第30話 試食会③

 場内にヴィクトルとアリスの入場が告げられると、会場に居るすべての人たちが礼をとった。そして、2人はゆっくりと指定の席へと腰をおろす。


「面をあげよ。」


 ヴィクトルの言葉で、全員が顔をあげる。


「では今から、根菜料理の試食会を始める。」


 そして、国王の合図で各テーブルへと料理が配膳され始める。全員の顔が見える位置に座って居る国王夫妻の脇にもぽつんとテーブルがある。毒見係のためのテーブルだ。


 毒見係が口にして大丈夫なのが確認されてから、皆が食べることになっている。遅効性の毒のための毒見は、午前中に終わらせてある。今回の毒見係は、ローズである。


 ローズが毒見係となったのは、アランへの牽制であった。アランにとって、目に入れても痛くないほどの可愛い愛娘である。その娘に毒を盛るなど考えられないからだ。


 最初にテーブルへと運ばれてきたのは、前菜である。ニンジンとサーモンのマリネだ。ニンジンのシャキシャキ感とサーモンの歯ごたえが楽しめる。はじめは、根菜料理を全面に出したテリーヌにしようという意見もあったが、初めて食べる人が多いからこそ、馴染みのある食べ物と一緒に食べられる方が良いのでは、ということでこのメニューになった。


「こちらは、ニンジンです。生でも火を通しても食べられます。なので、兵糧には最適かと考えております。」


 アリスの説明に、試食人たちは十人十色とも言うべき表情をした。ある者は興味深そうに、ある者は懐疑的に、またある者はポーカーフェイスといったところだ。


「確かに、そうであるならば兵糧には最適ですな。」


 そんな中で嬉々として同調したのは、アランだった。意外な人物の意外な評価に、ギャラリーもざわめく。アリスとヴィクトルだけ笑顔を崩さなかった。


「ええ。少しでも兵糧の種類は多い方が良いですわ。」

「生でも食べられるということは、毒はないということですな。」

「仰る通りですわ。」

「彩も美しいですな。これは王妃殿下がお育てになられたもので?」

「いえ……こちらは、ドナルド殿下がサブレ王国より持参してくださったものです。」


 3日前、ミシェルと子供たちを迎えに、ドナルドがパストゥール王城に到着していた。そのときに持参していたのが、根菜だったのである。サブレには、根菜を食べる習慣がある。そういうわけで、ドナルドに着いている料理人たちが余るほどの根菜を持ってきていたのだ。


 そこに口利きしたのがミシェルだった。彼女は自国のシェフが根菜を持ってくると確信していたからこそ、材料の預かりを申し出たのである。この試食会で根菜が解禁になれば、母国・パストゥール王国に利益があると踏んだ彼女は、アリスを後押しすることにしたのだ。


「ほう。では今日の根菜はサブレ王国からのものですか?」

「いえ。わたくしの畑で採れたものが主です。ただ、ニンジンが採れなかったので、ドナルド殿下にお裾分けしていただきました。サブレ王国では根菜を食べる習慣があり、根菜に毒がないことは証明されております。」

「なるほど。では、安全なのですな。それならば食べさせていただきましょう。」


 アランはそう言うと、ニンジンとサーモンのマリネをひょいと口に運んだ。宰相がどんな評価をするのか、皆が固唾をのんで見守る。


「うむ。なかなか美味しいものですな。」


 宰相が上々の評価を行ったため、観客からも驚きの声があがった。まさかこのような反応をアランがするとは思わず、アリスも一瞬驚いたが顔には出さずににっこりと微笑んだ。


「侯爵のお口に合い、なによりですわ。ぜひ皆様もどうぞ。」


 顔を見合わせた面々は、おずおずとしながらもナイフとフォークを使ってニンジンとサーモンのマリネを口に運んでいく。その瞬間、試食会の雰囲気は花が綻んだかのような空気になった。ニンジンの評価は、皆の表情が物語った。


 全員がニンジンとサーモンのマリネを平らげた後に運ばれてきたのは、スープだった。


「こちらのスープは、根菜をよく煮込んでその旨味を抽出したものです。根菜の他に、豚肉や鶏肉、牛肉の旨味も凝縮されています。コンソメスープと呼ばれるものです。農村地帯ではよく食べられており、とても美味しいです。ぜひご賞味あれ。」


 コンソメスープは体を温める。どこからともなく、「ほうっ」という美味しさにほっとした声が漏れだした。その声が出れば、もう間違いない。皆が根菜の魅力を分かり始めている。


 スープの後には、根菜をメインにする料理を続けた。通常ならばメインディッシュとしてお肉やお魚の料理が出てくるところであるが、根菜のテリーヌや根菜のオムレツを出すことによって、根菜の腹もち加減も感じてもらうためである。


 それらの料理も、各大臣や秘書官より感嘆の溜め息が漏れた。穏健派は人目をはばからず絶賛しているし、革新派はアランの顔色を伺いながらも美味しいという表情を隠さない。


 アリスがヴィクトルの顔を見ると、彼は笑顔で大きく頷いた。これならば問題なく、根菜の認可が下りるであろう。


 会も終盤に進み、すべての料理を食べ終えてデザートを食しているときだった。


――ガシャン!


