第42話 託す者、託される者


 場所は再び、遺跡前の広場に移り変わる――――――。





・・・

・・・・・

・・・・・・・





《蓮司視点》


 奇妙だ。いや、不気味だった。


 突然、【剣狼団】のリーダーだろう男が不審な行動をした結果。あいつ以外のメンバーは全員、意識を失って倒れた。


 …………分からない。


 あいつの【ギフト】は、風に関する能力じゃなかったのか………?


 何にせよ、ここに天音がいなくて良かった。


 今のあいつは、威力だけを見れば【英雄】の領域に片足を突っ込んでる。


 だが、まだまだ経験不足だからな。


 やつが、ここにいても足手纏いでしかない。一応、それなりに鍛えてやったが、俺から見ればまだまだだ。


 死線も潜り抜けてないようだから、ひたすらギリギリを攻めた戦闘を行わせてきたが……………こればっかりは、俺がいても邪魔だからな。



 もし、天音があの首無しの化物と遭遇したら――――――いや、今はそれは考えなくても良い。天音なら大丈夫だろう。


 そういう確信に似た何かが、天音にはあった。




 ――――――まあ。



 ここに俺がいる時点で、万が一にもあいつに勝利など無い。


 元より、こんな茶番に長々と付き合うつもりも無かった。


 ただ、俺の探しているあの狂人の痕跡が見つかった事。


 そして、あいつの目に宿る泥々とした〝狂気〟。


 それを確認できただけでも、良しとしておこう。



 ……………無意識に、血が滲むほど拳を握っていた。



 ああ、駄目だな。どうしても、目の前の視界に映る川瀬あいつの姿に、■■あいつの影がダブって見える。



 憎悪を履き違えるな。



 今、あいつに向けるべき感情は――――――怒り、だけだ。



 仲間を利用された事だけじゃない。



 今、この瞬間も――――――――俺の後ろに居る、自分の仲間の事など関係なしに、川瀬あいつは、岩を消し飛ばす威力の攻撃を何度も放っている。



 仲間の事を助けようという感情が、欠片も感じられない容赦なしの攻撃。



 ああ、やはり駄目だ。



 到底、受け入れられない。



 許容できる範囲を超えている。



 仲間を大切に出来ない時点で、時点で、俺の感情があいつの行動を許容できない。



 できるなら、今すぐにでも殺してやりたい。



 だが、それが出来ないならば…………。



 ちょうど、あいつは頑丈になっている事だし。



 ああ、都合がいい。



 自身の瞳が、熱くなるのを感じる。



 よりにもよって、俺の目の前で仲間を見殺しにしようとした時点で、お前の運命は決まっている。



 だから、せめてお前には―――――――



「痛い目を、見て貰おうか」



 決壊寸前の感情の激流。その枷を、ほんの少しだけ解き放つ。



 荒れ狂う激情が、俺の奥底から湧き上がる。



 久々に、真面目に戦うとしよう。



 影を広げる。半円を描くように広がる影は、眼前の川瀬てきの足元まで広がろうとしていた。


 それを見た川瀬は、何か危険を察知したのか。足元に風球を生成し、空中へと逃れる。


 狂気に嗤う川瀬。


「ははぁ……♪――――――ひゃぁあはぁぁぁああああ!!」


 哄笑を上げながら、両手を天に掲げた川瀬は、自らの頭上に大量の風球を生成する。

 その数、推定でも――――――50はくだらない。


 これを見て、怯むとでも思ったのか。微動だにしない俺の姿を見て、川瀬は訝しんだように、あるいは不快そうに邪悪に笑みを歪める。


「ひひっ」


 風球が、雷撃を纏う。


 回転を始める風球――――――いや、嵐球とでも呼ぼうか。


 それらはまるで一つの嵐。小さな球体状の台風に他ならない。


「死ぃぃいいいいねえええええええぇぇぇ!!!!」


 川瀬が掲げた両手を振り下ろす。


 呼応するように、約50個の嵐球が地面にいる蓮司目掛けて放たれる。それは、地上にいるあいつの仲間まで巻き込むほどの範囲攻撃だった。



 その光景を見上げた俺は、内心で落胆してしまった。



 



