第2話

 大江戸城下は本日も日本晴れであった。

 瑠璃は勝山髷と言う少し大きめの日本髪で、市井をどこへともなくふらふらしていた。

 と思うと人目を忍び、風呂屋に入る。女風呂にも刀掛けがあるのは江戸の七不思議として伝えられていたが、何のことはない。男も女風呂に入るだけだ。女には朝風呂の習慣が一般的にはないとされている。だからこそ男風呂から響く悪だくみに耳をそばだてるには格好の場所だった。与力達はなるべく音を立てないようにしながら今も行われている悪事の密談に声を潜めている。瑠璃は馴染みの番台小僧に軽く挨拶してから梯子を下してもらい、天井裏に忍んだ。

 十年前泣きじゃくっていた子供は、いまや十手持ちよりも上の役職、与力になっていた。女だてらにだ。だがその懐には父の形見の十手がある。瑠璃は無意識に胸元のそれを押さえながら、男風呂の天井板をすこうしだけずらした。途端に湯気が顔を覆うが、こんな所でくしゃみなどしたら一発で忍んでいるのがばれるに違いない。鼻呼吸を止めて口呼吸に専念すると、耳は少し鈍くなるが、それでも男たちの会話は聞こえていた。

「火付盗賊改方が厳しくなって来たなあ。もう江戸じゃ河原のちょっとの焚火も危うくなっていやがる」

「河岸を変えてみやすか」

「いや、次の仕事で江戸働きはしばらく控えよう。その方が安全だ。箱根の関所でも抜けて一旦散った方が良い。俺ぁ残るが、招集掛けたらお前ら、またお江戸で花咲かせようや。芸者もまたたくさん呼んでよう」

「へへっそりゃあ良いや。あっしらは暫く潜伏、ってことで」

「おう、郷里に戻るも良し、どっかで一旗上げるも良しだ」

「あのう、親方」

 気弱そうな声がそろそろと会話に入って来る。目を細めてみると、細面の女形のような、悪く言えばうらなりのような男が身体を洗う手ぬぐいを止めていた。

「おいらぁ火付けしか出来る事のないような男なんです。身代も不詳で、こんなおいらを雇ってくれるところなんてあるんでしようか」

「火付けしかできないか、面白いことを言う。一人働きの悪党になるのも良いじゃねぇか。どうせ俺達はそれ以外に能がないってんで集まってるようなもんなんだ。なんなら湯屋の火焚きにでもなれば良い」

 かんらかんら笑う親方と呼ばれた男に、うらなりはすっかり黙ってしまった。

 ――こいつらか。

 最近江戸を騒がす火付け強盗たちだと確信を持った瑠璃は、矢立から取り出した筆で男達の特徴を紙に書き連ねていく。五人とあまり多くはないが、火付けと盗賊は重罪である。代官所も頭を痛めている案件だ。それだけに瑠璃の力も入った。親方と呼ばれる男には鼻に大きなほくろがある、と記したところでやんややんや言いながら男達は出て行く。天井板を直し鼠のように女風呂の方の天井板を外す。ゆっくりと湯に浸かっていた与力仲間たちは、ぐ、と顎を引いた。昔は同じ風呂に入っていたが、瑠璃ももう十四、さすがに父親の同僚たちと一緒に風呂に入る歳ではない。預け回されていた頃と違って、長屋暮らしも始めている。それでも昔から世話になっていたお母さんたちが時折やって来るので、独り立ちしているとは言い難いが。

 しかしあのうらなりが火付けの主格とは、世の中は解らないものだ。虫も殺せなそうな顔立ちだったと言うのに。

 梯子を下りて番台の小僧に小銭を渡す。火付盗賊改方、『瑠璃べえ』の仕事の始まりだった。

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