百合を邪魔する存在を俺は絶対に許さない

A×A

百合を邪魔する存在を俺は絶対に許さない

 広い交差点、横断歩道を制服の少女が渡っていた。その少女の元にトラックが迫っていた。俺は駆け寄り、少女を突き飛ばす。

 少女の目が驚きに見開かれるのと同時に、俺の体に衝撃が走る。

 反転。広がるのは青空だ。そのままアスファルトに叩きつけられた。

 ぼやけた視界には、へたり込む少女と彼女に駆け寄るもう一人の少女が見えて。


 やっと、誰かを救えるのだと安心した。


 窓の外の鳩の声で俺は目を覚ました。よく見知った天井と、引きちぎれたロープが見える。震える手で首に触ると、脈打っていて緩んだロープが纏わりついていた。

 自殺は失敗に終わったらしい。


 そのことに安堵しながら、俺はゆっくりと起き上がった。床に散らばった衣類を蹴とばす。遅くなったが朝食を食べなければならない。もう、俺の命は俺だけのものじゃないのだから。先ほど見たばかりの夢を思い出す。

 あれは未来予知だ。幼少の頃から散々苦しまされてきたが、最後の最後で役にたった。


 俺は自分の命と引き換えに人助けをするようだ。

 棚のコーンフレークの賞味期限を確認する為に俺は台所に向かった。




 高校はいつもと変わらなかった。

 お昼休み。クラスメイトの殆どが食堂に行き、休みにしては閑散としている。俺は教室でコッペパンをかじりながら、廊下側の席に座る少女をうかがった。

 少女は椅子を寄せ、友人達と並んで昼食を取っていた。長く黒い髪に少し高めの背。性格は真面目で穏やか。彼女の名前は更科一七、俺のクラスの学級委員長だ。


 そして、俺が助ける相手である。


 じっと彼女の横顔を眺める。目鼻立ちがはっきりしていて、睫毛なんかも長い。はっきりと言わずとも、可愛い。実際にもてていて、後輩と思わしき生徒に告白されているところを見たことがある。そのときはお断りしていたが。成績もトップで、運動神経もいい。

 俺よりも将来性の高い人物だ。


「ちょっと」


 ふいに、声がかかった。

 目線をやると更科の友人達の一人がこちらを睨んでいた。ボブカットが特徴的な女子だ。


「何の用? 何こっち見てるの?」

「倫!」


 更科が俺を睨む少女の袖をつかんだ。彼女は確か、澤田倫だ。更科一七とは幼稚園からの幼馴染と聞いたことがある。未来予知で更科に駆け寄っていた。


「やめなよ。そんな、ヤンキーみたいな真似」

「え。でも気にならない?」

「廊下見てただけでしょ、もう」


 更科はひらひらと手をふり、ごめんねと言って会釈した。つられて俺も軽く頭をさげる。流石にまずかったかと、窓の外を見るふりをする。何ともなしに校庭の揺れる欅の木を見ていたが、ふと、窓ガラスが教室の中の景色映していることに気づいた。再び俺は更科の様子を伺ってしまう。

 そのまま、窓ガラス越しに澤田と目が合った。

 澤田は思いっきり眉をしかめると口の動きだけでこう言った。


 やっぱ見てるじゃん。





 気まずい中始まった5限では、古典の先生が枕草子を取り上げた。先生曰く、清少納言が枕草子を書いていた当時は、主人である定子は没落していたそうだ。それでも、清少納言は定子との明るい日常を描き続け、それは定子の死後も続いたという。先生はやたらと熱心に語っていた。

 代わりになのか、6限の世界史の先生は非常に眠そうだった。


 ぼんやりとノートを取っているうちに放課後になってしまった。更科の帰宅の準備に合わせて、俺も荷物を纏める。未来予知で見たのは俺の知らない場所だった。時間は夕方だ。あの場所はおそらく、更科の下校ルートの何処かなのだろう。どうやったってあの出来事は起こるのだが、下見するに越したことはないし、実は今日起こることかもしれない。


