第2話 新しい家族
面会の準備を済ませて居間のソファーでお茶をとっていると、ヴィクトルが訪ねてきた知らせを受けた。事前にエスコートをする旨の連絡を受けていたものの、アリスはそわそわしてしまう。
「待たせたか。」
アリスの居室へと入室してきたヴィクトルは、先ほどよりも軽やかな衣装に着替えている。父君と母君との昼餐会だからだろう。それにしても、陛下は何を召されてもお似合いになるな、とアリスは感心した。
「とんでもございません。今しがた支度を終えたばかりです。」
「そうか。では、参ろうか。」
「はい。」
ヴィクトルがアリスの手をとり、ソファーから立たせてくれる。そして、ヴィクトルの腕をアリスにつかまらせると、アリスの歩幅に合わせながら優雅にエスコートをしてくれた。
さすが、国王陛下である。さらに言うと恐らく、亡くなられたバルバラ王妃にもこのように優しく、いや、これ以上に優しく接されたのであろう。そう思うと、アリスはどこか複雑な気持ちにもなった。
昼餐会を行うサロンへ向かうと、シャルルとコラリーはすでに着席していた。恐縮する思いのアリスだが、身分の位でいうとヴィクトルが頂点であるため、なんら問題はないのだ。
「父上、母上。お待たせいたしました。ご機嫌麗しゅう。」
ヴィクトルがそう告げると、シャルルもコラリーも腰をあげようとしたが、ヴィクトルが手でそれを制した。
「こちらがアリス=ブラシェール殿です。そしてこちらが、私の父シャルルと母コラリーだ。」
「初めまして。アリス=ブラシェールです。このような場を設けていただき、大変ありがたく思います。よき国母となれるよう陛下を支えてまいります。」
アリスは最敬礼の淑女の礼を行った。そんなアリスの姿を両殿下は微笑ましく見つめている。
「私たちもあなたのような方に来ていただいて嬉しく思います。どうか陛下とそしてパストゥール王国を支えてください。」
シャルルは優しい声だった。見た目はいまだ風格があり厳格な国王の面影を残しており、ヴィクトルよりもシャルルの方が王様然としている。しかし、どこか温和な印象を与えるのは、退位したからであろう。
その横で微笑みを絶やさないコラリーも、圧倒的なオーラがある。退位した身であるとはいえ、社交界では未だ影響力が大きいこともアリスは知っている。
これからは、それをアリスが引き継いでいかなければならないのだ。王妃が社交界を握ることができるかどうかは、今後の国家の運営にも影響を与える。
昼餐会は終始和やかな雰囲気の会食だった。元々、アリスを両親に紹介するという非公式な場であるため、ヴィクトルもただの息子として両殿下に接していたからでもあるだろう。
両殿下もそれを承知のうえで、アリスに対してこれから息子に嫁ぐ娘という態度で接してくれていた。何日も前から緊張しっぱなしのアリスだったが、意外にも楽しく昼餐会を過ごすことができ、ほっとしていた。
「王城にいる間は、お茶会を何度か開こうと考えてますの。アリス様もよかったら参加していらしてね。」
コラリーからは茶会の誘いがあった。アリスにとって光栄なことであるが、念のためヴィクトルの顔を伺うと、「問題ない」とでもいうような表情でこくりと頷いてくれた。
「……お義母様にお誘いいただけて嬉しいです。ぜひ、参加させていただきます。」
「まあ。」
両殿下ともに、感嘆の溜息をもらした。アリスが両殿下のただの娘になれるのは、ヴィクトルと結婚をするまでだ。結婚をしてしまったら、王妃にならなければならない。そのほんのひと時はできるだけ嫁として尽くそうと思ったのだ。
それに成婚の儀が終われば、両殿下は現在の住まいである南の城に帰ってしまう。その後は、中々会えなくなってしまうため、この期間中にできるだけ孝行をしておきたいとアリスは考えていた。
「アリス。私のことも……その……。」
