初恋こじらせ編
第1話 入城
アリスは、自分のために準備された豪華絢爛な馬車に乗りながら、1つ溜息をついた。同乗している侍女のセリアは見逃してくれたものの、護衛の騎士はじろりとアリスを一瞥した。
居心地の悪さに馬車の外を眺めると、王都の街並みが見える。アリスが住んでいた王都の屋敷から、王城まで馬車で約20分。
アリスが王城に行きたくないと思えば思うほど、その道のりはいつもよりも短く感じられた。
王城の門をくぐり騎士の手を借りて馬車を降りると、アリスの目の前には国王陛下の臣下がそこでアリスのことを出迎えてくれている。
この光景にも慣れなければいけないのかと思うと、憂鬱にはなったもののそれを表情に出すわけにはいかない。アリスは精一杯の笑顔を張り付けて、優雅に淑女の挨拶を1つ行うと、令嬢然とした姿でそのまま王城へと入城した。
「これは、これは。ブラシェール令嬢。お待ちしておりました。」
宰相閣下であるアラン=オラール侯爵が、アリスの入場を出迎えてくれる。白髪のカールした長髪を後ろで結わえ、どっしりとした体格の彼は、元騎士であるアリスの父と比べると、些か運動不足なのではないかと思われた。
「オラール侯爵。お出迎えありがとうございます。本日よりお世話になりますが、よろしくお願い致します。」
先ほどより長めの淑女の礼をしながら、アリスはアランを凛と見据える。この場で戦っていかなければならないものから、決して目を逸らしてはならない。
宰相閣下をはじめとする政務官方々は、アリスの動向に注目をしている。それはまるで、蛇に睨まれた蛙のようだ。しかしそれでも、アリスは背筋を伸ばさなければならない。
「では、陛下がお待ちです。先に登城報告を。」
「ええ、分かりました。」
アランに先導されながら、アリスは謁見の間へと足を進める。
アリスが謁見の間に足を運ぶのは、これが人生で初めてだ。まさか自分が、このような立場で謁見の間に行くことがあろうとは、一縷も思ったことがなかった。
「面を上げよ。」
国王陛下の言葉で顔をあげると、アリスは玉座に腰掛ける国王陛下に視線をやる。琥珀色の双眸がアリスをじっと見ている。
彼の名前はヴィクトル=パストゥール。パストゥール王国の国王だ。
まるで品定めをされているかのような気分だが、金色に輝く短髪といい、鼻筋の通ったご尊顔といい、男性なのに「美しい」としか形容できない陛下に真っ直ぐな視線を向けられると、さすがのアリスも胸の奥の恍惚が揺さぶられそうになる。
「よく来てくれた。末永い付き合いになるが、よろしく頼む。なにか不都合なことがあれば、何でも申し付けてくれ。」
「このような大役を仰せつかり、ブラシェール家共々ありがたき幸せにございます。謹んで賜ります。」
アリスは臣下然とした最大の敬礼をヴィクトルに捧げた。――さあ、もうこれで逃げられない。
「成婚の儀は3ヶ月後だ。それまでにやることはたくさんだが……まあいい。とりあえず、貴殿はこの城に慣れることから始めてくれ。」
「承知いたしました。」
「あと、婚儀までは申し訳ないが後宮に滞在してくれ。王宮に移動になるのは婚儀のその日だ。なにか聞いておくことはあるか?」
「いえ。」
「そうか。では、また後で。」
アリスが深々と頭を下げている間に、ヴィクトルは颯爽と退座した。誰にも気づかれないように溜息をもらしてから、アリスは顔を上げる。いよいよ、始まってしまったのだ。
アリス=ブラシェール22歳。行き遅れと言われ、最近は社交の場でもダンスの申し出すらないほど、男性から敬遠されていたアリスが、まさかこんな大役を仰せつかるなど思ってもいなかった。
謁見の間を出ると、そこにはセリアの他に一人の男性が立っていた。彼はアリスのことを目視すると、にっこりと人懐っこい笑顔を向けてくる。アリスもその笑顔に、ほっと息を漏らす。
「陛下からアリス様のご案内を仰せつかりました、マクシミリアン=ブラシェールにございます。」
「アリス=ブラシェールです。宜しくお願いします。」
マクシミリアンもアリスもクスクスと笑みを漏らしながら、挨拶を交わす。マクシミリアンは、アリスの3歳上の実兄である。ヴィクトルの文官として王城で働いているため、今回はヴィクトルの計らいがあったのだろうとアリスはすぐに分かった。
「まさかお兄様に会えるなんて。」
「これからの方がアリスに会える機会があるかもしれないね。」