 何か察したのか、バッと澤田がこちらを振り向いた。俺は慌てて鞄に視線を落とす。勢いのままそれをひっつかんで、教室の外に出た。澤田を油断させる為だ。何食わぬ顔で図書室に向かう。図書室は玄関に近い上、校門の様子を伺うことも出来るからだ。


 しばらくすると、更科と澤田が出てきた。俺は早足で彼女らを追いかけた。


 二人は楽しそうに小突き合いながら歩いていた。バレないように後ろから、人混みに紛れて俺もついていく。近所に住んでいるらしく、電車には乗らなかった。流石にバレかねないし、色んな意味で俺はほっとした。

 しばらく歩くと飲食店の多かった街並みは変わり、閑静な住宅街に入った。細い道路が入り組んでおり、未来予知のような広い交差点は出てきそうにない。予想は外れ、あれは寄り道の予定でもあったときなのだろうか。


 人もいないし、これ以上ついていくのは難しいだろう。ため息をついて、引き返そうとしたそのときだった。

 何かを言い、澤田が更科の腕をつかんだ。更科の体が澤田の方に傾く。澤田はそれに合わせて背を伸ばし。


 更科に、キスをした。


「ぇ?」


 思わず俺の口から音が漏れる。

 更科は驚いたように身を引くと、澤田に背を向けて走っていった。

 何だこれ。何だこれ。何だこれ。

 事態を飲み込めないまま、心臓の鼓動が高くなる。顔に血が上る。感覚が遠くなる。見えない視界に、繰り返されるのは先ほど見た光景だ。 

 キスだ。唇を合わせた。更科と澤田が。女子同士だ。

 がしり、と両肩を掴まれる衝撃で俺は我に返る。


「おい。ストーカー」


 気が付くと、目の前に澤田の顔があった。澤田の唇は桃色で小さかった。




「なーんかずっと一七のこと見てるなって思ったら。ついにつけてきたか変態」


 澤田に公園にしょっぴかれ、俺は遊具の馬に座らされた。


「ち、違う。俺は、帰り道に通りがかっただけで」

「あんたバス勢でしょ。バス停で見たことある」


 呆れたように、正面に立った澤田がため息をつく。澤田は手を伸ばし、俺の座っている遊具のハンドルを握ると揺さぶった。それに合わせて俺の体も揺さぶられる。


「で、見た?」

「何も、見てないです! その、更科となんて、全然」

「見たんだね」


 勢いをつけるようにして、ぱっと澤田が手を離した。俺は余震で揺れ続ける。


「スト男。さっき見たことは他言無用だから。良い?」

「は、はい!」

「その代わり、あんたがやったことあたしも黙っててあげる」


 これでおあいこ、と澤田は人差し指を立てた。唇に。澤田は俺を馬に置き去りにして帰っていった。空は赤く、カラスの鳴き声がする。俺はその後しばらく自ら馬の上で揺れていた。

 家に帰っても眠れなかった。俺はおもむろにスマートフォンで検索をした。


 


 侍女と姫の純愛って良くないですか。反語。良いと思います。古典の先生が枕草子に興奮していた理由が分かる。あの言葉ってお前が一番に想っているのは私だし、私が一番に想っているのはお前、って意味ですよね、定子様。

 百合。またの名はガールズラブ。それは尊い関係性である。戦前から物語として描かれ、1970年に概念として名前付けられた。学園を舞台にした先輩後輩のプラトニック。ギャルと優等生の正反対だからこそ惹かれちゃう磁石カップル。社会人同士、同居中、忙しい日々でお互いが癒し。

 知らなかった世界が広がっていた。


 教室も今までと違った世界に思える。

 空気は換気が効いていて、さわやかだった。廊下で駄弁る生徒達の声が木々のざわめきに似て心地よい。窓から差し込む光をほこりが反射して、きらきらと輝いていた。


 そして、何よりもあの二人だ。

 昨日と同じように席を寄せて、澤田と更科が弁当を食べていた。いつも通り、に見せかけたいのだろうが俺の目はごまかせない。会話のテンポが遅く、所々つっかえていて拙い。更に特徴的なのは澤田だ。猫っ毛でふわふわとした髪の隙間から、真っ赤な耳が覗いていた。

