3:フォルシュニク


 時分は、春先だった。


 暖かい陽が降り注ぎ、柔らかな風が舞う中、男と女は出会った。

 男はその瞬間に女に惹かれた。

 女は男の誘いを軽く笑って受け流した。


 二人は、王に仕える若き騎士だった。

 女は文武問わず、あらゆる面で男の先を行っていた。

 男はそんな女にふさわしい男になろうと、必死で努力した。


 何年も掛かったが、その努力は実を結び、男は精鋭の集まる王室近衛騎士隊へと招き入れられるまでになった。

 その頃には、二人はいつも一緒にいるようになっていた。

 やがて二つの人生は一つに繋がり、子も産まれた。






 子供がようやく言葉を話すようになった頃、事件が起きる。


 王の暗殺。


 首謀したのは、人々の信仰の拠り所である聖堂会を支配する賢人会議。

 その名とは裏腹に、人間の黒い欲の権化たる者達。

 その者達は、自分達の思い通りにならない王を疎ましく思い、自分達の思い通りとなる傀儡を欲した。

 その為に王に仕える有力貴族達をそそのかし、事を起こさせた。






 その夜、街には暴力と混乱が渦巻いていた。

 そこかしこで、暗闇に火の手が上がる。


 男は必死で走っていた。

 王と王妃は助からなかったが、まだ赤子の姫は救い出す事ができた。

 今は信頼できる者の手に預け、遠く安全な場所へ逃げ延びている。


 男は必死で自分の家へと急いだ。妻と息子のもとへ。


 やっとの思いでたどり着いた我が家は暗く、しんと静まりかえっていた。

 嫌な予感が湧き起こるのを懸命に抑え、一歩、また一歩と階段を上る。

 家族の待つはずの寝室へ。


 ドアノブに手を掛け、覚悟を決め、ドアを開ける。


 そこには一人の男が立っていた。

 黒衣の暗殺者。

 その足元には、真っ赤に染まった妻と子の体。


 男がこちらを見て、嗤った。






 ヴァストレム艦長オルスディン・アークレーが、あの時と同じ悲鳴をあげ、悪夢から目を覚ます。


 全身にかいた嫌な汗を拭い、動悸が落ち着くのを待つ。


 十五年前のあの日の出来事をこれまで何度となく夢にみてきた。

 涙はとうに涸れ果てているが、だからと言って、心の傷が癒える気配は一向に無かった。


 時計を見る。まだ起きるには早い時間だ。

 もう一度横になる。


 今度は、夢は見なかった。






 ギア隊の凸こと、アトル・カンタは不満を抱いていた。


 ヴァストレムが、入手したアルタモーダと共に拠点に帰り着いてからというもの、皆の話題はストレとオルヴァニスの活躍について一色だった。


 これまで必死に戦ってきたのに、ぽっと出の新人に人気を独り占めされるのが面白くなかった。


 マリネ隊長に、その事を話してみた。

 馬鹿言ってないで腕でも磨け、とはたかれて終わった。


 弟のエトルにも話してみた。

 エトルとは双子なのに、昔から性格は正反対だった。

 ふーん、の一言で済まされて終わった。


 アトルの不満は、日増しに強くなっていった。






 つまるところ、秘密結社フォルシュニクというのは、王室派の残党を中心とした、六大公家と賢人会議に対する反抗組織、という事らしい。


 美人の副長、サリエル・トトールが、こじんまりとした部屋に集められた新米たちに対し、説明を続けている。

 ストレはそれに対し、真面目に耳を傾ける。

 横では頼んでもいない付き添いのカオンが、あくびをかみ殺すのに必死になっている。


「ねえねえ、あなたがアルタモーダを動かした、って本当?」


 後ろに座る少女が突然ひそひそと聞いてくる。


「え、ああ、まあ」


 ストレが小声で答える。


「本当なんだ、凄い! どうしてアルタモーダに乗る事になったの? どうやって動かし方を覚えたの? 教えて教えて」


 興奮した少女が矢継ぎ早に質問し、ストレは圧倒される。


「そこ、何を騒いでいるか!」


 副長の怒声が飛んできて、二人はしゅんと黙る。


 そんな調子で新人への説明会は終了し、ストレは大勢にもみくちゃに質問されながら、部屋を後にした。


