第28話 試食会①
瞼の裏に光を感じて、アリスはゆっくりと目を開けた。すでに朝を迎えているらしい。久しぶりに城の寝台で目を覚ましたため、一瞬どこに居るのか分からなかったが、「ああ、城に戻ってきていたのだわ」とすぐに覚醒した。
ぼんやりしながら寝返りを打つと、コツンと何かに当たる。「はて?」と思って顔を上げると、そこには思いっきり顔面を緩ませたヴィクトルの顔があった。アリスのことをじっと見つめている。
「へ、陛下!おはようございます!」
「ああ。おはよう。」
約1ヶ月、ヴィクトルとは同衾したが、いつも朝になれば寝台にはアリス一人だった。騎士が戦地で長く眠れないのは当たり前だが、戦いが終わった後も彼は朝の鍛錬に出かけていた。そのため、こうやって朝に寝台で顔を合わせるのは、結婚してから初めてなのだ。
「……朝の鍛錬には行かれなかったのですか?」
赤くなった顔を隠すかのように、布団を被りながらヴィクトルにそう問いかける。
「こんな日くらい休んでもいいだろう。」
ヴィクトルはアリスの頭を撫でながら、自分の体の方へとアリスの体を引き寄せる。
「!!!」
すると、逞しいヴィクトルの胸板が、アリスの視界一杯に広がった。布団で隠れていたが、ヴィクトルは何も身に着けていないのだ。
「身体はどうだ?辛くないか?」
「だ、大丈夫です。」
「それはよかった。」
ヴィクトルは焦っているアリスにはお構いなしに、ぎゅうぎゅうと抱き付いてくる。直にヴィクトルの体温や肌質を感じて、アリスは逆上せそうになる。
「へ、陛下……。」
「ん?どうした?」
「朝から勘弁してくださいませ……。」
「ははっ。悪い。アリスが可愛くて、ついからかってしまった。下はちゃんと穿いているからな。」
「あっ!当たり前にございますっ!!!」
普段、アリスの口からは出ることのない大きな声が出た。
「でも、アリスはこれじゃあ何も着ていないようなものではないか?」
「……っ!」
アリスの着ているネグリジェの背中部分を、大きな手で撫でながらヴィクトルは言う。背中から腰にかけて優しく撫でられると、アリスの身体は嫌でも反応してしまう。
「い、一応着ております。裸ではありません。」
「そうか。そうだな。」
ヴィクトルは楽しそうにアリスの肩紐へと手をかけた。それを人差し指で掬って、アリスの肩からわざとずり落ちさせる。
「!!!ヴィ、ヴィクトル様……!」
「どうせ着替えるのだから良いではないか。」
そしてヴィクトルは、ちゅっと軽く音を立ててアリスの肩にキスを落とした後、アリスが負った傷を優しく撫でた。もう、痛くはないそれだが、くっきりと痕に残っている。
「……貴女にこのような傷を負わせて……。」
「もう、それは何度も大丈夫だと申したはずです。」
「しかし……。責任をとって貴女をお嫁にもらわなければならないな。」
「もう、お嫁にもらわれておりますわ。」
ククッと笑いながらヴィクトルが冗談を言ったため、アリスもクスクスと笑いながらそれに応えた。こんな会話をできるほど、ヴィクトルに近づけたことがアリスは嬉しかった。
そしてお互いに目を合わせると、どちらからともなく唇を寄せ合った。そして、角度を変えて何度も唇を重ねる。
「ん……。」
声にならない声が、アリスの鼻から抜けた瞬間だった。
「陛下!起きてらっしゃいますか!もうお昼になりますよ!!!仕事してください!!!」
ヴィクトルの部屋の方の扉から、マクシミリアンの大きな声が部屋に響いた。扉は開けられていないものの、新婚夫婦の盛り上がった気持ちを萎えさせるには、十分な声だった。
「……時間切れだな。」
「そうでございますね。」
2人は顔を見合わせてふふっと笑い合うと、もう一度だけキスをして、名残惜しみながら寝台から体を起こした。
アリスはその後、侍女が湯殿を準備していたため、湯浴みをした。セリア、イヴォンヌ、ローズに手伝ってもらいながら、アリスは湯浴みをする。初めてヴィクトルに体を暴かれたときよりも、幸せな気持ちだ。
「久しぶりにアリス様の湯浴みをさせてもらえて、とても嬉しいです。」