 俺の視線に気づき、澤田がこちらを見た。垂れた眉がぎゅっと寄る。澤田は人差し指を縦ながら、分かっているでしょうね、と小さく口を動かした。

 分かっている。

 俺は頷く。


 ここは天国だ。


 クラスメイトとして、恋の進展を見守ることが出来る。世の中では観葉植物となって観察することですら羨ましがられるのに。更にあの未来予知だ。

 俺はこの身でもって、二人を引き裂く悪のイベントを滅ぼすことが出来る。

 俺はあのカップルを守る為に生まれてきたのだ。


 なんという幸福なのだろう。


 更科の笑い声が聞こえた。澤田が何か面白いことを言ったようだ。くすくすと体を曲げて笑っている。つられてほどけるように、澤田も笑う。

 そこにクラスのお調子者である合間が割って入った。


「なあ、楽しそうだけど。何の話? おれも混ぜてよ」

「クロス・アームブロック!!」


 格闘技の技の一種だ。


「うわーッ」

「ちょうどいいところに、合間! 俺、お前とクロス・アームブロックについて話したかったんだ! 主に守りが攻めに転じることについて!」

「てっめぇ、何するんだ。う、わ、ちょっ。引っ張るな!」

「合間も気になるよな! 分かる―!」


 俺はそのまま合間を教室の外に引っ張っていく。

 百合について調べるうちに、あるひとつの概念について知った。それは百合の間に挟まろうとする男の存在だ。

 女の子同士で、恋愛関係がすでに完結して、完成しているというのに! 欲のままに介入しようとする不届き者。百合に挟まっていいのは小動物だけだ。「きゃっ。何この子。かわいい」「……あんたの方が可愛い」「えっ何か言った?」的な展開を生み出せるもののみが許されるのだ!


「おい! お前何か言えよ! 何か用件があったんだろ?」

「……」

「おーい」


 俺は考える。片方が事故に遭ってしまうという最大のイベントを阻止できることに満足していたが、俺が生きている間だけでもそういった邪魔者を取り除く活動をした方が良いのかもしれない。

 真に、俺があのカップルを守る為に生まれてきたというのならば。

 そう思った瞬間、耳鳴りがした。


「う、ぐ」

「あ、ちょ、どうしたいきなり! 大丈夫か!?」


 うるさくて、耐え切れなくなって俺は廊下に座りこんだ。頭を抱え込む。

 来る。


「体調悪かったからおれ呼んだの? なら正直に言えよ! なあ。保健室いけるか?」


 合間が何か言っている。駄目だ。理解が出来ない。

 確定された、未来が来る。

 俺の視界は暗転した。




 教室だ。さっきと変わらない教室。違うのは時間だろうか。時計の針は八時をさしている。黒板の日付を見るに明日だが、それよりも気になる部分がある。黒板には白いチョークで大きく、

『澤田倫は女の子が性的に好きです』

と書かれていた。

 それを見て、澤田が立ち尽くしている。指から力が抜け、鞄が床に落ちた。クラスメイト達が澤田を見てささやき合う。更科はまだ教室に来ていない。




「なんで」


 俺は自分の呟く声で目が覚めた。白い天井に白いカーテン。保健室だ。遠くから体育の授業中の声が聞こえる。しゃっとカーテンが開いて、保健室の先生が顔を出した。保健室の先生は俺に聞いた。


「目が覚めたのね」

「……はい。一応」

「貴方、廊下で突然寝ちゃったのよ。合間くん、が運んでくれたわ。その隈。どう考えても寝不足だと思うのだけど。寝れてる?」

「……いえ」


 俺は眉間に手を当てた。

 あの光景はなんだ。誰だ。誰がやった。

 犯人捜しも結構だが、一番の問題はあの未来は絶対に起こる未来であることだ。足掻いて黒板に書かれるのを阻止する為に先回りしようとしても無駄だ。先生に呼び止められたりして、その時間は俺は絶対にそこに行くことが出来ないだろう。俺は一番そのことをよく知っている。

