第28話 異変は緩やかに、されど確実に

 自然と目が覚めた時、まず最初に時間を確認する。

 時刻は午前6時40分。遅くも早くもない時間だ。


 外で見張りをしている影の獣と感覚を同調させる。


 ………どうやら、周囲に魔獣はいないようだ。


 影からランプを取り出し、ライターで火を着ける。オイルは貯蓄してあるとはいえ、使いたくないんだけどな。マッチを持ってないからしょうがない。


 暗い木の洞の中を、ランプに灯った火が照らす。


 ちょうど、その時に天音が起床した。


「……うぅん……ああ、おはようございます、蓮司さん……」


「おはよう天音。取り合えず、飯食っとこうな」


影に収納していた大きなバッグを取り出し、中に入っていたのフルーツの缶詰をフォークと一緒に天音に手渡す。

 天音は寝ぼけた表情をしていたが、素直に受け取り、蓋を取って朝食を食べ始めた。

 俺も別の缶詰を取り出し、蓋を開けて影でつくったフォークで食べ始める。


 うめぇ、うめぇ。


 食べ終わったら、缶詰は影の中に放り込み、天音は使い終わったフォークを小さな袋に入れる。


 それから身支度を整えて、影の膜を解除し、樹の洞から出た。

 朝日の光が浴びれる事なんて勿論ない。


 太陽の光は全てこの森の木々に独占されているからだ。


 軽く身体を伸ばし、入念に準備運動をしておく。

 これをやるかやらないとでは、今後の動きが全然違うからな。



「今日で一気に【ダンジョン】に、少なくとも深部の最奥まで辿り着くぞ」


「はい」


 問答はいらない。ただ事実を確認するのみで、俺達は影でつくった獣に乗って、深部の中を駆け抜けた。





・・・

・・・・・

・・・・・・・





 深部の最奥の近く…………ここからは、環境さえも敵になる。動く樹は外敵から身を守るために、周囲の木々も巻き込んで活発になる。

 魔獣との戦闘でさえ、やつらは活動的になるため、迂闊に行動できなくなる。


「天音、ここからは魔獣との戦闘はなるべく避けて行くぞ」


「はい」


 既に何度も話し合ったことだ。俺らは阿吽の呼吸で森林の中を歩き出す。

 しかし………。


(妙だな)


 深部の最奥―――――【ダンジョン】に近くなっているのに、魔獣共の動きが静かだ。いっそ、不気味な程に。


 過去、この深部に来た時はこんなに静かではなかった。【ギフト】の能力をフルに使い、目的のために【ダンジョン】がある最奥で向かう途中、魔獣は何度も行く手を阻んだ。

 それぞれが統率されているかのように、やつらは俺を排除しようと襲い掛かって来たのに………。


 どういうことだ?


 一応、気を付けておくか。


 俺はいつでも影の中から棘を出せるように準備しておく。




 だが、魔獣は一向に姿を現さない。逆に魔獣がこちらを警戒しているかのように思えてくる。


(前に来た時に派手に殺しまくったから、そのことを覚えてるやつがいたのかな?いつもは互いに争い合う中でも、俺を排除する時や動き出した樹から逃げる時は、人間以上に練度の高い連携をするからな。どっかの馬鹿がやらかしでもしたのか?)



 深く考えてもしょうがない。魔獣を相手にしなくても良いのなら、好都合だ。

 ありがたく利用させてもらおう。


 俺達はそのまま森の中を静かに進み続ける。周囲の全てを刺激しないように。

 何がトリガーになって木々が動き出すのか分からない以上、今は影を使わないようにして、武器のみを生成して腰に差しておく。


 やがて、森の中でも異様な数の気配が漂う領域に入った。


「うっ……」


 天音が吐き気を催したように口元を抑える。天音の【ギフト】は感覚も強化できるようだったから、この異様な気配を放つ木々に囲まれて、ストレスから吐き気がしたのだろう。


 俺もそれは覚えがあった。実際、今も気持ち悪くて仕方がないのを我慢している。本当に、こんな空気が漂う森林でよく生きていられるな、あの魔獣共は。


 異様な気配を放つそれらは、前に天音に話した深部の最奥に生息する異世界の木々。文字通りに動く木々だ。


 感情が伺えない、しかしはっきりと分かる生き物の気配は、まるで死体を目の前にしたかのような感覚に陥る。

 生きているのか死んでいるのかも分からない、だがはっきりと存在感を伝えてくる気配。それがどうしようもなく気持ち悪い。


 目に見えて分かる無数の監視カメラに囲まれた、閉鎖空間と例えればいいのか。

 まるで自分達が監視されているかのような不快感を、その気配は俺達に与えてくる。


 慣れれば気にならないレベルだが、慣れていない者だと、かなりのストレスだ。

 ある意味、ここがこの深部における鬼門と言えるのかもしれない。



 天音が辛そうに顔を青くしているが、ここは早く森を抜ける方が先決だ。

 むしろ立ち止まる方がもっと辛い。


 俺は天音の肩を持ち、そのまま歩き続ける。


「(す、すいません……)」


 天音が申し訳なさそうな顔で俺を見る。


「(いいさ、こういうのは慣れてないやつが一番つらい)」


 俺はなんでもないと天音の肩を叩いた、彼は悔しそうに顔を歪めている。

 ここは何も言わない方がいいか。


 ………一応、小声でやり取りをしているが、距離が近いから耳がくすぐったいな。


 多少ペースは落ちるが、許容範囲内だ。いざとなったら、影の中に放り込んで無理矢理にでも連れて行くし。


「(………今、なんか変なこと考えてませんだしたか?)」


「(気のせいだろ……ほら、少し急ぐぞ)」



 …………………やっぱり耳がくすぐったい。






◆◆◆






 森がざわめく。何か妙な匂いが鼻を通った。


 それほど遠くはない。走ればすぐに追いつける距離だ。


 先ほどまで、尋常ではない速さで駆け抜けて行ったが、今は遅い。


 妙ではあったが、自分の縄張りに入り込んできたのだ。これは、やつらを喰らわなければなるまい。


 樹共が騒ぐのは面倒だが、やつらに押し付けてしまえばいいか?


