2:誰がために


 ぼんやりと天井を見上げる。


 あれから一日が過ぎ、ようやく気持ちが落ち着いてきた。


 鉄格子ではなく、白い壁に囲まれた小さな個室。

 質素で堅く狭苦しいが、清潔な簡易ベッド。

 その上に寝転がり、ストレは取りとめのない思考を弄び、所在無くただただ無為に時間を過ごす。


 絶え間なく、背中越しに振動が伝わってくる。

 それが今自分がいる場所の事を思い出させる。


 地を走る船。

 カオン達の母艦。ヴァストレム。


 これもオルヴァニスと同じように、人類発生以前に神に造られたという聖遺物、レリキアらしい。


 姿勢を変え、ベッドに腰掛けた状態になり、扉を見つめる。

 鍵の掛かっていない扉。自由。


 あるいは、鍵が掛かっているのかもしれない。

 昨日はろくな説明も無いまま、この部屋へと案内され、そのまま泥のように眠った。

 実際問題、自分がこれからどういう扱いを受けるのかも分かりはしない。

 鍵がかかっているかどうか、確かめてみようかしばらく迷い、結局はやめた。


 そんな風に時間を過ごしていると、ふいに扉が開いた。

 その向こうに、カオンが立っている。


「あ、良かった。起きてました? ご飯にしましょうよ」


 ご飯という言葉を耳にして、はじめて自分が如何に空腹だったかに気付く。


「良いのか? 俺も一緒で?」


「もちろん。早くいきましょうよ」


 カオンに引っ張られ、ストレは部屋を出た。






 しばらく狭い艦内を歩き、それほど広くはない部屋へと辿り着いた。

 固定された簡素なテーブルとイスが幾つか並んでいる。


「食堂ってほど、大層なものでもないですけどね」


 カオンがそう言いながら、糧食の包みを二つ用意する。


「人手不足で料理人もいないから、こんなものしかないですし」


 カオンがパックの中の固形物を頬張りながら、もうひとつをストレにまわす。

 ストレも同じように食らい付いてみる。パサパサしていて、甘ったるい味がする。


 期待したような食事では無かったが、腹は膨れたし、何より奴隷の餌なんかよりはずっとましだった。






 これまた甘ったるい飲み物で食後の時間を過ごしていると、三人組が入ってきた。

 大柄で厳つい雰囲気の女性と、如何にも凸凹コンビといった感じの男が二人。

 ズカズカとストレ達のところへと、真っ直ぐにやってくる。


「ギア隊の女隊長のマリネ・タクラさん。横の凸がアトル・カンタで、反対側の凹が双子の弟のエトル・カンタです。ま、名前なんて憶えなくても大丈夫ですけどね。凸と凹で十分通りますから」