 必要なのは、あの「黒板の字」が書かれることを前提として、その後どう動くかが考えることだ。


 俺はため息をついた。

 とりあえず、保健室の先生のススメで早退した。




 翌日、学校。

 いつもより生徒達はざわめいていた。時間は7時50分。何人かは澤田に対する黒板の落書きに気付いているだろう。

 俺の胸が痛む。


「止まりなさい! ちょっと、ねえ!」

「俺は教室に行って授業を受けなくてはいけません。生徒としての務めです」

「昨日早退したじゃないの! ねえ! どうしてこんな状態で力が強いの!」


 合間も登校途中だったらしい。叫び声をあげると、後ろから俺に飛びついて羽交い絞めにしてくる。何処まで彼女達の邪魔をする気なのか。

 通りすがる人達は皆、俺を見て何事か言う。

 俺はそれでもまっすぐに教室を目指す。


「ああああ! どうしたんだお前! どう考えても大丈夫じゃないだろ! うわこれ」

「合間くん! 職員室に電話あるから! 保健室じゃ対応できない!」


 保健室の先生を振り切って、俺は教室の扉を開けた。

 ……予知の通りに、澤田は立ち尽くしていた。勢いよく開けたせいでスライド式の扉は大きな音を立てる。澤田は音の鳴った方に視線をやり、丸く目を開いた。

 驚いただろう。当然だ。


 だって泥まみれで血まみれの男が教室に入ろうとしているのだから。


 クラスメイトが俺を見て、一斉に悲鳴をあげる。

 これで、今日の学校は俺が満身創痍で学校に来たことで持ち切りになるだろう。皆にこの姿を見せびらかしてきたのだから。

 これが俺の考え付いた作戦だった。


 最初は早朝に学校に来て、あらゆるクラスの黒板に嘘を書いて澤田に対する言葉を誤魔化そうと考えた。でも、止めた。澤田が女子、更科のことが好きなのは嘘じゃないからだ。「他の黒板に書いてあることは全部嘘だったし、女の子が好きっていうのも嘘だよね?」。こう聞かれて、澤田が傷つかないわけがない。

 問題なのは、悪意と好奇心にゆがめられて、学校中に澤田の話を広められることだ。

 だから俺はもっと鮮烈なもので、学校の生徒達の好奇心を満たしてやろうと考えた。


 そこで登校途中にある崖から、転落してしまうことを思いついたのだ。

 通常なら死ぬかもしれない高さだが、予知で俺が死ぬのは更科を助けたときだと確定しているので、ここで俺は死なない。走って更科に向かっていたので、学校に向かう為の足が無事であるのも確定していた。あとは気絶しないように頭さえ守れば良かった。

 代わりに左腕がすごぶる痛い。少し見ちゃったが、骨が少しだけ見えちゃってる気がする。


 俺は澤田に向かって口角をあげようとしたが、失敗した。澤田は慌てて俺に駆け寄る。そこに今学校に来たのであろう更科が合流した。

 澤田の様子を見るに、黒板の悪意は意識から消えているようだ。


「スト男! 大丈夫、じゃない!?」

「病院! 病院行こう!」

「大丈夫です。俺のことには一切構わないでください。救急車はすでに呼ばれていますし。ね、先生?」

 

 合間が途中で消えたのはその為だろう。


「構う! 構うわよお!」


 ずっと俺についてきていた保健室の先生が何故か泣き出した。


「えー」


 遠くからサイレンが聞こえた。駆けつけた救急隊員によって、俺は担架で運ばれていった。




 左腕は肉がそげちゃってたらしい。針で何針が縫った後、俺は病院のベッドでぼーっとしていた。窓の外で葉のついた枝が揺れていてた。病院でお馴染みの台詞に「私、この枝から葉が無くなったときに死んでしまうのよ」というものがあるが、それだったら長生きできそうなくらい茂っている。あと、見るからにこれは常緑樹だろう。


