8:茶会
朝日の差し込む広い室内。
品良く整頓された豪華な調度品の数々が、陽の光を浴び、輝いている。
その穏やかで煌びやかな時間と空間の中、一人の若い男が軽めの朝食を摂りながら、新聞に目を通している。
情報の精度で言えばアルモニアの方が段違いに優れているが、そちらには市井の生の声は反映されない。
そういった意味では、民間の新聞も重要な情報源であった。
新聞には、ケティスを討った謎の組織に関する記事が踊っていた。
どうやら市民達の間ではこれを、”圧制からの解放者”と捉える見方が多数のようだ。
公家を恐れ、婉曲的な表現で塗り固められてはいるが、薄くそういった本音が垣間見える。
しかし、薄くとはいえ、そうした表現が出てくるという事は、それだけ解放者に対する期待も集まっているという事だろう。
潮目の変わり時なのかもしれない、と男は思う。
「そうだ。客人を招いて、茶会でも開くというのはどうだろう、アルシス」
男は、離れた所で静かに本を読み耽っている、執事であり、親友でもある男に声をかけた。
「茶会、ですか? ケール」
「そう。茶会だ。良い案だろう?」
男の名は、公家アンディエル家当主、ケーレスタス・アンディエル。
翌朝新聞に小さな記事が載った。
そこには、アンディエル家が”解放者”を茶会に招くと書かれていた。
アンディエル領に潜む協力者から送られてきたそれを、ヴァストレムのブリッジでオルス達が眺めている。
オルスは頭を悩ませる。
ケーレスタスは先代の急逝に伴い、数年前に当主となった男だ。
王の暗殺の時には、確か十歳かそこらだったはず。
直接の面識もなく、人物像が上手く掴めていない。
伝聞では圧制による締め付けではなく、むしろ市民達を自由にさせ、その全体の大まかな流れをコントロールする事で上手く統治していると聞く。
頭の切れる男なのだろう。油断のできる相手ではない。
「エリオス、ケーレスタスとの面識は?」
オルスは、エリオスに訊いてみた。
「一度だけ会った事はあるが、掴みどころの無い男だった。飄々としているというか、本心を嘘で何重にも塗り重ねているというか、いっそ本心など無いのではないかと疑うほどだ。個人的な印象を言わせて貰うなら、はっきり言って嫌いだ」
「ふむ」
「つーかさ、罠だとして茶会ってなんだよ。ケティスの時とは違って、乗っかるメリットゼロじゃねーか。無視だ無視」
マリネが口を挟む。
「でも公家当主である以上、いつかはぶつからなきゃいけない相手だ。それがもし今回のこれで話し合いで解決できるなら」
エトルも意見を述べる。
「ふむ」
オルスはどうしたものかと、ちらりとリリを見る。
黙ってはいるが、リリの瞳には火が灯っているようだった。
「……よし決めたぞ。せっかくだからお招きにあずかろう。ただし条件がある。メニス、これから言うからアンディエルに叩きつけてやってくれ」
オルスは賭けに出ることにした。
ケーレスタスの私室に一行は通された。
入り口にはサリエルが、室外にはエトルがそのまま待機する。
広い室内の入り口から最も遠く離れた窓際に、席が設けられている。
窓際に客席。小さなテーブルを挟んで、ケーレスタスが一人で待っている。
横にもう一席、オルスの席も用意されているが、オルスは調度品を見物する体でケーレスタスの背後に付き、何かあればすぐにその頭を撃ちぬけるようにする。
ケーレスタスはそれに気付いているのか、いないのか、余裕の態度でくつろいでいる。
リリが緊張した様子で、静かに席についた。
背後の窓の外にカオンのギア。何かあれば窓を突き破り、リリを回収してすぐさま離脱する手はずになっている。
少し離れて、広い庭にバーダネオンも控えている。
「お招きにあずかり、光栄です。アンディエル殿」