 川瀬てきが、耳障りな嗤い声を上げている。この攻撃で、勝利を確信したのか。こんな攻撃で、勝利を確信してしまったのか。



 ……………。



ぬるい」



 分からせてやろう。この世界における人の中の頂点に近しい力を持つ者たちの実力、その一端を。



 教えてやろう。【英雄】が、なぜ英雄そう呼ばれるかの所以を。



 故に、俺がする事はただ一つ。



 思いあがった愚か者に、ただ、無情に〝死〟を告げるのみ。



「喰らいつくせ――――――〝黒蝕蝶クロアゲハ〟」



 その瞬間。



 俺を起点として広がった、半円の黒影から。



 夥しい数の、黒き蝶に似た〝何か〟が飛び出した。






◆◆◆






 は一瞬の出来事だった。



 蓮司の足元、その影から視界を埋め尽くさんばかりの〝何か〟が飛び立つのを。



 相対する両者は、ただ見つめていた。



 片方は冷静な目で、



 片方は茫然とした目で。



 ただ、夥しい数の黒影が、小さな嵐を呑み込む光景を、ただ見つめているだけだった。



 飛び立つ黒影の群…………その一つの正体は、まるでアゲハチョウのような姿をしていた。



 あまりにも幻想的で、美しいとすら思えるだろうアゲハチョウの群れが飛び立つ光景も。



 視界を埋め尽くさんばかりの数ともなれば、それは嫌悪感と恐怖をそそられるものだ。



 だが、それらは全く違う〝恐怖〟を抱かせるものだった。



 例えようのない……………否。



 、純粋にして単純な感情。



 それは――――――捕食者に見据えられた、被食者の〝恐怖〟に酷似していた。






◆◆◆






《三人称視点》



「え――――――?」



 川瀬の眼前、その視界の全てが真っ黒に染まる。


 否、それは黒い蝶。闇を塗り固め、紫色の混じった赤黒い紋様のはねを羽ばたかせる、数多の死。


 一匹一匹の蝶は脆く、弱い。


 それは、保険として自身の周囲に浮かべていた嵐球に呑み込まれた蝶の末路で、理解できた。


 だが、それも微々たるもの。


 圧倒的な数を誇る蝶の群れは、ただ、ただ、川瀬を呑み込もうと羽ばたくのみ。



 絶対の信頼を向ける、嵐を具現化し、圧縮する事で強度を増した嵐球が、蝶を呑み込むごとに削がれていく。


 自ら嵐球に飛び込む蝶もいた。


 その意味が理解できなかった川瀬は、遅れて意味を理解した。



 〝喰らって〟いるのだ。



 文字通り、あの黒い蝶の群れは、嵐球を〝喰らって〟いる。



 約50の台風一家は、矮小な蝶の群れにより、その数を減らしていく。



 彼を守る盾であり、彼の敵を屠る矛が、その数を減らしていく。



 その事実を理解し、思考が追い付いた時には――――――もう、遅すぎた。



 周囲を見渡せば、そこに一つも嵐球はなく。



「ああ………」



 空中には、術者たる自身のみ。



「あああ…………」



 空気が口から通り抜けていくのを、川瀬は感じ取る。



 いや、空気を吐き出しているのではなく、声を出しているのだろうか。



「ああああ…………!」



 川瀬自身も、自分が何で口を開いているのか、呻くように声を吐き出しているのか、分からなかった。



「ああああああああああ………!!?」



 ようやく、思考が恐怖に染まった時には、叫ぼうとするより早く、黒い蝶の群れが川瀬を呑み込んだ。





・・・

・・・・・

・・・・・・・





《三人称視点》


 勝敗は、既に決した。誰が勝者で、誰が敗者か。


 それは、この場に他の誰かがいても、【剣狼団】かれらが起きていたとしても、説明するまでもなく理解できるだろう。


 夥しい量の、黒い蝶の群れが蓮司の下へと降り立っていく。


 黒い塊としか形容できない、黒い蝶に包み込まれた誰かが、地面に堕とされた。


 黒い蝶が晴れる。


 鮮やかに飾るように。


 美しいその姿とは裏腹に、悍ましい程に〝死〟の気配を匂わせる蝶の群れが、二人の周囲で羽ばたいている。


 茫然と目を見開いて、自らの両手を見つめながら、川瀬は地面に膝をついている。その顔は、下を向いていた。


 その様を、蓮司は無感情な瞳で見据える。もはや、その顔には何の感情も浮かんでいない。



 どれだけ手を尽くしても、どれだけ強大な力を手にしても、なお届かなかった頂きを、顔を上げて彼は見つめた。


 その瞼は、泣き腫らしたように赤く、濃い隈が染められている。


 肌は青褪め、恐怖とも違う、寒さに震えるように身を抱いて、川瀬は蓮司をただ見つめる。



「……………なあ」



 自らを自嘲するように、彼は顔を歪めた。



「もし、俺があんたみたいに強かったら……………俺は、大切なものを守れたのかな?」



