第32話 それは戦いではなく、一方的な蹂躙だった

《天音視点》


――――――蓮司が異形の怪物と戦い始めた頃



「はぁ…………はぁ…………」


 蓮司さんが異形の怪物と戦い始めた時、僕はそれほど遠くない距離にある、魔獣の残骸の影に隠れていた。


 動悸が止まらない。それほどまでに僕の受けた衝撃は大きかった。


 途中、蓮司さんに言われて気づいたあの異形の怪物。慣れない環境と気配に囲まれて、精神的に参っていた僕は蓮司さんにおぶって貰った。


 正直に言おう。僕は深部というものを甘く見ていた。


 ここは正しく真正の魔境だ。単なる人が立ち入る事も許されない、この世に現出した地獄なのだ。


 異常な強さを持つ魔獣や、生き物と言っていいのかも怪しい動く樹の気配。


 それらは容赦なく僕の精神的な何かを削っていく。


 半端な覚悟で付いて来たつもりはないが、僕はどこかで調子に乗っていたのだろう。〝準英雄級〟に近しい実力を得ただとか、新たに手に入れた力に、僕は驕っていたのだ。


 そんな自分に反吐が出る。慢心が如何に危険を招くのかを、僕はあれほど思い知ったじゃないか。


 ……………こんなことじゃあ、みんなに笑われちゃうな。


 だが、何時までもめげていられない。反省し、次に自分が何をすべきなのかを、ちゃんと理解しなければ。


 今は、ここで自らの精神を落ち着けること。次に蓮司さんの戦いから、何かを学び取ろうと行動することだ。


 …………怖い。蓮司さんの戦いを見るなら、は必ず目に入る。もしかしたら、ああいう魔獣と戦う事があるかもしれない。


 僕には守るべきものがある。だったら覚悟を決めろ!早乙女天音!



