第29話 試食会②

 アリスたちが収穫で盛り上がっている頃、国王陛下の執務室ではヴィクトルとアランが睨めっこをしていた。「変わらずに試食会を行う」とするアランからの申し出に、ヴィクトルが対抗した形だ。


「しかし、先の戦いで兵糧として使ったのは緊急性を要したからにあります。正式に採用を認めるためには、やはり試食会は必須です。」

「それは分かる。だが、今じゃなくてもいいだろう。兵糧として使ったために、材料は少ないのだぞ?」

「それくらいで底を尽きるものならば、初めから兵糧に適してないと言わざるをえませんよ。」

「そもそもの生産量が少ないのだから仕方ないだろう。正式に兵糧として認められれば生産量はあがる。そうなれば、底を尽きることはない。」

「ですから、正式に認めるための試食会ですぞ。」


 ヴィクトルとアランの会談は堂々巡りだ。先ほどからこんな感じで、ヴィクトルの意見も交わされているのだ。どうにかして、試食会をやりたいらしい。


 アリスにとって不利な状況下で試食会をやりたがる理由はなんだろうかと、ヴィクトルもマクシミリアンも考えている。もちろん、根菜料理を認めたくないのが一番にあるだろう。


 しかし、それだけが理由であれば、こうも真正面から否定しているような方法をとるだろうかと思うのだ。試食会で何か起こそうと考えているのではないだろうかと疑ってしまう。


「……アリスはなんと。」

「予定通りで大丈夫と。ですから午後から畑で精を出しておられますぞ。」

「……そうか。」


 アリスがやる気になっているのであれば、それをどうこう言うことはできない。


「……分かった。試食会は予定通りに。」

「ありがとうございます。」


 渋々了承したヴィクトルとは対照的に、アランは嬉々としているのを隠そうとしない。アリスの失脚を狙っているのか、それとも別の狙いがあるのか。ヴィクトルには判断がつかないまま、アランは執務室を退室した。


「……どう思う?」


 マクシミリアンと2人きりになった執務室で、ヴィクトルは質問を投げかけた。


「まあ、何かしら動くのでしょうね。」

「だろうな。どう動くと思う?」

「試食会は台無しにされるのでしょうね。さしずめ、毒でも盛ろうという魂胆でしょうか。どなたに盛られるのかは分かりませんが。失脚させたいのは、王妃殿下だけではないようですし。」

「どういうことだ?」

「実権を握るには邪魔な存在があとお一人いらっしゃるじゃないですか。以前、王妃殿下から小耳に挟んだのですが……。」






 試食会当日、アリスは朝からせわしなく動いていた。試食会の指揮をしなければならないからだ。試食会は晩餐会として行われる。


 アリス以上にせわしなかったのは、厨房だ。せわしないという言葉では足りない。まさしく戦場だ。


 試食会には、ヴィクトルやアリスはもちろん、王族、公爵家、宰相と財務大臣、外交大臣、交通大臣、農政大臣、そしてそれぞれの秘書官が夫婦で参加する。南の城に居るシャルルとコラリーは不参加である。


 そして、実際の試食は行わないもののギャラリーとして政務官も参加して良いことになっている。秘密の空間ではなく、公の場で決裁しようというのが狙いだ。


 試食会の前にアリスにとって大事なことがある。それは、今回の試食会に参加してもらうご夫人を招いての茶会だ。午後からサロンで行うことになっている。


 そういうわけで、アリスも厨房も午前中は火の車だった。


「皆様ごきげんよう。」

「ごきげん麗しゅう王妃殿下。」


 アリスが茶会の行われるサロンへと入室すると、すでに茶会のメンバーは席に着いていた。いつもと違う席順に、アリスは誰にも気づかれないように肩眉をあげた。


 オラール侯爵夫人の隣にいつも居るはずの人が居ないのである。アリスの母であるベランジェールの方を見ると、まさしくその人がそこに居た。


 こういうような茶会のときに、ホストが席順を指定しなかった場合、大体は派閥によって分かれるものである。今日の茶会で席順を特に指定しなかったため、それが如実に現れた。穏健派と革新派でびっちりと分かれているのである。


 今回中立派は、穏健派についているようだ。これはまさしく、根菜料理に対する賛成派・反対派と言っても良いだろう。公爵夫人に囲まれた席へとアリスが腰を下ろすと、音楽が流れ始めた。茶会の始まりである。


「本日の茶葉は、サブレ王国のものでございます。ミシェル第2王子妃にもご出席を賜っておりますわ。」


 この茶会には、ミシェルも参加していた。アリスの紹介に合わせて、ミシェルは軽く礼をとる。


「お招き預かり、大変に光栄に思っております。本日の茶葉は、この時期にサブレでよく飲まれるものをご用意いたしました。どうか我が国の味をご堪能くださいませ。」


 ミシェルの説明を聞いた夫人たちは、各々ティーカップへと口をつけて茶葉の香りと味を楽しむ。どこそこから「まあ。」「美味しい。」という声が漏れてくる。ミシェルもアリスもそれに満足そうな笑みを向けた。