 その瞳には、もう〝狂気〟は宿しておらず。


 ただ、何かを悲しむような、後悔するような感情が映されているのみだった。


 彼の中で、いったい何があって。どんな感情を抱いたのか、どんな思考を浮かべたのか。


 そんなこと、蓮司に分かる筈もない。


 だが、その瞳がいつか見た〝誰か〟の瞳に似ていたからか。


 蓮司は、天を仰ぐように顔を上げて、何か考え込むような仕草をして………。


 数秒もしない内に、もう一度、川瀬の方へと目を合わせる。



 その数秒の間、蓮司の中でどんな思考が巡られていたのか。



 その胸中には、どんな感情があったのか。



 怒りか、憎悪か、嫌悪か、哀れみか、侮蔑か。



 無感情な表情からは、何の感情も伺えない。



 ただ、何かを噛み砕くように、蓮司は川瀬に己の胸中を告げるだけだった。



「お前にどれだけ大事な目的だか約束だかあろうと、知ったこっちゃねえ。ただ、お前が俺の仲間に手を出したから、こっちはお前達に仇討ちに来ただけだ」



 蓮司の言葉を、川瀬は何も言わず、黙って聞いていた。



「だが、これだけははっきり言える――――――自分の仲間にまで手を出す奴は、クズだ」



 その瞬間、その瞬間だけ。



 蓮司の瞳に、人間らしい熱い何かが光っていたのを、川瀬は見逃さなかった。



「ははっ……………違いねえ」



 川瀬は、悔やむように己を嘲る。



 じっと、蓮司を見据える川瀬の瞳には、羨望と悔しさが込められていた。



「俺は、お前が羨ましいよ」



「……………」



 蓮司は、何も言わなかった。何も言わず、川瀬の言葉を、唯一引き出せたを、その胸中に収めるだけだった。



「……………あんたに伝言だ……ピエロの恰好をした、ふざけた男が……あんたに、言っていたよ………」



 徐々に弱まっていく声で、川瀬は己に残された力をかき集めて、振り絞るように唇を震わせる。



「………『また、ゲームをしよう〝禍闇の蜘蛛〟』……」



 蓮司の顔が、とたんに険しくなる。川瀬からの伝言を聞いた時、その時だけは、蓮司の顔に激しい憎悪と殺意が浮かんでいた。



 その顔を見て、川瀬はぶるりと身体を震わせる。



「………あいつからの、伝…言は、それだけだ………最後に、あんたに伝言を……頼ん、でも、良いか……?」



「ああ、さっさと言え」



「く、はは………あいつらに、一言、こう………伝えて欲しい」



 ヒュー、ヒューと、呼吸が浅くなる。



「………〝約束を守れなくて、すまねえ〟………ってさ」



「………ああ、ちゃんと伝えておく」



 蓮司の返答を聞いて、川瀬が安心したように、頬を緩ませる。



「ああ………あと、雨霧の………にも、こう、伝えといてくれ…………〝あいつらのこと、勘弁してやってくれ〟……って……元々、これは、俺が招いた結末、だからよ…………あいつらは、巻き込まれた……だけだから………」



「……わかった」



 今度こそ、安堵したように、川瀬の顔が穏やかなものに変わる。



「ああ………良かったぁ………最後の相手が、あんたで………」



「…………」



「なあ………あんたの名前、教えて、くれねえか………?」



「………蓮司。鏡峰蓮司だ」



「……………俺、は………川瀬、透だ………なあ、蓮司さんよ………あんたに、一つだけ、伝えておくことが、あるんだ…………」



「なんだ?」



「………〝■■〟は、もう、動き出してる………、だ………」



 意図的か、それとも細工でもされたのか。川瀬が発した言葉の中の〝■■〟だけは、なぜか上手く発音できなかった。


 それに驚いた川瀬は、悔しそうに、自嘲するように顔を歪める。



「ははっ………あの野郎………やり、やがったな…………蓮司、さんよぉ………」



 瞳に強い意志を宿らせて、川瀬は蓮司の瞳を真っすぐに射抜く。



「あいつらの事…………任せる、ぜ………」



「………ああ――――――」



 その言葉を最後に。



 川瀬の身体は、地面に倒れ伏した。



「――――――任せろ」



 ゆっくりと、川瀬の瞼が閉じていく。



 己の生が遠のいていくのを、朧気ながらに感じた川瀬は、頭の中で、とある人の事を思い浮かべた。



「(母さん………ごめん………俺、もうすぐそっちに行くよ………)」



 心の中で、母へと謝罪した川瀬は、その次に仲間の事を思い浮かべた。



「(わりいな、お前ら…………先に行く……………ああ、お前らと、なりたかったなぁ………………誰かを、守れる………誰かを、助けられる………良い人って、やつにさぁ…………)」



 段々と、深い眠気が近づいていく中で、川瀬は涙を零した。



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