第18話 狂気?否、その人間《怪物》は正気だ

《蓮司視点》


 境界が乱れる。この現実世界で、人間おれ怪物オレのどちらが出ているのか。よく分からなくなる。


 曖昧だ。不安定だ。されど心は正気のまま。


 眼前で、誰かが横たわっている。


 あれは誰だろう。


 ああ、そうだ。あれは、あの匂いは灯歌の匂いだ。


 口元を撫でる、植物の匂いと桃の甘い香りが混じった風は、どこか甘味で。


 俺は『同調し過ぎたのか』歓喜に震えて『境界が曖昧だ』顔の形が笑みに『これ以上は』歪む。



 灯歌……灯歌……灯歌……なんで灯歌が倒れてるんだ?


 なんで灯歌の後ろの樹が枯れているんだ?


 『危険だ』『だめだ』『戻れ』『歪む』『裏返る』


 ………ああ、そうか。俺がやったんだ。


 ………俺が?なんで?


 『記憶が』『混濁して』『よく』『見えない』


 思い出せない。あれ?あれ?あれ?



 思い出せない。思い出せない。思い出せない。思い出せない。




 『一度』『二つ』『一人に』『一匹に』『戻れ』『裏返れ』




 どうしようもなく眠い。甘い香りにのって、血の匂いが鼻をくすぐる。



 『解毒しろ』『受け入れろ』『無理だ』『見えない』



 影が一人でに集まっていく。赤黒い蜘蛛の巣が影に沈んでいく。



 赤黒い八つの眼が影の向こうの奥深くへ沈む。


 それと同時に、赤黒い視界が水に溶けるように散らされていく。



 ああ――――――眠い。




 俺は抗えない眠気を『受け入れて』その場の地面に倒れこんだ。





「ふう………暫くそうして下さいよ~?蓮司さん」




 聞き覚えのある誰かの声がしたが、それもどうでもいいや………。


 ね……む………い………………――――――――――――。





・・・

・・・・・

・・・・・・・





《三人称視点》


 蓮司が異様な眠気を感じていた時、既に雨霧率いる【鉄火の牙】の精鋭グループは近くにいた。


「う、うう………」


「………あ、起きた」


 身体中に走る痛みに顔をしかめながらも、灯歌は取り戻した意識を手放さずに身体を起こす。

 灯歌が顔を上げると、そこには自分を見下ろす黒頭巾の少女がいた。


「君は………っ!?つう……!」


 立ち上がろうとして地面に手を付いた時、右腕に激痛が走る。


「………まだ、動かないで。大人しく、してて」


「ああ………」


黒頭巾の少女――――――【鉄火の牙】の幹部の一人、天藤により再び地面に寝かされた灯歌は、素直に礼を言う。

 少し遠くで、蓮司の身体を縛っている人物の一人の顔に見覚えがあり。それが雨霧のものだったため、灯歌は雨霧の仲間だろうと当たりを付けた。


「………ボスー、起きたー」


 可愛らしい動きで雨霧の下に小走りする様子は、なんとも愛らしい。

 灯歌は半ば無意識に微笑んだ。


 天藤から意識を取り戻した旨を聞いて、天藤の頭を撫でてから雨霧は灯歌のところまで歩いて来た。


「やっ、梶さん。ボロボロだね~」


 ヘラヘラとした顔で、気安い態度で雨霧は灯歌に挨拶をした。


「はっは、さすがに一人でレンレンを止めるのはきつかったな」


 灯歌が力なく笑う。

 雨霧は灯歌の後ろで無惨な姿になりながらも、コンクリートの壁を突き破って聳え立つ灰色の樹木を見て、ため息をついた。


「ほんっと、無茶するね~。あの状態になった蓮司さんを相手に、止めるとか。梶さんって、自虐癖あったんだね~」


 雨霧の遠慮のない物言いに額に青筋を浮かべるも、実際、自分がどれだけ無茶な事をやろうとしたのか理解できるため、灯歌は反論を呑み込む。


「本来の【灰之樹】を弱体化させてまで、鎮静作用のある樹木に変質させて戦うとか。最初に言い出した時はマジで頭おかしくなったのかと思ったけど………」


 雨霧は静かな寝息を立てて地面に横たわる蓮司の姿を見て、肩を竦める。


