よごすの心臓
蒼 隼大
第1話
夏休みを利用して、自分の姓と同じ名を冠する石神村に向かうことになったのは、弁護士を通じて突然送られてきた一通の手紙のせいだった。
村長を名乗る差出人はかなり高齢のようで、震える字体で記された手紙は解読するにも一苦労だった。それでもなんとか読了してみれば、その用件は大叔父である石神源二が亡くなったので遺産の整理に来られたし……というものだった。
「大叔父? 才人……自分、天涯孤独とか言うてなかったか?」
僕が手紙のことを話すと、友人の秋元英志はひどく驚いた表情を浮かべた。
「僕もそう思ってたんだけどね……驚きだよ。まさか僕にまだ血縁がいたなんてね」
僕の言葉に、少なからず侮蔑の響きが含まれていたからといって責められる謂れはないだろう。生まれてすぐに両親を亡くし、親の顔を知らないまま施設で育てられてきた。施設ではちゃんと教育を受けさせて貰い、祖父の遺産を弁護士が管理してくれていたおかげでこうやって大学生活を送ることができているものの、僕は肉親の情愛というものに触れないまま生きてきたのだ。その大叔父とやらがどこまで事情を把握していたかは知らないが、こうやって手紙を届けるルートが存在しているということは僕の存在についてはちゃんと認識していたということになる。だというのに、血の繋がった子供を二十年も放置していたのだから多少の恨みごとに文句を言われる筋合いはないはずだ。
「まあそう言いなや。そのおかげで自分、親の遺産に加えてその大叔父か? の遺産両方相続できるんやろ。ウハウハやん」
「いや、金の問題じゃないから……それに大叔父さんは山奥の村で隠遁生活を送ってた人みたいだから額面に期待はしてないよ」
まあ、田舎の家土地もろうてもしゃあないわな、と英志は笑った。
「で……俺に頼みってのは何なん?」
「あぁ、実は石神村までの足がないんだ。何しろ山奥だろ? 鉄道は通ってないしバスの本数だって一日に二本。しかも村まではかなり歩かないといけないみたいなんだ……だからさ」
「乗せてくれ、かいな……自分、金持ってんねんから車ぐらい買いいな」
「免許もないんだ」
ものすごく呆れた顔をされた。確かに、相続した遺産のおかげで僕は人並み以上に裕福な生活をさせてもらっており、交通に不便のない一等地に暮らすことができている。それはつまり、車を運転する必要がない生活をしているということだ。先々のことは分からないが、とりあえず今のところは、特に困ることもないので免許証の取得は考えていない。
「ほんまに……まあ大切な友人の頼みやからな、ええやろ、運転手引き受けたるわ」
「本当に? 恩に着るよ!」
「ガソリン代は自分持ちやからな」
「それは勿論。それとさ、骨董とかそういうものに明るい人っていないかな。遺産っていわれても、実際何が出てくるか分からないしさ」
「ふ〜ん、まぁ当たってみるわ」
言いながら、英志は何やら不穏な笑みを浮かべた。
「それじゃ、しゅっぱーつ!」
後部座席で意気揚々と拳を突き上げたのは松井香奈美だった。その隣では槇山恵理がその勢いに押されたように仰け反っている。
英志所有の、このミニバンのラゲッジスペースには四人分の荷物のほかにバーベキュー用品やら釣り道具がギッシリと積み込まれている。つまり、僕の用事にかこつけて四人で夏山を楽しもうという魂胆だ。
それでも、車内が賑やかだったのは高速道路のサービスエリアでトイレ休憩を取ったあたりまでで、その後は朝が早かったせいか女子二人は互いに身を寄せ合いながら眠ってしまった。チラリと後部座席を振り返ると、普段なら見ることのない二人の寝顔がひどく可愛らしく見える。
「寝とうか?」
「うん、でもまさかこんなことになるとはね……」
遺産整理のはずがまさか男女四人のキャンプ旅行になるとは……すべては英志の行動力の賜物だが。
「しゃーないやろ。今回の件に適任やったんが、知り合いでは恵理ちゃんぐらいしかおらんかったからな」
聞けば、槇山さんの実家は骨董屋を営んでいるらしい。彼女自身もその影響で骨董や古文書に興味を持ち、その流れで民俗学や宗教にまで興味を持って色々と勉強しているらしい。可愛らしさ外見にかかわらず、なかなかに渋い趣味だ。
「せやかて、女の子一人で同行させるわけにはいかんし、どうしてももう一人は必要やろ? せやから……」
「謀ったな」
英志は笑いながら、チラリと視線を後部座席に向ける。前々から松井さんを狙っていたのだ、この男は。
「このチャンスをモノにせぇへん手はないわ……才人かてそうやろ?」
「え……?」
見れば、英志はその口元に意味深な笑みを浮かべている。
「しらばっくれんでもええんやで。自分が恵理ちゃんのこと意識しとったん、バレバレやからな。こら天の配剤っちゅうヤツやで……大叔父さん様々やな」
亡くなった人をダシにした恋愛もどうかと思うが、それよりも感嘆すべきはチャンスを確実に物にする英志のフットワークと交渉能力だろう。人付き合いの苦手な僕ではこうはいかなかったはずだ。
「全部が上手くいったら祝杯やな。もちろん、勘定は才人持ちやで?」
「分かってるよ」
上手くいこうがいくまいが、元からお礼に一席設けるつもりではあったのだからそれは構わない。だけど、正直複雑な気分だった。槇山さんはいい娘だし、一緒にいられたらいいな、とも思っているのは確かだ。チャンスを作ってくれた英志にも感謝している。
それでも不安が拭えないのだ……およそ肉親の愛情というものに縁なくそだってきた僕が、誰かを好きになることなどできるのだろうか……
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