第2話 26歳男性の場合


年間で日本では約2万人の方が自殺で命を落としている。その原因は様々で、罪を犯さずに自殺する場合と犯罪を犯してから自殺をする場合に天界では分けられる。犯罪を犯してから自殺をした場合は、うちではなく普通の順序の裁判を行い、罪状よりも上乗せの判決を下すことになってる。ここで、約7割ほどの人間がこっちの順序を通ることになる。天界では地上の法律には引っかからないものも罪の対象になることがあるからだ。だからか、自分たちのところに来るのは若い人の比率が多い。それでも、裁判を待つ人は溢れかえっていてなかなか減らない。ひとつの部署しかないのが原因だとは思うが望んで自分たちのところに来る人間はいない。それは仕方ないので諦めてはいる。


「おはようございます。」


しおりが資料を持って、出勤してきた。今までは準備も何もかも自分でしてきたから、他に1人いるというだけで随分と負担が減った。


「今日の裁判の方の資料です。」


「ありがとう。」


自分は一通り資料に目を通す。時間はあまりないので、ぱっと全てを見たらあとは、しおりと一緒に呼びに行く。



いつも通りに担当の人に放送をしてもらう。


「あら、あなたやめなかったのね。珍しい。」


「はい。今までこんなことを1人でやっていた伯斗さんの力になれればと思ったので。」


「伯斗っていうのね、あんた。私も初めて知ったよ。あまり自分のことを話す人間じゃないから。」


「いいだろ。早く呼んでくれ。」


今まで自分は名前を伏せていた。というより、すぐに辞めるから名前をいう必要がなかった。名乗ったところでという考えが自分の中にもあったのかもしれない。


「はいはい。少しまっててね。」


資料を渡し、放送をしてもらう。今回はすこし荒れそうな予感がする。少し自分は急いでいた。


すぐに、その人はきた。態度は大きく、不信感満載な目で自分のことを見てくる。

「今日、あなたの裁判を担当する者です。少し移動するのでついてきてください。」


武器を持った警備隊が後ろについてきてくれるから道中問題は一切ない。問題は中に入った時だ。自分の見た目が少年なのでたまに自分を舐めた輩が警備隊が中に入れないのをいいことに襲ってきたりする。まあ、それでも自分1人なら問題はない。でも、今回からはしおりがいるので少し面倒なことになりそうだ。



「ここが今日、あなたが裁判をうける場所です。中に入ってください。警備隊の方ありがとうございました。」


警備隊の人は敬礼をして、自分たちが部屋の中に入って行くのを見守っていた。しおりが扉を完全に閉める。その瞬間、男はしおりの方に襲いかかってきた。それに気づいたしおりは体を丸めて声を出す。近くにいた自分はその男の手首を掴み、思いっきり自分の方に引っ張った。男も、予想していない力で引っ張られたので、驚き少しだけ思考が止まったみたいだ。そのまま自分は男の喉を膝と肘で思いっきり挟んだ。普通の人間なら下手したら死んでしまう行為だが、ここ天界。すでに死人なので激痛だけが男を襲う。見える怪我をさせると始末書が待っているのでそれを回避するために、見えにくい場所を攻めた。しかもここで、暴力行為がバレると、この男の罪状が変わってめんどくさくなるのを防いだ。男はあまりの痛みに呼吸ができなくなり、気絶した。


「大丈夫だったか?」


自分は男が気絶して、動かなくなったことを確認してからしおりのもとに駆け寄った。


「はい。すぐに伯斗さんが対応してくれたので。」


すると声を聞き付けた外にいた2人の警備隊が慌てて中に入ってきた。


「どうしましたか?」


警備隊員が状況を確認して察したみたいだ。


「またですか?」


「そうみたいだね。こんな容姿だから舐められるのが多いのが原因だけどね。」


「裁判官の体術等は基本的にプロレベルですから、よっぽどのことがない限り負けることがないんですけどね。特にここは警備隊も中に入ってきませんし、まあその襲われる対象があなたなので問題はないですけど、今度からは部下もいるんですからいっそのこと警備隊を中にいれて貰えばいいじゃないですか。」


「いいよ。わざわざ忙しい警備隊の人員をさいてまできてもらうのは、悪いからね。それに、しおり1人なら自分1人で大丈夫だから。」


「わかりました。でも、きをつけてくださいね。」


「お気遣いありがとう。あとは、任せていいかな?」


「はい。完全に気を失っているみたいなので問題ないです。お二人に外傷もないみたいなので上に報告はいらないですね。では、失礼します。」


1人が男を抱えて、裁判所から出ていく。


「しおりさん、基本的にこの方からあまり離れない方がいいですよ。こういう罪人もいますから。」


そう言葉を残して、もう1人が出ていく。


「強いんですね。」


「今の学校では習わないのかな?俺たちの時は必修だったからなぁ。」


昔はこういうことがあった時用に、基本的な体術等は学ぶものだった。最近は、警備隊のシステムが整ってきてこういうことが少ないのかもしれないから必要ではなくなったのかもしれない。