「まさか、本当にやっちゃうとはね~」


「馬鹿言え。君が咄嗟に眠りの血煙を出さなかったら、私はもっと酷い状態になってたよ」


「あれ?バレて~ら」


「正直言って助かったよ。ありがとう、アマカズ」


 灯歌は雨霧に感謝の意を伝えようと、微笑みを向ける。

 雨霧は一瞬ドキリとしたが、すぐに頭を振って正気に戻る。


「(ちっ、無自覚天然たらしがっ)」


 僅かに苛立ったように、雨霧は小声で悪態?をつく。そこには照れ隠しのようなものも含まれているのだろう。


「ん?何か言ったかい?」


 灯歌は心底不思議そうに首をかしげるも、雨霧は瞬時にいつもの飄々とした表情で応対した。


「いえいえ何も~………でも、別に礼を言われるようなもんじゃねえよ。俺達は取り逃がしたからこっちに来たんだからよ」


 雨霧の顔が唐突に狂犬の如く凶悪な顔つきに、そして乱暴な口調になる。

 これは、雨霧がそうとう激怒しているという証拠であり、事実・・・簡易拠点で裏切り者からのメッセージを思い出して、また苛立っているようだった。


「はっは!素が出てるって事は、本気で頭に来てるんだね」


「ああ~………連中、随分と舐めた事を仕出かしやがったんでね。実のところ、ここに来たのはついでみたいなもんなんですわ」


「? どういう事だい?」


 答えようか否か。暫くの間、逡巡していた雨霧は、別に隠す事でもないかと、口を開いた。


「あいつら………どうやら狼通りの【ダンジョン】に手を出したみたいなんですよ」


 灯歌の顔から表情が消える。


「それは………暗黙の了解を破ったってことかい?」


「いいえ?単に偶然知ったのか、それとも協力者がいたのか………少なくとも、そいつはここらの人間じゃあ、無さそうなんですよ」


「はあ……………問題が山積みだな」



 狼通りと呼ばれる、この廃都市には破ってはいけない暗黙の了解というものがある。それは、狼通りの奥深くに存在する【ダンジョン】には手を出してはいけないというものだ。

 その【ダンジョン】は狼通りの魔獣たちに恵を齎すと共に、【大進攻】を防ぐ意味合いも持たれている。


 【大進攻】は文字通りの災害だが、決して防げない訳ではない。仮設ではあるが、そうした行動が【大進攻】を防ぐ可能性に繋がっている。

 少なくとも、狼通りの周期的な魔獣の襲撃は、その時期毎に規模が縮小している事が証明されているのだ。




「もし、あの【ダンジョン】に手を出したら………」


「間違いなく、現在進行形で起こっている【大進攻】に、狼通りの魔獣共が合流しかねない」



 灯歌と雨霧は冷や汗を顔に浮かべて、お互いにその最悪の状況を想定して顔を青褪めさせる。



「「総長(親父)に怒られる………!?」」



 いや、他にも色々と懸念すべき事はあるのだが、二人だけは別の意味で最悪の状況を想定して怯えていた。





・・・

・・・・・

・・・・・・・





――――――――――――【鉄火の牙】本拠点



「くまなく全てを探しなさい。ボスの予想が正しいなら、どこかに盗聴器か盗撮機があるはずです」


 雨霧の命令を受けた須崎は、必要最低限の人員を裏切り者の顔写真の念写などの身元確認に残して、それ以外の全ての人員を盗聴・盗撮機の捜索に動員した。


「んなこと言っても姉さん。どこにもねえぜ?」


 一人の構成員が棚の裏側などを捜索しながら、須賀に疑問を浮かべた表情を受ける。須崎は、その構成員を叱咤するように厳しい声を向ける。

 かくいう自分も探しながら。


「つべこべ言わずに探しなさい。ボスがあるかもしれないと言ったなら、必ずあります。それに………」


「それに?」


「もし、盗聴器などが仕掛けられているとしたら、こちらの情報は筒抜け。設備が整っていない為に逆探知して捜索も不可能。つまり、一方的にこちらの情報が相手に渡っていると考えていいでしょう」