「すう―――――はぁ…………すう―――――はぁ…………よし!」



 意を決して、僕は戦いの場を目にしようと、魔獣の残骸から戦場を覗いた。




 圧巻、または圧倒された。



 その戦場は、本当に人間にできる動きなのかも疑問に思える戦いが繰り広げられていた。



 異形の獣は身体の触手を振り回し、蓮司さんに必死の攻撃を仕掛けている。しかし、蓮司さんはその悉くを退け、異形の獣を圧倒していた。


 足元の影が様々な形に変異し、異形の獣を翻弄している。



「すごい……」



 自然と、口から感嘆の声が出た。しかし、それも仕方ないと思う。


 僕の目に映る光景は、まるで物語の中から飛び出して来たような英雄譚の一幕が繰り広げられているのだから。


 自分の頬が熱くなっていくのが分かる。気分は少年、初めて特撮ヒーローを見た時と同じ気持ちになっていた。



 触手が無効化された。異形の獣の足元に影が広がる。



 瞬間――――――無数の赤黒い棘が、異形の獣の身体を刺し貫いた。



「やった!」



 手放しで喜ぶ。これで仕留めた、そう僕は確信した…………なのに。




「え?」




 【ギフト】で得た能力が、強化された五感が、直感が僕に告げている。


 まだだ、と。


 事実、僕は一番に理解していた。これで終わらない事を。


 異形の獣の気配が徐々に変わっている事、存在感が増している事を。



 異形の獣が上げた断末魔の叫び声なんて気にならない程に、僕は恐怖に感覚が麻痺していた。



 異形の獣が僅かに理性を取り戻していく事、それによって異形の獣から力の奔流を感じた事。


 それらに恐怖したのではない。



 僕が恐怖したのは―――――――――――蓮司さんの方だから。




 蓮司さんの気配が、急速に冷えていく。そう称するしか表現できない。本当に蓮司さんの気配が、存在が熱を失っているのだ。



 異常なレベルで冷静で、異常なレベルで深みが増す。



 僕は、蓮司さんの存在そのものが、何か深海のようなものに変わっていく事を錯覚した。



 そこにいるのは誰なんだろう。本当に、あれは蓮司さんなのか。



 確信が持てない。もはや今の蓮司さんのは別物だったから。



「さて、」



 驚くほど無機質で冷たい声。



「殺すか」



 ただ事実を述べているだけのように、淡々とした口調。



 純粋な殺意が蘇り、感情的になった異形の獣の方がまだ生物的だ。



 だが、蓮司さんの方は、全く感情を伺えない。



 激情と無感情。



 激流と凪ぎ。



 対照的な二つの気配を感じ取り、僕はこの戦いの勝者だ誰なのか。



 今、この瞬間に確信した。






◆◆◆






《蓮司視点》


 眼前の異形の獣を見据える。殺すと宣言した事、それは変わらないが、今のあいつはどうやらようだった。


 なら、現在までに戦って分析したあいつの戦闘スタイルは、もはや無駄だ。


 瞬時に頭を切り替える。これから、全く別の存在を相手にすると仮定しよう。


 さて、取り合えずは牽制に一発。



 使うのが勿体ないが、まあ良いだろう。どうせバレても問題ない。



 右腕を振るう。影の腕から炎のように揺らぐ漆黒の弾が放たれる。


 異形の獣は俊敏な動きで難なく俺の攻撃を躱す。


 地面、木々に激突した漆黒の弾は、そのまま燃えるようにそこに残る。


「GOAAAHVAOVAAKOIUAAGTUCAA!!!!」


 異形の獣が雄叫びを上げる。空気が振動して、離れた俺の所まで空気の振動が伝わり、髪を揺らした。


 徐々に正気を取り戻しているのだろう。鳴き声にノイズがあまり混じらなくなった。


 この段階で、理性的な判断を下せることが分かっただけでも重畳。次は相手の戦闘スタイルが何のかを炙り出す。


 駆ける。思いっきり地を蹴って、異形の獣の直ぐ傍まで肉薄する。


 右腕で突きを放つ。掠った。手応えはあるがダメージは微量。


 異形の獣が噛みついてくるのを、跳躍して顔を蹴って防ぐ。


「G――――――GYFIYFGSSAAAA!!!」


 しかし効果は薄い。取り込む時に余った魔獣の身体の一部を利用して、俺へと攻撃をしかける。

 当たれば難なく俺の肉体を引き裂くだろう爪が迫る。


 それを、俺は冷静に右腕で掴み取った。


「GFUAA!?」


 異形の獣の勢いが止まる。地面に罅が入るほどの力を感じて、俺は更に右腕に力を注ぐ。


 暴発するように、右腕の影が広がる。影は異形の獣の身体から生えた爪を呑み込み、そのまま喰らいつくした。


「GYIFHGFGGGIIIGIUYGIIUIUHII!!?!」


 異形の獣が痛みに喘ぐ。

 それでも俺は容赦なく次の獲物へと影を伸ばそうとして――――――


 足元の影を伸ばして、その場から横に跳躍する。


 先ほどまで俺がいた場所に、鉛色の刃が突き刺さっていた。


「なるほど」


 異形の獣から飛び出ている刃を見て、俺はこの異形の獣が【魔獣】であった頃の能力を理解した。


「それがお前の能力ちからか」


 荒い息で、異形の獣がこちらを睨む。


 体勢を整えて、こちらへと方向を定めて異形の獣は突進する構えを取る。


 足が撓む。剥き出しになった筋肉が膨らむ。


 蒸気の如く、熱い白い息を吐き出して………異形の獣は俺に向けて自らの身体を砲弾の如く撃ち出した。


 一歩。それだけで俺の所まで肉薄した異形の獣を、俺は足元から影を壁のように伸ばして逸らす。


 わざわざ自分から隙を作ってくれたので、俺は有難く横っ腹を狙って右腕を振りぬく。


 しかし、異形の獣は俺の反撃を予知していたのか、隙だらけの横っ腹から無数の刃を生やして来た。



 だ、が。



「(多少のダメージは許容する。この程度の事で大きな隙を逃しはしない)」



 無数の刃が俺を強襲する。しかし、俺は気にせず右腕を振りぬいた。



「――――――Gッ…………GA…………!?」



 振りぬこうと突き出した右腕の肘から、噴炎の如く影の奔流が吹き上がる。

 それは右腕の勢いを加速し、刃が伸びるよりも早く異形の獣の横っ腹を強襲した。


 異形の獣の声が途切れ途切れになる。あまりの衝撃、痛みに喉が潰れたようだ。


 異形の獣が吹っ飛ぶ。木々に身体を激突させる。



 途中、魔獣の残骸を伴って、身体に魔獣の骨を突き刺しながら、異形の獣は森の方向へと吹っ飛んでいった。


 