「さっき言ってたけど、こういうことがここではよくあるから自分からあまり離れないこと。今日はもう帰っていいよ。今日の分はまた後日になるし、明日の人を早めることはできないからね。」


「なら部屋の掃除しませんか?ちょうどいいじゃないですか。」


なぜか少しだけ生き生きしているしおりに押し切られる形でこの日は部屋の大掃除をした。


数日後。再び男の裁判を行うことになった。しおりに危害が及ぶのを恐れて、今度は自分1人で男の元に向かった。裁判の時に問題を起こした人間は生前重罪を犯した人間と同じところに収容される。1人ずつの監獄に入れられて誰に会うこともできない。お腹が空いても死ぬことがないので、食事も出すこともない。娯楽もなければ、人と話すことも叶わない。言うならば人間を人間として扱っていない場所だ。どの人間も虐殺や、大量殺人を犯した人間ばかりなので同情の余地は一切ない。


「お疲れ様です。」


看守の方に挨拶される。自分は持ってきた資料を見せた。


「この人間をよろしくお願いします。」


「わかりました。少しお待ちください。」


看守が扉を開けると、すごい声が聞こえる。罪人が暴れる声。扉があいたことで、誰かが来たということで反応したのだろう。何もできない空間で何日も過ごすと人間はおかしくなるらしい。看守は男を連れてきた。


「今度は俺1人だ。警備隊はいない。大人しくついて来れるか?ダメなら、また数日ここにいてもらうけど?」


男はこの中の環境に耐えきれなかったのか自分の言葉に執拗に頷いていた。何度もこういう事があったが、この場で反抗した人間は1人もいない。相当この環境が応えるのだろう。


「ならいい。看守さん、ありがとうございました。」


「お疲れ様です。」


看守さんは敬礼して自分たちを見送る。男は本当に大人しかった。反抗することもなければ、自分に引っ張られるまま裁判所につく。


『今日ここでお前の裁判するから、大人しくするように。あと、質問には素直に応えること。今度暴れたら、わかるな。」


男は頷いた。まだ一言も発していない。


「お帰りなさい。もう準備はできてます。」


しおりが迎えてくれた。先日の大掃除でかなり綺麗になった。整理整頓が行き届いていて、自分が置きっぱなしになったものは、しおりが片付けてくれている。


「そうかなら早速始めようか。そこの椅子に座ってくれ。」


男は自分が指定した椅子に座る。しおりと自分もいつもの席に座った。自分は男の資料を開く。男の名前は佐久間勉。26歳。職業はサラリーマンで子供が1人いる、幸せそうな感じだ。死因は飛び降り自殺だ。


「あなたが自殺した理由について教えてください。」


自分は勉さんに投げかける。


「妻が交通事故で亡くなって、それに耐えきれなくなりました。」


勉さんは自分の質問に普通に答えてくれた。つまりは後追い自殺ということだ。


「そうでしたか。お子さんは?」


「わかりません。何も告げずに自殺しました。」


「わかりました。では、判決にしましょうか。」


勉さんは少し驚いた感じだった。


「自殺に関する判決は一つしかないので、一応確認事項を確認できたらすぐに判決を出すことになっているんです。」


勉さんから質問がないのでそのまま判決を言う。


「あなたには1日だけ差し上げます。あなたが死んだ後の世界に。そこで自殺したことを悔いてください。以上です。何か質問はありますか?」


勉さんは再び驚いた顔をしていた。そして口を開けた。


「それだけですか?」


「まあ、そうなりますかね。自殺自体は日本では罪にならないのですが、ここは天界なのでいろんな国の人がいるためある程度平等にしなければいけないんです。自殺の人に苦痛を与えることは良しとはなってませんから。」


勉さんは理解したみたいだ。


「あと、もう一ついいですか?」


「はい、どうぞ。」


「私は妻に会えるのでしょうか?」


後追い自殺の場合、こっちで会えると思い込んで自殺をする人もいる。残念ながら合わすことは絶対にない。でも、そのまま伝えるのはよくないと思ったので伏せることにした。


「その質問にはお答えできません。理解してください。」


勉さんは顔を伏せてしまった。


「時間もないので早速いいでしょうか?」


「はい。お願いします。」


「しおり、準備はいいかな?」


しおりは奥の部屋に入り、準備ができているかどうか確認する。


「大丈夫です。」


「では、勉さん。奥の部屋に来てください。」


勉さんを連れて、奥の部屋に入る。勉さんは少し驚いた様子だった。


「このカプセルの中で寝てください。そうしたら、かなり強い光に包まれるのでそこから1日後にお迎えにあがります。それまでは自由に過ごしてくださいね。」


勉さんは大人しくカプセルの中で横になった。


「では、始めます。悔いのない1日を過ごしてください。」


自分はスイッチを押して、カプセルを起動させる。勉さんは強い光に包まれていった。




急に強い光を浴びて、気を失ってしまっていたらしい。しばらくして、子供の鳴き声で、目を覚ます。コンタクトをしていないので周りの状況は微かにしか確認できない。体を捻るといつもならそこにいるはずだった妻の姿はない。そんなことを思いながら、重い体を起こす。隣の棚に置いておいたメガネをかける。すると、来年で3歳になる自分の息子が扉の前で泣いていた。