リリがまっすぐにケーレスタスを見据え、言う。
「こちらこそお会いできて光栄ですよ、リリシュティン殿下」
ケーレスタスが長い足を組んで言う。
リリの生存は未だ秘匿されている。
それをこの男は既に嗅ぎ付けていて、その上公家の立場でありながら、殿下と敬称までつけて呼んでみせた。
その意味を推し量ろうと、オルスは頭を回転させる。
あるいは、全くのハッタリの可能性もある。
確かに本心の読めない男だと、オルスは警戒した。
「ささ、どうぞ。姫君のお口に合うかは分かりませんが、我が領土自慢の葉と水を使っております。ぜひご賞味頂きたい」
「いえ、結構です。単刀直入に、本題をお願いいたします」
「そうですか?」
ケーレスタスが茶を一口すすり、言う。
「しかし本題とは? 私は単に、姫と茶を楽しむことが叶えば、それは素敵なひと時であろうな、と思い、お誘い申し上げただけなのですが」
リリが無表情にケーレスタスを見つめる。
「ふふ、愉快なお方だ」
そう言いながら、ケーレスタスはカップをテーブルに戻し、表情を少しだけ変化させ、続けた。
「ちょっとした交渉をさせて頂きたい」
「交渉?」
「そう。知っての通り、私は十五年前の謀反には関わっていない。その是非についても正直興味はない。よしんば、親に罪があったとして、それを子が背負わなければいけない謂れがあるとも思わない。私が興味があるのは、今と、これからだ。私は、あなた方に敵対しないと約束する。他の公家から援護の要請があっても、一切の関与をしない。その代わり、この領土については私の自由に放っておいてほしい。もしあなた方が勝ち、王国再建の運びとなって以降も、だ」
「中立の立場を取る、と」
「というよりは、関わり合いになりたくない、ですかな。なんならシグノールに目をつけられない程度に多少の支援をしてもいい。個人的にはあの老人よりは、貴方の方に魅力を感じもするもので」
ケーレスタスが微笑んで言う。
リリが黙り、ケーレスタスの底の見えない瞳を見つめ、考え込む。
「悪い話ではないはずだ。強大な敵の一角が、一回の戦闘も、何のリスクも無しに舞台から消える。その意味をよく考えてお決め頂きたい」
リリはオルスを窺う。
オルスも考えを決めかねている様子だ。
「……一度持ち帰って考えさせていただく、というのは」
「駄目です」
ケーレスタスがぴしゃりと言った。
「あなたに、今、ここで、決断をしていただく」
ケーレスタスが、満面の笑みを見せ、言った。
リリは考えた。
考えに考えを重ね、ついにその答えを、口にした。
「お断りさせていただきます」
「ほう?」
ケーレスタスが面白そうに言う。
「確かに、悪くは無い提案なのかもしれません。ですが」
一呼吸置いて、続ける。
「正直申し上げて、貴方の事は信用できない」
リリはきっぱりと言ってのける。
ケーレスタスは一瞬、きょとんとした顔を見せた後、大笑いを始める。
「そうか。そうですか。ならば仕方が無い」
尚も笑いながら続ける。
「それが男の言う事なら嘲りもしますが、何分貴方は女性だ。女の勘というものは侮れないものですからな」
「そういった物言いが信用に繋がらないと申しているのです。これで失礼させて頂きます」
リリが席を立とうとしたのを、ケーレスタスが制して言う。
「もう少しゆっくりしていかれればいい」
その言葉に、その場にいる全員が身構える。帰さないつもりか、と疑う。
「ご安心を。大切な客人方に危害を加えるつもりはない。客人には、ね」
「どういう意味です?」
リリが警戒して尋ねる。
「こういう見世物をご用意いたしました。ぜひ見物していって頂きたい」
そう言いながら、手近の小さな装置を操作すると、壁面のスクリーンに映像が映し出された。
ヴァストレムに急接近するアルタモーダの姿。
