第10話 建国祭準備


ドレスに合う装飾品であることはもちろんのこと、満遍なく地域の特産物を選ぶことができているかも比較検討しなければならない。装飾品を献上してくる商会も1つに絞らなかった。地域によって強い商会が異なることから、数え切れないほどの商会と商談を重ねた。


「ごきげんよう、バリエ準男爵、バリエ準男爵夫人。」

「ご機嫌麗しゅう王妃殿下。」


 最後に商談をすることにしていたのは、バリエ商会だった。アリスが疲れ切ってしまうだろうと考えて、女官のクロエが気を利かせた順番にしていたのである。


「ごめんなさいね、時間が押してしまって。」


 今回は新規の商会とも商談を重ねたため、バリエ夫妻との約束の時間を1時間も押してしまっていた。アリスが眉毛をハの字にして謝罪をすると、夫妻は「とんでもございません。」と慌てて首を振った。


「わたくし達が待つくらいのこと、なんてことございません。」


 オーレリアンがなんてことないようにそう言うと、半歩下がった隣に立っているブリジットも大きく首を縦に振った。


「いいえ。屋敷にはお二人の御子息がお待ちですもの。時間は誰にとっても貴重なものですわ。」

「本日ははじめから王都に泊まりの予定で来ております。ですから、王妃殿下がお気になさることではございません。」

「ではディオン殿は?」

「屋敷で使用人が面倒をみております。」


 それに答えたのはブリジットだった。


「そうですの。では次からは、ディオン殿も一緒にいらしてくださいまし。」

「仕事に子供を連れてくるわけには……。」

「商談の話が終わるまでは、別の部屋で使用人に面倒をみさせたらよろしいですわ。終わった後に、わたくしがディオン殿と遊びたいのです。」


 アリスは有無を言わさない笑顔を向けた。幼い頃に両親と過ごす時間がどれほど大切か、アリスは知っている。忙しいながらも、自分との時間を一生懸命につくってくれたイヴォンとベランジェールにアリスは感謝しているのだ。もし自分に御子ができたならば、積極的に御子と過ごす時間をとろうと決心もしている。


「……承知いたしました。次回からはぜひ、ディオンも連れてまいります。」


 バリエ夫妻は、アリスがこの笑顔をしたときの頑なさを知っていた。周りがどれほど物を申しても、聞き入れてもらえないときの笑顔だったのだ。それゆえオーレリアンは承知の意を示すしかなかった。


 それにアリスの提案はバリエ夫妻にとって、大変恐縮する内容ではあったが、嬉しいという気持ちもあった。ここのところ、アリスがバリエ商会を御用達にしていることから、商会の仕事が忙しくなってきたのだ。それに比例するように、愛するディオンとの時間をとれなくなっていた。


 実はアリスは、そのことが気がかりになっていた。バリエ商会には良い品物が揃っているからこそアリスは利用するのだが、それによってバリエ商会が大忙しになっていることは、アリスの耳にも入っていた。だからどうにかして、バリエ家が家族の時間をとれる一助をしたいと考えていたのだ。


そしてそれは、バリエ夫妻だけではなく、小さい子供を持つ民に通じるのではないかとアリスは考えていた。アリス自らが子供と過ごす時間を大切にすることによって、そのような風潮が広がれば良いと考えていたのだ。


「では、バリエ商会でお持ちいただいたものを見せてくださいまし。」


 アリスのその一声で、バリエ夫妻も商談の顔へと切り替わった。夫妻の後ろに控えていたバリエ商会の従業員が、大きな鞄を次々にアリスの目の前へと並べ、それを開いていく。バリエ商会が準備した装飾品は、豪華絢爛なものから可憐なものまで、取り揃えられていた。アリスは「さすがオーレリアン様だわ。」と感嘆の溜め息をもらす。


「王妃殿下のお召しになるドレスにぴったりの、パストゥール各地の名産を中心に選別いたしました。」


 恭しく傅くオーレリアンに、アリスは大きく頷いてみせた。一口に商会といっても、様々な商会がある。今回、アリスの衣装や装飾品を任せた商会だけでも、20を超えていた。自分のところのイチオシ商品をおすすめしてくるだけのところだったり、高額な商品を売りつけようとしてきたりするところも存在した。