「どうした?」


自分は心配になり、息子に駆け寄る。息子は泣き止まない。仕方なく、息子を抱っこしてリビングに向かう。


リビングからいい匂いが漂ってくる。


「あんた、休日だからって寝過ぎよ。」


自分の母さんが朝食の準備をしてくれていた。


「ごめん。母さん。創(つくる)が泣き止まなくて困ってるんだ。」


自分の言葉を聞いた母さんは、料理をしていた手を止めて泣いている創を抱き抱えて、慣れた手つきであやす。


「あんたも、辛いだろうけどさ、この子にはもうあんたしかいないんだから少しずつこういうことも覚えておかないと。」


どうやら本当に、元の世界に戻っていたらしい。夢にしてはできすぎてるし、創を抱いている時には温もりを感じていた。母さんの言葉にも、心が揺さぶられている。カレンダーを見ると、自分が自殺してから3日後の世界らしい。


「今日確か、出かけるんだろ。私もついて行くからしっかり準備しな。」


自分が考え事をしている間に母さんは創をあやし終えて、キッチンに戻っていた。


「パパ。抱っこ。」


創が自分にぐずってきた。


「いいよ。おいで。」


自分は創を少しだけ、強めに抱きしめた。


「パパ。痛いよ。」


「ごめんな。ごめん。」


今の自分には謝ることしかできなかった。


創の外出の準備と自分の外出の準備をしてから、母さんが作ってくれた朝食を食べた。まだ食べることが苦手な創はよく食べ物をこぼしている。創の口元を拭きながら、ゆっくり時間をかけて食べる。着替えた服が汚れないように一応エプロンをしているがこぼしてしまっていて、少しだけ汚れてしまった。


「パパ。お腹いっぱい。」


創はお腹いっぱいになったみたいで、椅子から下ろすように自分にお願いをする。


「もう少しでパパも食べ終わるから待っててね。」


「ぶー。」


可愛らしくブーたれている。そのあとは大人しくテレビに映っている子供向け番組を見てキャッキャ笑っていた。


数分後に、自分が食べ終わると、創を椅子から下ろし、食器の片付けを一緒にする。


「あらー、創ちゃんはえらいね。」


「えへへっ。」


母さんに褒められて創は嬉しそうに照れている。


「創、食器置くからこっちにおいで。」


創が近づくと自分は創を持ち上げて自分で食器をシンクに置かせた。


「偉いな。しっかりお片づけできたね。」


この年代のころは素直に褒めるといいとテレビで言っていた。そうすると率先して手伝いをしてくれる子に育つらしい。創も素直に喜んでいてくれている。


「お片づけできたから、歯磨きしに行こうか。」


創を抱っこしたまま、洗面台に向かう。まだ歯磨きを自分ですることを覚えたばかりで、新しくできることが増えることが嬉しいのだろうか、1日に何度も歯磨きをしに行ったこともあった。


身支度も終わり、母さんの準備をまった。創はすでにトイレトレーニングを終えているのでしっかり自分1人でトイレに行くことができる。死んだ妻が生前にしっかりと創に教えていたことの表れだ。母の凄さを実感した。


創はほとんど手のかからない子で、外で泣くことはほとんどない。自分が妻を亡くした時も、死というものがわかっていたのかは定かではないが、泣いている自分の背中をさするような行動も見られた。妻に似て心の優しい子に育っていることが嬉しかった。


「パパ。早くいこ!!」


クシャッとした笑顔で自分に呼びかける。その姿はとても愛おしいものだ。


「大切に守らなきゃね。この笑顔。」


母さんが自分の後ろから話しかけてきた。肩に手を置き、すこし強い力で握ってきた。母さんも妻のことはとても好いてくれていたみたいで、本当の娘のように可愛がっていた。付き合いたての時も、『ようやく自分に娘ができた』と喜んでいた。結婚するならこの子にしなさいと口うるさく言われたことが懐かしい。もちろん、自分もそのつもりだった。


うちは、男の3兄弟で女の子ができなかった。もともと、子供服のデザイナーとして働いていた母さんは、女の子ができたら自分が作った服をたくさん着させてあげたいと言っていた。男の3兄弟ではその願いは叶わなかったが、自分の一つ上の兄さんに女の子が誕生した時は誰よりも喜んでいた。今も、その子のことは溺愛している。嫁姑の仲がうちの一家はとても仲がいい。だからこそ、妻が亡くなったときは一家全員が大きな悲しみに包まれた。


「パパ?」


少し考え事をしていたら、心配した創が自分の座っている前にしゃがんで自分の顔をのぞいてきた。


「大丈夫だよ。すこし考え事をしていただけさ。じゃあ、準備もできたし行こうか。」


「しゅっぱーつ!!」


元気な創の声が玄関に響いた。


家族3人で車に乗り込む。自分が運転席で創は自分と対角線上にあるチャイルドシート、その隣に母さんが座る。いつもなら助手席には妻が座っていたが彼女はもういない。自分は彼女がいない助手席に、荷物を置き、カーナビで目的地を設定する。今日は前から創が楽しみにしていた水族館に行く約束をしていた日だった。車では1時間ほどかかるが車の運転が好きに自分にとっては何の苦もない。


