第33話 一面の緑あふれる異界、そこはダンジョン
《三人称視点》
蓮司が異形の獣を倒した時、遺跡の奥にある扉の向こう側で、何かが反応した。銀の嵐が吹き荒れる所、その中心地にいる獣の巨人。
その瞳が薄っすらと細められた。
銀灰色の中、一対の緋色の輝きが、静かに異界の扉を射抜いていた。
『……………………』
銀灰色の獣は、静かに頷く。まるで、誰かの指示を受けたかのように。
緑の楽園を徘徊していた魔獣を切り刻んでいた嵐が、銀灰色の獣がいる場所を覗いて全て消えた。
嵐は収縮し、その嵐を守るように何匹かの砂の獣が生まれる。それらは銀灰色の獣に似た姿をしていたが、その体躯は四足獣の形態をしており、狼か狐に似た魔獣のようだった。
砂の獣共は嵐の周囲の森へと散開する。
銀灰色の嵐の中心地で、獣はただ一言、しかし決然とした声で呟いた。
『守る』
今度は咆哮を上げず、ひたすら何かに耐えるように身を縮ませる。
その姿は、まるで誰かを胸に抱いているようだった。
・・・
・・・・・
・・・・・・・
緑あふれる異界の中で、ただ一本の木のみが生えている丘の上。
木の根元の土が、不気味に蠢いた。
まるで地面に埋められた何かが地上へと這い出ようとするように。
まるで水のように波打つ地面から、ずるりと、甲冑に包まれた腕が生えてきた。
不思議と土はどけられず、本当に水の底から浮き上がるようにして〝それ〟は現れた。
薄汚れた甲冑に身を包み、蔦が這っている槍斧を背負った騎士の様相をした誰か。
その首には、あるべきものが無かった。
そう、地面から地上に浮き上がって来たのは、お伽話の存在にして異国に伝えられる魔物。
まさにその姿は〝
地獄の底から、己の首を探して彷徨う亡霊。
なぜ、それがこの【ダンジョン】に出現したのかは窺い知れないが。
一つだけ言える事がある。
――――――この首無しの騎士は、深部の奥地の魔獣を容易く刈り取る、
◆◆◆
《蓮司視点》
…………。
異形の獣の死体を見据える。ここまで来た天音も、青褪めた顔をしていたが、しっかりと異形の獣の死体を見据えていた。
凄惨な状態だった。身体の内側から破裂するように弾けた身体は、生きる為に必要な器官の殆どを引き抜かれ、肺と心臓のみが辛うじて原型を留めている。
両腕を影で覆い、異形の獣の身体に空いた穴を広げる。そこから見て取れるものは、筋肉の塊。
元から無かったかのような構造をした身体は、俺に既視感を覚えさせて、俺の心を冷え込ませる。
死体を検分している時、とある単語が頭に浮かんだ。
「まるで肉人形だな」
食事を必要とせず、血を巡らせ呼吸するための器官しか存在せず、戦う事だけがこの生き物の存在意義だと主張する肉体構造。
頭を開き、脳を見る。
天音が思わずと言った顔で口元を覆った。
脳、と言っていいのかすら危ういもの。
傍から見たら、なんで生きているのかも不思議だった。
ぐちゃぐちゃに歪められた脳には、何かをそぎ落とされた、いや―――――喰われた痕が無数に存在した。
確定、としか言いようがないだろう。
こんな世界で、生物をここまで作り変える存在など、俺は一人しか知らない。
「(……………あの狂人、生きてやがった)」
噛み砕かんばかりの強さで、歯を食いしばる。
蘇る記憶は、二年前のあの光景。
無数の異形を従えて、俺の前に立ちはだかったあの奇妙な格好をした男。
あの男が生きていて、動いているというのなら――――――
異形の獣の死体を余さず影に取り込み、背後の石造りの建物に振り返る。
光を反射し、武骨な遺跡を緑が装飾する。なんとも幻想的で美しい光景だ。
こんな状況じゃなかったら、また以前のように数分、見入っていただろう。
しかし、今はそんな状況じゃないし、美しさに見入るような心境じゃない。
右腕を軽く回す、先ほどの痺れと痛みはもうない。横を向いて、天音を見る。俺の顔を見返して、天音は無言で頷いた。
さあ、行くとしようか。少し長かったが、待たせたな。
鞠火、今そっちに行く。だから――――――
「お前も、頑張って耐えててくれ」
決意を固めた顔で、俺達は【ダンジョン】にいるだろう彼女を目指して、歩みを進めていく。
◆◆◆
「あははははははははは!!」
「さて、さて、どうしようかなー?」
「どうやって、これを作り替えようかなー?」
たった一人しかいないのに、同じ声が複数その場に響き渡る。
まるで、この場に同じ人間が何人もいるかのように。
くるくると、頭の帽子を手に取って回し、目の前の〝それ〟を目の当たりにして、狂人は思案する。
狂人の眼前にいたのは、一体の魔獣だった。
いくつもの岩山を背に背負ったかのような、盛り上がった甲殻を持つ獣。
亀のような顔をしているが、同時に恐竜のような体躯の、六本足の魔獣。
灰色の鱗に全身を覆うその魔獣は、そもそも大きさが桁違いだ。
ただ歩くだけでいくつものコミュニティを滅ぼしそうな大きさの身体。
魔獣というより、怪獣と言った方が良さそうな獣だ。
その魔獣は、全身から紫に濁った血を流し、地面を濡らしていた。
手負いの魔獣と無傷の狂人。
この魔獣を瀕死の状態まで弱らせたのは誰か、それを成したのが誰かは言うまでもない。
巨大な洞窟を形成した環境、その入り口からは多種多様な鳴き声が響く。
蓮司と天音が【ダンジョン】に挑む中。
灯歌率いる【朝日之宮】が【獅子の床】の本部まで向かう中。
雨霧率いる【鉄火の牙】が【剣狼団】を追う中。
【剣狼団】が深部を進む中。
舞台の裏側で暗躍する者が一人、自らの狂気の矛先を求めて、彼は自らの欲望のままに盤上の裏側で遊ぶ。
もっと舞台を面白くしようと。もっと絶望が広がるようにと。
ただ、誰かが不幸になればいい。そんな軽い気持ちで、狂人は大虐殺を企てる。
「はははははは!あははははははは!!あはははははははははははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっははっははっはははははっはっは!!!!!」
心底で、人類という存在の不幸を望む狂人は、
己のチカラを欲望のままに振るう。
自らは動かず、誰かを自らの狂気に染め上げるだけでは飽き足らず、
狂人は更なる最悪を生み出そうとしていた。
夥しい数の魔獣共が進攻する。
事態は止まらず、舞台は踊る。
崩壊した世界で、人々は思い出す。
人類は、この世界において弱者に過ぎないという事を――――――。
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