コンと狐と水底の祈り(コンと狐とSeason3)

千曲 春生

第1話 百年後の奇跡の話 その1

 イマ、という名前の少女は十一年と十一ヶ月暮らした自由が丘の自宅を出て、ホテルで一泊し、朝、出発した。

 レクサスのハンドルを握るのはお父さん。助手席に座るのはお母さん。そしてイマは後部座席に乗っていた。

 長袖のTシャツに長ズボンという季節を考えると少々暑い格好だが、お父さんが強めに冷房を入れてくれているので、汗はかかない。

 脇には、お気に入りのショルダーバック。チャックの部分には、キツネのストラップがぶらさがっている。

 ずっと高速道路なので、景色はほとんど代わり映えしなかったけれど、市町村を表す看板(カントリーサインというらしい。お父さんが教えてくれた)には地図帳でしか見たことのない名前が次々と現れ、イマはつど、それを話題に出すことで退屈はしなかった。

 カーナビの進路は西を指し示す。


 生まれたときは、助産師さんもビックリするほど大きな赤ちゃんだったという。大変だったと、事あるごとにお母さんはいう。

 今野夫妻に生まれたその女の子はただ一文字『今』という名前をつけられた。読み方もそのまま『イマ』だ。

 今を大切に生きてほしい、という両親の願いが込められた立派な名前なのだが、苗字と

合わせると『今野今』となってしまう。もう少しなんとかならなかったのか、と思った時期もあったけど、最近では気に入っている。

 苗字の『今』と名前の『今』を合わせて、前の学校ではコンコンとか、縮めてコンとか呼ばれていた。

 生まれたときから大きかったイマは、平均値との差を年々広げながら成長し、十一歳となった現在では成人少女以上の身長と、モデルのような整った体系となっていた。

 顔立ちも周囲の子供たちよりはるかに大人っぽく、初対面のヒトに小学生だと思われることはまずありえない。高校生だといっても疑われるくらいだ。

 大学生と間違えられて、芸能事務所にスカウトされたされたことも数回ある。


 そんなイマは、自動車の後部座席からキョロキョロと周囲の景色を見る。

 休憩や食事のために何度かサービスエリアに立ち寄り、東京から十二時間。鳥取県は若桜町に到着した。

 車はゆっくりと、町中を進む。

 田畑に囲まれた、レトロな街並みを抜けていく。

「さ、着いたぞ」

 お父さんがいった。

 車が停まったのは、少し山に入ったところにある一軒の古民家だった。

「うわー、おっきい家」

 イマは声をあげた。

 自由が丘の家は二階建てだったが、目の前の古民家は平屋のようだ。しかし、それでも床面積は明らかにこの目の前の家の方が広い。

「築百年は越えてるけど、リフォームしたから綺麗だよ」

 お父さんがいった。


 玄関を開けて中に入る。

 雨戸が閉め切られているから真っ暗で、蒸し暑い。そして、新しい畳の匂いがした。

「開けましょうか」

 お母さんがいった。

 雨戸と障子、それから襖をあけ放つと、家中に初夏の空気が流れ込んできた。

「涼しー」

 イマは大きな歓声をあげた。

 やがて、引っ越し業者のトラックがやって来た。縁側から家具や段ボールが次々と運び込まれる。

 イマにも一つ、子供部屋として割り振られた部屋があった。そこに家具や段ボールが運び込まれる。

 引っ越し業者のお兄さんが撤収すると、イマはその部屋に入った。

 前の家から使い続けている、イマの匂いが染みついた、イマの物だった。なんだか安心感を覚えた。

 しかし、一つ、新しい家に持ってきていないものがあった。

 勉強机だ。

 一年生の時に買ってもらったものだけど、近頃のイマには小さくて腰が痛くなるから使っていなかった。

 ちょうど、知り合いで子供用の机がほしいといっているヒトがいたから、プレゼントした。

 その代わりの机として、この家の前住人が置いていった机を使うことにした。

 お父さんが写真を見せてくれて、気にいったそれは、現在、イマの目の前にある。

 木製でニスが塗られた事務机。

 とても古いものだけど、まだまだ使えそうだ。大きさもちょうどいい。

 イマはそっと、天板を撫でた。

 一番下の引き出しに鍵がかかっていて開かないらしいが、そこに何が入っているか想像しながら使うのも面白そうだ。

 生まれてから、ずっと東京の、自由が丘で暮らしてきた。

 でも、ここは山陰、鳥取県の若桜町。

 音も、匂いも、空気も、全部イマにとってのはじめて。

 イマは畳の上に大の字になって寝転がる。

 不安と、ワクワクが、半分ずつ。


「私が見えている、なんてことないですよね」


 突然、目の前に顔が現れた。

 和服姿の少女が腰を曲げてイマの顔を覗き込んでいた。

 少女は、十代後半くらいに見えた。

「うわぅ!」

 イマは飛び起きる。

「えーっと、幽霊さん、ですか? ですよねっ」

 イマが少し荒い呼吸でいった。

「あ、はい。幽霊です。あなた、私が見えてるのですよね」

 幽霊少女がいった。

「え、あ、うんっ。私、ちっちゃいときから幽霊が見えるの」

 小学校に入学した頃からだったと思う。イマは他のヒトの見えないもの、幽霊の姿を見て、その声を聞くことができるようになった。

