4:英雄


 ヘリント領。

 深く広大な森に覆われたその領地には、小さな村々が点在し、その外縁部にある険しい山岳の中腹に、ヘリントの邸宅はあった。


 それを遠巻きに見晴らす高台の森で、オルヴァニスが姿勢を低くし、木の陰にじっと身を隠す。

 その中で、ストレは糧食をかじりながら敵地を偵察していた。


 まさに自然の要塞と呼ぶに相応しい光景だが、それに油断してか実際の警備は手薄に見える。

 ギアが数体突っ立っているだけだ。

 アルタモーダの姿は無い。館の裏手に大きな建物がある。あの中にあるのだろうか。


 急襲作戦の決行は日が暮れてからだ。

 ストレはじれったさを抑えつつ、偵察を続けた。






 小鳥のさえずりが美しく響く。

 眼下の川を魚がゆったりと泳ぐ。


 邸宅の方にも特に動きは無い。

 とても敵地のど真ん中とは思えない、のどかな風景。

 時間が止まったように感じる。

 緊張を維持するのは難しかった。


 糧食をもう一かじりする。


「まずいな」


 無意識に言葉が零れる。

 言ってから、ストレは自分の吐いた言葉の意味に気付き、驚く。


「食い物に文句を言ったのか、俺」


 手の中の糧食を見つめ、考える。

 もう一かじりしようとして、やめる。


 それほど腹が空いているわけでもない。

 美味くもないものを、無理して食べる必要も感じなかった。


 もう自分は、飢えに苦しむ奴隷じゃない。






 ふいに、アトルの声が聞こえてくる。


「あーもー、じれったくて敵わねぇ。さっさと攻め込もうぜ。アルタモーダなんていても一機だろ。それも出てくる前に終わらせりゃ良いだけだしよ。こっちにゃオルヴァニスだってあんだし」


 アトル機は少し離れたところで同じように偵察についている。

 他の隊機も館を取り囲むように配置についている。


 アトルの双子の弟、エトルの声が続く。


「失敗は許されない。アルタモーダがあるのは確実だ。慎重にいくにこした事は無いよ。昼でこうなら、夜はもっと静かなはずだ。もしかしたら戦闘の必要も無いかもしれない。大人しく夜を待とう」


