第4話 19歳男性の場合

自殺は犯罪になり得ない。罪を償う人間が死んでいて、その罪を裁くことができない。


死は救いと色々なところで言っているのを聞くことがある。そりゃあ、自分は救われるだろう。救われて、苦しみから逃げることで楽になる。何も感じないから。


でも、自分以外は救うどころかさらに傷つける事になる。人は一人では生きていけない。もともと、孤独に耐性のある人間なんて存在しない。生まれてこの方、人と関わらずに生きてきた人間なんて存在しない。草食動物と違い、人間は自分で立つことすら時間がかかってしまう。少しずつしか成長できない生き物。その辺の草を食べて生きていけるものでもなければ、不快なことがあれば泣き、誰かに助けを求める。一人で生きてきたという人間がいるなら、俺はそいつをぶん殴ってやりたい。


自分だけ救われる自殺に正義は一切なく、悪行以外の何者でもない。可哀想でもなければ、悲しむ必要さえない。むしろ怒りを覚えるべきなのだ。自分勝手に人を傷つけて自分だけ楽になりやがって。誰の許可得て死んでんだ。てめえに使った時間を返せってな。


でも、そんなことできるはずもなく、接してきた人間には少なからず情が芽生えており、その人のことに関して一喜一憂した人もいる。悲しみを抑えることはできずに、人は自分を責める。当たる相手がいないから。話して楽になることでもないから。自分の思いが届いていなかったことに絶望を覚えて、自暴自棄になる。


自殺を可哀想と思う思想は、命の価値を歪め、自分の価値感に疑問を抱いてしまう。命はどうしても消費期限があるもの。制限があるからこそ美しいという人もいるが、俺はそうは思わない。色々な人の人生の後悔を見てきて、制限があるから美しいと感じたことはない。自分を取り囲む人やもの、環境や時間。全てが合わさってやっと命は美しいのだと思う。美しい命には人が寄ってきて、その人の影響で色々なものが綺麗になっていく。それはその人が死して尚残り、受け継がれていく。命の価値はそこにしかない。生き物としての本能は生きているうちに自分の痕跡を残すこと。それが遺伝子であれ、物であれ、思想であれ。だから、自殺は裁かなきゃいけない。罪になり得なくとも。命の美しさが霞んでしまうから。


俺が言えた口ではないが。


しおりからの告白を受けた自分は正直戸惑った。しおりに対する気持ちが好きという感情なのか、それとも、ただの好意なのか。なんせそんな経験は生前もなかったからわからなかった。その場は一旦保留にしてもらった。次の日からの雰囲気が心配だったがしおりは自然だった。変に意識してしまっている自分が恥ずかしくなってしまうほど彼女は変わらなかった。


あれからしばらくたち、いまだに自分は答えを出せていない。そんな中、珍しく上に呼ばれた。問題行動とか、処罰がないと滅多に口を出してこない腰の重い上が、何も心当たりのない自分を呼び出した。


重っ苦しい扉を門番に開けてもらうと偉そうに座る上の面々がいた。


「なんですか?これでも忙しい身なんですけど。」


自分はあまり上に対していいイメージを持ってない。その理由が天災についてだ。自分たちが情報を流してしまったくせに簡単に天災を起こして強引に問題解決をしようとする。こいつらこそ裁判を受けるべきなのに、天界のシステムを作ったからと言ってそのことには誰も触れない。どんなところでも上が無能だと下請けが苦労する。


「なんだその態度は?」


「いいえ。なんでもないです。時間がないので早めでお願いしたいです。」


「こっちだってお前の顔はあまり見たくはない。要件だけを伝える。お前の裁判の日程が決まった。以上だ。」


時間が止まった気がした。そうか。しおりがいれば自分は用済み。何百年も前のことだったし、最近、濃い記憶しかなくて頭の中から抜けていた。せっかく、うまく行き始めたのに。せっかく、楽しいと思える日々が来たのに。せっかく、大切な人との時間ができたのに。せっかく・・・。