 大きな物音に全員が騒然とした。


「マリー様?!」


マリーが椅子から倒れこんだのだ。アリスはすぐに立ち上がって、その大きな物音のところへと駆け寄ろうとしたが、それを咄嗟にヴィクトルが引き止めた。


「宮廷医師を呼んでこい!」


 ヴィクトルの怒号が響き渡る。倒れたマリーに駆け寄った給仕たちはすぐさま、応急処置をし始める。


「マリー様は……。マリー様は……。」


 震えるアリスを、ヴィクトルが優しく抱きしめる。


「大丈夫だ。絶対に。マリーは強い。」


 ヴィクトルの言葉にアリスは大きく頷いたものの、震えは止まらない。


 それは、観客の目から見ても明らかだった。その場に居た誰もが、「マリー殿下のデザートに毒が盛られたのであろう」と思った。


 ぐったりしたマリーは、担架に乗せられて運ばれていく。息をしているのかどうか、アリスのところからは分からない。アリスがふと毒見係のローズの方を見ると、彼女も震えていた。


 その後、当然のように試食会はそのまま中止となった。






 試食会の後、アリスはヴィクトルに抱えられて自室へと戻った。マリーが倒れたショックからアリスは足に力が入らず、意識を保っていられるのがやっとというところだ。


「王妃殿下!」


 アリスの自室で待ち構えていた侍女たちは、心配そうな顔でヴィクトルとアリスを出迎えた。


「陛下、ありがとうございます。」


 アリスがヴィクトルの腕の中から降りようとすると、彼はさらに力を込め降ろしはしなかった。


「いや、寝室まで私が。少し2人きりになりたいのだが、良いだろうか。」


 ヴィクトルが侍女たちに向けて言うと、彼女たちはさっと頭を下げてヴィクトルを部屋の中へと招きいれた。そして、セリアが寝室の扉を開けてヴィクトルとアリスが中に入ると、そっとその扉が閉められた。


 寝台まで進むと、そっとそこにアリスの身体が降ろされた。そして、寝台に腰掛けたアリスの目の前で、ヴィクトルは跪く形になる。


「驚いただろう。すまなかったな……。」


 ヴィクトルは優しく、アリスの頬へと手を伸ばす。大きな掌に、アリスは無意識に頬を寄せる。


「……マリー様は大丈夫なのですか?」

「あぁ。絶対に大丈夫だ。」


 アリスがヴィクトルの瞳を見つめると、彼は優しい眼差しをアリスに向けた。それだけで、アリスはほっと胸を撫でおろした。


「騒ぎに乗じて証拠を処分されないように、毒見係のデザートもすでに押収している。」

「まあ。」

「……それからやはり……。アリスの考えている人物と、アリスを襲った人物は繋がりがあったよ。襲った騎士はジケル侯爵家の遠縁の者だが、アリスの考えている人物と幼馴染になるそうだ。襲った騎士は何としても自白しなかったが、ジケル侯爵夫妻から聞き出した。」

「そうでしたか……。」


 ヴィクトルの話は、ジケル侯爵夫人から聞いた話と一致していた。ジケル侯爵夫人が穏健派へと変わらざるをえなかった理由は、アリスを襲った騎士がジケル侯爵家と遠縁の者であったからである。


 このまま革新派に居続ければ、「すべてジケル侯爵家が独断でやったこと」として、トカゲのしっぽ切りに遭うことは明白だ。ジケル侯爵夫人は、自分の革新派としての意志を貫くことよりも、侯爵家を守ることを選んだのだ。


「お茶会の後に、ジケル侯爵夫人とお話する時間があったのですが……。そのときに、兵糧が足りなくなった経緯も伺いました。」

「オラール侯爵領から食糧が手に入らなくなったことか?」

「はい。それも、派閥を変える決め手になったと。以前はお金さえあれば、領民の暮らしも豊かになるはずだと考えていたそうですが、オラール侯爵領からの食糧輸入が少なくなったのを受けて、お金を増やしていくには地産地消が大前提であると感じたそうです。」