「………!?」


 須崎の冷静な思考によって挙げられた、論理的な考えを説かれて、構成員ははっとした表情で目を見開いた。


「このような世界になっても、情報は強力な武器になる。それが分かったなら、捜索を再開しなさい」


「はい!」


 一室をその構成員に任せて、須崎はいったん報告を聞くために司令部屋に戻る。

 そこでは、数人の構成員が待機していた。


「どうですか?見つかりましたか?」


「はい、姉さん。こちらです」


 一人の構成員が代表して白い布を開いて、包まれていた盗聴器を見せる。


「これはどこに?」


「坑道の入り口に。しかし、この盗聴器の仕組みを見る限り、まだ拠点内のどこかに仕掛けられているかと思われます」


 見つかった盗聴器は、長距離でも複数の子機を連動するように受送信して、本体に情報を伝えるというものだった。

 【鉄火の牙】の拠点は、構成員を養えるよう内部が大幅に改造されている。

 そのため、見た目よりも【鉄火の牙】の本拠点はかなりの広さを誇る。


「………恐らく、これは内部で情報を盗聴するためのもの。裏切り者の殆どは、簡易拠点に居ます。ですが………本拠点にいる筈の新入りも何名か行方不明になっていることから、彼らもグルでしょう」


「どうします、姉さん?」


「取り合えず、あなたとあなたは引き続き捜索を。途中、捜索している者達への説明もお願いします」


 二人の構成員が頷いて司令部屋を出ていく。


「残ったあなた達は、本拠点から行方不明になった新入りと同じ班だった者を探し、彼らを伴って念写班に行って顔写真をつくって下さい」


「「「了解!」」」


 須崎は眉間のしわを揉み、軽く頬を二回叩く。

 一度、深呼吸をして通信機を手に取った。


「ボス―――――――――」


 通信先は、雨霧だった。






◆◆◆






《蓮司視点》


 真っ暗闇の中。人間おれ怪物オレと対峙していた。


 二重人格………なんてもんじゃない。


 俺は、明確に一人の人格しか持っていない。


 それは、はっきりと確信して言える。


 だったら、俺とはなんだ?


 【ギフト】を得た事で、自分が人間ではなくなった事を感じたのに、


 俺は人間の姿のままだった。


 だったら、怪物はなんだ?


 八つの赤黒い目を持つ、食欲の権化のごとき存在。


 境界は明確にしなければならない。


 人間おれの姿でいる時は、人として。


 怪物オレの姿でいる時は、獣として。


 そういう風に振舞おう。


 そう、俺は決めていたのに。




 やはりがいけないのか。


 境界を曖昧にする事で、人間おれでも怪物オレでもない、何かになる。


 それが、だめなのか。


 は俺という存在を曖昧にする。


 俺という人格を、本当の意味で破壊し。


 俺という人格を、本当の意味で狂気に落とす。




 それでは駄目だ。それは駄目だ。それは駄目だ。



 それはあの子との約束を破る事になる。


 俺は、俺である限り、人ととしての心を持って生きていくと、俺はあの子と約束したのだから。


 でなければ――――――――――――




 そう、でなければ…………




 『死して俺を狂気の海から正気に引き戻した、あの子の覚悟が、生きた意味が無いみたいじゃないか』






 俺は境界をつくる。


 俺は境界を影とする。


 俺は人と怪物の姿を隔てる。




 ああ、きっと。


 こんな人間としてはあり得ない力と、


 こんな人間としてはあり得ない理性を持つ俺は、


 正気であっても、絶対にヒトとは言えないのだろう。




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