 過去には嘘つきだなんていわれて、嫌な思いをしたこともあったけど、最近ではずいぶんこの能力との付き合い方を覚えてきた。

「あの、もしよかったら、助けてはいただけませんか?」

 幽霊少女は遠慮がちにそういった。

「なにを、困ってるの? 力になれることなら、力になりまス」

「実は、この部屋から出られなくなっていて」

 イマは一気に深刻な表情になった。

「出られないって、閉じ込められてるってこと?」

 幽霊少女はゆっくりと語りはじめる。

「私、生前は幽霊とか、妖怪とか、そういったことに興味があって、色々研究していたんです。あなたのように、幽霊を見ることは叶いませんでしたが」

 イマは相づちをうつ。

「それで、見よう見まねで結界の陣を描いたのです。そのときは、まさか成功しているとは思わなかったのですが、病弱だった私は、学生のうちに死んでしまいました。そのときになってはじめて、自らのつくった結界が有効なものだったのです」

 イマはちょっと考える。

「つまり、私には見えてない壁みたいなものがあるって、ことなんだね。どうしればいいの?」

 幽霊少女はうなずいた。

「そうなのです。陣を描いた紙を破れば結界は消えるのです」

 話を聞きながら、イマは徐々に深刻な表情になる。

「お姉さん、どのくらい閉じ込められていたの?」

「この家ができてすぐに死んでしまいましたから、もう百年くらいですね。ずっと、私の声が聞こえるヒトが現れてくれるのを待っていました」

 イマはとても悲しそうな表情を浮かべ「寂しかったね」といった。

「ありがとう、そういってくれて、嬉しいです」

「はい、結界の陣はそこにあるんです」

 幽霊少女が指差したのは机だった。

「この机?」

「はい、一番下の引き出しです」

 一番下は、例の鍵がかかっている引き出しだった。

「でもここ、鍵がかかってるよ」

「はい。生前、私が使っていた机で、鍵をかけたのも私です。鍵はそこにあります」

 幽霊少女はそういって、天井を指差す。

「天井?」

 イマも天井を見上げる。

「押し入れから天井裏に入れます」

「よし、いってみよう」

 イマは押し入れを開ける。

 確かに、押し入れの中は確かに天井の板がなかった。

「ごめんなさい。ご迷惑おかけして」

 幽霊少女は申し訳なさそうに頭を下げる。

「ううん。いいよ。ゲームみたいで面白そう」

 イマは笑顔でいった。

「げーむ」

 幽霊少女は首を傾げる。

「えっとね、ゲームっていうのは、決まりを決めやる遊びのこと」

「なるほど、確かにそう考えると、面白いのかもしれませんね」

 幽霊少女はパン、と胸の前で手を叩いた。

 イマは押し入れから天井裏に入る。

 板を踏み抜かないように、上手く梁を伝いながら、周囲をスマートフォンのライトで照らす。

 体の大きなイマには、窮屈で動きづらいがなんとか身をよじり、探す。

 そして見つけた。

 埃まみれの中に、金色の鍵。

「あったー」

 イマは鍵を手に取ると、天井裏と押し入れから出た。

「これで、開ければいいんだね」

「汚れてますよ」

 幽霊少女にいわれて、イマは動きを止めた。

「服、埃だらけです。先に掃われてはいかがですか?」

 イマの服は、埃で真っ黒になっていた。

「汚れて……うん、そうだね」

 イマは服についた埃を掃い、引き出しの鍵穴に鍵を差し込む。

 錆びついているのか、なかなか回らず苦労したが、しばらくガチャガチャして開いた。

 引き出しを開けると、そこには数冊のノートが入っていた。

 かなり古いものはらしく、灰色の表紙に施された装飾は、色あせてほとんど見えなくなっている。

「生前の研究、幽霊や妖怪について私が調べた内容を書き留めたものです」

 ページの間には、紙の束がはさんであり、さらに湿気を吸ってふやけているので本来のものより随分分厚くなっている。

 イマはノートを取り出すと、紙の束を取り出す。

「あった、これです」

 幽霊少女は、その中の一枚を指差す。

 それは、墨でなにかのマークのようなものと、色々な文字が書かれている。書いてある内容はイマにはわからない。

「紙を破ってもらえれば、結界は消えます。お願いしていいですか?」

「うん」

 イマは、紙を破った。

「ありがとう」

 幽霊少女は微笑んだ。

 気のせいかもしれないけれど、部屋の中の空気が少し軽くなった気がした。

「……で、これからお姉さんはどうするの?」

 イマは尋ねた。

 依然、イマの目の前には袴姿の少女がいた。

「死んだ者は死者の国へいくそうですが、私にはいき方がわからないのです。他のお亡くなりになられた方々はどうされているのでしょう?」

 尋ねられても、そんなのイマにだってわからない。イマは死んだことがないから。

 だけど。

「わかった。私がなんとか、お姉さんを死んじゃったヒトの国に送ってあげる」

 イマはそういって、ショルダーバックを肩に掛けた。キツネのストラップが揺れた。

「私、イマ。よろしくね」

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