「どうした?元はと言えばお前が望んだことだぞ。後任が育てばすぐにでも自分の裁判をしてくれってな。」


確かにそうだった。自分の生にはあまり興味がなかったし、仕事自体が辛く苦しいものだったから、さっさと誰かに押し付けて自分は楽になりたかった。でも、今は当時とは違う。


「しおりはまだこの仕事について1年も経ってません。」


「おかしなことを言うな。お前が望んだことでそれを叶えてやると言っているんだ。

それに彼女は十分できてる。お前がいなくなっても問題はない。」


「しかし・・・。」


「これは決定事項だ。変えることはできない。」


自分は強制的に部屋から追い出された。どうやら上の決定は変えられないらしい。それもそうか。目の上のたんこぶがなくなるのだ。上にとっては利点しかないか。


その後、自分は仕事場には行かずに自分の家に戻った。ベッドに寝転がり突きつけられた現実と、自分の運命に絶望した。自分は枕に顔を埋めて言葉にできない声を荒あげた。



1週間後、自分の刑の執行の日になった。予想よりもかなり早く、心の準備はさせないと言わんばかり。まだ自分の中で整理はできていない。しおりにも伝えることはできてない。伝えることができなかった。気持ちを伝えてくれたからこそ、伝えることを躊躇ってしまった。


「これって・・・。」


しおりは自分の資料を見て、呆然としている。


「これ、嘘ですよね?きっと、そうです。上が間違って送ってきたんです。」


しおりは明らかに冷静さを欠いていた。


「嘘じゃない。前に一人で上に呼ばれた時に言われた。黙っててごめん。」


しおりの手から資料が流れ落ちる。しおりは崩れ落ち、その手で自らの顔を覆った。自分の言葉に嘘がないことが分かったのだろう。こんな自分のために涙を流してくれた。それも声をあげて。


「これが俺の最後の仕事だ。俺は何もできないけど、お願いしてもいいかな?しおりの元で消えたいんだ。こんなわがままだけど聞いてほしい。」


自分は顔を覆っていたしおりの手を握り、目を見てお願いをした。しおりの目は真っ赤に充血していて、せっかく綺麗にお化粧した目元のメイクが取れていた。自分の顔を見て、しおりは首を強く横に振った。


「いやです。いやです。絶対に嫌・・・。」


それもそうだ。自分が頼んでいることは好きな人を自分の手で消してほしいと言っているのと何も変わらない。自分はしおりの手を離し、しおりを強く抱きしめた。


「ごめん。本当にごめん。こんなになると思わなかったんだ。俺は罪人で、自分を消すためにこのシステムを提案した。もともと、自分の生に興味がなかったから、自ら望んでたことでもあった。でも、しおりと出会って変わってしまった。こんなに消えるのが怖いと思わなかったんだ。大切な人を残して、消えることが。でも、ここで自分だけが刑から免れたら、今までの人たちに顔向けできない。自分の意思も曲げてしまうことになる。身勝手なお願いなのは分かってる。今、自分がお願いしていることは、自殺と何も変わらない。むしろ、それよりも罪が重いかもしれない。大切な人だけを傷つけて、自分は消える。身勝手極まりない。しかも、それを大切な人にお願いする。最低な行動だ。それを分かっていて、お願いする。しおり、頼む。」


自分はしおりから離れて、深く頭を下げた。


「顔をあげてください。」


自分は恐る恐る顔をあげる。しおりは、自分の顔に手を添える。一発思いっきり殴られるものだと思った。でも、しおりは自分の顔を抱き寄せた。


「最低です。最悪です。でも、わかりました。誰かがやらなくちゃいけないなら、私がします。でも、しばらくこうさせてください。伯斗さんの温もりだけは覚えておきたいから。」