幸せな気持ちだったのは、アリスだけじゃなかったらしい。アリスの髪の毛を洗いながら、イヴォンヌがそんな言葉をもらした。昨夜の湯浴みを手伝ったのは、セリアとソフィとアンナであったため、イヴォンヌもローズも1ヶ月以上ぶりにアリスの身体を綺麗にする。
「わたくしも同じくです。王妃殿下の湯浴みをさせていただけることを誇らしく思いますわ。主不在のお部屋を綺麗にするのは、とてもつらかったです。」
ローズもイヴォンヌと同じように言葉を漏らしたことに、セリアは「2人とも侍女の矜持を持ってくれているのだな」と目を細めた。セリアにとっては、アリスが愛されることが何よりも嬉しいのだ。
「……しかし、この傷……。お怪我をされたとは伺っていたのですが、本当だったのですね……。」
ローズは睫毛を伏せながらアリスの腕の傷を布で撫でた。
「もうほとんど治っているわよ。」
ヴィクトルと同じような顔で心配するローズに、アリスは眉をハの字にして微笑んだ。傷と言っても腕なので、洋服を着てしまえば見えないところである。名誉の負傷だと思えば、アリスにとってなんてことのないことだった。
「でも、王妃殿下の綺麗なお肌に傷が残るのは、同じ女性としてわたくしも悲しいですわ。」
「イヴォンヌもありがとう。2人は絶対に、わたくしのような傷は作らないでね。危ないところに行ってはいけないわよ。」
「それは、王妃殿下もですわ。今後、危ないところに行くのはやめてくださいまし。わたくし達、国王陛下と共に帰城されるまで、生きた心地がしませんでしたわ。ね?ローズ。」
「はい。それはもう、眠れない夜を過ごしました。それなのに、レルカン国の残党にこのような仕打ちを受けるなんて……。はらわたが煮えくり返りますわ!」
「ローズ……。怒ってくれてありがとう。でもこれも、王妃としての宿命なのよ。命が狙われるのは当たり前ですし、民のために最前線へと立たなければならない。わたくしはもとより、陛下をはじめとする王族の方は、皆そのことを弁えておりますわ。ですからわたくしのこの傷はむしろ、誇らしいものであるのよ。」
アリスがにっこりと微笑むと、イヴォンヌとローズは泣きそうな顔で微笑んだ。そしてセリアは「やれやれ」という様子で、「さあ、そろそろ仕上げないと王妃殿下の執務に影響が出ますよ」と声をかけた。
「予定通り、ですか。」
「ええ。予定通りにお願いしたいですな。」
午後からアランがアリスのところへと挨拶に尋ねてきたかと思うと、例の試食会を予定通りに行うと告げてきたのだ。アリスとしては、根菜をすでに兵糧として使ったため、あわよくばそのまま認定にならないかと思って居たが、そういうわけにはいかないようだった。
しかし、戦があったにも関わらず、試食会を予定通りに行うことには驚いた。
「……しかし、材料が……。」
辺境地の戦いのために、王城にある分は兵糧として持ち出してしまっていたし、農村地帯から分けてもらうにもその時間はない。
「あるもので作っていただきたいですな。」
にやにやと笑ったアランの顔を見た瞬間、「材料不足が狙いだったのね!」とアリスは気づいた。しかし、予定通りに行うとなればそれに従うしかない。
「……分かりましたわ。予定通りで大丈夫です。1週間後には、皆様にご納得いただける根菜料理をお出ししますわ。」
「それは楽しみですな。王妃殿下は、機転の利かれるお方なので、良い試食会になりましょうぞ。」
「……。」
アランの嫌味に、アリスは無言の笑顔で答えるしかなかった。そして「絶対に負けてなるものか」と沸々とやる気が込み上げてくる。アリスは「絶対になんとかしてみせるわ」と心に決めた。
アリスはすぐさま、アリスの畑に足を運んだ。王城にある分は持ちだしていたが、それはあくまでもすでに収穫をしていた分だ。アリスの畑にはまだ、収穫の終わっていない根菜がある。まずはそれらを収穫して、必要な材料を見極めようと考えたのだ。
「みんな、よろしく頼むわね!」
「承知いたしました!」
一人での収穫は大変であるため、アリスは騎士や侍女を総動員した。アリスの侍女にはもう、ミミズに怯える者はいないし、収穫もお手の者である。アリスを筆頭に、皆がせっせと根菜の収穫を行っていく。