すると、シャルルがおねだりをしてきた。恐らく、コラリーだけと羨ましかったのだろう。
「……お義父様。」
前国王に向かってお義父様などと恐縮しきりで、おずおずと恥ずかしそうに口にしたアリスの言葉に、シャルルは満足そうに笑った。
「……父上も母上も、それくらいにしてあげてくださいね。あまりに要求するとアリスが困ってしまいます。」
「いいじゃないか。あと3ヶ月もすれば、お義父さんなんて呼んでもらえなくなるし、私たちだって気軽にアリスと呼べなくなるのだから。」
「そうですわ。これだから息子って。アリス様、うちの愚息がご迷惑をおかけしますけど。どうか、愛想を尽かさないでやってくださいね。」
「陛下は立派なお方ですから。わたくしの方が心配です。」
ヴィクトルは、この両親に愛されて育ったことがよく分かった。シャルルがコラリーしか妃に取らなかったことも頷ける。ただそれは、二人の愛だけにならず、ヴィクトルという世継ぎを無事に産むことができたからでもあるだろう。
自分は世継ぎをちゃんと残せるだろうか、とアリスは一抹の不安を覚えた。そして、誰もバルバラに言及しなかったことが、胸の奥にチクリと刺さった。
王城に来てから初めて過ごす夜は、思いのほかぐっすりと眠れてアリス自身も驚いた。繊細に育てられてはいないものの、まさか自分がこんなにも図太かったなんてと、すっきりと目覚めた朝1番にアリスはそんなことを思った。
「おはようございます、アリス様。」
アリスの呼び鈴でかけつけたセリアが、うやうやしく一礼をしながら部屋に入ってくる。これはアリスが子供の頃から変わらない。
「おはよう。支度をお願いできるかしら。」
「承知いたしました。」
セリアと新しい侍女であるソフィとイヴォンヌに手伝ってもらいながら、アリスは支度を整えた。今日は午後からクロードとマリーが訪問してくることが決まっているため、昨日ほどではないにしてもラフすぎないドレスをセリアが準備してくれた。
これから王族になると、もっと色々なドレスを着こなさなければならない。バルバラほど綺麗であればどれほどよかったかとアリスは思う。
「私がもっと美人だったらなあ。」
そうアリスが零すと、支度をしてくれている侍女3人から矢継ぎ早に
「なにを仰いますか!」
「この出るところは出て引き締まるところは引き締まっている御体、羨ましい限りです!」
「アリス様ほど聡明で美しい方は他にいらっしゃいません!」
と、一生懸命にフォローが入った。セリアがフォローするのは当たり前でも、ソフィとイヴォンヌもそう言ってくれたことに、アリスはどこか嬉しさを感じた。もっと、自分に仕えてくれている者たちのことを、知っていきたいと思った。
身支度を終えて軽めの朝食をとった後、ローズがアリスに近づいてきた。お茶を準備してくれるらしい。
「ありがとう。」
軽く一礼をして下がる彼女に声をかけてから、ティーカップに手を伸ばす。そして、口をつける前に香りを嗅ぐ。
「……ちょっと。」
完全に下がりかけたローズに、アリスは声をかけた。
「このお茶を淹れてくれたのは誰かしら。」
「あ……えっと……。わたくしです。……不慣れなもので……。なにか至らない点があったでしょうか。」
「そう。……茶葉はここにあったものを使ったのかしら?」
「はい。」
「そう。じゃあ、その茶葉を茶缶ごと持ってきてくれるかしら。」
「は、はい。」
ローズが慌てて持ってきた茶缶を手に取り、アリスが飲もうとした茶葉で間違いないか確認をするため香りを嗅ぐ。どうやら、この茶葉で間違いないようだ。
「珍しい茶葉だから、この茶缶ごと私の研究に使わせていただくわ。」
「へ……。」
間抜けな声を出すローズを尻目に、アリスはさっさと茶缶を持って書斎に閉じこもった。
午後になると、クロードがマリーをエスコートして、アリスの居室を尋ねてきた。