 アルタモーダをはじめとする、神話時代の聖遺物レリキア。

 それらは聖堂会によって厳格に管理され、アルタモーダは各公家に一機ずつが貸与というかたちで提供されていた。

 人々が信仰する神々の似姿であるアルタモーダを持つ事は、公家にとって権威付けともなり、またある意味では、賢人会議によって着けられた首輪でもあった。


「ったく、どうしてお前はそう臆病者なんだかな。それにこんなとこまで出張って、ドンパチ楽しまずに帰れるかっての」


「臆病なのと慎重なのは違うよ。アトルの方こそ、いい加減その馬鹿丸出しの無鉄砲を治してくれよ」


「はー? 誰が馬鹿だ、誰が」


 ストレはいい加減に通信を切った。


「何か意味のある事が聞こえてきたら、また繋いでくれ」


 少女に頼み、ストレは少し目を瞑る事にした。






 目が覚めると、地平線が赤く染まっているのに気付いた。

 もう夕方だ。

 目をこすりながら、少女に何かあったか確認する。

 特に何もなかったらしい。


 ぼんやりとモニターを眺める。

 邸宅の敷地内に、数人の人の姿が見える。

 ゆったりとした動きで何か作業をしている。


 映像を拡大してみる。

 雑巾を貼り合わせたようなみすぼらしい服。

 骨と皮だけの体。淀んで光の無い瞳。

 奴隷。


 ストレの中で、何かがざわつく。


 ゆったりとした動きは体力の無さゆえか。

 一人が動きを止め、大きく肩で息をし、咳き込んでいる。

 それに近付く男の姿。監視兵だ。


 ストレの中で様々な感情が渦を巻く。


 監視兵が奴隷を打った。

 奴隷はその場に倒れこみ、身悶えている。

 監視兵は更に追い打ちをかける。

 何度も、何度も打ち続ける。

 周りの他の奴隷達はそれを気にかけつつも、作業を続けるしかないようだ。

 やがて、打たれ続けた奴隷は身動きをしなくなった。


 コクピットの中、ストレの視界の隅に、何かが映る。

 食べかけの、糧食。


 ストレは、吠えた。






「おいこらバカ! 何のつもりだストレ!」


 後方に控えていたヴァストレムのブリッジに、マリネ機の通信が響く。

 同時にオペレーターのメニスの報告。


「オルヴァニスが持ち場を離れ、ヘリント邸へ急速接近!」


「おい、艦長さん。どうすればいい?」


 マリネが指示を仰ぐ。

 オルスは少し考え、時計を確認する。


「仕方が無い。前倒しで始めよう。他に修正はなし。あとは出たとこ勝負だ。即時攻撃開始」


「了解。ったく」


「どうしたんでしょうか」


 サリエルが訊く。

 オルスは肩をすくめて答える。






 オルヴァニスが館の庭に地響きをあげ、着地。

 その足元で、人々が逃げ惑う。


 近くに居た警備のギアの頭を握り潰し、胴を勢いよく蹴り飛ばす。


 別の一機が掴みかかろうとしてくるのを、逆に投げ飛ばし、地面に倒れた敵機にのしかかると、オルヴァニスは何度も拳を打ち付ける。

 何度も、何度も。

 敵機は必死に抵抗しようと手足をばたつかせていたが、やがて静かになった。


 立ち上がり、残る一機に向かう。

 その敵が銃を乱射するが、見えない壁がそれを無情に弾く。


 オルヴァニスはその敵へと、静かに掌を向ける。

 見えない壁が振動し、それが大気を震わせ、敵に強烈な衝撃波として襲い掛かる。

 それを真っ向から受け、吹き飛ばされた敵は、山の斜面を転げ落ちていった。






 オルヴァニスの中の少女は、焦っていた。

 ストレは我を忘れてしまっている。何とかしなければ。


 機体が静かに館の方を向く。

 腰の莢が砲に変わり、それが館へと向けられる。


 少女は慌てて基幹システムに停止を要請。

 しかし、それは即座に棄却されてしまう。

 未だ真に覚醒していない少女に、その権限は無かった。


 砲にエネルギーが集まる。

 ストレの咆哮が轟く。


「ばっかやろー!」


 突然横からマリネ機が飛び出し、オルヴァニスを突き飛ばした。

 逸れた砲身から閃光が飛び出し、空を優雅に泳ぐ雲に大きな穴が開いた。






 奴隷の女がオルヴァニスを見上げ、呆然と立ち尽くしている。

 モニター越しに、女と目が合い、ストレは少しして、はっと我に返った。

 頭の中で少女が、安堵の表情を見せている。






 ヘリント邸執務室。

 そこは、見るからに高価な調度品で埋め尽くされていた。


 オルス艦長は豪華な飾り棚の前に立ち、奇妙な骨董品を掌で転がし弄んでいる。

 ソファにはリリが座り、その後ろにはサリエル副長とストレが立ったまま控えている。


 テーブルを挟んでその向かいの椅子には、ヘリント家当主、アルムナント・ヘリントの姿。

 背丈はそれほど高くはないが、丸々と肥え太っており、全身にジャラジャラと宝石類を散りばめている。

 しかし、身を小さく折りたたみ、キョロキョロと視線を泳がせるその姿には、高貴さは全く感じられなかった。


 ストレは一目でその男を嫌った。


「さてさて、本題に入るとするか」


 オルスがそう言い、骨董品を棚に戻す。

 それにヘリントはひっ、と声を上げ、驚く。


「落ち着けよ。別に取って食おうなんていうわけじゃないんだ。今更お前みたいな小物の命を奪ったところで、何にもなりはしないからな」


「な、ならば何が望みだというのだ」


 ヘリントが震えながらもなけなしの虚勢を張り、言う。


「貴様ら逆賊どもの首根っこに、よく鳴る鈴をつけたいだけさ。少なくとも今のところは」


「……アルモニアか」


「そう、アルモニアだ」


 アルモニア。

 シオンドールの大地に張り巡らされた、情報通信網そのものであるレリキア。

 聖堂会や各公家はそれを使い、互いにやり取りをしている。

 また、重大な発表等の際は街中に巨大な立体映像を映し出したりといった事も出来るらしい。

 その中央制御装置の管理運営は、王国時代からヘリント家に一任されており、それを押さえる事で公家側の動きを察知し、こちら側の動きをくらませようというのが、今回の作戦の要旨だった。


 オルスが続ける。


「それだけだ。悪い話じゃないだろう? アルモニアさえ明け渡してもらえるなら、お前はこれまでと同じように、この田舎領地の領主様でいられる。もちろん監視は付けさせてもらうが」