「ねえ」


 後ろから声がした。振り返らなくても、声で分かる。高く透き通った声。澤田だ。

 なんでここに来たのかと考えて、気づく。澤田は俺に口止めをしたばかりだった。

 きっと、俺が黒板に落書きした犯人だと思ったのだ。俺は慌てて言う。


「俺は、違う!」

「分かってるよ。あんたが犯人なら、一七のことまでばれてる」


 予想に反して、澤田は俺の言葉をあっさりと認めた。小さくため息をつく。それに合わせて髪の毛が揺れる。


「犯人に心当たりはあるんだ」

「誰」

「そんな怖い顔してる奴には教えてあげない」


 澤田はぐっと伸びをすると、窓の方に向かって行った。横顔は、鼻筋がすっとしていて綺麗だった。澤田の唇が動いた。


「ここには、愚痴を言いに来ただけ。スト男しか言える相手がいなかったから……やっぱり。普通じゃないのかなぁ」

「澤田」

「そりゃあさ。世の中、同性愛を認めようって動きがある。認められてきている。でも、そんな、認めるなんて言葉が出てくる位には、普通じゃない」


 澤田は手を窓に押し付ける。そのまま遠くを見ていた。


「キス、見てたろ。あれ、無理やりなんだよ。倫可愛いから、そのうち彼氏できちゃいそう、なんていうからさ。片思いなのよ。あたし」

「………」

「一七は男の子が好き。親友だからよく知ってる。結婚したい、って夢もある」


 病室の外から、おかあさんと子供の声が聞こえた。家族連れで見舞いにきているらしい。澤田は目を細める。


「あたし、多分、一七が真っ白なベール被って、一番きれいな顔してるのを、あたしじゃない奴の隣で幸せそうにしてるのを、友達ですって笑顔で祝わなきゃいけないんだ」


 俺に振り返って、笑う。


「ああ、そうだ。ごめん。あんたも一七のこと好きなんだよね……あんただったら、多分、叶えられるよ」


 俺は、澤田のこんな笑顔はみたくなかった。澤田と更科には幸せになって欲しかった。でも、それも俺のエゴなのかもしれない。澤田が俺のことを勝手に更科が好きだと考えているように、更科は別に澤田のことが好きじゃないのかもしれない。

 澤田はお見舞いの品を置くと、病室から去っていく。俺は病室のベッドでうずくまる。

 耳鳴りが、する。




「一七。距離を置こう。あんたまで勘違いされちゃうから」

 夕暮れ。前回、俺がキスするところを見た場所で、澤田は言った。更科は澤田にとりすがる。

「何。何言ってるの倫! 私は倫といたい。他人の言うことなんて」

「あたしが! 気にするの!」

 澤田はその腕を振り払った。まっすぐに更科を見つめる。瞳は涙で潤むが、決してこぼすことはない。

「一七。お願い。あたしに、一七の人生壊させないで。一七、言ってたでしょ。結婚して、子どもが出来て、孫に見守られながら往生したいって。それが理想の死に方だって。あたしに嘘ついたの? 違うよね」

「倫。私は」

「ごめんね。キスして。ごめん。でも、もう二度としないから、安心して」

 澤田はこう言って、更科の下から駆けていった。




「だめ、駄目だああああああああ」


 俺は叫んだ。声に反応して看護師が寄ってくる。病室を飛び出ようとして止められる。構わないでいいのに、どうせすぐに死んでしまうのだから。

 俺は駄目な奴だ。

 やっぱり、誰も幸せになんてできない。

 俺はこぶしを握り締めた。爪が手のひらに食い込んで、血が出た。



 

 いつの間にか、夜になっていた。スマートフォンの通知の音がして、俺は惰性でそれを見た。ラインが来ていた。澤田からだ。そこには、こう書いてあった。


「ありがとう。そしてごめん。須藤」


 俺は我に返って、アプリを開き既読を付ける。どんどんコメントが足されていく。


「まず、ラインでごめん。病院に電話は駄目だと思ったから」

「次に一七と付き合うことになった。だから、ごめん」

「あたしは一七と離れようとしてた。でも、駄目だって須藤の声が聞こえて」

「だったら、ふられてもいいから、想いだけ告げようと思って」

「そしたら一七もあたしのことが好きだって」

「あたしの恋が叶う代わりに、須藤の恋が叶わなくなっちゃった」

「本当にごめんなさい」


 俺はそれを読んで、何度も読み返して、震えながら思う。

 未来が、変わった。

 俺の言葉で改心したと書いてあるけど、それは関係ない。だって今まで何度も、未来を変えようと予知を伝えてきて、変わらなかったのだから。




 小学校の頃、友達が左足を骨折することを予知した。注意したけれど友達は信じず、転んで階段から落ちた。

「須藤。なんで、僕が怪我するって分かったの? なんかきもい」

 友達は化け物を見るような目で俺を見た。

 

