった。
フォルシュニクの人間たちは皆、気の良い者たちばかりだった。
かつての同級生たちと同じように、大して興味は沸かなかったが、それでも風当たりは強いよりは柔らかい方がやりやすい。
すぐに皆と打ち解けた、振りをした。
皆はそんな自分を明るく受け入れた。
居心地が悪いわけでは決して無かったが、結局は以前のように自分というものを持たない、空虚な人形としての時間が舞い戻ってきた。
そうして、彼と出会う事になった。
「ストレ」
その奴隷の少年はか弱く見えた。
痩せ細り、怯えた目をして、震えていた。
「憐れみを感じた」
しかし、その第一印象は間違っていた。
ストレは自分とは違い、とても芯の強い、しっかりとした自分というものを持っている人間だった。
初めて親以外の人間に興味を、敬意を、抱いた。
ストレはその後どんどんと実力を磨き上げていった。
単なる戦闘能力だけではない、心の強さも。
いつしか彼に憧れている自分に気付いた。
自分も彼のように確かな自分を持ち、強くありたい、と。
「そして、妬んだ。セスの、賢人達の企みに喜んで乗っかり、ストレを殺し、それに取って代わろうとした。そうして彼になろうとした」
「違う! やめろ! 勝手に、人の頭を、覗くな!」
黒いギアの中、セスが画面越しに灰色の坊主頭のギアを睨みつける。
何故こうも苦戦するのか理解ができない。
相手はただの雑魚のはずなのに。
動きからして、アークレーが同乗して指示を出しているのだろうが、それにしても手ごわい。
自分がここまで苦戦するはずはない。
「やはりあの時、殺しておくべきだったのかもな」
言ってから、後悔する。
そういう気弱な物言いは、自分を殺す。
殺すのは自分じゃない、あの目障りな虫けら、だ。
出力は上げつつ、機体各部の関節は柔らかくする。
より繊細な操縦が必要になるが、これであいつはこちらの動きに追いつけなくなるはずだ。
「俺に全力を出させた事は見事だ。誇っていいぞ」
黒いギアが腰を落とす。
「来るぞ!」
オルスが鋭く警告する。
「はい!」
敵が真っ直ぐに突進してくる。
速度はあるが、妙にフワフワとした動きだ。
オルスは敵の思惑を察知する。
「盾で受けたら、そのまま後ろにナイフを全力で飛ばせ」
「はい!」
敵のナイフが勢いよく盾にあたり、火花が飛ぶ。
敵はそのまま柔らかく、しかしこの上なく素早く、倒れこむように横へ回り、エトル機の背後を取ろうとする。
「その自惚れが! お前を殺す!」
オルスが叫ぶと同時に、エトル機のナイフが黒いギアの頭部へと突き立てられる。
敵はその衝撃で数歩後ずさり、バランスを崩し、仰向けに転倒する。
「エトル、銃だ!」
「分かってます!」
エトルは敵が起き上がるより早く銃を拾い、敵の胸へと狙いを定める。
「撃て!」
オルスが叫ぶ。
しかし、エトルは撃たない。
「どうした、何故撃たない!?」
コクピットのハッチが開く。
「勝負は決まりました、艦長。最後はご自身の手で決着を」
「負けた? この俺が?」
セスは、この状況を理解できない。
駄目だ。もう、どうしようもない。負けだ。死ぬ。殺される。俺が?
思考が闇雲に駆け回り、焦点を結ばない。
機体の頭を失い、ノイズだらけの画面の向こうで、敵機のコクピットから男が這い出てくるのが見える。
アークレー。
流石に足場が悪すぎるようで、杖は使わずに這って近付く。
それから、プシュ、と気の抜ける音がし、自機のハッチが開かれた。
無表情にこちらを見据えるアークレーの姿。
それに対し笑顔で、つとめて明るく言う。
「よう、久し振りだな」
まるで十五年ぶりに親友と再会したかのように。
気分的には大して違いはない。
アークレーが拳銃を構え、こちらに向ける。
「まったくだな。十五年、いや、ぼちぼち十六年になるか」
「そうだな。光陰矢のごとし、とはよく言ったもんだな」
「もう悪足掻きはしないのか?」
「これ以上どうしろと?」
正直、頭の冷えてきた今では、二、三手ぐらいは起死回生の手は思いついている。
しかし、正直もう十分だ。
頭と一緒に、気持ちもどうやら冷めたようだ。
終わりでいい。
他人の命を奪う事にためらいを感じないのと同様に、自分の命にも言うほど執着はない。
「もう観たいものは粗方観たし、やりたい事は粗方やったしな」
「そうか」
沈黙。
「……そうだ、一つ思い出した。面白い話をしてやろうか?」
「興味が無いな」
渇いた破裂音が、一瞬だけ、響いた。
目の前で眼帯をした頭が、眉間から血を流し、だらしなく垂れている。
あっけない。
特に晴れ晴れするような達成感らしきものは、沸いてはこない。
ただただ気だるい疲れだけが、心身を包み込んでいる。
「やった」
そう、言葉に出してみても、大して気分は変わらない。
妻と子の名を小さく呟く。少しはあいつらの無念も晴れただろうか。
「終わった」
いや、まだか。
後ろを振り返る。
エトルが手を差し伸べている。サリエルも心配し、顔を覗かせている。
そして、ストレ達はまだ戦っている。
微笑んでエトルの肩を借り、立ち上がる。
「……どっ、こい、しょ」
あーあ、どっこいしょ、とか言っちゃったよ。
でも、そりゃ言うか。おっさんだものな。
あの頃は、若かったんだけどな。
十六年は、長かった。
アルモニアの中央制御装置を前に、リリが緊張を抑え、大きく深呼吸する。
覚悟を決めるまでしばらくかかったものの、ついにそれを起動した。
今頃、世界中の街々に巨大な立体映像が浮かんでいるはずだ。
そしてそれには、自分の姿が映し出されている。
リリは最後にもう一度深呼吸をして、静かに世界中に語り始めた。
「リリシュティン・デュナンス・セシルより、シオンドールに生きる全ての皆様へ」
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