「シートベルト閉めたかな?」


「うん。おばあちゃんもしてるよ。」


最近ではシートベルトの規制も厳しくなった。少し前までは後ろの席の人間がしていなくても警察に止められることはなかったが、色々な実験の結果後ろの席の人間の方が危ないことがわかったみたいだ。自分は毎回車に乗る時は創にシートベルトをしたか確かめる。この年代から癖付けをすることで自然にしてくれると思ったからだ。

カーナビをセットし終えた自分はゆっくりと車を走らせる。もともとかなり荒かった自分の運転はこの子が生まれてから優しいものになった。妻とまだ付き合っていた時は、よく怖いと言われていたなと思い出す。


「あんたの運転、こんなに優しかったけ?」


そういえば母さんは自分の運転が荒い時しか乗っていない。母さんも運転をするのでわざわざ自分が運転することがなかった。


「そりゃあ、子供が生まれたら安全運転を意識するようになるよ。」


「ふぅーん。なら良かった。あんたまで亡くしてしまったら、この子が可哀想だからね。」


突然母さんから出た言葉に、ドキッとした。母さんは自分が死ぬ可能性があるのは交通事故くらいだろうと思っていたのだろう。自ら命を捨てるなんて考えてもいないみたいだった。


家を出て30分後。最初の方は元気に歌を歌っていた創だったが、歌い疲れたのか、天使のような顔で眠ってしまった。母さんが隣から創のお腹をゆったりとしたリズムでトントンとする。


「あんた、今日どうしたのさ?体調でも悪いのかい?」


朝の自分の様子に少し違和感を覚えたのか、自分を心配して母さんが話しかけてきた。


「ごめん。大丈夫だよ。なんでもない。」


実は、と言いかけたのだが、思ったように口が動かなかった。口が勝手に母さんの回答に答えた。


「そうかい?さやかさんを亡くして傷ついているのもわかるし、辛いのもわかる。でもね、この子に心配だけはかけちゃいけないよ。子供はこういうことに敏感に反応するから。あんたはもっと兄さんたちを頼ってもいんだよ?あの子たちもお前のことはずっと気にかけてくれているからね。辛くなったら昔みたいに泣いてもいいんだから。」


幼い頃の自分は泣き虫だった。いじめられっ子だったし、よく怪我もした。その時はいつも兄さんたちが助けてくれていた。反抗期もなかったし、妻のさやかとの出会いも一つ上の兄さんの紹介だった。さやかは自分よりひとつ上で、二番目の兄さんの大学時代の友達だった。自分がさやかに一目惚れをしてすぐに兄さんに隠れて告白した。最初は断られたのだが、告白をしたことを知らない兄さんはよくさやかと大学の友達を家に呼んでいた。成績が良かったさやかは当時高校生で大学受験を控えていた自分に家庭教師として勉強を教えてくれた。さやかが教えてくれたおかげで自分は兄さんたちと同じ大学に入学することができた。合格してからさやかとの関係が切れるのが嫌だった自分は、入学式の日にさやかに再び告白した。合格してからすぐだとなんかありきたりで嫌だったことを覚えてる。その時にさやかからOKが出て付き合うことになった。もともと顔のしれた人だったため兄さんたちも驚きながら喜んでくれた。大学では学科が違ったため一緒の授業は少なかったが、自由な時間が比較的多い大学生活で自分とさやかの中は一段と良くなった。喧嘩がなかったわけではないが必ず間に兄さんが入ってくれたので別れるまでには至らなかった。同棲を始めたのは自分が大学3年で、さやかが4年の時。就活が始まって、ふたりでの時間が作れなくなったので思い切って同棲を始めることにした。基本的に時間がある人が家事をするということをルールに決めて一度も揉めることなく、自分の大学卒業と、就職をきに結婚した。その時にはすでに創がさやかのお腹の中にいた。


高速に入り、しばらくすると創が起きた。


「パパ。おしっこ。」


創が言い出したタイミングが良かったのかもう数メートル先にパーキングエリアがあった。


「もう少しで休憩所に着くからそこまで我慢できるか?」


「うん。我慢する。」


自分は少しだけ急いで車を走らせた。休日だが珍しく車が少なかったのが良かった。

パーキングに着くと自分は創をおろして、一緒にトイレに行く。子供用の小便器に創を連れて行き、自分はその隣で一緒に用を足す。パーキングエリアのトイレは広くなっていて、子供にも優しく背の低いところがある。創は手洗いもちゃんとして、ポケットの中にあるハンカチで自分の手を拭く。このことを幼稚園でやったら先生に褒められたと嬉しそうに話していた。一足先にトイレを済ませた自分と創は、パーキングと一緒に併設されている売店に寄った。一つだけ好きなものを買っていいと約束をして中を散策した。お菓子やおもちゃ、名産品が並ぶ中で創が手に取ったのは一つの綺麗なキーホルダーだった。