「お初にお目にかかります。アリス=ブラシェールです。」
アリスが淑女の礼をすると、クロードもマリーも好意的に受け取ってくれた。客間へと2人を通すと、侍女たちがお茶の準備をしてくれる。
「ようやく会えて嬉しいです。貴女のような方に兄上の奥方になっていただけて、わたくしたちも一安心です。」
クロードは寡黙な印象のヴィクトルとは違い、おしゃべりが好きそうな雰囲気だ。事実、マリーをさしおいて、一人でずっとアリスに話しかけている。マリーはその横で扇を口元に携えて微笑むばかりであることが気になっていた。
すると、マリーがクロードに何かを耳打ちする。どうしたんだろうと思っていると、クロードは「それを聞きたいのか?」とマリーに確認し、彼女が楽しそうに頷いてから、アリスの方に向き直った。
「アリス殿は、この王宮内に研究室と称して畑をつくることを願い出られたそうだが、畑の管理はどなたが行うのだろうか。」
1年前、アリスが父に結婚の条件としておねだりしたもの。それは、クロードの言う「畑」だった。ブラシェール侯爵領では農業が盛んなこともあり、アリス自身も幼い頃から畑に触れて生きてきた。王都にあるブラシェール侯爵家の邸宅の敷地内にも、アリスの畑があるほどだ。
アリスはこれまでずっと、農業の研究を行ってきたのだ。その研究は、農業界でも名を知られるほどで、男性の研究者に負けないくらいの論文を発表している。
アリスはそのせいもあって、婚期が遅れていた。アリスの親友のドリアーヌのように高等教育を卒業してすぐに結婚するのが一般的な貴族令嬢だが、アリスは農業にのめりこむうちに婚約の話すら持ち上がらない状況だったのだ。
そんな中での国王陛下との結婚。そこにマリーが興味を持つのも当たり前の話であろう。
「畑の管理は、わたくし自ら行いたいと思います。王城の畑の栽培に適しているものを研究したいのです。」
すると、マリーは声を出さずに笑った。そしてまた、クロードに耳打ちをする。
「泥んこになった王妃の姿を見てみたいものですわ、だそうです。……マリー、なんてことを言うんだ。」
楽しそうにするマリーとは対照的に、クロードは気まずい表情をしている。
「そうですね。幼い頃から泥んこが当たり前だったもので。今回、陛下にわたくしの我儘を聞いていただき、感謝の気持ちでいっぱいですわ。」
笑顔でアリスは答えたものの、その頭の中は疑問符でいっぱいだった。なぜ、マリー殿下は直接自分と話をしてくださらないのか、と。直接話をしたことはないものの、彼女が扇を携えて誰かに伝書鳩になってもらって会話をするなんてことは聞いたこともない。
さらに言えば、初等教育から高等教育の間でも、周りのご友人たちとは普通に会話をしている光景を見たことがあるほどだ。
だから、なぜアリスに対してだけ扇を使い、クロードを使うのかがさっぱり分からなかった。ひょっとして、自分は歓迎されていないのではないかと勘繰るほどに。
しかしアリスはそれを表情には出さずに、マリーに話をふるときはクロードに介してもらいながら、談笑をした。……やはり、王城に嫁いできたからには、厄介なことが起こり始めるものだと感じた。
クロードとマリーとの面会が終わった後、アリスは先ほど話題にも上ったアリスの畑へと向かった。場所は、結婚してからもすぐに行けるようにとの計らいで、王宮の庭園内だ。元々そこは花壇だったそうだが使っていなかったため、アリスの畑になったらしい。
王宮に足を踏み入れると、後宮とは違う空気が流れている。例えていうなら、後宮が女の園であるとするならば、王宮は男の戦場だ。
王宮は国王陛下と王妃の居室があるほかに、国王が執務をするにあたって必要な整備がすべて整っている。そのため、政務官方々も多く行き交っているのが、王宮なのだ。
