第40話 彼は、やはり愚者だった。


「やれ」


 川瀬が命じた一言で、青いオーラを纏う者らが両手を蓮司に向けて、斜めに構える。


 それぞれの頭上には青いオーラが集約し、一つの青い球体を形成する。



 青いオーラが返還される。



 電撃、炎槍、岩塊、竜巻。



 それらはオーラと同様に青い輝きを放っていて、そこにるだけで、周囲の環境を歪める程の力を放っている。



 それらが一斉に蓮司のもとへと放たれた。



 深層の最奥に潜む、強大なる魔獣をも瀕死に追い込むだろう攻撃が、闇色に蠢く影の幕を直撃する。



――――――――轟音。



 まるで爆心地にいるかのような衝撃が、【剣狼団】のみならず、背部の木々をも焼き焦がす。



 膨大な熱量に耐えきれず、広場に埋まっていた骨の一部が溶けた。



 舞い上がる砂埃が、蓮司の姿を覆い隠す。しかし、姿が確認できないからと言って、別に問題などないだろう。



 兵器に例えるならば、C-4だろうか。人を一人を葬るには十分過ぎる威力の爆発。これが、異能の力である【ギフト】によって―――――それを強化したものによって齎された結果なのだから…………C-4ですら、表現としては



 それほどの威力が込められた一撃、それに一人の人間が耐えられる筈もない。



 間違いなく、鏡峰蓮司は死んだ。その肉体を爆散させたのだ。



「………はは」



 川瀬が顔を片手で覆う。


「あーっはっはっはっはっはっは!!」


 抑えきれない感情を解放するように、川瀬は哄笑する。


 明らかな格上、それを最後まで隠していた奥の手で仕留めるなど、なんと気持ちの良いことか、と。


 神話に語り継がれる英雄は、怪物を仕留めた時、さぞ良い気分だったのだろう。


 それは、何かを成し遂げた、やり遂げた時にしか味わえない、極上の快楽。


 それを、他ならぬ川瀬は味わっていた。



 しかし、【剣狼団】のメンバーは放心した状態で、ぼーっと蓮司を直撃した攻撃の爆心地を眺めている。


 一撃を放った一人の穂高もまた、様々な驚きや困惑、更に物理的な衝撃を受けた事で、混乱した様子だ。


 目を見開き、暫くの間、思考も麻痺しているようだった。



「はっはっは……………さて、邪魔者は倒した事だし、さっさと――――」



 ばっ、と。川瀬が瞬時にに顔を向けた。




 途中の言葉も切って、肉体が、思考が、魂が。



 絶対にから目を離してはいけない、と…………まるで磁石に引き付けられるように、身体も視線もに釘付けにされる。




 居る。




 たらりと、川瀬の額から冷や汗が流れ落ちる。



「馬鹿な…………そんな筈が――――――」



 再び――――――轟音。



 今度は自発的に齎されたもの。



 そう、爆心地に居る存在―――――――鏡峰蓮司によって、為された轟音だ。



 黒い影が、砂埃を切り払う。


 蛇のようにうねり、鞭のようにしなる影の幕。


 見間違いでなければ、それはの形をしていた。



 彼等の身体が震える。恐怖故か、それとも目の前の光景を受け入れる事ができず、身体が拒否反応を起こしているのか。



「……………」




 誰も、何も言えない。




 払われた砂埃。



 その中心に、彼はいた。



 黒いコートに身を包み、全体的にシックな服装をした男性。


 これから出かけるような奇妙で、非常識な格好をしている者など、この場において一人しかいない。



 彼の背中側から、蛇鱗のような線が走る、一枚の影の幕が天に向かって伸びている。



 ………、彼らはよほど恐ろしいモノを見ている。知っている。


 この短い時間で、嫌というほど思い知らされた。



 川瀬が、とある人物から聞いていた、この計画の最大の障害に成り得るだろう危険人物。



 川瀬は、脳内で記憶がフラッシュバックするような感覚を覚えた。



『――――――彼は、君が思うよりもずっと、化け物染みている。君は理解しておくべきだよ?君の望みを叶える為には、彼へのふかぁい理解が必須だからね』