「これ欲しい。」


「向こうにおもちゃとかもあるけどこれでいいのか?」


自分はいつもなら創が選びそうにないものに驚いた。


「これがいい。だから、パパにもママにも買って欲しい。」


まだ2歳なのにさやかが亡くなったことをこの子はわかっていると感じた。そんな息子に申し訳ないと感じながら息子の手を握る。


「そうだな。ママにも買っていってあげようか。きっと喜んでくれるよ。」


自分は創が持っているキーホルダーと全く同じものを3つ持ち、会計する。大学の頃はお揃いのものを着たりしていたが自分が就職してからすぐに創が生まれたため、あまり新婚みたいな経験はできていなかった。お揃いのものもあまりなかった。そんなことを思い出していた。自分は買ってきたものをすぐに創に渡した。創は嬉しそうに梱包を剥がして、すぐに持っている小さなカバンにつけた。


車に戻ると、すでに母さんが戻っていた。創をチャイルドシートに乗せると後ろから、


「何そのキーホルダー?おしゃれさんね。」


「へへ。パパとママとお揃いなんだ。」


と、笑顔で答える創。


「そうなの?羨ましいわね。おばあちゃんにもちょうだい。」


「だめだよ。パパとママと創だけのものなんだからね。」


そんな会話が聞こえてくる。自分はそのキーホルダーを自分の鍵につけた。その鍵を差し込んでエンジンをかける。キーホルダーは優しく揺れている。


高速を降りるとすぐに目的地の水族館が見える。一度寝て元気な創が車内ではしゃぐ。さやかが亡くなってから、なかなかお出かけはできていなかったので、今日が楽しみで仕方なかったのだと思う。水族館に着くと広い駐車場で空いているところを探す。休日ということもあってなかなか混んでいる。それもそのほとんどが家族連れで、ちらほらカップルがいるくらいだ。駐車場に車を止めて、創をチャイルドシートからおろす。


「パパ早くいこ!」


創は自分と手を繋ぎ引っ張る。


「待ってね。おばあちゃんの準備がまだだから。」


「おばあちゃんまだー?」


創は母さんを急かす。


「ちょっと待ってね。時計が椅子の下に入っちゃって取れないのよ。」


「もー。仕方ないなぁ。」


早くいきたい気持ちが強い創は自分の手を離して、母さんの手伝いをする。大人より小さい子供の手は、今まで苦戦していたものを最も簡単にとる。


「はい。おばあちゃん。」


「ありがとうねぇ。創ちゃんは優しい子だこと。」


頭を撫でられて少し嬉しそうな創。時計を母さんに渡して、創はすぐに自分の手を握る。自分は母さんが車から降りてことを確認してから、鍵をかけた。


入場ゲートまでは少し距離があったが、母さんと自分に手を握られて、創は嬉しそうだった。


入場料を払って、中に入る。中に入るとすぐに大きな水槽の中に色とりどりの綺麗な魚が泳いでいる。創は目を輝かせながら、その光景を見ている。


「パパ。もっと見たいから肩車して。」


自分は創の要望に答えて、創を肩車する。自分の頭をしっかり抱えて、創の身長からはおそらく見えていなかったであろう水槽の上の方までじっくり見渡す。自分たちはそのまま移動する。家族連れが多い週末。その光景を自分はどうしても、目で追ってしまう。自分がすこしぼーっとしながら歩いていると急に髪の毛を引っ張られる。


「パパ。あっちみたいからおろして。」


創が行きたがっていたのは水族館によくある手で触ることのできる水槽だ。そこにはたくさんの子供が集まっている。自分は創をおろす。すると、創は走ってその水槽に向かった。その様子を自分と母さんが見守る。


「あの子、どんな大人になるのかね?」


「わからないよ。いろんなことに興味を持てるから可能性はいくらでもあると思う。」


「幼い頃のあんたによく似ているよ。興味を持ったらそれしか見えなくなって、周りが見えなくなって怪我をして我慢するけど結果的に泣く。いつも心労が絶えなかったのを思い出すねぇ。」


「いつの話してるんだよ。」


「最近そう感じることが多いのよ。さやかさんが亡くなって余計にあなたが幼い頃に戻っているみたいでね。我慢しているのだろうけど見え見えだよ。あの子もきっと気づいてる。さやかさんに似て優しい子だから。」


自分は創の近くによる。すると笑顔で大きめのヒトデを持ち自分に笑顔で語りかけてくれる。自分は精一杯の笑顔を作って創の頭を撫でた。


創は濡れた自分の手をハンカチで拭いてから、再び自分に肩車を迫った。すると、館内放送でもうすこしでイルカショーが始まるらしい。水族館に来る大きな目的の一つで、多くの人が観にくると思われる。この水族館のイルカショーは派手な演出はないが意外と自由にイルカと触れ合いができることでそこそこ有名で、親としては服も濡れないし安全で大変評判がいいらしい。


「創、早く行かないとイルカさんいいところで見れないかもよ?」


「早く行こ!!イルカさんに会いたい。」


創と自分は急いでイルカショーの会場に向かう。母さんはその後をゆっくりとついてきた。


会場に着くとすでにたくさんの人がいて、前の方はもう埋まっていた。近くはないがちょうど真ん中の席が空いていたのでいい席が取れたと思う。自分たちが座っていると続々と人が入ってくる。その中に創は母さんを見つけ他みたいだ。