リリがケーレスタスをきっ、と睨む。
それをケーレスタスは微笑みで返す。
敵機接近。
ストレが急いでオルヴァニスに乗り込む。
そのタイミングで敵からの通信。
アルタモーダとの一騎打ちを望む、と。
サリエルは悩む。
オルスやリリ達を人質に取られているのも同然だ。
この状況でどう判断したものか。
結局は、成り行きに任せるしかなかった。
オルヴァニスを単機で出す事にした。
オルヴァニスのコクピットに通信が入る。
茶会の一室からケーレスタスが送ってきたようだ。
リリの無事な姿も窺え、ストレは一安心する。
ケーレスタスの声が響く。
「パイロットの少年、聞こえているか。御覧の通り、客人方は丁重におもてなしをさせて頂いている。君達の闘いも純然たる見世物であり、その勝敗に関わらず客人方は無事お帰り頂く事を約束する。変な心配は必要ない。存分に健闘をしてみせてくれたまえ。以上だ」
言うだけ言って、通信は切れた。
なるほど、良く分からない男だ。
「さて、一つ賭けをしませんか。私は友人のアルシスに賭ける」
ケーレスタスがリリに持ちかける。
それに対し、リリが静かに答える。
「その賭けは成立しません」
「ほう?」
「だって、ストレが勝つに決まっていますから」
ケーレスタスは、また笑った。
敵のアルタモーダは動かない。
アンディエル家のアルタモーダ、オルゼンディム。
操るのは当主の朋友、アルシス・オーディオ。
槍を武器に幻術を駆使する、と情報にある。
幻術? 幻術、って何だ、とストレは困惑する。
情報を精査するが、それ以上の事は載っていない。
尚も敵は動かない。
「こちらから仕掛けるしかないか……」
ストレは覚悟を決める。
オルヴァニスは莢の一つを剣に変え、突進。
もう一つは状況次第でどうとでも動かせるよう、そのままで腰に残す。
オルゼンディムは尚も動かず、そのまま剣の一撃が腹を直撃する。
呆気なく勝った、とストレが思った瞬間、オルゼンディムの姿が霧消する。
「幻!?」
幻術とはこういう事かと気付き、急いで本体を探す。
その無防備な背後に槍の一撃が加えられ、オルヴァニスは倒れこんでしまう。
すぐさま体勢を立て直し、相手を確認する。
オルゼンディムが、悠々と槍を構え、立っている。
今のは挨拶代わりということか。
ストレは残していた莢を盾に変え、防壁を広く展開。
機体の半分は覆えるようにする。
剣も砲に変え、発射。
また敵の姿が消える。
「クソっ。馬鹿にしやがって」
敵の姿が見えない。
ストレは警戒しつつ必死で探す。
しかし、どこにも見つからない。
根負けして、闇雲に砲を撃つ。
そこに槍の一撃を受け、のけぞりながらも砲で殴りかかる。
霧消。
また背後から攻撃を受け、オルヴァニスは膝をつく。
完全に翻弄されている。
次の瞬間、ストレは視界に入ったものに、ふと気付いた。
オルヴァニスの、影。
「いや、そんな、まさかな」
盾を構えつつ立ち上がり、敵の足元を見る。
影が無い。
オルヴァニスをその幻に正対させたまま、急いでコクピットの全面モニターで周りを見渡す。
背後に別のオルゼンディムの姿。影がある。
敵はまだ、こちらが仕掛けに気付いた事に気付いていない。
今がチャンスだ。
素早い動きで機体を反転、砲を早撃ちする。
しかしそれはギリギリでかわされてしまう。
ストレは思わず舌打ちをする。
しかし、これで化かし合いは終わりだ。
オルゼンディムのコクピットでアルシスが口笛を軽く吹く。
「気付いたか。ならば小細工は止めだ」
ケーレスタスからは勝ちも負けも好きにしろと言われている。
友人の悪趣味に付き合うつもりはそれ程無かった。
最低限の義理立てだけしたら、後は適当に勝って終わらせるつもりだった。