 後には疲れた大人と、静けさだけが残された。

 サリエル副長が大きく溜息をつき、それをみて艦長がくつくつと笑う。






「まるで幼児のお遊戯会だな」


 入り口に、聖堂会の聖衣をまとった男が立っていた。


「ヴァリオント」


「ヴァル兄さん」


 艦長と副長が同時に呼ぶ。


「久し振りだな、二人とも」


 男は笑顔で、二人へと近付いていく。


「……まあ実際、今回は若いのが多く目立つな。あんなのまで戦いに駆り出そうっていうんだから、俺達も大概悪党だ」


 艦長が頬杖をつきながら言う。


「何も前線で命を張るだけが抵抗活動ではないさ。彼らにはそういうのとは違う戦い方をしてもらう」


 ヴァリオントが艦長の前で止まり、腕組みをしながら言った。

 艦長はヴァリオントを鋭く見つめる。


「ストレとカオンは違う」


「そう。ストレとカオンは、違う」


 ヴァリオントは艦長とは正反対のニュアンスで、同じ言葉を返した。


「あの二人は特別だ」


「特別……ね。ところで何の用だ。忙しいお前が世間話だけをしに来たわけじゃないだろう」


「そりゃまあ、そうだ。勿論、竹馬の友と、愛する妹の顔を見にきた、というのもあるが。実際のところは、釘を刺しにきた」


「まーた小言か?」


 艦長は軽口で茶化そうとしたものの、それを訂正して言った。


「いや、続けてくれ」


「オルヴァニスの強奪と、続くゼネヴレスとの戦闘。流石に老人達の耳にも入っている。戦力は手に入った。しばらく派手に動くのは控えろ。老人達の目を逸らしながら、レリキアをはじめとする資材や人員を調達するのも決して楽な事ではないんだ」


「分かっているよ。お前には感謝しているし、十分な働きで報いるつもりでもいる」


「……あ、トトールさん、こちらでしたか。時間です。こちらへ」


 入り口の方から、ヴァリオントを呼ぶ声がする。


「ああ、今行く。ではオルス、よろしく頼むぞ」


「ああ」


 艦長は軽く手を振り、旧友に別れを告げる。


 再びの静寂。


「ふむ。やはり先にヘリントを抑えておくべきか。サリエル、作戦計画をまとめてくれ。二週間以内に動く」


 艦長はそう言いながら杖を掴み、立ち上がる。


「了解。でもたった今兄さんに動くな、と釘を刺されたばかりでは?」


 サリエル副長が悪戯っぽく笑い、訊く。


「派手に動くな、とは言われたな。だからこっそり動くとしよう」


 オルス艦長も悪戯っぽく軽く答えてみせる。


「まったく、良い友人と良い妹とは中々なれないものだな」






 ストレは質問責めからようやく解放され、カオンと食堂で食事をしていた。

 まだそこかしこから視線をちらちらと感じるが、とりあえずは皆放っておいてくれている。


 食事はちゃんとしたものだった。

 料理人がつくってくれた料理。

 肉に野菜にスープにパン。おまけに果物までついてきた。

 それでもカオンが言うには質素な献立らしかったが、ストレは夢中で食らいついた。


 ストレは食べながら、周囲の人々を観察する。

 皆違う格好をしている。

 聖堂会の聖衣に身を包む者、軍服を着込む者、汚れた作業着、白衣、それらよりずっとラフな格好の者もいる。

 いかにも寄合い所帯といった雰囲気だ。


 そうしてストレは、はじめてカオンの格好に注意を向けた。


「そういえばそれって聖衣、だよな。でも他の人は白いのに、それは黒い」


「ええ、僕、一応聖堂会の人間なんで。黒いのは、まあ、ワケありって事で」


「ふーん」


 あまり深くは聞かないでおく。






 しばらくして、突然、テーブルに拳が打ち付けられた。

 凸、もといアトル・カンタの姿。


「おう、新入り。ちょっと顔貸せよ」






 広大な地下空間で武器を外したギアとオルヴァニスが向かい合う。


 決闘、もとい模擬戦を申し込まれた。


「お前、生意気なんだよ。新入りの分際で。俺が性根を叩き直してやる!」


 アトルが興奮した様子で吠える。


 頭の隅で、少女がきょとんとした顔を見せる。


(俺だって何だかよく分かんないよ)