「おばあちゃんこっちだよ。」


創は手を大きくふり母さんを呼んだ。母さんもそれに気づき人混みをかき分けて自分たち元に近づく。母さんと創を挟むように座ってイルカショーの開演を待った。


開演時間に近づくとどんどん人が増えていく。ぎゅうぎゅう詰めになりそうだったので自分は創を膝の上に乗せた。少しだけ良く見えるようになったみたいでそうは当たりを見渡していた。


「さぁ!みなさんお待たせしました。これからイルカショーの始まりです。」


テンション高めのウェットスーツを着たお姉さんが出てきた。イルカショーはやく30分で終わるらしい。派手に水飛沫をあげるイルカとその水飛沫に驚いて転ぶお姉さんという感じでイルカと人間のコントみたいな感じだった。そしてショーが進むと恒例のあのコーナーが始まった。


「じゃあ、お客さんの中にイルカと触れ合いたい人はいますか?」


周りの子供たちは必死に手をあげて、お姉さんにアピールする。そこに紛れて数人の大人も手をあげている。そういえば前に来た時、さやかもそんなことしてたっけ。自分は創に目を向けると手をあげてなかった。


「手あげなくていいのか?イルカさん好きだろ?」


「そうだけど、お水が怖くて。」


「大丈夫だよ。お姉さんが近くにいるから助けてくれるし。今ここで手をあげなかったら後悔するかもよ?」


自分は頭を撫でながら創に語りかける。創はその言葉を聞くと大きく手を挙げた。すると、唯一遅れて挙げられたてが目に止まったのかお姉さんは創を指名した。まさかくるとは思っていなかったという表情で少し困った顔をする創。すると、それに気づいたお姉さんが、


「お父さんも一緒で大丈夫ですよ。」


その言葉を聞いて、創は自分の膝から降りて、自分の手を引っ張りステージに向かった。


ステージ上では創は自分の袖をつかんで離さなかった。他の子がイルカと触れ合っている中、1人だけ。お姉さんの呼びかけにも答えないので、自分は創の手を握りイルカの元に近づく。創を自分の前に来させて、腰を掴んだ。


「ほら腰掴んでるから好きなだけふれあいな。」


「パパ、手離さないでね。」


「当たり前だろ。」


そうすると創は、イルカのくちばしを触って振り返って自分に笑顔を見せてくれた。イルカも創に答えるようにキューと鳴いていた。


イルカとの触れ合いはものの数分で終わってしまった。最後に1組ずつイルカとの写真を撮ってイルカショーはお開きになった。


席に戻ると母さんが


「創ちゃん。イルカさんどうだった?」


「可愛かったよ。お水は怖かったけど、パパが支えてくれたから大丈夫だった。」


「そうかぁ。創ちゃんは偉いね。」


母さんは創の頭を撫でた。


「創は次どこ行きたいの?」


「うーん。おっきな水槽のところ!」


「分かった。そこ行った後にご飯にしようか。」


「うん。そうする。」


自分は創の手を握り、大きな水槽のあるところに向かった。


ちょうど昼時ということもあって、最前列で水槽を見ることができる。大きな水槽の中には様々な種類のお魚が泳いでいた。集団で大きな魚の形をして泳ぐ小魚。その集団に負けず劣らずの大きさを誇る捕食者。毎回水族館に来ると不思議なのが捕食者とその餌になる魚たちを一緒の水槽に入れて大丈夫なのかと思う。その答えは最近テレビで知ることができた。どうやら、十分な餌を与えると捕食しないかららしい。苦労してとる獲物よりも楽して十分な餌をもらえる方がいいに決まっている。しかも、もともと捕食者は必要以上に餌を取らないことがわかっている。狩りは重労働で必要以上にしてしまうと栄養不足で死んでしまうらしい。


「おっきいね。」


創が大きな魚を見てそうつぶやく。すると、ちょうど魚たちもご飯の時間なのだろう。ダイバーの方が水中に潜り、餌をあげていた。


「パパ、近くで見たいから肩車。」


「わかったよ。」


自分は創の前でかがみ、創を自分の肩の上に乗せる。創は夢中で餌やりの様子を見つめていた。


「パパ、僕これやってみたい。」


「そうか。でも、このお仕事は泳げないとダメだぞ?」


「なら、僕泳げるようになりたい。」


「わかった。今度、一緒にスイミングスクールに行ってみるか。こう見えてパパ、泳ぐの上手なんだぞ。」


幼い頃から母さんに泳げるようにはなっておいて損はないと言われてきたのでうちの兄弟は全員泳ぐことができる。二番目の兄さんは国体に出るくらい実力もあった。


「もし、創が泳げるようになったらおじさんたちと一緒にプールに行けるな。」


「うん。頑張る。」


水を怖がっていた創だがイルカの一件で少し水になれたのか、目をキラキラさせて大きな水の中を泳ぐ魚たちを見つめていた。


お昼時を過ぎて、大きな水槽の前にはどんどん人が集まってきた。創と同じような年代の子供が両手を繋ぎながらこの場所に来る。自分の方に乗っている創は自分の頭を掴む腕に少し力が入った。