 しかしそれは決して悪いことではない。アリスがその商会のドレスや装飾品を使用したとなれば、半永久的にそしてよっぽどのことが無い限り、その商会がつぶれることはなくなる。だからこそ、この建国祭をチャンスにと各商会も躍起になっているのである。


 そのような中で、アリスは様々な商会の意向を組みながらも、建国祭に相応しい衣装と装飾品を選ばなければならないため、頭が痛いのである。そんなアリスをすべて分かったうえで、ドレスにぴったりの装飾品を準備したのが、オーレリアンなのであった。


 元々、バリエ商会には、1着のドレスをお願いしていた。その際に、オーレリアンから他のドレスのデザインも見せて欲しいと要望があったのだ。そのときに見せたデザインをすべて覚えていたオーレリアンは、すべてのドレスに合う装飾品を準備したのだった。


さらに言えば、アリスが日頃から特定の地域を依怙贔屓するのではなく、満遍なく各産地のものを大事にしていることを、オーレリアンはよく承知していた。アリスが選びやすい装飾品を取り揃えることができているのは、彼の1つの才能といってよい。


「オーレリアン殿は本当に素晴らしい目利きの持ち主でいらっしゃるわ。わたくしが選ばなくても、どれをとってもドレスに合うのですもの。」

「恐縮です。しかしバリエ商会の誇りを胸に、王妃殿下の髪色や瞳の色、そしてお召になるドレスの風合いをすべて吟味して選んでまいりました。」


 その間、ブリジットはアリスが装飾品を試しに装着できるよう、手袋をして準備をしている。手際が良いのも、バリエ商会の良いところだ。アリスは気に入った装飾品を数点選び、それを試着してから「あれと、これと、それね。」とこれまでの商会ではなかった速さで決めていった。


「あ、これ。」


 その中でも、アリスの目を一際奪ったのが、大粒の真珠のネックレスだった。真珠を使ったネックレスは、希少価値が高い。小さい粒でも中々お目にかかれるものではないが、アリスにと準備されたのは親指の爪ほどの大きさの真珠の珠が連なるネックレスである。


「こんなネックレス、初めて見たわ……。」


 ブリジットがそのネックレスをアリスの胸元に着けると、傍に居た者たちから恍惚の溜め息が漏れた。華奢なアリスの首元を輝かせるそれは、白いアリスの肌によく合っており、どんなドレスにも遜色ないだろうと誰の目にも明らかだった。


「素敵ね。これは、舞踏会で着けようかしら。」


 1日目の舞踏会と最終日の舞踏会が最も格式の高いもので行われる。アリスはそこで着用しようと頭の中で算段を立てたのだ。


「陛下もきっと喜ばれますね。」


 ブリジットがそう言うと、アリスはほのかに頬を赤く染めた。ここのところ、ヴィクトルとまともに時間がとれていないため、建国祭では一緒に居られるかと思うと少しだけアリスは緊張していた。そのことをセリアに話すと、「うぶでよろしいじゃありませんか。」と生暖かい笑顔を贈られたことを、アリスは忘れない。


アリスはそっと、自分の胸元に手を重ねた。そこには、ヴィクトルからもらった金縁のハンカチーフが潜んでいる。心はいつでもヴィクトルと一緒であるというアリスのおまじないなのだ。


 建国祭のための衣装選びが終わり、バリエ商会の面々が帰った頃には、窓の外も暗くなっていた。晩餐にはまだ少し時間があったため、アリスは畑の様子を伺いに行った。今日は朝から室内に缶詰め状態だったため、少し息抜きをしたいと思ったのだ。