それに対して後宮は、国王と王妃以外の王族や側妃の居室があるところであるため、侍女や女官が多く行き交う。後宮に行く名目のない男性が足を踏み入れるのは、少々肩身の狭い場所であるのだ。
セリアとローズ、そして2名の騎士を携えてアリスの畑に着くと、アリスの畑を警備してくれている騎士が居た。「私の我儘でこんなところに警備が」と思ったアリスだったが、畑に何か毒でも仕込まれたら大変なことになるので、心の中で一瞬にしてそれを受け入れた。
しかし、その警備をしてくれている騎士にふと目をやると、アリスは元々大きいコバルトブルーの瞳をさらに大きくさせた。ばっちりと目が合ったその騎士は、口元を軽く緩ませている。
「フィリップ?!」
「御無沙汰しております、アリス様。」
アリスの畑を警備していたのは、アリスの幼馴染であるフィリップ=デュモンだった。近衛騎士団に所属しており、デュモン伯爵家を継ぐことが決まっている。王城のどこかで会えたらいいくらいにアリスも思っていたものの、まさかここで会えるなんてと嬉しくなった。
「フィリップがわたくしの畑を警備してくれていたのね。畑もきっと喜んでいるわ。」
「アリス様にそう言っていただけて、騎士冥利につきます。」
フィリップはそう言うと、アリスに仰々しくも騎士の礼をとった。昔からフィリップは、アリスのことを和ませてくれるのが上手だ。
「まあ。随分と騎士様然とするようになったのね。昨日から、実家に居たら会えないような人ばかりに会えて嬉しいわ。昨日は、お兄様にも会えたのよ。」
「……近衛騎士たるもの、王城から離れるわけにはまいりませんので。」
「まあ。デュモン夫人からは、フィリップは城下町で名をはせてると伺ったわ。」
「……勘弁してください。」
フィリップと久しぶりに冗談を言い合って、笑った。王城にやってきて心から笑顔になれたのは、これが初めてかもしれない。
「じゃあ、畑の研究をさせていただくわ。セリア、あれを。」
「はい。」
セリアからアリス専用の鍬を受け取ると、ずんずんと畑へと入っていく。ドレスはもちろん、汚れても大丈夫なように仕立ててあるものに着替えてから来た。
その様子をセリアとフィリップは微笑ましそうに眺めていたが、ローズと2人の騎士はおろおろするばかりだった。そんな3人を横目に、アリスはどんどんと耕して土の状態を確かめていく。
すぐにブラシェール邸のアリスの畑よりも、良い土であることが分かった。もしかしたら、ブラシェール侯爵領に匹敵するかもしれない。
「花壇にしては、土が生き生きとしているわね。花壇の前は何があったのかしら。フィリップ、分かるかしら。」
「はい。わたくしも花壇の頃からしか存じ上げません。明日までに調査して報告いたします。」
「ありがとう。」
王城を見る限り、他のところはそこまで良い土に思えないのに、この一角だけが柔らかくて畑に適した土をしている。もしかして、腐葉土を運び入れたのかもしれないと思いつつも、それだったらもっとその痕跡があるはずだ。
どんどんと耕していくと、たくさんのミミズが出てくる。その様子にアリスはにんまりとしたが、ローズが後ろで怯えていた。
あまりにもローズがうるさいため、「そんなんじゃアリス様の侍女は務まりませんよ!」とセリアに叱られている。しかし、ミミズで悲鳴をあげるのは令嬢であれば、いや、女性であれば普通のことであるので、アリスは「私とあなたが特殊なのよ」と心の中で思った。
「それにしても、こんなに良い土だとは思わなかったわ。種まきがとても楽しみ。」
これなら、何を植えても順調に育ちそうだ。「何が1番よく育つだろうか」と頭の中ではひらめきがいっぱいだ。
「あなたたちも、私の新しい家族ね。」
アリスは土を手のひらに乗せながら、そう語りかけた。
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