しおりの胸の中で自分は泣いた。泣いている最中もしおりはずっと自分の頭を優しく撫でてくれていた。


どのくらい時間が経っただろうか。永遠にこの時間が続いて欲しかった。離れたくなかった。でも、そういうわけにはいかなくて。人生の中で最後の愛しい時間。何百年も味わうことのできなかった、人間としての幸せの時間。自分がこの世に残りたいと感じる時間。この時間に別れを告げなきゃいけない。自分は覚悟を持って、しおりから離れた。


「ありがと。じゃあ、行こう。お願いできるかな?」


「わかりました。」


自分はしおりの手を握りながら、ゆっくりと足を進めた。見慣れた装置の前に着くと、いつもとは違った感じがする。この世との別れがわかっている状態で入るのは怖かった。自分はゆっくりと装置に腰をかけた後に寝転がる。


「じゃあ、また。最後の時はきてくれるだろ?」


「もちろんです。」


しおりは装置のボタンを押そうとしているが指が震えていてなかなか照準が合わない。自分はしおりのもう片方の手を握って、少しだけ勇気をあげる。


「頼む。」


しおりの手はボタンをゆっくり押す。自分は手を離して、お腹の上で手を合わせた。


「伯斗さん。あなたに1日だけ差し上げます。自殺したことを悔いてください。」


「わかった。」


白く激しい光に包まれた。自分の人生の最後の時間が始まった。



激しい光の中、結果のわかってるはずなのに心の中は穏やかだった。恐怖もない。何かに満足してしまっている自分がいた。


光の中から目を覚ますと、今朝見たばかりの場所だった。自分が下界にいた時からもう数百年経ってる。生きていた頃の記憶はもうないに等しかった。むしろ、生きていた頃よりも、天界に来てからの方が自分を後悔させるにはいい材料になっている。


自分は体を起こすと、隣に違和感があった。人一人分山ができていて、呼吸しているのかゆっくり掛け布団が上下していた。一人暮らしのはずの自分の横に人がいることはまずありえない。誰がいるのかある程度予想がついていたが、ゆっくりと掛け布団を捲った。そこには、幸せそうに寝ているしおりの顔があった。


「やっぱりな。」


自然と笑顔が溢れた。隣にいるのがしおりで少し嬉しかった。自分はしおりの顔を確認すると、横にあるデジタル型の目覚まし時計で日にちを確認してカレンダーに書いてある予定を見た。カレンダーに予定を書いたことがないのに、何も疑問を持たないで自然に確認していた。これが、この世界の自分の習慣なのかもしれない。カレンダーにはデートという文字が書いてある。自分がいるこの世界では、しおりとは恋人関係かもしれない。日付も、少しだけ先の未来を示していた。もしかしたら、自分の裁判が行われなかった場合の未来の世界なのかもしれない。


「おはよう。起きるの早かったね。」


掛け布団が捲られたことで、しおりが起きてしまったみたいだ。


「おはよう。眠かったらもう少し寝てていいんだよ?」


自分はしおりの頭に手を伸ばす。整えられてない寝癖のついた柔らかい髪を解いた。しおりはその手をつかんで、自分の頬に持っていった。


「落ち着く。」


頬から感じる暖かさも本物だった。一瞬、ここが違う世界だと忘れそうになる程、リアルで心の中が満たされる感じがした。少し、難しそうな顔を見せた自分にしおりは手を引き、体をくっつけた。


「いい匂い。暖かくて、好きな匂い。」


しおりは自分の胸に顔をつけて、深く息を吸った。


「その発言変態みたいだぞ。」


「いいもん。本当のことだし。」


いつの間にか抱きつかれていて、身動きが取れなくなっていた自分に、上目遣いで頬を膨らませえた。


「動けないんだけど。」


「もう少しこのままがいい。」


仕方ないので、しおりが満足するまでそのままの体制でいた。しばらくすると、しおりから寝息が聞こえた。その顔を見ながら、今度は起きないように優しく、頬を撫でた。


「なんでもう少し早く起こしてくれなかったの?」


あれから、自分も寝てしまい、時刻は10時半。もともと9時には出発したかったみたいで、しおりは急いで外に行くための準備をしている。洗面台で長く綺麗な髪を解いている姿に見惚れながら、自分は隣で歯を磨いている。


