第2話

 インターチェンジを降り、市街地を抜け……気がつくといつの間にか山の中にいた。出発してからすでに四時間近く経っている。なんとなく話す話題も尽きて窓からぼんやりと外を眺めているうちに、どうやらウトウトしてしまっていたようだ。

「うぇっ?」という奇妙な声でハッと顔を上げるのと同時に英志がブレーキを踏んだ。眠りっぱなしだった女子二人も目を覚まして「ここどこ?」などと言い始めている。


「なんだ、これ……?」


 周囲の異様な風景に思わず声が漏れた。車がすれ違うのがやっとという山道の両側に、まるでガードレールか何かのようにずらりと地蔵が並んでいるのだ。十や二十ではない。数百……もしかしたら千を超えるかもしれない。


「うわぁ……こりゃお爺さん大変だ。どれだけ傘を用意すればいいんだろ」

「香奈美ちゃん、笠地蔵じゃないから……」

 

 松井さんの妙な感想に、槇山さんが控えめかつ、冷静なツッコミを入れる。


「すげぇな、しかし。休憩がてらちょっと見てくるわ」


 言うなり、英志は車を停めて降りてしまった。一応公道上なので危険ではないかと思ったが、車が走行してくる気配はない。注意しながら降りてみれば、足元のアスファルトの割れた箇所から雑草が顔を覗かせている。どうやら車の行き来も多くはなさそうだ。


「これ……お地蔵さまではありませんね……」


 振り返れば、いつの間にか降りてきていた槇山さんが道端にしゃがみ込んでいた。


「どういうこと?」

「はい、お地蔵さまというのはいわゆる地蔵菩薩の姿を模した石仏を指すのが一般的で、それなりに統一した体裁があるのですが……これにはその特徴が見られませんので」


 たしかに、よくよく見てみれば頭部と胴体を分けるべきくびれはあるものの、衣服なんかの細かい部分はまったく再現されてはいない。全体的に粗雑で、勢いに任せて彫られたもののように見える。


「地蔵菩薩は弥勒菩薩が現世に現れるまでの間、迷える衆生を導く役目を持つ仏さまですので穏やかな表情をしておられますよね? ですが、これら皆怖い顔をしています」

「じゃあ、これは……?」

「魔除け、なのかもしれません」


 槇山さんは顔を上げ、石仏が見つめる方向……つまり、僕らの進む先に目を向けた。


「これ、全部同じ方向を向いてますよね……きっと、これを作った人人は向こうから何か悪いものが来るのを恐れていたのでしょう……」


 言ってから、槇山さんはハッと顔を上げて僕の方を見た。


「あ、あの……ごめんなさい!」

「え? あ、あぁ……」


 一瞬、なぜ謝られたのか気づかなかったが、よくよく考えればこの先にあるのは僕のルーツとなる村だ。槇山さんの解釈が正しければ、そこに何か悪いものがある、またはそこの住人が恐れられているということになってしまう……もちろんそこには僕の血縁も含まれるのだ。


「いいよ、気にしないで」


 そう言ったものの、なんだか厭な気分だった。槇山さんのせいではない。この石仏たちを見ていると製作者たちの危機感、怒り、焦り、そして恐怖……そんな負の感情がひしひしと伝わってくるのだ。いったい、彼らはいったい何に怒り、何を恐れていたのだろう? そしてそれは、僕のルーツとなる村に何か関係があるのだろうか。


「おーい、そろそろ行こうや」


 英志に呼ばれて、僕たちは一応目の前の石仏に手を合わせて立ち上がった。


「行こうか、槇山さん」

「……はい」



 石仏たちの睨みつける先には古いトンネルがあって、それを抜けるとさらに道は細く、険しくなっていった。車一台通るのがやっとという細い道の右手は険しい崖となっていて、もし少しでもハンドル操作を誤れば急勾配を転がりながらどこまでも落ちていくだろう。さすがの英志も緊張した面持ちを隠せない。

 ヒヤヒヤしながらその道を通り抜けると、ようやく少し開けた高台に出た。ホッとして見下ろす先には、谷間の底のような小さな空間に微睡むように横たわる小さな集落が見える。


「あれが石神村かいな。想像はしてたけど、シケた村やなぁ」


 それは僕ら全員の、率直な感想だったに違いない。



「はぁ……こら大概やなぁ」


 英志がよく分からない感嘆を漏らす。それでも、なんとなく言いたいことは伝わってきた。

 秩序なくまばらに建てられ家はどれも古く、中には都会で見ることのない藁葺き屋根の家もあったが、そのほとんどはすでに朽ち果てていた。実際、この辺りに人が住まなくなって長いのだろう。倒壊したまま、生い茂った雑草に飲み込まれてしまった家もあるようだ。


「なんだか、寂しい風景ですね」

「うん、気が滅入るよね……」


 石仏のところでなぜか松井さんが助手席に座ってしまったので僕と槇山さんは後部座席に並んで座っている。時々触れる素肌の肘の滑らかな感触に何故かドキドキしながら、僕は務めて平静を装いながら言葉を返す。


「ねぇ、ここってとっくに廃村になってるっぽくない? 道間違えてるとか、ないの?」

「そらないやろ……とはいうものの、さすがにこんなとこ来たことないから自信ないなぁ……おっと」


 不意に英志がブレーキを踏んで車を止める。何かと思えば、前方にこれまでとは異質な、四角い建物が目に入った。


「交番……いや、駐在所ってヤツかな?」

「ちょうどええわ。道聞こうで」


 道端に寄せた車を降りた僕たちはゾロゾロと駐在所に向かった。ここに来て初めて目にする、朽ち果てていない『生きている』建物がやけに新鮮に見える。


「すいませーん」


 呼びかけながら引き戸を開くと、殺風景な狭い空間に一人の若い警察官の姿があった。椅子に座ったまま壁に身体を預け、顔に帽子を乗せて眠っているようだ。


「あの」


 と再び声を掛けると、ビクッと痙攣した拍子に帽子が床に落ちた。目を覚ました警察官はひどく驚いた表情を浮かべて僕らの顔を見回し、

「うわあ」

 とひどく間の抜けた声を上げた。

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