 そう心の中で少女に語りかけ、ストレは肩をすくめて見せる。


 大人しく負けてみせれば、この先輩の気はおさまるんだろうか。

 でも、圧倒的な性能差のアルタモーダで、ギアにどう負ければいいのか。

 露骨にやれば逆効果だろう。どうしたものか。


 そんな事を考え悩んでいると、アトル機が突っ込んできた。

 それを軽くかわす。

 しかし、アトル機は足首を柔らかく使い、即座にオルヴァニスの動きを追い、貫手を飛び出させる。

 ストレは予想を超えた相手の動きに焦る。


 貫手は見えない壁に阻まれ、それた。

 ストレは勿論、少女の意思も超えた、オルヴァニスの本能とも言える基幹システムによる自動反応。

 それがなければ、一発食らっていただろう。


「良い気になってんじゃねーぞ! アルタモーダを操れるってだけでよ!」


 アトルが吠える。

 その言葉にストレははっとなり、自分を見つめる。

 オルヴァニスの性能を、自分自身の力と履き違えていた。

 アトルさんは経験を積んだパイロットで、自分は素人なんだ、なめてかかっていい相手じゃない。そう、気付く。


 そして、自分自身の力でアトルにぶつかってみたい、とストレは思った。

 指でレバーのパッドとボタンを操作。

 オルヴァニスのパワーレベルを最低まで落とす。

 少女にも手出しはしないでくれと頼む。

 それでもギアとは比較にならない性能差があったが、ある程度は対等に近付いた。


 露骨に鈍くなったオルヴァニスの動きにアトルは激昂し、より激しく攻撃を繰り出す。


「どこまでも馬鹿にしやがって!」


 ストレは必死になって相手の動きに対応しようとし、機体を操る。

 なかなか付け入る隙が見つからない。


 少女が相変わらずきょとんとした顔で、その様子を観察する。






 いつの間にか二機の周りには人垣ができていた。

 皆が口々に二人の闘いを囃し立てる。賭けに興じる者たちもいた。


「何の騒ぎです?」


 サリエルが、騒ぎの中にオルスの姿を見つけ、訊いた。


「息抜きさ。大事な事だ」


 オルスが二機の取っ組み合いを眺めながら答える。

 風紀上の問題を心配しているのだろう。サリエルは面白くない顔をする。


「はしゃぎすぎないように俺が目を光らせておくよ」


 その言葉に納得したのか、しないのか、とにかくサリエルは黙って踵を返し、去ろうとした。

 オルスはその背中に向かって言う。


「そうだサリエル。せっかく来たんだ。ついでに賭けてかないか?」


 冗談のつもりで言ったその言葉に、サリエルの顔がみるみる真っ赤になる。

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。

 怒号。罵声。叱責。


 オルスは自分の迂闊さを呪った。






 闘いは続く。

 ストレは必死に機体を操り、その動きに真摯さを感じたアトルも、もう余計な事は言わずに純粋に闘いを楽しんでいた。


 周りの観客達もいつしか二機が打ち合う姿に見入り、余計な野次を飛ばすことなく黙って見守り続けていた。


「しまった!」


 アトルが操作を誤り、ギアが体勢を崩す。


「今だ!」


 ストレはその好機に一気に攻勢に転じる。

 しかし、アトルもすぐに立て直しにかかり、オルヴァニスを迎えうつ。


 激しく取っ組み合う二機。足がもつれる。

 二機が同時に体勢を崩し、倒れこむ。


 ついに、大きな音を立てて、オルヴァニスが背中から地面に衝突した。

 一方で、アトルのギアはすんでのところで自動制御により踏み留まる。


 静寂。


 呆然と見入っていた審判役が、やがて自分の仕事を思い出し、アトルの勝利を宣言した。

 皆が一斉に二人の健闘を称え、喝采をおくる。


 ストレの頭の隅で少女が申し訳なさそうにする。


(いいんだよ。お前は言われた事を守っただけなんだから。負けたのはお前のせいなんかじゃないよ)


 そう言ってやる。少女が微笑んでいる。


「やるじゃないか、ストレ。見直したぜ」


「どうも。ありがとうございます」


 アトル機が手を差し出し、ストレはオルヴァニスにその手をとらせ、機体を起き上がらせた。


 最後にもう一度、皆が大きな喝采をおくった。






「おつかれさま。残念でしたね。けど、格好良かったですよ」


 機体を格納庫に戻し、降りてきたストレを姫が迎えた。


「お、お姫様、ですよね。ありがとうございます。光栄です」


 思わず緊張してしまう。

 言葉遣いはちゃんとできているだろうか、無作法は無いだろうかと、不安になる。


「はい。そうか、自己紹介がまだでしたね。私、リリシュティン・デュナンス・セシルと申します。改めてよろしくストレ」


 きらきらと、眩しい笑顔。


「リリ……、え?」


 どうしてこうも偉い人ってのは名前が長ったらしいんだ、とストレは不思議に思う。


「ふふ、どうぞリリとお呼び下さい」


 良かった。それなら憶えられる。


「はい、分かりましたリリ様」


「リリ、です。様はいりません。私の生まれの事は内緒なのです。機密ってやつですね」


 なるほど、そうか、そういう事にも気をつけなければいけないのか、とストレは反省する。


「なんてね。実際それもあるけれど、単に私に自覚が無いっていうだけでもあります」


 リリが足場の縁に腰掛けながら言い、ストレもその横に腰を下ろした。


「自覚?」


「はい。そう言われて育ちはしたけれど、実際には十五年間の人生、ずっと自由の無い、逃げ隠れするだけの生活でしたから。綺麗なドレスなんて着たこともないし」


 質素な服に身を包んだ少女が、冗談めかして言う。

 自由の無い生活。

 ストレは共感を覚えるが、そうは言っても奴隷と亡国のお姫様じゃやっぱり違うだろう、とも思う。


「あなたが羨ましいんです」


 リリが、ふいにぼそっと呟いた。


「え?」


 予想外の言葉にストレは戸惑う。


「私はただ王の娘として生まれただけ。特別な才能なんて何もありません。でも、あなたは違う。アルタモーダを駆る特別な戦士。憧れちゃいます」


 リリがくすっと笑い、大きな瞳でストレを見つめる。


「は、はあ」


 ストレはドギマギし、何と言っていいかわからず、曖昧に返事をする。


 そんな二人の様子を、オルヴァニスの少女が黙って観察していた。






 それから数日が経った。

 ミーティング室にヴァストレムのクルーが集められる。


 公家の一角、ヘリントの領地を攻める計画の説明。

 その計画の要は勿論、ストレとオルヴァニスだ。


 ストレは、気を引き締めた。


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