「あまり見ないでよ。恥ずかしい。」


少し顔を赤く染めるしおりに、


「いいじゃないか。見る分には減るものでもないから。」


「時間は刻一行と減っていってるの。早く準備して。」


「わかったよ。」


自分は口を濯いで、寝癖を直す。一つだけやたら頑固な寝癖があり、それに苦戦していると隣でヘアアイロンをかけていたしおりに髪を触られた。


「これだといくら解かしてもなおらないからやってあげる。」


そう言ってしおりは自分の後ろに回ってヘアアイロンで自分の髪を整え出す。


「せっかく綺麗な髪の毛なんだから、しっかり整えなきゃもったいないでしょ。ほら動かないで。危ないから。」


ほんの二撫でくらいで、自分の寝癖は治り、自分は服以外は準備万端。しおりにありがとうを伝えて、クローゼットの中を見た。そこには服に無頓着な自分では考えられない量の服があった。その服の前で自分が戸惑っていると、支度を終えたしおりがきた。


「いいよ。私が選んであげるから。」


しおりはクローゼットの中から次々と服を出していき、それを自分に合わせながら、これ、これ、これっと自分に着るように指示し、自分はそれに従った。自分で言うのもなんだがよく似合っていると思う。服のセンスはしおりには敵わないと思った。

しおりも準備を終えるといよいよ出発というときに、しおりに呼び止められた。


「これ、忘れてるよ?」


しおりの手には二つのリングが。


「久々のデートなんだから、忘れないでよね。」


しおりは片方を自らの左手の薬指にはめて、もう片方を自分の左薬指にはめた。


「行こっか。旦那さん。」


ここにきてから、関係性がわかっていなかったが、どうやら結婚しているらしい。しおりは自分に手を差し伸べると、自分はその手を握り、扉の外に出た。


移動は専用車ではなく、電車がいいとしおりから提案された。せっかくのデートだから二人っきりがいいということだったので久しぶりに切符を買って電車に乗り込んだ。驚いたのは今は切符を買う必要がなくてクレジットカードのようなものをかざすだけで改札が空いた。その様子に驚いているとしおりから、「ほんとに世間知らずなんですね。」と笑われてしまった。


電車の中は、満員とは行かなくても、かなりの人がいた。運よく座ることができたが正直人混みは少し苦手だ。そんな自分なんか関係なく、隣でこれから行くところのパンフレットを広げて、ワクワクを隠せないしおりがいた。そんな彼女の横顔を見ながら彼女の矢継ぎ早に来る質問に答えていた。


電車に揺られること、30分。目的の駅ににつく。市街地から少し離れたところにあるテーマパークにきた。下界にあるものを再現したようなもので、キャラクター等はいないが、かなり近い形で再現されている。著作権上ダメらしい。天界でも著作権は有効なんだ。


入場料を払って中に入る。中に入ってまず驚くのが、その大きさと広さ。全てが天界仕様になっているため、馬鹿みたいにでかい。世界各国にあるテーマパークを全て合わせたような広さの敷地で、とても1日では回ることができない。普通なら、1週間ほど休みをとってくるみたいだが、そんな時間は自分たちにはないのでしおりが行きたいところを厳選して回ることにした。


「いいのか?本当にここで。全部は回れないのはわかってるだろ?」


「いいの。一緒に来てみたかったし、今度大きな休みがもらえた時の視察ってことにして。時間がないから行くよ。」


しおりは自分の手を掴んで、引っ張った。


中は休日ということもあって人がごった返しだったが、行列は無く、下界のように何時間も待つことはないらしい。天界パワーだと思ってくれ。まあ、規模も広さも比べ物にならないくらいなので、比較になるかは定かではない。


