第6話
「うおっ!」
妙な声を上げて英志が足を止めた。何事かと見れば、石段の下に五、六人の老人がずらりと並んで僕たちを見上げている。全員が男性で、中にはさっき屋敷で話をしてくれた老人の姿もあった。老人たちは僕たち……いや、恐らく僕に向かって深々と頭を下げた。
「おかえりなさいまんせ、石神の主さま」
「あ、主さま……?」
僕たちが絶句していると、真ん中の老人が一歩進み出た。
「わだくしがお手紙差し上げました村長の阿瀬と申すものです。村民一同、主さまのお帰りを歓迎いだしでおりますでな」
いや、お帰りと言われても……この村を訪れるのは初めてだし、定住するつもりもないのだが。
「今日は是非、わだしの家にお越しでくださいませんかの。ささやかではありますがの、歓迎の膳を用意してますんで」
僕たちはまた、顔を見合わせた。一応今日の夕食としてのカップ麺なんかは用意してきてはいるのだけれど。
「どうする? 主さまに任せるわ」
「う〜ん……」
確かにこの村には二、三日滞在するつもりだし、何かで彼らの手を借りることがあるかもしれないと考えると友好的に振る舞って損はないだろうけど……
「でもさ、屋敷の掃除はどうしましょう? ご飯食べて、帰ってからじゃ遅くなるのではないでしょうか?」
槇山さんさんの言葉に阿瀬村長は慌てて手を振った。
「あ、いやいや。そぢらは村の女衆にやらせますよってご心配なぐ。主さまにそげな雑用させるわげにはいかんでな」
「いや、でも……」
女衆、といっても高齢の方々であることは間違いないだろう。さすがにそこまでしてもらうのは悪いとは思ったのだが、かといってここまで言ってもらっておいて断るのは好意を無碍にするようで申し訳ない気もする。そして何より、老人たちの期待に満ちた眼差しの圧が凄い。
仕方ない……小さく息をついてから、僕は答えた。
「じゃあ、ちょっとだけお邪魔させてもらいます」
「阿瀬の家はの、石神の主から『ずぐ』の扱いを任されておるのでずよ。ただのぅ『本ずぐ』をこさえるごとがでぎるのは主さまだけなんで、もう長いごとワシらの口には『シシずぐ』しか入っとらんがのう。やっぱり『本ずぐ』を食わんと長生ぎできませんわな」
道すがらに阿瀬村長が説明してくれた。
「ほな、やっぱ『ずぐ』っちゅうのは食いもんのことやったんやな。新手のモビルスーツかと思てたわ」
「……そんなワケないでしょ」
『ずぐ』がどんなものかは分からないが、どうやら『本ずぐ』というものは石神の家の者しか作れないレアなもので、『シシずぐ』というのはそのイミテーションであるようだ。『シシ』がイノシシ、あるいは獣全般を指すのだろうが、では『本ずぐ』が何から作られるのかは予想もできない。
村長の家はこの村の真ん中近くにあった。かなり大きく、石神の屋敷に継ぐ規模だ。特徴的なのは母屋の隣にある大きな離れだが、すべての窓が固く閉ざされていて現在も使われているのかどうかは分からない。
「……しかし……臭いますね」
槇山さんが鼻と口を押さえながら小声で囁く。言われてみれば、独特のえぐみのある異臭が周囲に漂っている。その出所は恐らく、あの離れだ。
「うん」
と小声でやりとりしていたつもりだったが、阿瀬村長には聞こえていたようだ。歳のわりに耳は良いらしい。
「あぁ、臭いますがの? 今日は風向ぎがよぐねぇっすなぁ」
「これ、何の匂いでっか?」
ストレートに訊くのは、やはり英志だ。
「漬物でずわ」
……『ずぐ』というのは漬物のことなのだろうか? 確かに外部から訪れたアマビトが食料の乏しい山村に保存食としての漬物の作り方を伝えた……という解釈も成り立つかもしれない。しかし漬物の歴史はかなり古いはずだし、そもそもその漬物の材料があるのなら飢えたりはしないだろう。
「……石神さん、この臭い、なんだか動物のものっぽくありませんか?」
槇山さんがさらに小声で訊いてきた。今度は村長にも聞こえなかったようだ。
「うん、牛か豚でも飼ってる……ようにも見えないけど……なんだろうね?」
どうもこの村の人間は和やかに接してくれているようで、肝心なところは全て暈されている気がする。まぁ、恩人の子孫だといったところで僕なんて何も知らない余所者と変わらないし、そこまで深入りするつもりもないので何もかも話してもらおうなんて考えてはいないのだけれど。
床の間に何やら不気味な絵の描かれた掛け軸が飾られた村長の家の広間には、すでに四人分の膳が用意してあった。玄米のご飯に山菜の佃煮と豆腐の煮物。そして最も大きな器に盛られたメインの料理が……
「何なのでしょう、これ……」
あまり表情を変えない槇山さんがあからさまに厭そうな顔をしている。
それはなんとも言えず不気味な見た目の料理だった。ドロリとした赤黒い生肉色の寒天というか煮凝りというか……およそ食欲をそそられるような代物ではない。
「それが『ずぐ』ですわ。この村の、まぁ名物料理といっだとこでしょうかの。ささ、遠慮なざらず召し上がってぐんなさいな」
四人の視線が交錯し、やがて三人分の視線が僕に集中する。その上に村長の期待に満ちた眼差しまで向けられては仕方がない。僕は箸を取り、覚悟を決めて『ずぐ』の器を手に取った。
「い……いただきます」
思い切って一口。途端に泥臭さと生臭さと獣臭さが口の中いっぱいに広がった。その臭いにはさっき、離れから漂っていたものと近いものがある。さらに臭いに加えてピリピリと舌の痺れるような刺激に襲われた。とても耐えられたものではないが、ここで吐き出すわけにはいかない。なんとか無理に呑みこんだが、途端に酷い胸焼けに襲われた。断言しよう、これは人間が食べて良いものではない。
冷や汗が背中から吹き出る。心臓が早鐘のように打ち始める。身体が内側から作り替えられていくような、ザワザワとした不快感に意識が遠のいていく。
「石神さん……大丈夫ですか?」
槇山さんに訊かれて、なんとか頷いた。
だけどその瞬間、プツリと意識が途切れた。
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