 次に、祖母が病気で亡くなることを予知した。医者に診てもらうように、なるべく細かく診てもらうようにと祖母に話した。その診断で病気が見つかって、早期治療を受けられることになった。俺はほっとした。

「けんちゃんのおかげよ。ありがとうね。おばあちゃん、長生きできそうだわ」

 治る前に急激に病状が悪化して、祖母は亡くなった。


 中学生になり、隣の家の女性が襲われることを予知した。幼いころ、高校生だったその人によく遊んでもらっていた。

「夜、絶対に外を歩かないで。どうしてものときは、誰かに送ってもらって」

 社会人なり疎遠になったその人に、俺はそれしか言えなかった。予知で見えた道は暗く、何処で事件が起こるのかは分からなかった。代わりとでもいうように俺は自転車に乗り、夜は一人でパトロールをした。

 警戒した、そのはずだった。

「おかしいね。研君に言われてたのにね。気をつけてたはずなのにね」

 生気のない顔で、家の庭のフェンス越しにその人は言った。一週間後に、隣の家は引っ越していった。


 高校に入学する直前、両親が電車の事故で亡くなることを予知した。電車に乗らないでと俺は何度も訴えた。SUICAなどの定期券を隠した。これから起きるだろう予知の内容も今まで変えられなかった予知のことも全部さらけ出して、玄関で泣きながら懇願する俺を両親は抱きしめた。

「研がそういうなら、多分本当のことなんだろ? 分かった。うん。電車には乗らない」

「今までつらかったでしょ。研。気づけなくてごめんね」

 両親は眉をさげ、笑みを浮かべながら言った。

「大丈夫。死なない。父さんと母さんは死んでなんかやらないから」

 翌日、脱線した電車は車を一台巻き込んで、止まった。


 両親が死んだ後も、俺は未来予知を見せられ続けた。救えない未来の通りに、救えない誰かを何度も見てきた。


「彼らを助けてください。俺には無理なんです。お願いします。誰でも良いから。お願い」


 あの日、もう何も見たくなくて、うわ言を吐きながら俺は首にロープをかけた。

 誰もいない家で、足場にしていた椅子を蹴った。体が宙に浮く。首が勢いよくしまり、呼吸も出来なくなる。


「助けて……ッ」


 もし、悲劇から救えるのならば。未来を変えられるのだとしたら。

 それが出来る、誰かが現れたとしたら。

 俺はきっと、その人にすべてを差し出すだろう。


 そして、澤田倫が、未来を変えた。




 あれから日付がたって、俺は退院し、あの予知で見た交差点に来ていた。交差点は病室でストリートビューを駆使して見つけた。

 澤田には更科と出かけるときには連絡するように言った。「何故」ときかれた際には、「応援したいから」と返した。今日がその日だ。


 そして、目の前の横断歩道を制服姿の少女が渡っている。その少女の元にトラックが迫っていた。俺は駆け寄り、少女を突き飛ばす。

 更科の目が驚きに見開かれるのと同時に、俺の体に衝撃が走る。

 反転。広がるのは青空だ。そのままアスファルトに叩きつけられた。




 視界が現実から離れる。

 見えるのは大きなチャペルだ。鐘がなっている。白いベールが揺れる。ふたつ。澤田と更科だ。二人が結婚式を挙げるのだ。お互いのベールを取って、顔を近づけていく。あの日みたように二人はキスをする。少ししてから離れると、おでこを合わせて笑う。

 その、澤田の笑顔は、多分今までで一番きれいだった。




 悲劇しか見せてこなかったはずの予知が、初めて、幸せな光景を映した。

 涙が何故かとまらない。戻ってきた視界には、へたり込む少女と駆け寄るもう一人の少女が見えて。


「須藤!」


 そんな悲鳴が、遠くから聞こえた。


 