「(―――――――はは)」



 口から、声が出ない。しかし、川瀬は内心、渇いた笑い声を上げた。



 彼らが相対し、彼らが応戦し、彼らが触れた逆鱗は……………確かに、一人の怪物の怒りを容易く買った。



 後悔は、もう遅い。そんなの今更だ。



 だったら、彼はどうするべきか。



 どうすれば、彼だけがこの場を生き延びれるか。



「(考えろ考えろ考えろ考えろ…………!!)」



 彼の中に、もはや余裕などなかった。あるのは、苦楽を共にした仲間を犠牲にしてでも、その友情を、自分自身が生き延びれる方法を模索する思考だけ。



 だが、もう―――――――。



「なあ…………」



 赤黒い瞳が、彼らを射抜く。



 特段、大きくもない声が、妙に響く。



 硬直する。動く事など、許されない。



「覚悟は、できてるか?」



 彼らを見つめるその無表情かお



 その瞳には、殺意と食欲が混じっていた。






◆◆◆






《蓮司視点》




 ああ……………もう、良いよな。




 十分に弱らせた。これなら、殺さずに、壊さずに生け捕りにできる。




 震えそうだ。震えそうだ。震えそうだ。




 抑えきれない怒りが、爆発しそうだ。




 だが、もう、我慢は必要ない。




 そう、ただ解放するだけ。




 あいつ等への感情を、解き放つだけ。




 残念だ。本当に、残念だ。




 あいつらを、生きたまま削り続ける事は、叶わないから。




 怒りの矛先を向ける事ができないのなら、せめて。




 恐怖を。ただ純然たる恐怖を。




 お前らにくれてやるよ。






◆◆◆






《三人称視点》


 震える身体が、彼等から自由を奪い去る。



 何もできない………逃げることも………抵抗することさえ………。



 賽は既に投げられた。後は、出た賽の目を確認するだけ。



 蓮司の胸中にある思いは、ただ一つ。



 報いを。そのために、恐怖を。



 散々、抑え込まれた感情が溢れ出る。



 蓮司は、感情それの堰を切った。






 瞬間――――――――。





 世界が、凍った。




 誰も動くな。誰も息をするな。誰も俺から目を離すな。



 悉く、貴様らの自由など許されない。



 彼等の震えが止まる。本能ゆえか。肉体に刻まれた遺伝子が、即座にこの場で実行すべき事を選び取り、彼等の肉体を拘束する。



 人、それ以外の生き物も含めて、絶対的な法則ルールが存在する。



 これは人同士の曖昧な法律などという、破る事のできる紛い物などではない。



 明確に、自然の摂理として存在するルール



 唯一、破る事のできない本物の法律ルール



 そのルールの名は――――――〝弱肉強食〟に他ならない。



 この場における蓮司強者を前にして、【剣狼団】弱者は等しく、皿の上で選択を待つことしか出来ない。



 彼らは、己の頭上で八つの赤黒い瞳が、自分達を吟味している光景を錯覚する。



 汗が止まらない。しかし、震える事もできない。



 逃げたい、逃げたい、逃げたい。



 生きたいから、生きて、自分達の未来を見たいから。



 明るい未来を、歩みたいから。



 【剣狼団】の間違いなど、二つしかない。



 一つは、彼等の間違い。それは、蓮司という【英雄】の逆鱗に触れた事。



 もう一つは――――――川瀬は、取ってはいけない者の手を、握ってしまった事。



 この場で一人、川瀬だけが理性を保ち、思考を続けていた。


 胸元で、脈動するように淡く輝くネックレス。【ダンジョン】産の未知なる道具が、彼の精神を保護していたが故に。



「(どうする……………どうすればいい!?


 頼みの綱は切れている。切り札も、もう使った。いや……………例え残っていても、あの化物に通用するとは思えない。


 ああ、糞っ………俺はまだ、ここで死ぬ訳にはいかないんだよ!!