「本日の晩餐会も楽しみですわ。毒はきちんと処理してらっしゃるのかしら?」


 お互いに腹の内を探りながらの談笑中だった。農政大臣であるマルロー侯爵の夫人から、白布に1滴のインクを落としたかのように、皆が注目する言葉が飛び出した。


「そうですわね。根菜の中で毒があるのはジャガイモくらいですが、それもきちんと皮を厚めに向けば問題ありませんし。皆様に安心して食べていただけるものばかりですわ。」


 アリスは「農政大臣のご夫人なのに……」と思ったものの、その場に居るご夫人たちに安心してもらえるようににこやかに答えた。しかし、マルロー侯爵夫妻はれっきとした革新派である。ここで毒の牽制をしてくるのも、当たり前のことである。


「そうでしたか。それならば、安心ですわ。以前のお茶会で、王妃殿下からのハチミツの毒に当てられた御子息もいらっしゃいましたから……。またなにか、こちらの存じ上げないことで事故が起きて、王妃殿下のお顔に泥を塗るのも申し訳ないですから。」


 マルロー侯爵夫人の言葉に、サロン全体の空気がピリついた。にやりと笑っているのは、革新派の中心人物だけである。この茶会で、ハチミツの件を話題に出すのは、計画通りであったのだろう。


 しかしアリスとて、それを全く予想できなかったわけでもない。


「泥でしたら畑仕事でよく顔につきますから、今さらついたとしてもわたくしにとっては取るに足らないことですわ。それに、バリエ準男爵夫妻の御子息も毒の影響はなく、すくすくとお育ちになっていますのよ。」


 あれからアリスは、バリエ準男爵夫妻との交流を続けていた。直接会うことは中々叶わないが、手紙での交流を続けているのだ。その中にはいつも、バリエ家の一人息子であるディオンの成長が記されている。


 アリスがバリエ準男爵夫妻と交流を持っていることを知らなかった面々が、ざわざわと揺れ始める。準男爵くらいであれば、切り捨てられて終わりだ。


「あの件は王妃殿下の失態ではなく、うちの侍女の失態ですわ。」


 ざわめくサロン内をさらにざわつかせる言葉を発したのは、ジケル侯爵夫人だった。今日はベランジェールの隣の席に座っており、オラール侯爵夫人の隣に座って居なかった人物こそ、彼女である。


「まあ。ジケル侯爵家の?」


 ベランジェールはわざとらしく尋ねてみせた。


「ええ。うちの侍女が、バリエ準男爵家の侍女に“ハチミツは栄養価が高いから子供の成長を助ける”と話したそうですの。」

「それは正しい知識だけれど、赤ん坊にとってはそうではないですわね。」

「そうですの。うちの侍女がきちんと、“でも赤ん坊にとっては毒になるから”とお話していれば、こんなことは起きませんでしたのよ。ですから、王妃殿下の失態ではなく、我がジケル侯爵家の失態ですわ。」


 まさか、ジケル侯爵夫人があっさりと穏健派に乗り換えると誰も思わなかったのか、サロン内のざわつきは止まない。アリス自身も、なぜジケル侯爵夫人が穏健派へと鞍替えしたのか探っている状態だ。


「王妃殿下、その説は我がジケル侯爵家が大変に失礼いたしました。この場をお借りして、謹んで謝罪申し上げます。」


 ジケル侯爵夫人の謝罪の申し出に、サロン内はより一層騒がしくなる。彼女は椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。――これは、彼女にとってどんな狙いがあるのかしら?


「ジケル侯爵夫人、どうかお顔をお上げになって。あれは、わたくしの思慮も欠けておりました。ですから、ジケル侯爵家だけの責任ではございません。幸いにして、バリエ準男爵家の御子息もお元気でいらっしゃるのですから、後はバリエ準男爵家に対して誠意を持って接していくことだと思います。今度、バリエ準男爵家に参るときにご一緒にいかがでしょうか?」

「王妃殿下……。寛大なお心に感謝申し上げます。ジケル侯爵家は今後もパストゥール王国の民のために尽くしてまいります。」


 アリスはその言葉に、満足気に頷いた。革新派はそれ以上、つつくところは見つからないと思ったのか、その後は和やかに茶会が進んだ。「それにしても、なぜジケル侯爵夫人が革新派を離脱したのかは知っておかないといけないわね」とアリスは思った。


 そのアリスの疑念を晴らす機会はすぐにやってきた。茶会が終わったすぐ後に、ジケル侯爵夫人より面会の申し出があったのだ。晩餐会の準備の合間を縫ってということで、10分という限られた時間に面会することになった。