「ご飯行こうか。」


創の気持ちを察した自分は早くその場から立ち去る。自分と同じ年代の子達が両親に囲まれて楽しそうに水族館に来ている。その光景をマジマジと見せつけられる。誰も悪くない。でも、残酷な現実。


「パパ。もう大丈夫だからおろして。」


自分は創の要望に答えて創を肩からおろす。すると、創は自分と母さんの手を握って歩き始めた。母さんと目を見合わせて、悲しげな顔をしてしまう。


「創?ご飯の前におトイレに行こうか。」


自分は創を誘ってトイレに入る。しっかりと手を洗って、再び手をつないで歩いた。歩いている途中も創は笑顔だった。でも、その笑顔が嘘だとわかってしまう笑顔だった。こんな子供に気を使われてしまっていることに誰にも解決できない、当たることもできない罪悪感が自分を包んだ。


フードコートのようなところで食事を終えると、お土産屋さんによった。海の生き物のぬいぐるみやお菓子、時代を感じるスマホケースなど多種多様なものがお土産として売られていた。創はぬいぐるみの前で何にするか悩んでいた。


「決まった?」


「まだぁ。」


たぶん、イルカさんのぬいぐるみか鯨さんのぬいぐるみかで悩んでいるのだと思う。創は毎日ぬいぐるみを抱いて寝る。それも自分と同じか、それよりも大きいやつ。安心するのか、そのぬいぐるみを洗濯しようとするとめちゃくちゃご機嫌斜めになる。だから、大きなぬいぐるみを複数用意することで解決させた。流石に洗濯しない訳にはいかない。最近の洗濯機はぬいぐるみも洗えるので助かっている。少し値段が張るが毎回コインランドリーに行く方が出費がひどい。


「じゃあ、鯨さんはお父さんが買うから、イルカさんはおばあちゃんに頼んできな。」


「わかった。おばあちゃーん。」


創は母さんにおねだりしに行った。母さんも自分も創に甘々なので創のお願いはなんでも聞いてしまう。さやかに前に怒られたことがあった。『そんなに甘くしたら創のためにならないからね』、と。


大丈夫だよ。創は周りが見えて、心優しい子。人に気を使うこともできる。少しぐらい甘くしても何にも問題ない。むしろ、今は笑顔を見せてくれるだけでいい。少しでも君がいないことの悲しみを忘れられるなら。


会計を済ませると自分の手には大きな袋が二つ。片方は創のぬいぐるみ。もう片方は兄さんたちへのお土産らしく、おそらくお菓子でかなりおもい。


「じゃあ、帰りにお母さんのところに行こうか。」


荷物を車の中に乗せて、シートベルトをしめているか、創からの確認があり、自分は車を出した。


車の中で、水族館で騒ぎ疲れたのかそうは大きなイルカさんを抱いて寝てしまった。その姿をバックミラー越しに自分は見ていた。


「疲れたんだね。」


「まだ、2歳の子供だもの。」


自分は、創が起きないようにゆっくりと車を走らせた。


30分後、目的地のさやかの寝るところにつく。


「創?お母さんのところに着いたよ。」


まだ眠たそうな創を少しだけ強引に起こし抱えながら、さやかの元に向かった。

さやかのお墓には、真新しいお花がたむけてあった。


「これって、兄さんたちだよね?」


「あの子たちもさやかさんのこと、気に入っていたから。こうして定期的に来てくれてるのかもね。」


さやかの葬儀が行われてからまだ日は立っていない。それなのにお墓参りまで来てくれているところを見ると、相当兄さんたちはさやかのことを受け入れてくれていたみたいだ。


「ほら、創。お母さんに渡す物あるんでしょ?」


自分の肩に顔を埋めて寝ていた創の背中を軽く叩く。自分の呼びいかけに創は気づき、自分を下ろすように急かした。自分から降りると創は、ポケットの中からキーホルダーを出してお墓に手を合わせた。


「ママ。これパパと僕とお揃いのものです。これでいつも一緒だね。向こうの世界で元気に過ごしてください。パパのことは僕が守ります。」


どこでそんな言葉を覚えてきたのかわからないが、自分の心に重く響いた。自分も線香を焚き、創の隣で手を合わせてた。


お参りを終えるとあたりはすこし暗くなっていた。


「創。そろそろ帰ろっか。」


「うん。ママ、また来るね。」


さやかに別れを告げて、車の中。

「ママといっぱい話せた?」


「うん。ちゃんとお揃いのキーホルダー渡せたし、ママもきっと喜んでくれてる。」


家までの道のりの中、創はずっと自分たちに話しかけ続けていた。途中、ファミレスによって夕飯を済ませて、家に着く。


「お風呂入ってきなさい。創はお父さんと一緒に入りなね。」


家に着くなり、洗濯物を畳む母さん。自分は創の服を脱がせてお風呂に入れる。今日、体験したことや、ママと話した内容などを話した。お風呂から上がると、新聞のチラシの中にあったスイミングスクールの案内を創と一緒に見た。