テーマパークということで、しおりがまず選んだのは、ジェットコースターだった。最初からハードだなと思ったが、しおり曰く、これを乗らないと遊びに来たという感じがしないらしい。しおりに手を引っ張られて、半ば強引にのせられて、ジェットコースターがスタートした。上下左右と、大きく体を振られ、一回転する場所もあった。しおりは声を出しながら楽しんでいた。他のお客さんも、同様。生きていた頃は、こんなものなかったから、こういうものなのかなと絶叫系なのに冷静に周りを分析していた。


「ふぅ。楽しかったね。じゃあ、時間もないので次行こうか?」


乗り終えると、しおりは足早に次のアトラクションへと向かった。しおりに連れてこられたアトラクションを見て、自分は少しだけ、頭がショートした。そこから響くのはさっき聞こえた声と類似していた。人が変わっただけで、やっていることは何も変わらない。


「またこれ乗るのか?」


「何言ってるんですか?全く違うじゃないですか。」


確かに、場所は変わった。でも、またジェットコースターじゃないか。大体、夫婦になってからしおりが敬語で話しかけてくる時は、いじっているか、ふざけている時。ほら、今だってニヤニヤしながら自分のことを見てくる。


「いいから。早く乗ろ?」


そこから自分たちは、午前だけで5本ジェットコースターをハシゴした。流石にキツかったが、隣にいる最愛の人は、キャッキャしていた。


ちょうど時間はお昼時。


連続のジェットコースターで自分は少しグロッキーな感じだった。しおりも合間にちょくちょく買い食いをしていたのであまりお腹は空いてないと言う。でも、流石に疲れた自分は、しおりを連れて喫茶店のような、少しレトロな雰囲気で流行りの曲ではなくジャズが流れる店に入った。そこで、自分たちは二つコーヒーを頼んだ。


「連れ回してごめんね。」


さっきまでの異常なスケジュールを改めて、思い直したのか、しおりが謝ってきた。


「いいさ。しおりが楽しいなら。俺はこういうのに無頓着だし、しおりに連れ回されないと外にすら出ないから。でも、意外に楽しく感じてるよ。こういうのはずっと避けてきたから、楽しいと思ってる自分に少し驚いてる。」


「本当?よかった。」


少し理屈っぽい自分の言葉を聞いて、しおりは笑顔を取り戻した。


コーヒが届くと、コーヒー特有の香ばしい?それとも豊満?どれも違った匂いがした。ついてきた砂糖とミルクは全てしおりにあげて、自分は香りを楽しみながらフゥフゥしながら少しずつコップを傾けた。


「よくブラックで飲めるよね。私はまだ無理だ。」


しおりは自分と同じものが飲みたいとよくコーヒーを頼むのだが本当に好きで飲んでいるのかは少し疑問で、砂糖をいっぱい入れて、ミルクもたくさん入れる。


「毎回言うけど、無理して飲まなくていいんだぞ。」


「わかってないなぁ。これも愛情表現の一つだよ。相手と同じものを飲んで、同じ時間を共有する。これ以上の愛情表現があるとでも?」


そういうとしおりはしおりように改良したコーヒーを口にする。


「まだ苦い。すいませーん。」


しおりは追加で3本砂糖を頼んでいた。これじゃあ、全く別の飲み物じゃないか、というと名前は一緒だからいいのだそうだ。試しに飲んでみろと言われてしおりようを口にしたら、コーヒーの面影は一歳なく、ホットミルクに砂糖を大量にぶち込んだ味がした。少し嫌そうな自分の顔を見てしおりはニタニタしていた。


喫茶店を出ると、当たりは少し暗くなり始めていた。少しゆっくりしすぎたかも知れない。でも、自分はしおりと話している時間が1番幸せだ。表情豊かな彼女にどれだけ救われてきたか。テーマパークの職員の人がパレードの準備だろうか、仕切りのためにロープを引いていた。