マクシミリアンはブラシェール侯爵家の嫡子であり、次期侯爵である。しかしまだ、父のイヴォンが侯爵家の家長として君臨しているため、ブラシェール侯爵家の爵位の1つバルゲリー子爵を賜り、王都にあるブラシェール侯爵家の別邸に妻子と共に暮らしている。
そのため、アリスが兄に会うのはとても久しぶりのことだった。
「お兄様が遊びにいらしてくれないからでしょ。ドリアーヌとは毎日のように顔を合わせているのに。」
ドリアーヌはマクシミリアンの妻であり、アリスの親友だ。ドリアーヌとは、初等教育から高等教育までの同級生なので、アリスの方が付き合いは長い。
「それはドリアーヌが、ここぞとばかりに入り浸っているからだろう。」
「あらお兄様。ドリアーヌに言いつけますからね。」
「それはご勘弁を。」
そんな冗談を言い合いながら、マクシミリアンとアリスは後宮へと向かう。セリアはその二人の後ろを黙って歩く。
周りは敵ばかりと思っていた王城も、兄に会えたことでアリスは緊張がほぐれた。
後宮でアリスに用意された部屋の一画に着くと、そこには侍女や女官、護衛の騎士たちが勢ぞろいしていた。そして、かのアランが彼らを束ねるようにして立っている。
本来であれば、女官長と侍女長とマクシミリアンで、彼らの紹介をするのに事足りるはずであるのに、アランまでもがそこに居たため、アリスは気づかれないように眉をひそめた。
マクシミリアンもアランが居るとは知らなかったのか、一瞬だけアリスにしか分からないくらいで目を見開いた。
「これは、閣下。我が妹の登城に際し、手厚いご足労ありがとうございます。陛下からは、わたくしに彼らの紹介を仰せつかっておりますが。」
「構わんよ。大切なブラシェール令嬢の入城ですからな。アリス様、私も同席させていただいても?」
後宮まで宰相閣下が押し掛けるなど非常識ではあるが、来てしまったものは仕方がない。何か彼の意向もあるのだろう。ここでヴィクトルの臣下をアリスが突っぱねても、碌なことにはならない。
「……閣下のご厚意感謝申し上げます。」
アリスが承諾の意を示すと、アランは満足げに笑みを浮かべた。
「……では、紹介はわたくしから。まず、女官長のデボラです。そして、侍女長のサラです。彼女たちが主となって、後宮や王城の女官と侍女を司っています。」
「アリス=ブラシェールです。今後よろしくお願いします。」
アリスが礼をすると、デボラとサラは淑女の礼をした。さすが王城で働く方々だとアリスは思った。
マクシミリアンからのそれぞれの長を紹介されたのち、今後アリスに就く女官と侍女が紹介された。アリスに就く女官は3名で、侍女は5名である。そこにセリアも加わるため、アリスからセリアを紹介した。
一人の侍女を紹介されたときに、アランが声を上げる。
「こちらのローズはわたくしの娘になります。ローズには優秀な教師をつけて、優秀な侍女になれるように教育を施しておりますので、どうかなんでも仰せくださいませ。」
アランがローズをそう紹介すると、ローズは恥ずかしそうに口元を緩めた。
なるほど、このためにオラール侯爵はこの場に居たのかと、マクシミリアンとアリスは納得する。
「このオラール一家で、王家の繁栄に尽力させていただきますので、何卒宜しくお願いします。では、わたくしはこれで。」
アランは自分の娘を紹介できて満足したのか、はたまたこれからは私とお付きの物との時間と捉えたのか、退出の意を表すると、従えていた騎士を連れて颯爽と去って行った。
なんとも食えぬ人だが、彼は仮にも宰相だ。無下にすることはできないのが難しいところだとアリスは思った。
その後、マクシミリアンも本来の持ち場へと下がっていくと、侍女たちはアリスの荷解きに取り掛かりつつ、お茶の準備をしてくれた。女官たちは今後のスケジュールや王城の決まりなどを早速説明してくれる。
スケジュール以外のことはほとんどアリスの頭の中に入っているものであったが、彼女たちの仕事を奪うわけにはいかないので、アリスは時折微笑みながら彼女たちの話を聞いた。
自室を案内されたときには、なんて豪華絢爛なのかとアリスは感嘆した。アリスが成婚の儀まで使うこの後宮の1室は、ヴィクトルの姉君が使っていた居室だ。
現在は隣国サブレ国の第2王子と結婚したため、パストゥール王国にはいない。いわゆる政略結婚というやつだ。