「こ、断ると言ったら?」


「安心しろ。いくらなんでも、そこまで馬鹿だとは見くびっちゃいない」


「……」


 ヘリントは額に脂汗を浮かべ、悩んでいる。


「ま、一晩ゆっくり考えればいい。せっかくだから今夜はここで世話になる。盛大にもてなしてくれよ」


 オルスはそう言いながらリリに向かい、確認する。


「……と言った感じで、いかがでしょう?」


「は、はい。問題ありません。ご苦労様でした」


「よし、じゃあ、お開きだ。皆を呼んでこよう」


「……だ」


 突然にストレが何か言い、全員が視線を向ける。


「奴隷の解放もだ」


 今度ははっきりとした声で、ヘリントを真っ直ぐに見つめて言う。


 オルスは一瞬呆気に取られながらも、すぐに気を取り直し、ヘリントに向かって告げた。


「そうだな。それを忘れていた。奴隷の解放も要求に加える」


 ヘリントは慌てて抗議する。


「そ、それは駄目だ。それではやっていけない」


「ちゃんとした条件で雇って使えばいい。金が無いならこの屋敷のガラクタを掃除して作ればいいさ。食費も削れば健康にもなれるぞ。勿論分かってるだろうが、いかなる強制も駄目だ」


「し、しかし」


「そんなに嫌だって言うなら、お前には引退してもらって代わりを立てるしかないな」


 オルスの服の奥に隠れた拳銃が、隙間からチラチラと顔を覗かせる。


「う、うぬう……」


 それっきり、ヘリントは黙った。


「さ、今度こそお開きだ」


 オルスはストレの肩をポンと叩き、部屋を去っていった。






 その夜、ヘリントは言われた通りに皆を盛大にもてなしたが、ストレは出された豪華な料理には手をつけず、早々にあてがわれた部屋に引き上げた。


 腹が鳴っている。

 食べかけの糧食を引っ張り出し、しばらくそれをじっと見つめ、かじる。

 やっぱりまずいものはまずい。

 しかし、残り全部を平らげ、さっさとベッドに横になった。






 翌朝、館の裏手の大きな建物の中でアルタモーダが見つかった。

 覆いもかけられず、そのままの姿で無造作に置かれ、埃にまみれていた。


「どうするよ、これ」


 ブレント整備士がオルス艦長に訊く。


「どうするったってなあ。使い物になるのかよこれ。一応、ヴァルには報告するがこのままにしておこう。変にこいつを使って賢人どもに疑いを持たれたら、わざわざアルモニアを押さえた意味もなくなるし」


「りょーかい」


 二人は扉を閉め、去っていった。






 ヴァストレムへ帰ろうとするストレを、昨日オルヴァニスを見上げていた奴隷の女が引き止めた。

 ストレが立ち止まると、その女は小さな花束を差し出した。


「貴方のお陰で私達は自由になれたと伺いました。お金も物も何も無いもので、こんなものでしかお礼ができませんが、よければ受け取ってください」


 ストレは驚きながら、それを受け取った。


「いや、とても綺麗だ。ありがとう、大切に飾るよ」


「貴方は私達の英雄です。どうぞお元気で」


 女が笑顔で言う。

 後ろの方で他の奴隷だった人たちも手を振っているのが見え、ストレも手を振ってみせる。


 ストレは皆に別れを告げ、歩き出した。花の良い香りがする。


「英雄か」


 自分が本当にその言葉に相応しい人間だとは思わないが、自分のしたことで誰かを救う事ができたのなら、それは嬉しいことだと、ストレは心の底から感じた。






 小ざっぱりと整頓された部屋の中、男が壁面に映し出された映像に向かっている。


「さて、汚名返上の手はずは整ったのかね、ドーリオ・ケティス」


 映像の中の男が言う。

 高位の聖衣をまとった老人。

 賢人。


 ケティス家当主、ドーリオ・ケティスがかしこまって答える。


「は、はい。奪われたアルタモーダ、今度こそは必ずや奪還して御覧に入れます。これ以上賢人方のご期待を裏切るような事は無いと約束させていただきます。次こそは必ず」


「期待はしていないが、楽しみにはしているよケティス。精々頑張ってくれたまえ。それではまたな」


 映像が消える。


 静寂。


 ドーリオの肩は、小さく震えている。


 ドーリオが、ゆっくりと後ろを振り返る。

 不肖の息子の姿。


「次は無い。次は無いぞ、リオス」


「はい。分かっております、父上」



 

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