 アリスの畑は、フィリップが守衛をしていた。


「ごきげんよう、フィリップ。」

「ご機嫌麗しゅう王妃殿下。」


 騎士として任務をしているときは、許された時間しかアリスとフィリップが会話をすることはできないが、このアリスの畑は許された時間の1つである。


「今日は夜勤なの?」

「は。」

「ありがとう、私の畑を守ってくれて。」

「それがわたくしの役目にございます。」

「そうね。ところで、建国祭にはデュモン伯爵がお越しになるのかしら。」

「はい。その予定です。」

「久しぶりにお話する時間があれば良いけれど。」

「王妃殿下は御忙しいでしょうね。」

「やっぱりそう思う?」


 アリスはクスクスと笑みを漏らしながら、フィリップとの会話を楽しむ。フィリップも騎士然と姿勢を正しているものの、いつもよりもその口端は緩んでいた。


「たまにね。思い出すのよ。子供の頃のことを。」

「子供の頃ですか?」

「ええ。王妃教育を受けて厳しくもあったけれど、フィリップやドリアーヌそしてバルバラ様と一緒にかくれんぼをしたじゃない?」

「よくしておりましたね。バルバラ様と王妃殿下は隠れるのが本当にお上手で。」

「そうだったわね。いつもフィリップが鬼だったものね。」


 あれからもう20年近くも経ったのかと思うと、アリスは信じられない気持ちでいっぱいだった。


「あまりに見つからないものですから、バルバラ様も王妃殿下もヒントをくださるのが悔しかったです。」

「そうそう。隠れる予定の近くに咲いている花びらなんかを、先にフィリップに渡しておくのよね。楽しかったわ。だってそれでも見つけてもらえないのですもの。」

「お二人とも隠れ方がお上手なのです。ドリアーヌととぼとぼとお二人を探したことは、昨日の事のように思い出せます。」

「まあ。」

「やはり、王妃殿下もバルバラ様も王妃教育でみっちりしごかれていたから隠れるのがお上手だったのでしょうか。」

「どうかしら。そうなると、ドリアーヌはなぜ隠れるのが下手だったのかという話になってしまうし、ドリアーヌは今後、王妃教育をしっかりできるかしらと不安になるわよ。」

「確かにそうなってしまいますね。」


 月明かりに照らされたアリスの畑で、二人は静かに笑い合った。そして、二人とも畑の方へと視線を送る。


「……この先に民の幸せがあるようにと。そのために命を尽くしたいと。そう思うわ。」

「王妃殿下のゆかれる道を、わたくしは全力で御守りします。」


 アリスが王妃へと即位してからというものの、周りとの関係性が変わってしまったのが、彼女は少しだけ寂しかった。しかしこうして、少しだけ幼馴染と話せる機会のあることが、彼女にとってささやかな心の安らぎとなっていた。ヴィクトルの前とではまた違った、ありのままのアリスになれる瞬間なのだ。


 しばらく何も言葉を発さないままフィリップとともに月を眺めていると、草を踏みつける音が近づいてきた。先にそれに気づいたのはフィリップである。不届き者であってはならないため、アリスを庇う位置へと身体を滑り込ませた。アリスに着いてきた騎士たちも、大げさには動かないものの、意識を集中させる。


 暗闇から現れたのは、レイモンとコンスタンだった。ほっと神経を緩ませた騎士たちは、先ほどよりも少しだけ警戒を和らげる。


「ごきげんようレイモン殿下。」


 アリスは騎士らのそれを確認してから、レイモンへと声をかけた。


「ご機嫌麗しゅう王妃殿下。」

「このような時間にどうされたのですか?」

「時間が少し空いたので、コンスタンと散歩をしておりました。王妃殿下の畑も気になったので散歩がてらに。」

「まあそうでしたの。」


 アリスは、レイモンへと笑顔で応対した後、目尻を緩ませたままにコンスタンの姿を確認する。これまでも、レイモンはコンスタンとともに行動をしていたが、いつもと違う様子にアリスは違和感があった。


「それは?」


 彼女の視線の先にあったのは、コンスタンが広げている1枚の紙だった。日の落ちた時間に文書を広げて歩くなど、アリスの目には不自然に映った。


「これは王城の地図にございます。」

「地図ですか?」


 ラクール一行がパストゥールにやってきて随分と月日が経っている。初めの頃こそ、少し迷っているラクールの者を見かけることがあったものの、ここ最近はそんな様子はさらさらない。ましてや、レイモンとコンスタンが今さら王城で迷子になるとも考えにくい。アリスは真意を質した。


「はい。建国祭が始まると王城の警備体制が一変すると伺いましたので。それで、コンスタンと散歩がてらに確認をしておりました。」

「なるほど。建国祭の警備体制は万全ですわ。こちらとしてはご安心くださいと申し上げるところではございますが、ラクールの皆様も不安はございましょう。心ゆくまでご確認されるとよろしいですわ。」