 カオンが耳打ちをしてくる。

 それに凸が反応し、いきり立って吠えた。


「おいこら、聞こえてるってんだよ、小僧!」


「あ、聞こえちゃいました? はははー」


 カオンがあからさまな作り笑いで、ごまかそうとする。

 絶対にわざと聞こえるように言ったと、ストレは思った。


 尚も突っかかってこようとする凸を女隊長が抑え、一歩前に出る。

 いきなりぐっと顔をストレに近づけ、鼻と鼻がぶつかりそうな距離で視線をぶつけてくる。


「昨日はどうも。助かったよ、ストレ君。ありがとう」


 瞬きもせず、ストレを睨みつけながら言う。


「はい」


 ストレも、それに気圧されることなく応じる。

 それに対しマリネ隊長は、ふんと鼻を鳴らし、ストレの飲みかけを一気に喉に流し込むと、そのまま黙って踵を返し、去っていった。

 凹は黙って後に続き、凸はカオンに捨て台詞を吐きつつ、その後について去っていった。


「気にしないでいいですよ」


 三人がいなくなってから、カオンが言った。


「ああ、分かってる」


「あれでいて、付き合い方さえ分かっちゃえばそう悪い人たちでもないですし」


「うん」


 それはまあ、そうなんだろうなと、何となく思う。






 少しして、カオンがいきなり大声をあげた。


「あ! 忘れてた。艦長があなたと話がしたいそうなんです。いきましょう」


 空になった容器を片付け、食堂を後にする。

 小さいが迷路のように入り組んだ艦内を移動し、ようやく辿りついた小さな扉をくぐる。


 中に入った瞬間、数人の目がこちらを向いた。


「ここがブリッジです」






 そこもまた、狭い空間だった。

 数えると六人の姿がある。

 一段下がった所に座席が並び、三人の男女が機器類を操作している。

 中央の大きな機械式の椅子には、男が座っている。この男が艦長か。

 その傍らには、いかにも仕事のできそうな雰囲気の美人が控えている。副長とかだろう。

 そしてもう一人、自分と同じ年頃の女の子がいる。


 目が合い、その子がこちらに微笑んでみせた。

 その瞬間、ストレに衝撃が走った。突然に鼓動が高鳴り、全身がかっと熱くなる。ストレはその異変に戸惑う。未知の感覚だった。


 何やら、隣でカオンがニヤけている。


「なんだよ。ニヤニヤして」


「いえいえ、べつにー」


 ニヤニヤしたまま、カオンは艦長と思しき男の方へ歩き出した。

 ストレも黙ってそれに続く。


 艦長と向かい合う。左手に美人の副長。一歩下がった所に女の子。

 ストレがその前まで来たところで、艦長が、口を開いた。






「よく来てくれた、ストレ君。私はこの艦の指揮を執る、オルスディン・アークレーという。よろしく」


 アークレー艦長が握手を求め、ストレはそれに応じる。

 思ったよりは若い。四十前といったところだろうか。

 椅子の横に大きな杖が見える。視線を落とすと、艦長の右脚は膝から下が無かった。それに気付き、ストレは失礼がないよう、すぐに視線を戻した。


「単刀直入に頼ませてもらう。君の力が借りたい」


 艦長はストレの目をしっかりと見据えて言った。


「我々は、とある目的の為に立ち上がった者たちだ。胡散臭く聞こえるだろうが、これ以上詳しく知れば、君にも危険が及ぶ。勿論仲間になってくれるなら、全てを話す。もし断るのだとしても、近くの街までは無事に送り届けると約束しよう。その後の面倒までは見てあげられはしないが、危険な事からは離れ、平穏に暮らすといい」


 そこまで聞いて、ストレは考える。

 確かに胡散臭い。

 オルヴァニスに乗って戦え、という事なのだろうが、果たして手を貸して良い者たちなのだろうか。


 かといって行く当ても無い、何の特技どころか読み書きも計算も覚束ないような奴隷が街に放り出されて、まともに暮らしていけるものなのだろうか。


 艦長が続ける。


「しかし出来る事なら、君の才能で我々を手助けして欲しい。ああもアルタモーダを使いこなす才能は貴重だ。君には確かにそうした輝かしい才能がある。その意味は、よくよく噛み締めて考えてもらいたい」