「次はどこ行く?」


「もうアトラクションはいいから、ゆっくり歩きたいな。」


しおりにしては珍しい提案だった。


「いいのか?」


「うん。なんか二人だけの時間をゆっくり過ごしたいなって。」


そういうとしおりは手を差し出してきた。自分はそれに応え、優しく手を握る。


あたりが暗くなるにつれて、少しずつネオンの光が主張を始める。その様は、まるで目が覚めたら違う世界にいるようだった。


「綺麗だね。」


「そうだな。ここでしか体験できない光景かもな。」


ゆっくり歩みを進める二人の前に、パレードの影響でほとんど人がいない観覧車が目の前にパレードに負けないように輝いていた。


「最後にこれに乗るか。」


そろそろ帰らなければいけない時間になったので、最後に綺麗なこのネオンの光景を上から見たくなった。


観覧車に乗ると、自分たちは向かい合うように座った。ゆっくり上昇していく自分たちの前には眩いくらいの光景だった。そんな景色に見惚れていると、しおりが隣に座ってきた。


「今日はありがとう。本当に楽しかった。」


そう言うと自分の肩に頭を乗せた。


「自分も楽しかったよ。」


自分はしおりの肩を抱き、外に目をやった。窓に映るネオンの景色にうっすらと自分たちのシルエットが映っていた。


テーマパーク内で軽く夕食を済ませた。帰って作る時間と体力がないと思ったから。そのあとは閉園までゆっくりと歩き回り、アトラクションは乗ることなく周りの景色を眺めていた。


帰りの電車の中で、しおりはウトウトとしていた。眠い目を擦りながら、必死に耐えている様子だった。


家に帰ってくると、すぐに自分がお風呂の掃除をして、今にも寝落ちしそうなしおりと一緒に風呂に入った。溺れられたらたまらないから。洗面台の椅子にしおりを座らせて、長く綺麗な髪をドライヤーをかけた。お風呂に入ったことで、少し目が覚めてきたしおりは自分と交代して髪を乾かしてくれた。自分の髪も乾かし終えると、しおりは自分を連れてベッドに入った。首を強くホールディングして、離れないように、離さないように。


「今日楽しかった?」


自分の目をまっすぐ見つめて、しおりは聞く。


「楽しかったよ。」


「そっか。よかった。」


しおりは自分の胸に顔を埋めながら、いつの間にか寝息を立てていた。しおりの寝息が当たり、胸のあたりが暖かくなってきた。その温もりに安心感を抱いて自分も目を閉じた。


しばらくすると自然に目が覚めた。時計を見るとたったのは1時間程度。隣では当然のようにしおりは寝ている。自分は少しだけ、外に出たくなった。星が綺麗だったから。しおりを起こさないようにゆっくりと、ベッドから降りた。自分は振り返り、しおりに一言だけ告げた。


「ありがとう。大切な人。さようなら。」


しおりのおでこに軽く口づけを交わした。寝ているはずのしおりの頬には涙が道を作っていた。



深夜の住宅街。あかりは街灯しかなく、そのあかりだけが自分を照らしていた。少しだけ一人で歩いていると、後ろに気配を感じた。


「しおりいるんだろ?もう時間なのか?」


自分の後ろにはさっきまでベッドの上で一緒に寝ていた大切な人と全く同じ人がいた。でも、その人はさっきの人とは違う。もう一人の大切な人。この世界ではない、元いた世界の大切な人。


「いいえ。まだ時間はあります。」


「そうか。よかった。最後の時間はお前と一緒にいたかったから。少し歩こうか。」


自分はしおりと二人で並んである場所に向かった。


歩いている間、自分たちは無言だった。もう時間がないのに。お互い言いたいこともあるだろうに。最初の一言がお互いに出なかった。収まることのなかったお互いの手が触れた。そこから自然に指を絡めて、しおりは歩きにくくなるだろうに自分に体を寄せた。


