第27話 帰城

 戦いが終わってから1週間後、アリス達は王城へと帰還することになった。バルバラとはジケル領館でお別れになった。アルフォンスとそのままルモワーニュ王国へと帰ることになったからだ。


 アリスはというと、ヴィクトルと同じ馬車に乗せられながら王城へと帰った。恥ずかしいからミシェルと同じ馬車が良いと言ったが、ヴィクトルに却下されたのだ。おかげで、パストゥール王城に到着するまでの10日間、ヴィクトルはアリスにべったりだった。


「王妃殿下、ご無事で戻られてなによりです!」


 城に着いてから関係各所に挨拶して自室へとアリスが戻ると、涙目になったアリスの侍女たちが彼女を取り囲んだ。アリスが無事に帰ってくるまで、気が気じゃなかったらしい。侍女だけではなく、女官たちもそこに混ざっている。


「心配ありがとう。」


 アリスが微笑むと、侍女も女官もわっと泣き出した。そんな侍女や女官の頭を、アリスは1人ずつ撫でて行った。それはまるで、花園のような空間だった。


「そうだ、クロエ。マリー殿下にお会いしたいのだけれど、先触れをお願いできるかしら。」


 国王夫妻不在の王城の指揮権を、マリーに委ねていた。その委任を解く挨拶は終わっていたが、個人的に会って話をしたいと思って居たのだ。


「承知いたしました。今から参られますか。」

「そうねえ。おやつを一緒にしましょうと誘ってくれる?」

「は。」


 クロエが先触れを出すと、すぐに了解の返事が来た。そういうわけで、アリスはマリーの部屋でお茶をすることになった。


「突然押しかけてごめんなさいね。」

「とんでもございません。嬉しゅうございます。」


 マリーはもう、扇で口元を隠すようなことはしていなかった。マリーの部屋の客間に通され、テーブルの上にはお茶とお菓子が並べられる。


「この度のこと、マリー殿下には様々ご尽力いただき、本当にありがとうございました。」

「いえ。王妃殿下には及びません。わたくしは、陛下や王妃殿下から届く指示に従ったまでのことです。」


 アリスは柔らかく微笑んだ。


「もう、扇をお使いになっていないということは、陛下よりお耳に入ってらっしゃるのでしょう?今回の戦いのことだけではなく、わたくしたち夫婦のことにも力を貸してくださり、本当に感謝しております。」

「……お兄様から全部お聞きになられたのですか?」

「ええ。側妃の正体もすべて。」

「……王妃殿下を騙すような形になり、申し訳ございませんでした。」

「まあ!マリー殿下は謝らないでくださいまし。元はと言えば、わたくしと陛下の対話が足りなくて巻き込んでしまったことですわ。わたくしだって、結婚前に陛下へ気持ちを伝えるチャンスはありましたもの。でも、失恋するのが怖くてそれをしなかったのです。ですから、マリー殿下が謝る必要はありませんわ。」

「王妃殿下……。」


 マリーは眉をハの字に下げていた眉を、ぐっとあげてにっこりと笑った。


「王妃殿下のお心遣いに感謝申し上げます。わたくし、お二人の力になれて嬉しいのです。ずっとお兄様の恋を傍で応援しておりましたし……それに……わたくし、初等教育の頃から王妃殿下に憧れておりましたの。」

「わたくしに?」

「はい。殿方顔負けの成績と率先力に、憧れていない後輩はおりませんでしたわ。きっと王妃殿下なら、あの頓珍漢なお兄様も操縦できると思いますし、お兄様が王妃殿下を見初めるのも理解できますの。というかむしろ、お兄様に王妃殿下をとられて嫉妬!という感じですわ!」

「ぶふっ。」


 アリスは笑いをこらえきれなかった。まさか自分の夫が姉だけではなく、妹にも頓珍漢だと思われているとは。


「まあ!わたくしったらお恥ずかしいことを!」


 アリスが噴出したことでマリーは顔を真っ赤にさせた。


「違いますわ。マリー殿下のお気持ちは、とても嬉しいですわ。ただ、陛下が頓珍漢というのが面白くて。」

「だってお兄様は正真正銘の頓珍漢でしょう?あんなに色んなことに気が付くお方なのに、女心はまったくですものね。お兄様が王妃殿下のお召になるドレスをお選びになっているのはご存知ですか?」

「ええ。以前伺ったことがありますわ。」

「実はあれも、全部わたくしが推薦しているものの中から選んでおりますのよ。」

「まあ!そうだったのですか!それは大変申し訳ないことを。」

「いいのです。王妃殿下のドレスを選ぶのは、わたくしの楽しみですから。それに、お兄様に任せきりにしていたら、大変なことになりますわ。なにせ、頓珍漢ですもの。」


 アリスとマリーは微笑み合った。


「そうですわ。マリー殿下、その“王妃殿下”というの、おやめになって。」

「え……。しかし……。」

「わたくしも、マリー様とお呼びしますから。」


 すると、マリーは急にもじもじしだした。アリスがどうしたのかと小首を傾げると、マリーは意を決したように口を開いた。


「あの……それでしたら、“お姉様”とお呼びしても?」


 マリーの両頬はぽっと赤くなっており、瞳は潤んでいる。まさしく、恍惚としている状態だ。


「マリー様の御好きなように。」


 アリスが目尻を緩ませてそう言うと、マリーはきらきらと琥珀色の瞳を輝かせた。まるでその姿は、子供が宝物を手に入れたときのようにぴかぴかと輝いている。アリスは「可愛い妹ができて嬉しいわ」と思った。