「そうだったか。」


 近年のジケル侯爵領は、オラール侯爵領からの食糧輸入で領民の食糧を賄ってきた。しかし、オラール侯爵領で大規模な宿屋街開発があったため、ジケル侯爵領に運ばれる食糧が少なくなっていたのだ。


「食糧も減らされた挙句、トカゲのしっぽ切りに使われそうになったのであれば、ここが派閥替えのラストチャンスといったところだったでしょうか。」

「アリスの推測通りだと私も思う。……そして、オラール侯爵がレルカン国と繋がっていたことも分かった。」

「え……?!それじゃあ、先の戦は……?!」

「オラール侯爵も関わっている可能性がある。第一、タイミングが良すぎた。ブレソール殿下が国境を通りながら民たちに王子不在をご丁寧にアピールしてきたとはいえ、レルカンが準備をしていなければ戦を仕掛けることはできない。我が国に残党が入って来ていたことも、またそれに乗じてアリスが騎士に狙われたことも、綿密な計画の上でないと成り立たない。」

「レルカン国の残党にやられたことにした方が、都合が良いということでしょうか。」

「おそらくな。王城でアリスをやるとなると、どうしても足がつく。」

「では、わたくしが戦の中でジケル侯爵領に向かうことも織り込み済みだったと。」

「そうなるように、兵糧を潰す作戦をとったのだろう。」


 ヴィクトルの話に、アリスは絶句した。なぜそうまでして、アリスの命を狙いたいのか。戦など行えば、関係のない民の血が流れるというのに。


「……でも、わたくしなら兵糧を集めることができると進言したのは、ニコラだったのでは……。」

「ああ。しかし、そのニコラに進言した方が良いと進言したのが、アリスを襲った騎士だそうだ。」

「!!」

「ニコラとその騎士は、同期入団だそうだ。」


 ニコラの交友関係をアリスはすべて把握しているわけではない。したがって、ニコラとアリスを襲った騎士がどれくらいの仲だったのかは、知る由もない。しかし、通常の騎士団の同期入団というのは、同じ釜の飯を食う間柄と会って、切磋琢磨する良い関係を築いていくものだと聞いている。


「……ニコラはこのことは。」

「マクシミリアンから伝えてある。」

「……ご配慮、ありがとうございます。お兄様からでしたら、ニコラもきっと心穏やかに聞くことができたでしょう。」

「騎士たるもの、獅子身中の虫を見抜く力も持たねばならない。そういう意味では、ニコラ殿も辛いだろうが訓練になったのではないかとマクシミリアンも言っていた。」

「厳しい世界ですわ。」

「それよりも厳しいところにアリスは居るんだけどね。」


 ヴィクトルが口端を緩めると、アリスも微笑み返した。


「では、ここから一気に仕掛けるというところでしょうか。マリー様がお倒れになったことで、相手は必ず動いてくるでしょうから。」

「ああ。アリスの命を狙ったとなれば、放っておくことはできない。……アリスにとっては辛いことになるかもしれないが、それでも良いだろうか。」


 王族の命を狙おうとした者は、それが誰であったとしても反逆罪になる。したがって、そこにアリスの意志は関係なく断罪されることになる。それなのに、アリスの気持ちを確認するヴィクトルの優しさに、アリスは「この人を好きになってよかった」と思った。


「実は初めから怪しんでおりましたので……。ですが、心苦しいことではありますわ。どこかでわたくしから諭すタイミングができればと思っておりました。道を違えないように導きたかった。でも、できなかったことが大変悔しく思います。」

「そうか。しかし絶対に貴女のせいではない。」

「わたくしは本当に恵まれているだけなのですね。最愛の人に愛してもらい、道を違えそうになれば導いてくれる人に囲まれています。……彼女にもそうあって欲しいと思っておりましたが……。」

「残念ながら、自分の業は自分が作るものだ。どんなに良い者に囲まれていたとしても、自分の人生を最終的に決めるのは自分しか居ない。だから、アリスは恵まれているだけではなくて、自分のこともきちんと見つめられているんだよ。」

