第2話 百年後の奇跡の話 その2

 時折立ち止まり、スマートフォンで地図を確認しながらイマは山中の道を歩く。

「この時代には便利なものがあるんですね。でも、どこにむかっているのですか?」

 幽霊少女は興味深そうに画面を覗きこむ。

「お墓! 近くのお墓にいってみよう。他の幽霊さんに会えたら、なにかわかるかも」

 イマの家から、若桜の町中を抜けて墓地へむかう。

「もう、百年なんですね」

 町を見つめながら、少女はしんみりといった。

「百年、生きていたのが十五年だから、死んでからの方が随分長くなっちゃったのね」

 イマは、慎重に尋ねる。

「なんで死んじゃったの?」

「元々、体が弱かったんです。一応、学生でしたが、ほとんど学校にはいかず、家で寝ている日の方が多かった。長くは生きられないって知ってたから、自分が死んだ後、どうなるんだろうって思って、幽霊や、妖怪の研究をしていたのです」

 幽霊少女は笑った。

「長生きできなかった私が、百年後の若桜を見て、百年後のヒトと会話できる。まるで、奇跡みたい。死んでから、こんなすがすがしい気持ちになったのは二回だけです」

「一回目は、なんだったんですか?」

 初夏の風が吹き抜ける。

「女中のおばさんの、この世のものとは思えないくらい不味いお粥を、もう食べなくていいって気付いたとき」

 幽霊少女は、小さな声でそういった。


 こうして、イマと幽霊少女は墓地にやってきた。

 最近のものと思われる綺麗な墓石もある一方で、風雨にさらされてもはそれが墓石であったことすら分かりづらくなっているものもある。

「誰も、いませんね」

 幽霊少女は周囲を見回す。

「そうだね」

 イマはあたりを見まわしながら墓地の通路を進む。

 そして、曲がり角を曲がったときだ。

「うわぁ!」

 一人の女の子とぶつかりかけた。

 女の子は、墓石の前にしゃがみ、目をつむって手を合わせていた。

「あ、ごめんなさい」

 イマは小さくそういうと、そっと後ろに下がる。

 女の子の前の墓石に手向けられた花はしおれておらず、線香からは煙が伸びている。足元には、水を入れた桶があった。

「いきましょう、イマさん」

 幽霊少女はそっといった。

「うん。そだね」

 イマと幽霊少女がそっと立ち去ろうとしたときだ。

「ごめんなさい。気を使わせてしまって」

 女の子はそういって立ち上がる。イマと同い年くらいに見えた。

「あの、あなた幽霊が見えるのですか?」

 女の子はそういいながら、イマと幽霊少女を交互に見る。

「あなたも、見えるの?」

 イマがゆっくりと、慎重に尋ねると、女の子は首を縦に振った。

「江坂セリカっていいます。私、幽霊が見えるんです」

 女の子――セリカはそういった。


 墓地の入り口の石段にイマと幽霊少女とセリカ。三人並んで腰かける。

「なるほど、そちらの方を死者の国へお送りしたいと」

 セリカはそういって、何度かうなずく。

「なにか、心当たりない?」

 イマが様子をうかがうようにそっと尋ねる。

 セリカは立ち上がる。

「大丈夫ですよ。私について来てくれませんか」


「へ、イマさん六年生なんですか? 同い年なんですね」

 墓地を出て、町へむかう道を歩きながら、セリカはいった。

「うん。きょう東京から引っ越してきたばかりなんだ。だから、タメ口でいいよ」

 イマにとっては、今まで何度もやってきた会話だった。

「それで、どこへむかってるの?」

 イマは尋ねる。

「はい……うん。知り合いでね、幽霊さんがお客さんとしてやってくる料理店をやってるヒトがいて、そこのお料理を食べると死んだヒトの国へ逝けるんだって」

 セリカの返事に、イマは感心したようにうなずく。

「ふーん。そんなお店があるって、鳥取はすごいんだね」

「鳥取は……関係ないと思うけど」

 セリカは困った顔を浮かべた。

 そんな二人の会話を、聞きながら、幽霊少女はそっと笑顔を浮かべた。


 駅の周囲の賑わっている区画。

 セリカの案内でやってきた。

 古びた和風建築。簡素な『和食処 若櫻』の看板。

「ここ、ですか?」

 イマはいった。

「うん、ここ」

