第8話 公爵家との晩餐会
シャルルとコラリーが明日にも南の城へと旅立つということで、シャルルの実弟であるジェラルダン公爵とバラボー公爵を招いて、晩餐会を行うことになっている。いわゆる、身内だけの送別会だ。
ジェラルダン公爵もバラボー公爵も、シャルルが退位した際に臣籍降下している。これはパストゥール王国の古くからの習わしで、余計な権力争いが起きないように王位継承権を持つ者は、王の退位とともにその兄弟たちは臣籍降下することになっている。
したがってパストゥール王国の公爵の地位というのは、元々王弟だったものたちが臣籍降下して設立されるものであるため、貴族の地位でありながら元王族しかなれない身分でもある。
「今日の王妃殿下は一段と麗しいですわ。」
この晩餐会のためにアリスは新しいドレスを着させられていた。身内だけの晩餐会なのであるから、アリスはお気に入りのドレスを着ようかと思っていたが、ヴィクトルが新しいドレスを寄こしたのだ。
一般的な夫婦であれば、夫が妻のためにドレスを準備するのは、なんらおかしいことではない。アリスの父母のようにいつまでもおしどり夫婦である場合には、妻が美しく着飾ったところを見たくてプレゼントするものであるし、例え仲の悪い夫婦であったとしても、妻の身なりは夫の甲斐性とされるため、妻へのプレゼントは惜しまない。
アリスは鏡の中の自分を見つめながら、「私はきっと後者の場合ね」と思っていた。
「そうかしら?」
「ええ。王妃殿下の瞳の色のコバルトブルーを基調とした色合いの中に、陛下の瞳の色の琥珀色のラインがあしらわれているのが、新しくてとても素敵でお似合いです。」
「……ありがとう。」
「これなら陛下も喜ばれますね。」
ソフィはうっとりしながらアリスを褒めた。夢見る少女のようなソフィの表情を見ると、アリスの胸はチクンと傷んだ。アリスについているセリア以外の女官や侍女は、未婚である。まだ若い彼女たちに「結婚はいいものよ」と胸を張って言えない主人であることに、アリスは負い目を感じていた。
支度室から出ると、すでに居間のソファーでヴィクトルがお茶を飲んでいた。
「すみません。準備に手間取り、お待たせいたしました。」
「あ、ああ。構わない。私が早めに来てしまったのだ。」
ソファーから腰を上げると、ヴィクトルはアリスの手をとった。
「……。」
「……。」
「……。」
「……陛下?」
「あ、ああ。では、参ろうか。」
「はい。」
ドレスを寄こしたくせに、その感想を言わないヴィクトルに、アリスの胸はまた痛んだ。褒めてほしかったわけでもないが、似合っているかどうかくらい言ってくれてもいいものなのにと思ったのだ。
晩餐室に入ると、すでに面々は揃っていた。シャルルとコラリーに加えて、クロードとマリー、そしてジェラルダン公爵夫妻とバラボー公爵夫妻だ。皆、アリスの美しさにほおっと溜息をもらす。ヴィクトルは一切、アリスの方は見ない。
ジェラルダン公爵であるシリル=ジェラルダンは、すらりと伸びた手足とチョコレートもとろけそうな甘いマスクで女性人気が非常に高い。その妻であるアリエルは、隣国サブレ王国の公爵令嬢だ。嫁いで20年以上になるが、サブレ王国との友好を保てているのは、彼女の助力の賜物であると言われている。
バラボー公爵であるダニエル=バラボーは、無骨で剣の腕がたつことで有名で、若いときは武力での名声を欲しいままにしてきた。そのため、シリルとは違って男性人気が非常に高い。その妻であるクラリスは、アリスの叔母にあたる。彼女はイヴォンの実妹であり、ブラシェール侯爵家出身なのだ。
上座にヴィクトルとアリスが着席すると、晩餐会が始まった。この晩餐会の料理のメニューを決めたのは、アリスだ。だからアリスは内心、どんな評価を受けるのかとドキドキしている。
はじめに前菜が運ばれてくると、女性陣が「わっ。」と色めき立った。普通の前菜ではあるが、食べられる花が添えられているのだ。