「ヴィクトル様……。」


 アリスの頬の上にあるヴィクトルの手へと、アリスが手を重ねた時だった。寝室の扉が大きくノックされる。


「お休み中、失礼いたします!王妃殿下のお耳に入れたいことがございます!」


 扉の向こうからは、切羽詰まったセリアの声がした。アリスがさっとヴィクトルを見ると大きく頷いたため、「入って。」と声をかけた。


 寝室へと入ってきたのは、セリア1人だった。


「……今しがた、ローズから話がありまして。何でも、今夜この寝室にオラール侯爵が乗り込んでくるというのです。」

「オラール侯爵が?」


 アリスとヴィクトルは顔を見合わせた。


「はい……。試食会でマリー殿下へ毒を盛ったのは、王妃殿下だと触れ回っているそうでして……。」

「あら、まあ。」


 セリアの話を聞くアリスは、落ち着いていた。こちらの思惑通りに相手が動き出したからだ。しかし、1つだけ納得のいかないことがある。


「陛下は、マリー様の毒盛りが私へ濡れ衣を着せられることになるということを予想されておりましたか?」


 アリスは、笑顔で尋ねた。ヴィクトルは一瞬にして、バツの悪そうな顔をする。それだけで、答えは明白だった。


「……多少は。まあ、ただ実際にはそうではないから、解決すればなんとかなると。」

「まあ。陛下ともあろうお方が、ただの一瞬であれば自分の妻に汚名がついても良いと。」

「そ、そんなことは申しておらぬ!」

「これはもう、陛下にはしっかりと解決してもらわなければなりませんわ!ね、セリア!」

「王妃殿下の仰せの通りにございます。万が一にでも王妃殿下の良くない噂が残りましたら、このセリア命をかけて……。」

「命をかけて、なんだ?」

「陛下をその椅子から引きずりおろして差し上げます。」


 あまりにも簡単にセリアが言ったため、ヴィクトルは「彼女ならやりかねない」とぶるっと震えた。


「分かった。必ず、名誉挽回することを誓う。まず、相手側の出方を待とう。セリア、ローズと話ができるか?」

「承知いたしました。お話の場所は王妃殿下の執務室でよろしいでしょうか。」

「ええ。お願いするわ。」


 セリアが一旦下がった後、アリスとヴィクトルはアリスの執務室へと向かった。そして、すぐにセリアとローズがアリスの執務室へとやってきた。ローズは泣きはらした目をしている。


「まあ、ローズ。そんなに泣いて……。」

「王妃殿下!」


 アリスが声をかけるや否や、ローズはわっと泣き出しながら、アリスの足元へと土下座をした。


「我がオラール侯爵家が大変に申し訳ないことを……!先ほどお父様から密書が届き、今夜、王妃殿下へのクーデターを起こすと。マリー殿下の弔い合戦だと申しておりまして……!」

「そんな……。ローズ、その密書を読ませてもらえるかしら?」

「こちらにございます。」


 ローズが差し出した文書をアリスが受け取り、それをヴィクトルと一緒に読む。オラール侯爵家に伝わる文字で記載されているが、アリスもヴィクトルもその文字を勉強したことがあり、難なく読めた。ローズが言っている通りである。


「そう……。」

「わたくし、わたくし、そんなことには耐えられません。どうか、王妃殿下の身代わりをこのわたくしめに務めさせてください!」

「身代わり?」

「なるほどそれは良い考えだな。」


 ローズの案に乗ったのは、ヴィクトルだった。


「アリスの代わりに、ローズを寝台に潜らせておくというものだろ。」

「でもそれじゃあ、ローズがわたくしの代わりに……!」

「わたくしはそれでもかまいません。この命に代えて、王妃殿下を御守りすることができれば、わたくしにとって本望でございます。」


 ローズは、床に頭を擦り付けて懇願した。その様子に、アリスとヴィクトルは顔を見合わせる。


「では、ローズにアリスの身代わりをしてもらおう。それで良いか?」

「陛下……。」

「ありがたき幸せにございます。……ただ、わたくしが身代わりを行うにあたって、1つ提案をさせていただいてもよろしいでしょうか。」

「なんだ?」


 アリスもローズの提案とはなんだろうと彼女の顔を見つめる。


「最近の国王夫妻は仲睦まじく、同衾されていることは王城でも有名な話です。わたくしだけが寝台に居るとなると、怪しまれるのではないでしょうか。」

「なるほど。私も寝台に居た方が良いということだな。」

「はい。陛下の目の前で王妃殿下を吊るし上げることで、お父様は陛下からの許しを請う算段だと思われます。」

「分かった。では、そうしよう。アリスも良いか?」

「陛下の仰せのままに。」

「では早速、ローズは準備に取り掛かってくれ。セリア、ローズの準備を頼む。」

「承知いたしました。」


 セリアとローズが一礼をして執務室から下がると、ヴィクトルはぎゅっとアリスの身体を抱きしめた。


「今夜は長い夜になる。」

「そうですわね。あと一息ですわ。頑張りましょう、陛下。」

「ああ。さあ、マクシミリアンと作戦を立てよう。」

「はい。」


 ヴィクトルとアリスは、くすぐったそうにしながらも、お互いの鼻先をちょんと小突き合った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る