 才能。交渉の手段なのかもしれないが、単純に褒められて悪い気はしなかった。


「いずれにせよ、どうするかは君の自由だ。強制するような真似はしないと確かに約束する。君が、自分の意思で、選択してくれ」


 自由。

 ストレの中で思考が泳ぐ。

 選択。

 正解が、見つからない。


「……すこし、考えさせてください」


 今は、そう答えるしかなかった。






 それから部屋には戻らず、そのまま一人で格納庫に来た。

 オルヴァニスが手と膝を台座につく姿勢で、小さく駐機している。


 近くで、いかにも職人といった雰囲気の、ゴツゴツした感じの整備士がこちらをチラリと見る。

 しかし、そのまま何も口にはせず、すぐに自分の作業に戻っていった。


 ストレは、オルヴァニスの胸の前の足場に立ち、その顔を見上げた。

 顔といっても、目鼻のようなものは無い。

 顔の無い人型のマシン。無表情の少女を思い出す。


 オルヴァニスの胸の中に入れば、少女が何か言ってくれるかとも思ったが、そうはしなかった。

 代わりに、胸の外装に手を触れてみる。

 完全に動力が落ちているわけではないらしく、触れた手にほのかな暖かさが伝わる。






 突然、警報が鳴り響き、ストレと整備士がはっと動きを止める。


 なだれ込むように女隊長と凸凹が現れ、流れるような動きでギアに飛び乗り、開いた艦後部ハッチから三機のギアが、零れ落ちるように発進していった。


 整備士が通信機で誰かと話している。話しながらストレの方を見る。


「艦長からだ」


 整備士が、ストレに通信機を放り投げて寄越した。


「ストレ君か? アークレーだ」


 耳にあてた通信機から、艦長の声が聞こえてくる。


「君が働かされていた土地の領主、ケティスが放った追っ手に追いつかれた。アルタモーダも持ち出している。流石にギアが三機だけでは心許ない」


 遅れてカオンが入ってくるのが視界に入った。何やら、整備士と口論している。


「馬鹿かお前。わきっ腹の傷はどうしたよ。先生に止められてんだろ?」


「大丈夫です。治りました。もう平気でっ、しぅっ……!」


 言い終わらない内に、整備士がカオンの脇腹を小突き、カオンは痛みに悶えながら崩れ落ちた。


「ブレントさん……。今ので傷口、開いちゃったみたい……なんですけ……ど……?」


「おーおーそいつは大変だ。さっさと先生んとこ行って、診てもらってこいよ」


 艦長は何も言わず、こちらの返事を待っている。


 カオンが痛みに耐えかね、格納庫を出ようとしたところ、今度は先ほどブリッジにいた少女が姿を見せた。


「姫様?」


 カオンが口を滑らせ、言った。

 ストレはその言葉を、聞き間違いかと思いつつも、心の中で反芻する。


 少女と目が合う。

 少女は一瞬、何かを言いかけ、やめた。

 それから少女は、一度視線を落とし、一呼吸おいてから、もう一度ストレを見つめた。


 カオンとブレント整備士も、ストレを見ている。


 今度はストレが視線を外す。

 艦の後方に岩の荒地が過ぎ行く。遠く、しかし、遠すぎはしないという距離で、土煙と光線が踊っている。

 戦闘。


 そのままオルヴァニスに視線を移す。

 顔の無いマシン。とてつもない力を秘めたマシン。

 それを自在に扱う才能。本当に自分は、そんな人間なんだろうか。


 通信機の向こうで、艦長が黙って返事を待ち続けている。


 ストレは何も言わずにブレントに通信機を投げて返し、オルヴァニスの胸を開いた。

 座席に乗り込むと、また無表情の少女の姿が脳裏をよぎる。表情はないが、こいつもどうやらやる気らしい。

 何故だかそう感じ、操縦桿を握る手に力を込め、応える。


「よし! いくぞ、オルヴァニス」


 姫様と呼ばれた少女と、目が合う。


「お願いいたします」


 少女の声がストレに届き、ストレは頷いてみせる。

 胸のハッチを閉じ、オルヴァニスの手と膝で台座を叩く。

 機体が勢い良く艦の後方へと吹き飛ぶ。


「お願いいたします」