「こちらは、生ハムと季節の野菜のカルパッチョです。見た目が華やかになるように、食用花を添えております。こちらのお花も食べられますので、安心して食べてください。」
「えっ。食べられるのですか?!」
驚きの声をあげたのは、アリエルだった。アリエルは社交界でも流行の最先端を走っているため、“食べられる花”に大きな興味を持ったらしい。
「ええ。花によって味が違うのでそれも楽しめますよ。このカルパッチョのおソースと一緒に食べるのがおすすめです。」
「まあ。それは楽しみですわ。」
女性陣が嬉々としているのとは対照的に、男性陣はどこか疑わしい眼差しを食用花に向けている。それは無理もないだろう。食べられる花など聞いたこともないのだから。アリスの隣に座るヴィクトルも、やや懐疑的な視線を送っている。
しかし、ヴィクトルが口をつけないことには、みんなが前菜を食べられない。ヴィクトルは野菜と生ハム、食用花を上手にフォークで掬うと、そのまま口に入れた。その様子をそこに居る面々が見守る。
皆、ごくりと喉をならしながらヴィクトルの感想を待った。
「うん。上手いな。この花があることで、普段とはまた違った味が楽しめる。」
アリスはほっとした。ここで苦手に思われたら、次からの晩餐メニューも懐疑的に思われてしまうからだ。とりあえず、ヴィクトルの許しが出れば、誰がなんと言おうと大丈夫だ。今日のメニューのなかでちょっと奇抜なのは、この前菜だけだ。
「陛下のお口に合ってよかったですわ。」
アリスも前菜を口に運ぶ。その様子を見て、王族方や公爵方も前菜を口に運ぶ。それぞれ、「美味しい」と漏らしている者も居れば、不思議そうな顔をしながらもどんどんと口に運んでいる者も居る。
「南の城に帰る見送りの晩餐で、こんな素敵な料理をいただけるとは思いませんでした。」
その言葉を発したのは、シャルルだった。
「ええ、殿下。わたくしも同じことを思っておりました。」
「王妃殿下。よかったら、南の城でも同じものを食べられるでしょうか。」
「ええ。花の種がありますので、ぜひお持ち帰りください。実はお二人に気に入っていただいたときのために、お土産で包んでおりますの。」
「まあそれは。嬉しいことですわ。」
「ありがとうございます。」
義父母に気に入ってもらえたことが、アリスにとっては大満足だった。なぜなら、2人のために開いた晩餐会であるからだ。
その後、会は和やかな談笑の中で進んでいった。元々、身内だけの晩餐会であるため、険悪なムードにもなりようがない。アリスはただ、微笑んで皆の話を聞きながら、料理を口にするだけでよかった。
特に盛り上がっているのは、シャルルとシリルとダニエルの若かりし頃の思い出だ。おしゃべりなシリルと豪快に笑うダニエルは、長兄であるシャルルを尊敬しているのが見て取れる。しかし、アリスは考えていた。
もし、アランに黒幕が居るのであれば、シリルもしくはダニエルのどちらかなのではないかと。なぜなら、マリーよりも圧倒的にその2人の方が、アランと接点があるからだ。臣籍降下しているとはいえ、元は王族の身として全面的とまでは言わなくてもヴィクトルに対して反発の心が少なからずあってもおかしくはない。
ただ、あの厳しい帝王学である。王が絶対であると叩き込まれた彼らが、黒幕になりえるだろうかともアリスは思っている。そうなると、マリーの線も無きにしも非ずなのだが、「兄を慕っている」というだけで、王権が揺らぐようなことに手出しをするだろうかとも思うのだ。
「ヴィクトル陛下も無事にご成婚なされたことですから、次はクロード殿下とマリー殿下ですね。良い縁談の話はあるのでしょうか。」
そこで、クロードとマリーに触れたのは、ダニエルだった。ダニエルは遠慮をしない性格であるため、年頃の2人の縁談に首を突っ込んだ。20歳を過ぎたアリスは行き遅れとされていたが、王族の結婚は難しいため、クロードとマリーにそのレッテルを貼られることはない。
しかし、どの家と縁談を結ぶかによって貴族の力関係の均衡が破られることもあることから。2人の婚約相手は注目の的だ。クロードは困ったような笑みを浮かべた。