ただ、アリスがこの居室を使うのも、婚儀までの3ヶ月間だ。たった3ヶ月で王宮へと移らなければいけないため、アリスはできるだけそれまでの間に物を増やしたくないと思っていた。
だけど、居室に運ばれた荷物を見てはあっと溜息をつく。これからアリスがヴィクトルへと輿入れするからと準備された荷物は、アリスが一生かかっても使うことのないような量だ。
「こんなに荷物が多いと、お引越しのときに大変ね。」
アリスの斜め後ろについてくれているセリアに漏らすと、セリアはぐっと眉を寄せた。
「しかしアリス様は王妃になられるお方。様々な準備と荷物が必要なのは当たり前にございます。」
「分かっているわ。それにしても、なのよ。でも皆の心を無下にはできないわね。」
アリスは、アリスのもとにたくさんの荷物が届くことは、決して無駄ではないことを分かっている。なぜなら、アリスのためにと上等なドレスを1着作るだけでも、そこに経済が発生するからだ。
しかしそれと同時に、そんな上等なドレスを着られるほどの人間ではないと、自分を卑下する心がアリスにはあった。そもそもこの結婚だって、アリスしか居なかったから仕方なくであると、誰よりもアリスが分かっていた。
アリスが自分の結婚を聞かされたのは、今から1年前のことだったーー。
――1年前
「え?お父様、今、なんと仰ったの?」
アリスは自分の耳を疑った。普段、冗談を飛ばすことのない父が冗談でも言ったかと思うくらいに、アリスにとって信じられない言葉が、父・イヴォンの口から飛び出したのだ。
「驚かせてすまない。だが、本当の話だ。陛下から正式に、お前との結婚の申し込みがあった。正式なものだから、もう断れない。」
イヴォンの書斎に呼ばれ、人払いしてまで何の話だろうかと緊張していたが、まさかアリスの想像を超える話が降って湧いてくるなんて、思いもよらなかった。
「……なぜ、わたくしなのでしょうか。」
「お前以外に居ないことは、お前が1番分かっているのではないか?」
イヴォンの言葉は、アリスの胸の奥にずしんと響いた。なぜなら、イヴォンの言う通りであるからだ。
「我がブラシェール侯爵家は、王家の腹心の家臣だ。我々には役割がある。……お前の父としては、本当なら結婚なんてさせなくていいと思っている。お前がお前の心のままの人生を送れればそれで良いと思っている。しかし、ブラシェール侯爵家としては、そんな甘いことは許されない。このままでは国家の存続も危うい。分かってくれるな?アリス。」
この日、イヴォンが侯爵としての立場であることとアリスの父でありたい気持ちとの狭間で揺れている姿を、アリスは初めて見た。そんなイヴォンの姿を目にしておきながら、自分の役目をほっぽりだす勇気は、アリスにはない。
「……分かりました、お父様。このアリスめは、パストゥール王国の威信にかけて、誠心誠意尽くしてまいります。」
「アリス……。」
何年振りだろうか。父は大きな腕でアリスのことをぎゅっと抱きしめてくれた。優しくて強くて大好きな父。
本当であればイヴォンだって、アリスが心から願った人のところへと送り出したいはずだ。しかし、そうも言っていられないのが、現在のパストゥール王国だ。
パストゥール王国の王妃になるためには、王妃教育をみっちりと受けた人に限られる。このことを知っているのは、王家と王家の腹心の家臣であるブラシェール侯爵家のみだ。
表向きは王妃の素養があれば誰でもなれるように見えるが、パストゥール王家は内々でそれを許していない。なぜなら、この国で最も国王陛下に忠誠を尽くすべきなのは、王妃であると考えているからだ。
王妃こそ何があっても最後まで国王の味方であらねばならないし、民が国王への忠誠を尽くすように働きかけなければならない。だからこそ、王妃への教育が大事にされているのだ。
その王妃教育を任されている家こそ、ブラシェール侯爵家だ。ブラシェール侯爵家は歴史も深く、パストゥール王国の建国のときから王家の腹心の家臣として仕えている。
そのためブラシェール侯爵家の一族にはそれぞれ役割があり、家長をはじめとする男性陣は国王陛下を支える役割として、侯爵夫人をはじめとする女性陣は王妃教育に携わることになっている。
王妃教育の教師はブラシェール侯爵家の侯爵夫人が代々務めているが、万が一の時や時の王太子の年齢によって教師を務められるように、ブラシェール侯爵家の令嬢も教師になれる教育を受けている。アリスもその例外ではない。