 戦場へと向かうオルヴァニスを見つめ、少女がもう一度小さく、呟いた。






 オルヴァニスは猛烈な勢いで戦場へ接近。

 ストレは制動をかけつつ、機体の状態を改めて確認する。


 機体の腰の後ろに、大きな細長い莢のような部品が二つ。

 剣となり、砲となり、盾となり、翼となる道具。


 今は翼が欲しい。

 部品が展開し、推進器として変形。

 同時に、前回短剣として使った武器を両肩から引き抜く。

 今回は銃として使う。


 そうしている内に、敵の姿が視界に入る。

 ケティスのアルタモーダ。


 味方がピンチのようだ。急いで割って入る。

 味方が後退するのを援護し、銃で牽制。

 敵はオルヴァニスの参戦にうろたえている様子で、一旦距離を取った。


「へっ、遅かったじゃないか、新入り。足ひっぱんなよ!」


 今助けた、凸凹のどちらか分からないが、双子の片割れが言う。

 強気な言葉とは裏腹に、声音に安心感が滲んで聞こえる。


 頼られている。そう感じる。

 ならばそれには応えてみせなければ、とストレは意気込む。


「勝とうとしなくていい」


 艦長からの通信だ。


「敵はアルタモーダだという事を忘れるな。逃げる為の足止めができれば十分だ。無茶はするなよ、ストレ」


「了解」


 ストレは短く答える。

 入れ代わりに、若い女の声が響く。


「船務オペレーターのメニス・アルシャーです。よっろしくー。敵の情報送るから、頑張ってね。期待してるぞ、我らが希望の星!」


 いきなりまくし立て、いきなり通信が切れる。

 また変な人が出てきたなと、ストレは思わず気が緩みかけるが、踏みとどまる。


 その隙に敵が突進してきたのを、慌ててかわす。

 モニターに敵の情報が映し出されるが、そんなのを見ている余裕は無い。


「オルヴァニス!」


 少女に頼む。

 即座に頭の中に情報が流れ込み、ストレは心の中で少女に礼を言った。

 少女がはにかんでいる。今度は確かにそう見える。






 ケティス家の嫡子、リオス・ケティスの駆るアルタモーダ・ゼネヴレス。

 斧のような武器を振るい、高い耐久性を持つ。


 ストレは十分な間合いを維持し、遠巻きに牽制を続ける。

 敵は一本調子の突進を繰り返すばかりだ。

 中の男はそう腕の良い乗り手ではないのだろう、とストレは踏む。


 しかし、アルタモーダはアルタモーダだ。決して気は緩めずに戦いを続ける。


 そこに、艦長からの通信が入る。


「進行方向にアーチ状の岩場がある。それを崩せるか?」


「やれる、と、思います」


「頼む」


 艦長との通信が終わり、ギア隊に先に艦に戻るように伝える。

 その援護のため、オルヴァニスは少し間合いを詰め、陽動を掛ける。

 リオスはあっさりとそれにかかった。


 凸凹が帰艦。続いて隊長機も。


「また助けられたな。ありがとよ、ストレ」


 マリネ隊長が言う。


「気にしないで下さい。仲間なんだから」


 ストレの答えに、マリネはニヤリと笑い、フンと鼻を鳴らして、通信を切った。


(仲間、って言ったのか? 俺、今)


 意識せずに口を突いて出た言葉に、自分で驚く。

 しかし悪い気分はしない。


 機体がアーチをくぐり抜ける。

 莢を腰に付けたまま光線砲に変え、発射。


 凄まじいエネルギーの奔流。


 直撃した箇所が一瞬で蒸発するが、残された岩場は崩壊し、バラバラとゼネヴレスを巻き込み落下していく。

 辺り一帯が土煙に包まれる。


 土煙に消えたオルヴァニスが再び姿を現し、帰艦。

 その瞬間に艦は推力を最大にし、一気に敵を引き離し、離脱。






 ストレは、格納庫の台座にオルヴァニスを静かに駐機させた。

 後方で艦のハッチが閉じ、一呼吸おいてから、機体のハッチを開ける。


 姫が、待っていた。


「おかえりなさい、ストレ」


 眩しい笑顔。澄んだ美しい声。

 ストレは、その声に心地良い安らぎを感じた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る