しかし、気が変わった。適当ではなく、全力で、勝つ。
ストレは幻術の仕掛けを見抜いて勝ったつもりでいたが、それは間違いだった。
小細工を弄さずとも、この敵は強敵だった。
思うように闘いは転んでいかない。
突き出される槍を盾で受け、剣で反撃を繰り出す。
それを最小限の動きでかわされ、今度は蹴りが飛んでくる。
屈んでかわしたところに、槍の突きが飛び込んでくる。
ストレはそれに即座に反応し、後方に跳んでかわす。
一進一退の攻防。ストレの焦りが滲む。
オルヴァニス、突進。
敵の槍が脇腹をかするが、そのまま敵に剣で斬りかかる。
肩に当たるが、浅い。
両機はその場で身をよじり、体勢を整えつつ、再び槍と剣を繰り出す。
互いの武器がぶつかり合い、オルヴァニスの剣が、オルゼンディムの槍を弾き飛ばした。
ストレはやった、と声をあげつつ追い討ちをかけるが、ぎりぎりでかわされる。
しかし、敵はそのまま勢い余って体勢を崩し、尻餅をついた。
オルヴァニスがそこへと剣を振り下ろすが、それを蹴りで弾き飛ばされる。
「武器なら、まだある!」
ストレは即座に肩から短剣を抜き、敵に繰り出す。
今度こそ勝ちだ。そう思った瞬間、敵も隠し持っていた小剣を繰り出すのが見える。
互いの武器の切っ先が、互いの胸の前で同時にとまる。
ここまでだ。
「これは、引き分けかな? 予想外の決着だ。が、まあまあ楽しめた。でしょう?」
ケーレスタスが、リリに尋ねる。
その瞬間、場に渇いた音が響いた。
リリの平手が、ケーレスタスの頬を打った音が。
ケーレスタスはしばらく頬を押さえ呆然としていたが、やがてまた笑い出した。
「まったく、面白いお方だ。貴方は私を嫌ったようだが、私は貴方を気に入った。アンディエルは貴方がたを全面的に支援する。公にもそう発表させていただく」
「何を、おっしゃっているのです?」
リリが疑わしげに、ケーレスタスの表情を窺う。
「貴方もいい加減日向の舞台に戻るべき頃合だ。どうやらヘリントとエディアスも既に抑えているようだ。そして、私ももう貴方の味方だ。貴方がそれを受け入れる、受け入れない、に関わらず。とすれば、残る公家はただ二つ。市民も圧制からの解放者を、英雄の存在を待ち望んでいる。もうとうに舞台はひっくり返っているのですよ」
「参考にさせて頂きます。それでは、もういいでしょう。私達はお暇させていただきます」
リリは最後にケーレスタスを振り返り、付け足して言った。
「そうだ。お茶、ご馳走様でした」
その言葉と、一口も口をつけていない茶を残し、リリは去っていった。
「いえいえ、お粗末様でした」
ケーレスタスは、その後ろ姿を見つめ、満足気に笑った。
帰り道で、リリはオルスに訊く。
「こうなるって、分かっていたのでしょう?」
「こう、とは?」
「全部です。だから会談中口を挟まなかったし、いつもはこういう場にも同席させるストレを艦に置いてきた」
「ふふ、買いかぶりです」
「私、貴方の事も嫌いになりそうです」
「それは哀しいですな。胸が張り裂ける思いです」
リリはふん、と顔を背けて見せた。
「なかなかに見事な闘いだったよ、アルシス。感服した」
ケーレスタスが、友の健闘を称えて言う。
「ふん。最初から腹積もりは決まっていたのでしょう? 余計な茶番に付き合わされて、肩が凝りました」
「それは私に対するよくある誤解の一つだな。本心を嘘で隠すとよく言われるが、それは違う。むしろ逆だ。私は常に本心をさらしているさ。ただ、その場その場で本心が変化していく、というだけのことだ」
「付き合いきれませんよ」
アルシスはそう言って溜息を残し、自室へと去っていった。
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