今日は、アリスの畑にある根菜のすべてを収穫する予定だ。早めに必要な根菜の量を確定させないと時間が足りないからである。
「あらまあ。王妃殿下は収穫祭でもなさるおつもりですか。」
するとそこに、ミシェルとその子供たちが通りかかり、声をかけてきた。正しくは、アリス達の騒がしい声が聞こえてきたため、エリクとメロディが行きたがったというところだ。
「ミシェル様。それに、エリク様もメロディ様も。ごきげんよう。」
3人の姿に気付きアリスが声をかけると、「ご機嫌麗しゅう、アリス王妃殿下。」とミシェルが挨拶したのを皮切りに、エリクもメロディもきちんと挨拶をした。
「お3人方はお散歩の途中ですか?」
「いいえ。メロディがどうしても行きたいと。収穫祭でもされてらっしゃるのですか?」
「収穫祭だなんて大げさな。まあでも、この畑の根菜すべてを今日中に収穫してしまいたくて。」
「あら、なにかあったのですか?」
「実は来週、根菜料理の試食会をすることになったのです。しかし、根菜を兵糧に使ってしまって足りなくて。それでとりあえず、今ある量の確認をしようかと。」
「まあ。来週?!それは大変ですわ!なにか材料の当てはございまして?農村地帯からはすでに兵糧として分けてもらっていますでしょ?」
「そうなのです……。」
先の戦いで、ミシェルもアリスに同行していたため、根菜は不足していることがすぐに分かった。そして、その状態で試食会をやることを決めたのがアランであることも。
「ふむ。それでは、わたくしに考えがございますわ。材料は、わたくしに預からせていただいても?」
「そんな……!ミシェル様のお手を煩わせるわけには……。」
「いいですのよ。アリス様には色々と借りがありますから。これくらいさせてくださいまし。」
「ミシェル様……。……分かりました。では、お願い致します。」
「もちろん。」
「アリスさま。わたくしたちもおてつだいいたしますわ。」
アリスとミシェルの話が終わったタイミングで、メロディが声をあげた。可愛い姪っ子は、見るからに汚れても良い動きやすい服装をしている。
ふふっと笑みをもらしながら、アリスは膝を折ってエリクやメロディの目線になる。
「それでは、エリク様、メロディ様。お手伝いいただいてもよろしいでしょうか。」
「はい。」
「もちろんですわ。」
「セリア。エリク様とメロディ様に収穫の仕方を教えて差し上げて。」
「承知いたしました。」
エリクとメロディは、セリアに案内されながら畑へと入っていく。2人とも初めてのことで、嬉しそうだ。
「では、アリス様はわたくしと一緒に近衛騎士団へと参りましょうか。」
「えっ。」
「だってこちらの畑のものを今日中に収穫なさりたいのでしょ?でしたら、男手がもっと必要ですわ。わたくしと一緒に参りましょう。クロードに押し付けちゃえばいいのですわ。」
ミシェルがアリスの腕をぐいぐいと引っ張るため、それを振りほどくことはできない。傍に居たソフィに視線を配ると、彼女はセリアに言づけをしてから、アリス達に動向をしてくれた。ミシェルにはエリーズがついている。
畑での作業着のままミシェルに連れられて近衛騎士団へと行くと、騎士たちがぎょっとした顔でアリスのことを見たものの、しっかりと礼はとっている。普段、アリスと接する機会がない者たちは、アリスのドレス姿以外の様相を知らないからだ。
「王妃殿下、ミシェル殿下。どうなさいましたか。」
近衛騎士団・団長の部屋へと通してもらうと、クロードが慌てた様子で何事かと声をかけてきた。現在の近衛騎士団の団長は、クロードである。
「先触れもなく訪問したことをお許しくださいませ。」
「いえ。それは、まあ。王妃殿下と姉上のことなので、大丈夫です。しかし、なぜ?」
「実は、わたくしの畑で今、根菜の収穫を行っておりまして。人手が足りないので、騎士の皆様の中で手伝っていただける方は居ないかと思いまして。」
「そういうことでしたか。ふむ。では、私が行きましょう。」
「クロード殿下が?!」
「先の戦いで兵糧として活躍してくれた根菜です。とても興味があります。そうですね……私の他に騎士5名も同行しましょう。それで足りるでしょうか?」