 そうだな、そうしよう。


 侵入者を追い出せる、ついでに目ざわりな樹共も片付けられる。


 これぞ一石二鳥というやつだ。


 ああ、だがそれだと樹共に我らの群れが…………。


『良いんですよ、問題ないですよ、やってしまいましょうよ、どうせ邪魔者なんだから、いらないものはごみ処理ですよ、一石二鳥ですよ、群れも守られますよ、さあ始めましょうよ、私も力を貸しますよ、だから――――――』




――――――グジュリ



「やれよ」



「GA………GI、GYA……???」



 魔獣の頭から、てらてらとした粘着質な何かが這い出てくる。


 それは筋肉の塊のような姿であったが、辛うじて人に見える形をしていた。


 だが、人の形をしているが故に、どうしようもなく不快で不気味で、見る者に悍ましいと思わせる。


 それは、肉人形とでも言うべき冒涜的な何かだった。


 顔と思しき部位に、ぱっくりと肉が裂けたような口が開く。


 ニヤリと笑みを描く表情で、それは魔獣の頭に腕を突っ込み、命令した。



「邪魔者は排除しなきゃ………でしょう?」


「GA………GAGAGAGAGAGAGAGYASYAAAAAAAAAA!?!?!?!?」



 魔獣の身体が膨らむ。毛皮を引き裂いて筋肉が膨張していく。

 歪に太ったような、真に化け物のような姿になった魔獣は。


 その身体から触手を生やして、周囲で隠れ潜んでいた魔獣を掴み、あるいは突き刺し、あるいは抉り。


 自らの身体に取り込んでいった。


 それはやがて動く木をも脅かし、危険を察知した樹が地面から這い出て、元凶を排除しようと周囲の樹共を動かさせた。


 それを見て、人の形をした肉人形は面白いことを思いついたとでも言うように、脳内まで達していた腕をかき混ぜるように動かして、再び命令を下す。


「SYAAAAAAAAAAA!?!!!???!!?!?!?」


 魔獣が触手を動き出した樹共に向ける。槍のように肉の触手を尖らせて、無数の触手を動く樹共に殺到させた。


 樹共は腕たる枝葉を振り回して、殺到する触手の群を弾いていく。しかし、確実に触手は樹共に近づいていた。


 やがて、触手の一本が樹共の一体に届く。


「~~~~~!?」


 声にならない悲鳴を上げるように、触手に身体を突き刺された樹が激しく蠢く。


 その一体に触手の一部を集中させて、魔獣は動く樹の一体を持ち上げた。


 じたばたとその動く樹が空中で藻掻く。足たる根を切り離して、この場から離脱しようと焦って藻掻く。


 しかし、その樹は逃げられなかった。


 魔獣の、口部位が裂ける。限界まで口を裂けさせて、動く樹を喰らおうと、一部の触手の群に貫かれた樹を、口元まで運ぶ。


 最後まで藻掻いた樹は――――――――――魔獣の口腔の中に放り込まれた。



――――――ぶちぶち

――――――めりめり

――――――ばきばき

――――――ぶちっぐちゃ



 おおよそ、植物を食っているとは思えない咀嚼音を立てて、魔獣のような化け物は動く樹の一体を呑み込んだ。



「GISYAA??!!???」



 魔獣のような化け物が悶える。苦し気に触手を振り回し、手足を何度も地面に叩き付ける。


 やがて、化け物の動きがピタリと止まった。


 化け物の身体がぶるぶると震える。




――――――ズリュッ




 化け物の身体から、半ばまで茶色い樹のような皮に包まれた触手が数本、生えてきた。


 化け物の頭からも、鹿に似た歪な枝角が生えてくる。



 それは、魔獣と言えるのか、それとも生き物と言えるのかも怪しい姿に変異していた。



「SCDAVWWRBRHTEHTHBT%TBNQ#Q&$T#$Q??!????!??」



 もはや、鳴き声とも言えない声を上げて、化け物はその身体に生えた無数の触手を振るう。


 生き残っていた魔獣も、動いていた樹も、関係なく。


 触手は、その身体を貫く。


 貫かれたものから順番に、それらは化物の身体に取り込まれていく。


 未だ、肉人形は魔獣だった化物の頭に腕を突っ込んでいる。


 肉人形の顔が、三日月状に口を裂き、限界まで口を開いた。


「きゃーきゃきゃきゃきゃ!!ひゃーひゃひゃひゃひゃ!あははははは!ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!きゃひひひひひひ!!えひゃひゃはひゃはっはひゃっはがっきゃっかかっかっかっかっかっきゃかっきゃっきゃっきゃっきゃ!!!」



「FE"$V!%B!NH!&JN!J!NT%ME'(((((((E<(+>(&D)D>(WU<SWS!!!!!!!!!!!!!!!」



 肉人形が全身を震わせて不気味に嗤う。


 同時に化け物の鳴き声にもならない声で咆哮する。



 深部の最奥に近しき森の中。


 確かに、静かに、緩やかに。


 異変は誰にも止められず起ころうとしていた。

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