 真っ白い天井が見える。その天井を、俺はよく知っていた。先日まで入院していた病院だ。


「生きて、るのか……?」


 ふと、ベッドの隣に人影がいることに気づいた。二人分の人影だ。澤田が椅子に座り、ベッドに向かって突っ伏していた。更科は彼女の頭を撫でていたが、俺の目が覚めたことに気付き、その手をとめた。す、と頭を下げる。


「助けてくれてありがとうございます。須藤君」

「……いやあ」


 何と返していいか分からず、俺はぼかした返事をする。こうやって更科と話すのはなんだかんだ初めてな気がする。更科は澤田に視線を落とした。


「倫、ずっと須藤君の傍に心配して付いていたんですよ」


 つられて、澤田を見る。すぴぴと小さく寝息を立てていた。普段の気の強さとのギャップに思わず微笑むと、更科が言う。


「……笑ってましたよね。須藤君。私を助けたとき」


 視線を戻すと、更科はこちらを強く睨みつけていた。


「いらいらするんですよ、そういうの」

「え?」


 いつも教室でおだやかにしている学級委員長から、思わぬ台詞が飛び出てきた。けわしい顔のまま更科は続ける。


「他人の幸せが自分の幸せだなんて、笑って。心の底では満足なんかしてない癖に」


 更科の足が、軽くリノリウムの床を踏み鳴らしていた。カツカツと音が鳴る。


「倫もそう。勝手に私の為―だなんて身を引こうとして。今の私の話なんか一切聞かないで。ああ。これもお礼を言わなければですね。須藤君。貴方のおかげで倫は改心してくれました。まあ、離れたって捕まえるけど」

「更科……?」


 最後、声が少し低くなったように思えた。先ほどから、更科の意外なところばかり見せられている気がする。


「私は私の幸せが一番大事です。私の幸せには倫が必要だから、なんだってする」


 更科ははっきりと告げた。


「所詮、他人の不幸は他人の不幸だし、他人の幸せも他人のものなのです」

「ぁ」


 俺はその言葉を聞いて、小さく声を漏らした。何故だか分からないが、瞼が、胸が熱くなる。何かがこみあげて、こぼれそうになった。


「だから、貴方も貴方の幸せの為に生きるべきだ。倫が欲しいのなら、かかってきて。私も私の幸せの為に返り討ちにする」


 更科は俺のそんな様子に気付かず、指を突きつけた。どうやら澤田が勘違いしているのと同じように、俺が澤田が好きだと思っているようだ………そんなはずがないのに。

 思わず、吹き出してしまう。そのまま、笑いが止まらなくなる。


「な、なに笑ってるの! 今の、怒るところでしょ!?」


 更科は地団太を踏み、早口で言う。


「こいつこのままだとずっと影で倫のこと助けてそうだな、とか。それに気づいた倫が心変わりしちゃったらどうしようだとか。倫が私を好きな今の内に告白させて玉砕させようとか、そんなこと、全然、考えていないんですからね……!」

「影で支えるのはいい案だな」

「ななな何を企んでいるのですか! 許しませんよ。宣言通り返り討ちに!」


 更科が大きな声を出したせいか、起きたようだ。澤田がむっくりと顔をあげた。


「ん……? 須藤?」


 俺と目が合うと、状況を思い出したのか俺に飛びつくように澤田は言う。


「須藤! 目ぇ覚ましたのか! 良かった……って。なんか一七と仲良くなってない?」


 更科は俺に指を突きつけたままの姿勢で固まっていた。「こんな奴と」と言い返すが、どもっていて傍から聞いていると説得力がない。それを聞いて、澤田は顔を青くする。


「くっそー。須藤。一七を助けてくれたことは本当の本当にありがとう。何をあげたっていい。けど、一七だけは……! ああ。でもこいつ良い奴なんだよなあ。か、勝てる気がしない……っ」


 澤田はさっきの更科とほぼ同じことを言った。お互いにお互いを取られまいとけん制している。なんて息の合った、お似合いのカップルだろう。

 これなら二人は、結婚式を挙げた先も仲良く幸せに暮らしていくだろう。


「な、なに笑ってんだ!」


 澤田が叫んだ。また更科と同じことを言った。俺の笑いは更に大きくなった。

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