 何か………何か、手は――――――)」



 はっと、川瀬は一つの事に思い至る。



 それは、本当に最後の最後。できれば使いたくなかった手だった。



 しかし、そんな事を気にしていられる場合ではないと。



 川瀬は―――――――本当に、やってはいけない事に手を伸ばす。



 それが、彼にどんな結末を齎すかも知らずに。



 それが、どんな選択なのかも分からずに。



 川瀬透。単なる不良でしかなかった彼は、世界が崩壊しても、変わらず良い人でいようと努力した。


 だが、何かが彼の心を歪めた。


 その結果が――――――――彼の運命を決定づける。



 川瀬透……………彼は、やはり愚者だった。




「くはは………」



 強化された五感で、耳が拾った笑い声を聞き、蓮司は訝し気に眉を寄せる。



 声が聞こえた所は、【剣狼団】に指示を出していた青年―――――川瀬。



「わりぃな、お前ら……………手前てめえらの命、俺に預けてくれや」



 動ける筈もない口を動かし、僅かに震える身体で、川瀬は空を見上げる。



 その言葉を聞いて、穂高を始めとした【剣狼団】が、瞳に覚悟を輝かせた。



 できる事など、頷くことくらい。けれど、返答にはそれで十分だった。



「はは……………ありがとな」



 川瀬は、震える身体を叱咤し、右手のみを前に出すように掲げる。



「ほんっとうにお前ら……………最高ぜ」



 彼の顔が……………醜悪な笑みに歪んだ。



「っ!!」



 蓮司が何かに感づく。それが何かは分からない。だが、今から川瀬を止めなければならない。


 そんな脅迫観念に駆られて、蓮司は背後の幕のような人型の影に指示を出す。



「〝黒縄こくじょう〟!あいつを止めろ!」



 主の命を受信し、背後の〝黒縄〟は動き出す。鈍重に見える動きで、腕をしならせて川瀬の方へと、叩き付けるように振り下ろす。


 最悪、殺しても構わないという、蓮司の思考に適切に答えた〝黒縄〟。



 この判断が、もう少し早ければ……………この惨劇は、防げたかもしれない。



 醜悪な笑みが、なお深まる。



「もうおせえよ」



 ケタケタと、まるで人間とは思えない悪意に満ちた笑い声に、蓮司であっても、嫌悪感から反射的に顔を顰める。



 川瀬が、右手を握り潰すような動作をする。



 その時、彼の右手が鮮やかな色彩に輝いた。



「〝簒奪テイク〟」



 一言、そう呟かれた声を皮切りに。


 彼を除いた全ての【剣狼団】のメンバーが、地面に倒れ伏す。


 まるで、糸の切れた人形のように。



「あっはっはっはははははは!!」



 狂ったような笑い声が響き渡る。



 彼の頭上、人など簡単に覆える幕の如く手が強襲する。



 しかし――――――



「無駄無駄ぁ」



 パアンッ!!



 突如、川瀬を攻撃した〝黒縄〟の片手が弾け飛ぶ。



 〝黒縄〟は怯んだ様子もなく、無事な方の手を動かして川瀬を攻撃しようとするが、



「止めろ」



 蓮司に止められ、大人しく腕を下げる。



 その様子を、川瀬はニヤニヤと笑みを浮かべながら、楽しそうに眺めていた。



 まるで、新しい玩具を手に入れた子供のように。



 蓮司が川瀬を睨む。



「お前………何をした?」



 ケタケタと嗤い、川瀬は首をかしげる。



「さぁて、何でしょう?」



 狂気に満ちた瞳を見て、蓮司は川瀬に既視感を覚える。



 それは、彼にとって見慣れたものであり、憎悪すべき者の瞳に似ていたから。



「(まさか…………!?)」



 その既視感と、内心で抱いていた違和感から、一つの可能性に思い至り、蓮司は川瀬に対する警戒度を引き上げる。



 今までの川瀬に対する印象は、全て捨て去り、完全に新たな敵として、彼は川瀬を認識した。



 彼等の決着は終わらず、彼と彼の戦いへと、蓮司と川瀬は以降する。



 ……………戦いは、未だ終わりの兆しを見せずにいた。



「「……………」」



 蓮司が無言で無数の影の黒腕を川瀬に放つ。


 それを、川瀬は片手を翳して、不可視の攻撃により自らに迫る黒腕を、文字通り消し飛ばす。



「ははぁ!」



 川瀬が嗤う。



「ちっ」



 蓮司が舌打ちをする。



 一つ目の戦いは終わりを告げ、新たな戦いの火蓋が切って落とされた。


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