現在の国王陛下のための王妃教育は、アリスの母・ベランジェールが果たした。
ところが1年前、思いもよらぬことが起きた。
ヴィクトルの妻であるバルバラ王妃が、病により命を落としたのだ。幼い頃から王妃教育に努め、成婚の際には国民の誰もが祝福し、ヴィクトルが王位を戴冠したときには、バルバラ王妃の誕生に心を躍らせたものだ。
なぜならバルバラは、女性からも憧れの的だったからだ。彼女のエメラルドの瞳は誰をも虜にし、彼女の優しさはパストゥール王国の歓びとなった。
そんな民から愛されたバルバラの訃報に、王国全体が悲しんだ。そして、それだけではない。まだ、国王陛下夫妻には御子が居なかったのだ。
パストゥール王国の国王は、正妻である王妃の他に3人の側妃を迎えることができる。ところが、ヴィクトルは頑としてバルバラ以外の妃は必要ないと言い張った。
そのため今の国王には王妃どころか側妃もおらず、世継ぎを誕生だせる手立てがない。
世継ぎを誕生させるためにも、ヴィクトルには妻が必要だ。そこで、白羽の矢が立ったのが、ブラシェール侯爵家令嬢のアリスだ。アリスほど王妃のなんたるやを知っている令嬢は、パストゥール王国には居ない。
そんなわけで今回、バルバラの喪が開けてすぐに結婚の申し込みがあった形となったのだ。
「そうだわ、お父様。わたくしから1つくらい、この結婚に対して我儘を言ってもいいでしょうか。」
例え承諾せざるをえない結婚とはいえ、無条件降伏するのはアリスの癪に障る。それに、アリスのこの我儘を陛下なら叶えてくださるとアリスには確信があった。
「……ひょっとしてだが、アリス。」
「ええ、お父様。そのひょっとしてですわ。」
アリスはとびきりの笑顔をイヴォンに向けた。
1年前のことを思い出していると、書斎で書類整理をしているアリスの元へ女官のクロエがやってきた。
「殿下方よりお手紙です。」
クロエが持ってきたのは、2通の手紙だった。差出人は王弟のクロード殿下と王妹のマリー殿下だ。内容は2通とも同じで、クロードとマリーで、明日の午後に挨拶に伺うというものだった。
今日は午後からヴィクトルの父君と母君…いわゆる前国王夫妻に謁見することになっている。それを考慮したうえで、明日の午後に会おうと仰っているのだとアリスはすぐに分かった。
同じ王城に住んでいるにも関わらず、こうして事前に手紙のやりとりをしたうえでないと、新しい弟と妹にも会うことができない。アリスにはそれが少しだけ窮屈に思えた。
「明日の午後、クロード殿下とマリー殿下がおみえになるそうよ。お二人をきちんとお出迎えできるように計らってもらえるかしら。」
アリスは、その場にいたクロエとセリアに告げた。2人とも軽く頭を下げながら、「承知いたしました」と了解してくれた。
王家の腹心の家臣であるブラシェール侯爵家の令嬢であるとはいえ、クロードやマリーと会話らしい会話はしたことはない。
マリーはアリスの1歳下であるため、初等教育の頃から彼女のことを何度も見かけたことはある。しかし、廊下ですれ違うときにアリスが会釈をすることはあっても、会話をしたことはない。
「陛下のご兄弟はどんな方々なのかしら……。」
「陛下も含めて、兄弟仲はすごく良いと評判ですけどね。」
アリスのつぶやきに応えてくれるのは、気心の知れたセリアだ。
「そうね。わたくしもなるべく仲良くなれたらいいのだけれど。」
「アリス様ならなれますよ。」
「ありがとう。」
セリアの言葉は気休めではあっただろうが、幾分か気持ちが安らげた。なにしろここは、セリア以外まだ初めての人たちばかりなのだ。
「ではそろそろ、ご準備をいたしましょうか」
「ええ。お願い。」
午後からは、シャルル王父殿下とコラリー王母殿下に会わなければならない。さきほど少しだけ顔を合わせただけのヴィクトルとともに、だ。
もし、これがただのブラシェール侯爵家の令嬢として、愛し愛された人の父君と母君への面会であれば、どれほど幸せだったのだろうかとアリスは思う。
「さあさ、溜息をつく暇もありませんよ。」
「そうね。」
セリアに促されながら、アリスは着替えのために書斎から衣服室へと移動をした。
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