「そうですね。ちょうどよい令嬢が居れば良いのですが。国王夫妻のように、ビビッと来る相手にまだ巡り合っておりませんもので。」
アリスはクロードの言葉に目を丸くした。「まさか、陛下をお慕いしているのがバレてる?!」と焦る。
「からかうんじゃない、クロード。」
すぐにヴィクトルから諫める声があがったが、クロードは悪びれる様子もなくウインクを投げて「失礼しました」とおどけた。アリスは、「なんだからかわれただけだったのか」と思った。
「クロード殿下は、引く手あまたですものね。きっと、素敵なお嬢さんが現れますわ。」
フォローをしたのは、クラリスだった。主人から始めた話題であるため、ここらで幕引きをと踏んだのか、さしさわりない言葉を発した。
「しかし、クロード殿下もマリー殿下も、早めにご結婚なされた方が良いですな。王族の婚姻は国を守ることに直結しますし。」
王弟と王妹の結婚が気になっているのは、シリルもだったらしい。その横でアリエルもうんうんと頷いている。
「殿下方の結婚相手も気になるところですが、陛下の御子も気になるところですな。」
「え……っ!」
ダニエルのその言葉に、アリスは異常に反応してしまった。王妃であるアリスが大きく反応したことで、その場はしんと静まる。
「え、あ、その……。そ、そんな風に言われると、恥ずかしいですわ。」
アリスは顔を真っ赤にさせて言った。すると、そこに居た面々は、アリスの純情そのものの反応に、微笑ましいと皆が笑みを漏らした。実は顔を真っ赤にさせたのも一気に注目されたからだったのだが、勝手に解釈してもらえてアリスは助かった。まさか初夜を迎えていないからなどと、口が裂けても言えるはずがない。アリスは隣に居るヴィクトルの顔を見ることはできなかった。
食後のお茶まで楽しんでしばらく談笑した後、そろそろお開きにする流れとなり、ヴィクトルとアリスは退座をすることにした。身内の晩餐会とはいえ、国王夫妻が退室をしないと皆も退室できない。
「シャルル殿下、コラリー殿下。また共に過ごせる時を楽しみにしております。」
「国王陛下、王妃殿下。この度はこのような場を設けてくださり、ありがとうございました。南の城にもお二人そろってお越しください。」
「もちろんです。」
ヴィクトルとシャルルが挨拶を交わすと、アリスとコラリーも抱き合って挨拶を交わした。
「では我々は退室させていただきます。」
ヴィクトルに手を取られ、アリスも皆に一礼をしてから晩餐室を出る。晩餐室に入った頃は夕日が差し込んでいたのに、廊下はすっかり暗くなっており、明かりが灯されていた。
「疲れたか。」
「いえ。とても楽しかったです。」
「そうか。それならよかった。叔父上たちとはこれからも顔を合わせる機会はあるだろうから、ご夫人たちとも懇意にするといい。よく相談に乗ってくれるぞ。」
「はい。そういたします。」
どういうつもりでヴィクトルがその言葉を吐いているのか、その真意が見えずにアリスはもやもやする。「自分は側妃のことについては、何もフォローする気はないから」ということなのだろうかと変に勘ぐってしまうのだ。
「陛下はこの後もお仕事ですか?」
「え?あ……ああ。そうだ。」
「毎日、夜遅くまでお仕事されているのですか?」
「そうだな。」
「昨夜も?」
「ああ。昨夜も寝たのは遅かったな。」
聞かなければ良かったとアリスは思った。側妃と逢引きしていたことを隠されて、勝手に傷ついている自分に腹が立つのだ。もし、「側妃と会っていた」と正直に打ち明けられたとしても、それはそれで傷つくだろうと思うと、「なんて自分勝手な嫉妬心なのだろうか」と自分に幻滅する。
「あまり遅くなると体に障りますから。」
「ああ。気を付ける。」
アリスに心配されるのが鬱陶しいのか、ヴィクトルはさっとそっぽを向いた。
「じゃあ、おやすみ。」
「おやすみなさいませ。」