 入り口の扉には『準備中』の札がかかっているし、各窓からは全く光が漏れず、ヒトのいる気配がない。

 しかしセリカは、ためらう様子なくドアノブに手をかけ、開いた。


 カラン。


 扉につけられたベルが鳴った。

「いらっしゃいませー」

 エプロンをつけた、店員らしき女の子がいった。家業の手伝いだろうか? 年はイマとほとんど変わらないように見える。

 そして、店員の頬には大きな火傷の跡があった。

 店内にいたのは、店員ともう一人、カウンター席に女の子が座っていた。こちらも、イマと大きく年は変わらないようだが、店員の女の子よりは幼く見えた。

「お、セリカ。いらっしゃい。そっちは誰だ?」

 カウンター席の女の子は、イマたちの方を振り返り、そういった。

「あの、このヒトをあの世へ送ってほしいんです。それで、セリカさんがこのお店を案内してくれて。あ、私、イマっていいます。きょう東京から引っ越してきました」

 イマは早口で、いっきにいった。

「詳しいことはわからんけど、とりあえず落ち着いて、座って」

 店員の女の子がいった。

 イマと幽霊少女はカウンター席に座る。店員の女の子は二人の前にコップに入れた水を出した。

「ここは、なんのお店なんですか?」

 幽霊少女が尋ねた。

「ここは、死んだヒトが、この世に強い『想い』を残していたとき、このお店に来るんです。私はコン。死んでしまったヒトを、死者の国へ送る為の料理をつくってます」

 店員の女の子――コンがそういった。

 コン、それは、イマのあだ名と同じだった。そのことを話題にしたかったが、本題からそれるので我慢した。

 イマが黙っていると、カウンター席の女の子がいった。

「私は、長尾サナだ。よろしくな」

「二人とも、私の大切なお友達なの」

 セリカはそういって笑った。

 そのとき、サナがイマに顔を近づけてきた。

「え、あの、サナちゃん?」

 サナはクンクンとイマの匂いを嗅ぐ。

「なあ、イマっていったっけ。お前、キツネの知り合いいないか? なんかキツネの匂いがするぞ」

 イマは慌てて自分の腕を嗅いだ。

 外を歩き回っていたから、汗の臭いはする。でも、それだけだ。

「そっか。匂う気がしたんだけどな」

 サナは顔を離す。

「あの、それで、なんだかよくわからないけど、ここでご飯を食べると、死んじゃったヒトの国へいけるってことですか?」

 幽霊少女は首を傾げた。

「そこのかまどで、料理をつくるんです」

 コンは厨房の奥にある、金属製のかまどを指差す。

「あのかまどでつくった料理を食べると、命との繋がりを全て断ち切り、死者の国へ

送られるんです」

 それを聞いた途端、イマの表情はパァっと明るくなる。

「やったね、これで、あの世へ逝けるよ」

 幽霊少女も、嬉しそうな表情を浮かべる。

「あの、料理、これからつくってもらうことってできますか?」

 少女は、様子をうかがうようにたずねる。

「もちろん、できますよ。でも、その前に果たしたい“想い”はないですか?」

 コンにいわれ、少女は少し考える。

「じゃあ、一つだけ、わがままいっていいですか?」

 少女は小さく息を吸った。

「イマちゃん、今日この町に引っ越してきたばかりなんです。だから、困ることもいっぱいあると思うので、助けてあげてくれませんか?」

 イマは驚いて、少女を見る。

「さっき、会ったばかりなのに……」

「さっき会ったばかりなのに、私のためにここまでしてくれたイマちゃんですから、そう想ったんですよ」

 幽霊少女は、イマに微笑みかけた。

「わかりました」

 コンは、どこか嬉しそうだった。

「あの、それでお料理なんですが、お品書きって……」

 幽霊少女は尋ねた。

「なんでも、私につくれるものでしたら」

 コンはこたえた。


「おいしい」

 茶碗によそわれたおかゆ。レンゲですくって、口に入れて、少女はそういった。

「ありがとう。やっと、やっと……みんなに会える」

 幽霊少女の姿は徐々に薄くなり、そして、消えた。

 最期の表情は、涙を流すくらい、嬉しそうだった。

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