「ごめんなさいね、少ししかお時間とれませんで。」

「いえ。こちらこそ、お忙しいときにお時間とっていただき、ありがとうございます。」


 ジケル侯爵夫人は、ベランジェールと共にアリスの執務室へとやってきた。


「それで。ジケル侯爵夫人がブラシェール侯爵夫人と共にやってこられるということは、何かわたくしの耳に入れたいことがあるということですね?」

「……時間もございませんので、端的に申し上げます。わたくしが革新派から穏健派に変わった理由についてです。」


 アリスはジケル侯爵夫人の言葉に表情を変えずに、ただ淡々とそれを聞いていた。ジケル侯爵夫人はそんなアリスの様子を見て、「幼い頃から知っているローズの方が王妃になれば良いと思って居たけれど、このお方の器に届くわけがなかったのね。」と思った。






 ヴィクトルの執務室では、晩餐会への最終打ち合わせが行われていた。料理に関する最終的な決済はアリスが行っているが、試食会に関する警備・運営等はヴィクトルの責任の元に行われているからだ。


 この晩餐会で万が一、毒の混入のようなことがあれば、アリスの沽券に関わることである。なんとしても無事に試食が行われ「美味しかった」と大臣たちに帰ってもらうのが、ヴィクトルの使命だとも思って居た。


「それにしても、ここにきてジケル侯爵夫人が穏健派に乗り換えたか。」


 アリスの茶会で、ジケル侯爵夫人が穏健派の席に居たことは、すでに王宮でも話題となっていた。マクシミリアンと二人切りのヴィクトルの執務室でも、それが話題にのぼる。


「まあ、乗り換えざるをえない状況にはありますね。先の戦いで兵糧を準備してジケル侯爵領を守ったのは王妃殿下ですし。」

「あとは、騎士を使われたのが決定打であったろうな。」

「はい。王妃殿下を狙った騎士は、ジケル侯爵家の遠縁の者でありました。ジケル侯爵夫妻に事情聴取を行った際には、お二人とも王妃殿下が賊に襲われたことはご存知でしたが、騎士に襲われたことはご存知なかったので。」

「まあ、ジケル侯爵夫人は知っていたとしても、家のために革新派を切り捨てるしかないだろうな。そのまま革新派に居たとなると、後々責任を追及されることが目に見えている。であるならば、初めから知らなかったフリをしなければならない。最終的に責任追及をされるのは黒幕であろうから、自分の情を優先してそれと一緒に首を切られる必要はない。」

「そうですね。まあアリスの話では、黒幕はすでにボロを出してくれたようですけどね。」

「そうか。それならば時期を見て対峙しなければならんな。私の大事なアリスに傷をつけたんだ。責任はとってもらわんとな。」


 氷のような笑みを浮かべるヴィクトルの顔にマクシミリアンは「こわっ。」と思いながらも、「そうですね。」と微笑みを返した。






「アリス。そろそろ良いか。」


 茶会の時点ですでに時間を押していたため、アリスはなんとかヴィクトルが迎えに来るぎりぎりのところで、アリスは準備を終わらせることができた。


「はい、陛下。参りましょう。」


 心の中では「ギリギリセーフ」と思っているが、表情には微塵も出さない。それが、王妃としての所作である。しかし、ヴィクトルにはバレていたらしく、くくっと笑みを携えながらエスコートされた。


「今日までよく頑張ったな。」


 次の間で待機していると、ヴィクトルはアリスに労いの言葉をかけた。オラール侯爵に少しだけ意地悪をされながらも、それをものともせずに奮闘するアリスをヴィクトルは誇らしいと思って居たのだ。


「ありがとうございます。でも、とても楽しく試食会の準備をしましたので、勿体ないお言葉ですわ。」

「楽しく?」

「ええ。中でも皆さんと収穫祭ができたのがとても楽しかったですわ。」

「そうか。貴女が楽しく過ごせたのなら良かった。」


 ヴィクトルはそう言いながら、アリスの腰に腕を回して彼女の体を自分の方へと引き寄せる。


「今日の晩餐会も楽しいものになるといいな。」

「ええ。きっと。陛下も楽しみにしていてくださいましね。どれもとても美味しい料理ができましたのよ。」

「もうずっと楽しみにしているよ。アリスの作るものなら何でも楽しみだ。」

「あら。実際に作ったのはシェフですわ。」


 アリスはクスクスと笑みを漏らした。笑顔になるアリスの顔をヴィクトルはとろけそうな眼差しで見つめる。次の間に控えている騎士たちは、甘い空気に胸やけを起こしそうになっている。


「きっとこの試食会で、パストゥール王国でも根菜料理が食べられるようになりますわ。ぜひ、陛下からのお墨付きをくださいましね。」

「もちろんだ。」


 そんな話をしていると、マクシミリアンが二人を迎えにやってきた。


「そろそろお時間です。」


 傅くマクシミリアンへと、二人とも笑顔で大きく頷いた。


「さあ、アリスの晴れ舞台だ。」

「はい、陛下。」


 ヴィクトルの腕をとりながら、アリスは一歩を踏み出す。


「国王陛下、王妃殿下のご入場です!」

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