「十分でございます。クロード殿下のお心遣いに感謝申し上げます。」
「どうせ、騎士団にお願いに来られたのも、姉上の入れ知恵でしょうから、王妃殿下が恐縮される必要はございませんよ。」
「まあ!姉のわたくしに向かってなんと!」
わざとらしく声を上げるミシェルに向かって、クロードは両掌で天を仰ぎながら言った。
「王妃殿下は、騎士団を簡単にお使いになる方ではありませんからね。」
「アリス様の評価が高いのね。」
「我が国最高の女性ですから。」
クロードはアリスに向かってウインクを飛ばす。アリスは、クロードと直接関わったのは数えるほどだったが、こんなにも気さくな人だとは思って居なかった。
「お褒め頂き光栄ですわ。……このようなタイミングで申し上げるのもどうかとは思いますが、わたくしと陛下のためにご尽力いただいたことも、心より感謝しております。」
「ああ……。いえ。陛下と王妃殿下がお幸せなことがなによりです。」
クロードが照れくさそうに答えると、ミシェルはむっとした。
「あんなに反対していたくせにね。クロードったら肝っ玉が小さいから、最後まであの計画に駄々をこねていたのよ。」
「駄々はこねておりません。わたくしはそういう小細工が苦手ですし……。マリーの通訳をしなければいけないときなんて、王妃殿下へ失礼になるのは確実でしたので、肝を冷やしました。」
アリスは、「そういえば入城したばかりの頃にそんなこともあったな」と思った。
「私は礼に始まり礼に終わる男ですから。あのように失礼なことは、金輪際関わりたくありません。」
「まったく。どうしてこう、堅物に育ったのかしら。そんなんだから、お見合いしてもご令嬢が逃げるのよ。」
「それとこれとは……!」
ミシェルとクロードの言い合いに、アリスは我慢できずに噴出した。アリスがあまりにも大声で笑うため、ミシェルもクロードも目を点にしてアリスを見る。
「……そんなに面白いところ、ありましたかしら?」
「嬉しいのですわ。」
「嬉しい、ですか?」
「ええ。このように楽しい家族の一員になれて。」
アリスが答えると、ミシェルもクロードも顔を綻ばせた。
「それはこちらの台詞ですわ、ねえ?」
「はい。王妃殿下に来ていただき、感謝で一杯です。」
「ではそろそろ、アリス様の畑に参りましょう。今日中に根菜を収穫しなければならないのですから。」
「すぐに騎士を向かわせます。」
アリスとミシェルも急いで畑へと戻る。そして、ミシェルは畑の傍らで皆を応援しつつ、飲み物の準備をした。アリスは、泥んこになりながら皆と共に根菜の収穫を行っていく。
クロードやクロードが連れてきた騎士たちも混ざると、大所帯での収穫になった。わいわいと声を上げながら収穫する姿は、城の中に居る者から要望の眼差しを浴びていた。
ミシェルのお陰で人手が足り、アリスの畑の収穫は予定していたよりも早く終えることができた。収穫した根菜も、あっという間に厨房へと運ばれた。
「皆様。本日はお力を貸してくださり、ありがとうございました。必ずや、良い試食会にしてまいりますので、どうか応援をお願い致します。」
締めにアリスが挨拶をすると、皆が拍手でお互いを讃え合った。収穫を行った者たちは皆、アリスのように泥んこになっているが、それが誇らしいという顔をしている。アリスがこうして畑を作らなければ、泥にさえ触れたことのない者たちばかりだ。
アリスはそれが誇らしかった。
食べ物は勝手に湧いて出てくるものではない。こうして、作って収穫をして調理をしてくれる人が居るからこそ、食事をすることができている。そのことを、この城で弘めていきたいというアリスの願望が少しだけ叶ったのだ。
「美味しい根菜料理を期待しております。」
クロードが拍手をすると、それに続いて拍手が広がった。
「ありがとうございます。では皆様、ぜひ湯浴みをしてからそれぞれの持ち場に帰ってくださいましね。」
アリスがそう言うと、その場は大きな笑いに包まれた。
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