 このまま遠くの方まで行ってくれれば有難いのだが……どうやら、そうはいかないようだ。



「GUHDFU………GYUFTUUOOPHOIIICIGCIGUOOOO!!!!!」


 異形の獣の身体中に、鉛の刃が生えてくる。刃を地面に突き立てて減速し、森の入り口から少し進んだ所で停止した。


「…………」


 面白い使い方だ。今度、真似してみるのも良いかもしれない。


 やはり深部の魔獣は良い。色々と参考になる。


 意思の強さという点でも、深部の魔獣は人間に引けを取らない。


 もう少し見ていたいが、あまり時間を取りたくない。


 だが、どうするか。決定打と言えるものを使っても、あいつは仕留められなかった。



 ………………。



使?」



 軽く消耗してしまうが、短期に決着をつけるには良いかもしれない。



「GGUUGUGU、GUUUUUUUU………」



――――――考えている暇は無さそうだな。


 異形の獣が刃を伸ばして、こちらに近づいて来ている。


 後ろを見る。天音が真剣な顔でこちらの戦いを見ていた。


 顔を異形の獣に戻す。


 目を閉じて、鞠火の顔を思い浮かべる。



 腹は決まった。



 右腕に、これまでとは異なる力を注ぐ。


 バチバチと、まるで電気の如く、右腕の影が弾けるように蠢いた。


 右腕の形が変わる。その形を、人のそれとは別物の腕へと変異させる。


 一際強く脈動して、右腕が肥大化した。


 もはやそれは人の腕ではなく、鬼か何かの異形の腕を象った影の腕へと変異していた。


 黒雷を纏う。


 黒雷が螺旋する。


 肩の方まで広がった影は、そのまま俺の右目にまで変化を促す。


 瞳孔が縦に割れた。その目はまるで魔獣の如く。



 右腕を振りかぶる。足を撓ませる。全身の血流を躍動させるイメージで、異形と化した右腕に更なる力を注ぎ込む。



「はぁぁぁぁ…………」



 口から蒸気の如く熱い白い息を吐き出す。


 息を止めて腹に力を入れ――――――



 ドンッ!!!



 その場から異形の獣の下へと、強く地面を踏み締めて跳躍した。



 大地が割れる。漆黒の軌跡が残る。



 半ば音を置き去りにして、俺は異形の獣へと肉薄し、



「GIッ!!??!??」



 驚愕する異形の獣の顔を最後に、その拳を異形の獣に喰らわせた。



「G――――――AAAAAIHVUTCYRXTCDRSERDTFUYGIUBIGYFUTDRYTCGFXDTRYCHGCFGVIBJHVGUCFYXRYTCUVYIUOINJKHVJGUYIUGOHPJOUGIYUTCYFXDTFYCGUVHIBOIYVUTCRYXESDTFYGIUVGCFXDZEWAEXCVYGUJHKGJIFUXKCFGU!?!?!?!??!?!?!?」



 雷の如く、一瞬の内に強烈な衝撃は異形の獣の肉体を駆け巡る。


 運動エネルギーの全てが黒雷に変換され、俺が拳に乗せた全ての力が、急速に異形の獣の肉体を破壊する。




 一発。それだけで異形の獣は身体を爆散させて絶命した。




 ゆっくりと、力の奔流を鎮め………影に包まれ異形へと変異した右腕を、元の腕へと戻していく。



「………ふう」



 一息ついて、俺はその場にしゃがんだ。



「……………腕、超いてえ……」



 ピリピリと痺れる右腕をプラプラと揺らして、俺は今しがた殺した異形の獣の死体に目を向ける。



「……………(やっぱり、―――――)」



 記憶の中から、とある存在の事を頭に浮かべて――――――



「蓮司さーーーーん!!」



 背中側から聞こえる、俺を呼ぶ天音の声を耳にして、さっとその存在の事を頭の中から消し去る。


 どうせ杞憂だ。がここまで力を取り戻している筈がない。


 ………その筈なんだ。



 頭の中に思い浮かんだ者を、即座に消し去り、しかしその可能性が色濃い事も事実である事を受け止めて。



 俺は、無邪気に笑みを浮かべてこちらに手を振る天音の下へと、歩き出した。





・・・

・・・・・

・・・・・・・








「ああああああああああああああああああああああああ!!?!??!?!ああああああああああああああああああああああああああああ!!?!?!?!?!あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!??!?!」



「痛い!!?痛い!!?痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃぃいいいいぃいぃぃぃいいいぃいぃいいい!!?!?!?!?」




 真っ暗な部屋の中。




「ぎゃあああああああ!!!!はっはあっはっはははっははっはははははは!!!」




 痛みに喘ぎ、悶絶し、床を転がる者がいて。




「あっひゃっひゃっっひゃっひゃっひゃっひゃ!!ぎゃっはっはっははっはははっは!!!」




 しかし、歓喜の叫び声を上げて、そいつは自分の頭をかきむしる。




「あっはっははははは!!見れた!見れた!彼の力が見れたぁぁぁぁぁ!!」




「もっと見たい!もっと見たい!今度は人間の力なんかじゃなくて!!」




「正真正銘!!化け物と呼ばれたあの姿をおおおおお!!?!?!」




 暗闇の中、姿の見えぬそいつは、高らかに両手を掲げた。




「もっと見せて!!もっと視せて!!もっともっともぉぉぉぉぉっと魅せてよ!!」



「君が【禍闇の蜘蛛】と呼ばれた、あの力をぉおおおお!!!」




 くるくると踊る。狂人は踊る。



 ぐるぐると瞳を輝かせて、パキパキと骨を踏み砕いて。



 跳ぶ、回る、着地してまた踊る。




 彼の懸念は現実だった。



 過去の悲劇がフラッシュバックする事件の数々。



 他人を利用して自らは動かず。されど、その他人まで染め上げるやり方は変わらず。



 浸食は止まらない。



 既に上がった幕は降ろせない。



 物語は進む。誰にも止められない物語は進む。



 人が安寧を築こうと努力する事を嘲笑うように。



 ……、あの悲劇が彼らに牙を剝いた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る