その後も無言のまま、自分たちが1番長い時間を過ごしたであろう、仕事場についた。あかりをつけて、手をはなし、いつもの定位置に二人で座った。


「ありがとうな。最後に過ごせる相手が、しおりで本当によかった。」


自分は後悔のないように、重い口を開いた。頑張って言葉を選んで、まず伝えたかったのは感謝だった。そして、自分の正直な気持ちを伝える。


「こんなに楽しい日々は初めてだった。生きていた頃の自分の両親は自分に暴力、暴言が止まらない人たちだった。それが嫌で嫌で、その場から逃げ出して、自分は孤児みたいな感じになった。当時は辛かった。ご飯は食べられない、体は不衛生。しばらくは、誰にも相手にされないまま、幼少期を過ごした。心優しい人に食べ物を恵んでもらったりして、ギリギリで生きていた。そんな生活をしていたある日、恵んでくれた食べ物の中に毒を入れて自分を殺そうとした奴もいた。そいつらは苦しんでいる自分を笑いながら見ていた。そこに来たのが、生前の自分を救ってくれた人だった。今となっては名前すら思い出せないけど、その優しい顔は覚えてる。」


自分の昔話にしおりは何も言わずに耳を傾けてくれた。


「その人に助けてもらって、なんとか自分は一命を取り留めた。そこから、自分はその家にお世話になることになった。その人は医者で、奥さんと二人暮らし。息子のように可愛がってくれた。孤児だった頃とは大きく違う生活。毎日3食食べられるし、体は清潔で、綺麗な衣服を着せてもらえる。でも、自分はどこかで、この人たちのことを信用できてなかった。いずれ捨てられる、いずれ殺されるっていつも思ってた。そんな自分でも、二人は諦めずに、自分の心を開いてくれようとしていた。自分が風邪になれば、一晩中つきっきりで看病してくれたり、自分が興味をもった医学のことについても忙しい中、寝る間を惜しんで教えてくれた。自分が15の時だった。その二人に子供が生まれた。二人にとっては待望の第一子だった。自分に一気に不安が押し寄せた。もしかしたら、捨てられるかもしれないって、でも、そんな心配はその子を抱いた時に、どこかに行った。さっきまで泣いていた子が、自分が抱っこをすると泣き止み、小さな手で自分の指を掴んできた。その時思ったんだ。この子のために生きようって。」


生きていた頃の記憶が不思議と自分の頭の中からどんどん出てきた。今ままで思い出そうと思っても出てこなかった自分の過去。きっと何かが作用している。もしくは、これが走馬灯というやつなのかもしれない。もしそうなら、自分の命もそろそろということだろう。でも、大事な部分はなぜか思い出すことができない。もう一度名前を呼びたいと願う人達の名前だけがどうしても出てこなかった。


「二人は自分に名前をつけてほしいとお願いしてきた。そういう名前をつけたかは思い出せないが、どんな願いを込めたかは覚えてる。」


自分がその子の名前に込めた願いは、


『もし、立ち止まったとしても、再び立ち上がる強さを持った人になってほしい。』


ということだった。


しおりはその話を聞いて、小さく自分に聞こえない声で、「私と同じだ。」とつぶやいた。


「そこから4人での生活がはじまった。なぜかその子は両親よりも自分に懐いていた。おむつを変えたり、ご飯を食べさせたり、沐浴をしたり。忙しいその子のお父さんに変わって父親代わりをしていた。その子が4歳の誕生日の日に、悲劇が起きた。強盗が入って、その子の父親が刺された。すぐに手術が必要で、大量に流れた血の代わりに大量の輸血が必要になった。その当時は、血液の保存の技術がなくて、親近者の血液を提供しなければまず助からなかった。親近者はその子しかいなく、もらうわけにもいない。周りにいた人間の血液型もみんな違った。ただ一人を除いて。」


そう。これが自ら命をたった理由。その子の父親と自分は血液型が一緒で、医学を勉強しているときに一緒だと盛り上がったことがあった。自分には選択肢が一つしかなかった。まだ幼いこの子に、救えた父親のいない将来を歩ませるわけにはいかなかった。自分が生まれてきた意味を、この時確認した。自分はここで、この人を救うために生まれてきたんだと。