「で、では……お姉様。」

「!!!!」


 おずおずと恥ずかしそうに口をすぼめながら、“お姉様”と紡ぐマリーの姿に、アリスは高まった。なんと可愛い生き物なのだろうか。これは、エリクやメロディにも引けを取らない可愛さである。アリスは悶えた。マリーに気付かれないように悶えた。


「なんですか?」


 にやけそうになる口端を我慢して笑顔で返事をすると、今度はマリーが顔を真っ赤にさせた。相当、アリスのことが憧れの存在であったらしい。


「ど、どうしましょう……。こんな幸せなことがあって良いのでしょうか……。」

「まあ。マリー様ったら。幸せなことは、もっともっとありますわよ。」


 そうは言いつつ、アリスも同じことを思って居た。義理の妹にこんなに好かれて、こんなに幸せなことがあっていいのかと。






「さあ、アリス様。こちらをお召くださいませ。」

「……やっぱりこれを着なきゃいけないのかしら。」

「それも王妃殿下のお勤めです。」


 セリアにびしっと言われてしまうと、アリスはそれ以上何も言えない。王城を出立してからしばらくの間、ネグリジェを身に着けていなかったためにアリスはすっかり忘れていた。


 嬉々としてアリスにそれを着せるセリアは、今にも鼻歌を歌いそうだ。ずっとアリスの傍に居るセリアである。アリスとヴィクトルの気持ちが通じ合ったこともお見通しなのだ。


「これ、少し寒いわ。」


 せめてもの抵抗で、アリスはそう言った。実際のところは本当に寒い。ネグリジェはスケスケなので、これ一枚で寝るには体を冷やすのだ。夏はとうに過ぎて、夜も冷えるようになってきている。


「こちらを上からお召ください。」

「わあ、温かい。」


 セリアが着せてくれたのは、ウール素材の上着だった。


「今年も良いウールができあがったのね。」

「左様にございます。では、わたくしはここで。」


 寝室の前までセリアに送られると、そこで彼女は下がった。アリスは一人で寝室の扉へと対峙する。こんなこと、前にもあったわねとくすりと笑った。


 ジケル領館に居る間や、王城まで戻ってくる間、ヴィクトルとは毎日同衾をしていた。しかし、本当にただ一緒に同じ寝台で眠っただけである。彼の腕に抱きしめられることや、口づけ合うことはあっても、あの夜のようなことはしていない。


 しかしきっと、今夜はそういうわけにはいかないだろうとアリスは思って居る。だからこそ、こんなに緊張しているのだ。


 侍女たちもアリスと同じように思って居たらしく、いつも以上に入念に湯浴みをさせられた。マッサージだってされたし、保湿もこれでもかってくらいされた。髪の毛だってオイルで艶艶だ。仕上げにほんのりと香水を胸元につけられている。


「ソフィたちは戦闘準備だって言っていたわね。」


 アリスもそんな気持ちだ。扉の前で、戦いに挑む気持ちを準備している。


「よし。」


 両頬をぱしんと叩いて気合を入れると、アリスはようやく扉のノブに手をかけた。重いその扉をゆっくりと開けると、1ヶ月以上も主人不在だった寝台に腰掛ける愛しい人の姿が目に入ってきた。


 ヴィクトルは、本を読んでいる。視線の端でアリスに気付いたのか、読んでいた本から顔を上げてアリスの方を見た。


「アリス。」


 優しく呼ばれたことに胸が高鳴り、アリスはゆっくりとヴィクトルへと近づいた。


「何の本を読んでらっしゃるのですか?」


 緊張のせいか、少しだけ声がうわずった。しかし、ヴィクトルはそれに気にも留めず、目尻を緩ませながら本の表紙をアリスに見せた。


「これは、貴女の?」

「ええ。子供の頃から何度も読んでいるお気に入りで。」


 ヴィクトルが読んでいた本は、パストゥール王国が舞台となった冒険ファンタジーだった。この寝室の本棚に常備しているものだ。


「私も何度も読んだよ。まさか貴女もだったとは。」

「まあ。ひょっとしたら、趣味が合うのかもしれませんね。」

「ああ。きっとそうだろう。」


 自然な流れでヴィクトルに手を差し出され、アリスはその手をとってヴィクトルの隣へと腰をかける。すると、寝台が少しだけ軋んだ。平静を装ってはいるが、アリスの心臓はもう爆発しそうな勢いだ。


「……ずっと貴女に謝りたいと思って居た。」

「何をですか?」


 ぽつりと零すようにヴィクトルが話したため、アリスもぽつりとそれに相槌をうつ。「はて?謝られるようなことなどあったかしら?」と思った。


 アリスが小首を傾げていると、ヴィクトルは寝台から腰をあげ、アリスの正面で跪いた。思いもよらなかった彼の行動に、アリスは「やめてくださいまし。」とやめさせようとするが、ヴィクトルにそれを片手で制される。