「は。ありがとうございます。」


 レイモンとコンスタンが一礼をしてその場を下がるのを見届けると、アリスも「そろそろ戻りましょうか。」と一緒に着いて来ていた侍女のアンナへと声をかけた。


「ではフィリップ。」

「は。」

「わたくしの畑の守衛、頼んだわ。」

「は。」


 それは、幼馴染からただの王妃と騎士へと戻った瞬間だった。アリスはそれがたまらなく寂しくなるときがある。しかし、背筋をしゃんと伸ばして踵を返し、地面を踏みしめるようにして歩く。


 そんなアリスの様子を、ヴィクトルは執務室から見下ろしていた。いつ見ても自分の妻は美しいと心に抱きつつ、それを思いっきり表すことができない最近の忙しさに、ヴィクトルは少しだけ疲れていた。


「そろそろ休息をとられてはどうですか?」


 お茶を片手にヴィクトルへと声をかけてきたのは、マクシミリアンだ。彼もヴィクトルと同様、ここのところ休息をとれていない。しかし彼にとっては腹心の家臣として光栄なことであるため、少しも不満はなかった。


「ああ。」


 マクシミリアンにそう返事をしながら、ヴィクトルは庭を歩くアリスから視線をそらさない。結婚して1年が経ったというのに、倦怠期を迎えるどころか彼女への想いがますます募るばかりである。


 ここのところ、側妃を迎え入れた方が良いという声が大きくなっていることは、ヴィクトルも承知しているところである。そして、アリスがそれを進言しようとしていることも、彼にはなんとなく感じているところだった。しかし、ヴィクトルはどうしてもそれを受け入れる心がまだない。


国王として、自分の子を為すことがどれほど大事なことかは、他の誰よりも彼が一番分かっている。側妃を迎え入れた方が、御子を誕生させる機会が増えることも、理解している。ところがどうしても、アリス以外に心が向かないのだ。


それだけではない。口に出すことはできないが、「側妃を迎え入れたからといって、必ず御子ができるわけではないじゃないか」とさえヴィクトルは思っているのだ。確実に御子ができるわけではないのであれば、自分の妃はアリスだけでいいと思うのが、ヴィクトルの本音である。


「陛下。」

「ああ。」


 マクシミリアンが急かしたため、ヴィクトルはやっと窓際から離れてソファーへと腰をおろした。マクシミリアンはお茶だけではなく、サンドイッチやスコーンなど簡単な軽食も準備していた。


「お前も早くドリアーヌの元へと帰りたいだろう。」

「ええ。そうですね。世界一可愛い妻の元へと帰りたくてたまりません。」


 彼のその返事に、ヴィクトルは「ははっ。」と楽しそうに笑った。「何がおかしいのですか?」と問いただすマクシミリアンに、ヴィクトルはさらに笑いをこぼす。


 ヴィクトルはほっとしたのだ。自分だけが想い人を恋しくて仕方がないと思っているわけではないことに。腹心の家臣であるマクシミリアンでさえ、愛しい人に会いたいと思っていることが、ヴィクトルの心を幾分か和らげた。


「わたしもアリスが恋しくて仕方がないよ。」

「陛下は同じ屋根の下にいらっしゃるではありませんか。わたくしなんて何日同じ空気を吸っていないことか……。」

「それを言うならば、同じ屋根の下に居るというのに、まったく会えない方が苦しいだろう?そこに居ると分かっているのに会えないのだぞ?」

「いいえ!同じ空気を吸えているだけまだマシです!それに、その気になればいつでもお会いできるではないですか!わたくしなんて、馬を走らせないと会えないです。ですから毎日、ドリアーヌと手紙のやりとりをしております。」

「手紙のやりとり?」


 不毛な議論となりそうになったところで、ヴィクトルの目から鱗が落ちた。


「はい。会えない分、文でお互いの様子をやりとりしております。幸いにも我が家は王城から近いですからね。朝ドリアーヌに手紙を書けば、夜には彼女からの返事がやってまいりますよ。」


 ヴィクトルは、なぜ思いつかなかったのだろうかと、頭を鈍器で殴られた気持ちになった。会えなくても、工夫さえすればアリスとの交流ができる。あまりに忙しくて視野の狭くなっていた自分をすぐさま省みた。


「手紙か。なるほど。私たち夫婦ならば、お前たち夫婦よりも早く返事が書けるな。」

「え?嫌味ですか?」


 軽口を叩くマクシミリアンに満足しながら、ヴィクトルは大口を開けてサンドイッチへとかぶりついた。

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