「そこからの自分の行動は、一切の迷いがなかった。その子の母親に、声をかけて手伝ってもらった。幸いのことにその人は医学に対する知識はあまりなかったから、自ら手首にメスを入れて、大量の血を出して、すぐに父親の元に運ばせた。今思うとすまないことをしてしまったと思う。一人意識が薄れていく中で、頭の中ではその子のことでいっぱいだった。どんな人を好きになるのかなとか、どんな綺麗な女性になるのかなとか、できれば成長していく姿も見たかった。でも、後悔はない。あの子にはあの人が必要で、その人を救うには自分の命が必要だった。拾われたこの命も、この人のために使えるし、そして何より、生まれてまだ4年しかたっていないこの子の未来のためになるって思っていたから。その子はその後どうなったかはわからないけど、きっと・・・。」


自分が話していると、しおりは自分の席を立って、近づいてくる。そして、何も言わずに自分の首に腕を回した。


「やっと会えた。世界で1番会いたかった人。やっと、やっと・・・。」


突然のことだったので、あまり頭の整理ができない。何も言わない自分に対して、しおりはこう続けた。


「思い出してください。あなたがつけてくれた名前です。しおりって。伯斗さん。ううん。お義兄ちゃん。」


その時、自分の頭の中にどうしても思い出せなかったものが映画のフィルムのように流れ込んできた。自分は何も言えずに、ただ、自分の方で泣いているしおりを強く、離さないように抱きしめた。自分の目には自然に涙が流れた。戸惑いの中に、喜びと悲しさが溢れてきた。そうだった。しおりだった。


しばらく時が流れた。何もなかった時間。ただ感じるのはしおりの温もり、着ていた自分の服が湿っていく感覚だけだった。時間のない自分にはもったいないかもしれない時間かもしれない。でも、そこにはもっと長い時間を埋めるくらい、溢れ出す感情があった。いつも以上に世界は色づき、自分の最後の時を見送ろうとしてくれているようだった。


「そうなのか。会えたんだ。いや、一緒の時間を過ごせたんだな。綺麗になったな、しおり。」


言いたかったこと、言わなきゃいけなかったこと。溢れる想いも、何もかも。伝えたかった。でも、多くは語らなくともきっとしおりはわかってくれる。そんな気がした。


「よく顔見せて。」


自分はしおりの顔に触れた。自分の中には恋愛感情ではなく、もっと大きなものがしおりに対して生まれた。会いたいと願っても、きっと会うことはできない。探しても膨大な天界の人口で見つかるわけがない。諦めていた。でも、その人が目の前にいる。手に触れることができて、想いも繋がっている。こんな嬉しいことはない。溢れ出す自分の想いは、口と口が重なることでしおりに伝えた。しおりはそれを拒むことなく受け入れた。


唇が離れると、おでことおでこを合わせて、しおりがいう。


「一応兄弟なんだよ?私たち。」


「関係ないさ。血は繋がってない。しかも、ここは天界。そんな壁はない。」


「そっか。嬉しい。」


自然に笑みが溢れる。心から笑うことなんて今までなかった。


「そろそろ、時間かもな。」


自分に残された時間はない。手に力が入らなくなってきていた。でも、なんだろう。特別恐怖はない。ちょっとした充実感もある。


「最後、しおりとまた、会えて良かった。このために生きてて良かった。強いていうなら、もう少しの時間だけ、一緒にいたかった。もっと色々なところに行って、色々なことを経験して、一緒の時間をたくさん過ごして。叶わない夢かもしれない。でも、こうして、一緒の時間が過ごせて幸せだった。愛してるよ。しおり。」


自分は残る力を振り絞って、しおりに伝う雫を拭う。


「笑って見送ってくれるか?しおりの笑顔が好きだから。」


しおりは赤い目を擦って、精一杯の笑顔を見せてくれた。最後まで、自分の手は愛しい人の頬にあった。最後に感じるこの温もりに精一杯の愛情を伝えて。


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