「私が勝手に勘違いをして、無理やり貴女の体を暴いたことだ。いくら夫婦であるとはいえ、あのようなことは決して、してはいけなかった。」

「陛下……。」

「許してくれるか?」


 この部屋で謝罪をしているのも、あえてなのだろうとアリスは思った。彼女は眉毛を下げて、ヴィクトルを見つめる。


「そんなの、とうに許しております。でも、二度目はないですからね。ちゃんと言葉で聞いてくださいまし。」

「そうだな。もう二度と、あんなことはしない。やきもちを妬いたときは、きちんと言葉にする。」

「はい。わたくしも、やきもちを妬いたらきちんと陛下にお伝えしますわ。」

「アリスも妬いてくれるのか?」

「……側妃に妬いておりましたわ。」


 アリスが両頬を膨らませると、ヴィクトルは嬉しそうにはにかんだ。そして、アリスの手をとって、そこに唇を寄せる。


「生涯、貴女だけを愛すると誓うよ。だから、私の隣で笑って居てほしい。」

「はい……ヴィクトル様。」


 満足気に妖しく笑ったヴィクトルは少し腰を上げると、アリスの目線と同じ高さになった。そして、アリスの頬に手を這わせると、彼女はそっと目を瞑る。そして、優しく唇が重なり合う。


 一度だけ重ねて唇を離すと、どちらからともなく、「ふふっ」と笑みがこぼれた。


「アリスはこういうの着て、寒くないのか?」

「羽織を着ているから大丈夫です。」

「でも、今から脱がしてしまうが……。」

「……っ。だ、大丈夫です。寝台の中に入りますから。」

「そうか。では、脱がしていいか?」

「……はい。」


 ゆっくりと、ヴィクトルにウールの羽織を脱がされる。すると、肩紐だけのワンピースのネグリジェが表れた。肩から腕は全部出てしまっているし、足首までの長さのあるワンピースであるとはいえ、その素材は透けていて胸元だって大きく開いている。


 唯一可愛らしいといえば、胸元にフリルがついているくらいだ。


「こういうのは、アリスが選ぶのか?」

「いえ……。侍女たちが……。」

「そうか。では今度から私が選んだものを。」

「へえっ?!」


 驚きで変な声が出てしまう。まさか、ヴィクトルにネグリジェの好みがあるとは思わなかったのだ。


「……ヴィクトル様にもお好みがあるのですか?」


 おずおずと尋ねるアリスが可愛くて、ヴィクトルは楽しそうに口端をあげる。


「ネグリジェの好みというよりは、アリスに着て欲しいというものだな。なんなら、アリスのために作らせたっていい。」

「ひえっ。こんな姿、ヴィクトル様以外にはお見せできませんわ。」

「あ、当たり前だ。作らせるとしたら、アリスに試着はさせない。」

「それなら……。」

「アリスなら、どんなものでも似合ってしまいそうだがな。」

「そんなことはありませんわ。」


 女性が憧れる体型をしているアリスは、ヴィクトルの言う通りに大抵のものは着こなしてしまう。しかし、強いて言うならばマリーのように可愛らしいものは苦手だ。似合わないことはないだろうが、違和感がある。


「そうですわね……。できれば、これくらいのフリルでしたらまだ良いですが……それ以上はちょっと、という感じですわ。」


 アリスは胸元のフリルを指して言った。


「そうか。じゃあ、私の好みでありつつ、アリスの好みのものに仕立てよう。それに、こんな紐だけじゃこれからの季節、寒いだろう。もっと布のあるものも作らせよう。」

「それはありがたいですわ。」

「それにしても……。これはこれで綺麗だ。」

「……ありがとうございます。」


 ヴィクトルがすっとアリスの肩を撫でる。ぴくっと反応してしまうが、アリスはそれが嫌じゃない。ヴィクトルはそれを見逃さずに、アリスの肩へと口づけた。


「……っ。」


 声にならない声が漏れそうになり、アリスは思わず両手で口元を抑える。それに気づいたヴィクトルは、そっとアリスのその手を解いた。


「聞かせて。」

「……!」


 恥ずかしさにアリスが口をぱくぱくさせると、ヴィクトルは彼女の顎を親指と人差し指で持ち上げ、彼女の唇が「ん」となった瞬間に唇を寄せた。優しいキスがどんどんと深いキスへと変わっていく。


 必死に息継ぎをしようにも、角度を変えて何度も唇を重ねられる。息も絶え絶えになっているアリスを見かねて、ヴィクトルは唇を離した。そして、アリスの耳元に唇を寄せる。


 そのくすぐったさに身をよじらせると、背中と腰に手を回されて、ヴィクトルの方へと体を引き寄せられる。


「アリス、好きだよ。」


 ヴィクトルの掠れた声は、アリスの全身を刺激する。そして、ヴィクトルに体を委ねると、ゆっくりと寝台へと沈められていった。



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