アリスの部屋の前で別れると、ヴィクトルはさっさとアリスに背を向けて、自室へと帰って行った。愛がないのだから、抱擁とかそういうのを求めるわけではないが、アリスはヴィクトルの態度をあまりにも寂しく思う。
「やっぱり結婚なんてするんじゃなかったわ。」
誰も聞くことのないアリスの声は、悲し気に暗闇に消えていった。
ヴィクトルは部屋に戻ると、勢いよくソファーへとなだれ込んだ。ヴィクトルの後ろからついてきていたマクシミリアンは、「陛下?!」とソファーに駆け寄る。
「アリス……。めちゃくちゃ綺麗だったな……。」
「は?」
突然聞かされる惚気に、マクシミリアンの口からは素の声が漏れる。帰って来て開口一番に発する言葉がそれなのかと呆れるのだ。
「だってお前も見ただろう?私が送ったドレスを着ていたのだぞ。」
「ああ、そうでしたね。」
「あれほど綺麗に着こなせるのはアリスしかいない。しかも、私の瞳の色が入ったドレスだぞ。アリスに似合わないわけがないと思っていたが、想像以上に綺麗だった。」
「そ、そうでしたか……。それはなによりで……。でも、それでしたら王妃殿下に直接お伝えしたらよろしかったのに。」
マクシミリアンが今日のことを思い出す限り、ヴィクトルがアリスを褒めている場面は一度もなかったように思う。
「好きでもない私から綺麗だと褒められても、アリスは嬉しくなんてないだろう。」
「そ、そうでしょうか?」
「アリスは仕方なく私と結婚してくれたんだ。今はまだ、私の選んだドレスを着てくれるだけでいい。」
「はあ。しかし、今日の話題にも出ていたように、御子はどうするのですか?」
「そ、それは……!いや、しかし。アリスに無理強いするわけには。」
「王妃殿下も覚悟はされているはずですよ。」
「いや、せめて……。いや、これは私のわがままだな。アリスに好きになってもらってから、彼女に触れたいのだ。でないと、最後まで彼女に触れる勇気が出ない。」
「まあ、お気持ちも分からなくはないですが……。それだったらせめて、好かれる努力をしてはどうでしょうか?」
「してるではないか。毎日、昼食を一緒にとっている。」
結婚してから毎日、ヴィクトルとアリスは昼食を共にしている。しかし、弾むような会話はまだ一度もない。
「せめて、王妃殿下を口説かれては?あと、昼食だけではなく、デートにお誘いするとか。でないと、王妃殿下も陛下のお気持ちに気付かないですよ。」
「な!そんなことをして、断られたらどうするんだ。アリスに拒絶されたら、私は生きていけない。」
マクシミリアンは、一国の王がなんと女々しい発言をするものだと思った。しかも、夫からの誘いを妻が断るなどありえないというのに。
「大丈夫ですよ。というか、陛下から動かないと王妃殿下からお慕いされるのは夢の話になってしまいますよ。やっと長年に渡った計画が実ったのですから、王妃殿下をモノにしてくださいませ。」
「な……!モノとか、そういういい方はやめろ!」
ヴィクトルは顔を真っ赤にさせた。齢28の男が、この程度の話に顔を真っ赤にさせるなど、マクシミリアンは呆れにも近い感情を抱いていた。それと同時に、妹の気持ちを最優先にしてくれていることに、兄としてありがたいとも思っていた。
ただ、マクシミリアンは、アリスのヴィクトルへの気持ちにも気づいていた。だからこそ、よく2人で話をしてほしかったし、ヴィクトルの方からもっと気持ちをアリスに伝えてほしいと願っていた。
どんなに想い合っている2人であったとしても、それを2人が確認し合わないことには、先には進めないからだ。
「それにしてもアリスは完璧だな。最後は私の体のことまで心配してくれたんだぞ……。あんなに素敵な女性が私と結婚してくれたなんて、まだ夢のようだよ。」
マクシミリアンは盛大な溜息を吐いた。「どこまでこの陛下はこじらせてらっしゃるのだろうか」と。「兄である私ではなく、アリスに直接言って差し上げてくださいませ。」という言葉が、何度も喉から出かかった。
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