「ここ行ったらイルカさんたちと泳げるようになるかな?」


もう、そこには水を怖がる創の姿はなかった。すごく純粋に『イルカと泳ぐ』という目標だけをみて目を輝かせていた。


「そうだな。創次第かな。いっぱい練習して、イルカさんと一緒に泳げるようにならなきゃな。」


母さんは自分たちのやりとりを見て、ドラマを見る片手間に微笑んだ。


「創?もうすぐ寝る時間だよ。お父さんと一緒にベットに行きなさい。」


創も今日一日動き回って眠たくなったのか、目を擦っていた。


「創、寝よっか。」


自分は創の手を握って寝室に入った。創をベットに寝かして、ゆっくりとお腹をトントンとする。


「パパ。こっちきて。」


創からの要望に答えると創はそっと自分に抱きつき、頬にキスをした。


「おやすみなさい。」


「おやすみ。また明日な。」


創と自分は2人並んでゆっくりと目を閉じた。


「起きてください。まだ時間はありますが少しお伝えしたいことがあります。」


聞き覚えのある声で自分は起こされた。時計は深夜の2時。母さんでないことは確か。仕方なく自分は体を起こし眼鏡をかけて、その2人の存在を確認した。


「誰ですか?」


「思い出せてないみたいですね。記憶の中に少しだけ混乱が生まれているのかもしれません。少し、時間がかかりそうなので、お子さんを起こさないためにも、少しだけ一緒に外歩きませんか?」


「わかりました。」


自分はパジャマを着替えて、その人たちに連れられて、玄関の扉を開けた。


「えっ?」


驚いた。玄関の外は、今日、創と行った水族館だった。


「どうしましたか?いきましょう。一応、鍵は持っていってください。」


戸惑っている自分の背中を男の方が強引に押した。その男はまだ学生のような姿をしていて、あまり力が強いような容姿ではなかったから、思いも寄らない力に足を崩してしまった。自分が尻餅をついていると男が、


「そんな時間あなたにはありませんよ。もう数時間でこの世界はおしまいです。あなたが作った世界はね。」


男の言っていることの意味がわからなかった。ただ、少しだけ頭の中でチクッと痛みが走った。


「これでも思い出せませんか。なら、少し時間をかけますか。どうせなら、誰もいないこの水族館の中歩きませんか?」


男に誘われるがまま、誰もいない深夜の水族館を歩く。もう1人の女性は男の一歩後ろを歩いている。


「あなたは何者なんですか?」


「そうですね。そろそろお話ししましょうか。立っていてもなかなか話が入ってこないと思うので、どこか座れる場所がいいですね。知りませんか?」


「ならこの先にイルカショーの会場があります。」


男たちは自分の案内でイルカショー会場に向かった。


「じゃあ、あそこにしますか。」


自分たちはベンチのようなところに腰を下ろした。


「では、まず自分たちは何者なのかを話したいと思います。自分たちはいわゆる天国というとところの住人です。私は裁判官をやってます。彼女は私の秘書です。主に、自殺を扱う部署です。」


「・・・。」


「もう、思い出してるんじゃないですか?この水族館に入った時に私の力を体感した時に。」


「はい。思い出してました。あの時、もしかしたら夢なのかもしれないと思って、現実を受け止めるまで時間をかけてました。」


なんとなく、覚えていた。思い出さないようにしていた。


「もう期限の1日なんですか?」


「そうです。もう少しであなたの1日が終わります。」


「そのあとはどうなるのでしょうか?」


「消えます。存在そのものが。記憶もです。」


「そうですか。」


意外と心の中は冷静だった。さやかを亡くした時よりも、自分が消えることの方が気分的には楽だから。


「そうなると思っていました。あなたは賢い方だ。最初の説明の時にもおそらく予想がついてたんじゃないですか?」


「はい。裁判で刑罰を受けるのにあまりに罰が優しすぎる。死んだ人間にとって報酬のような罰でしたから。」


こんな上手い話があるはずがない。最初から思っていた。


「少しだけ、時間をいただいたのはあなたに渡したいものがあったからです。」


男は秘書の女性から紙を受け取った。


「あなたの奥さんからの手紙です。お会いさせることはできません。この世界が消えると同時に彼女の頭の中からあなたの存在そのものが消えます。でも、手紙くらいなら渡すことはできます。この水族館の入り口とあなたの寝室を繋げました。私たちはここであなたとお別れします。好きに最後の時間を過ごしてください。さようなら。」


2人は少しずつ姿を消していった。自分は2人からもらった手紙を急いで開いた。そこには紛れもなくさやかの字で書かれた手紙だった。



『勉さんへ


あなたが自殺したと聞いて、戸惑いました。あなたが亡くなってしまったという悲しさと、創を置いてきたという怒りで心の中がいっぱいです。裁判官の方に手紙なら渡すことができると聞いたので、あなたに送ります。私の本音は、創と一緒に生きて欲しかった。私の分も創のことを見守って欲しかった。私を失って悲しいのはわかります。でも、創のことは守ってほしかった。あの子はまだ幼いです。そんな子が両親共亡くしたらあの子が抱えてしまう悲しみは計り知れません。どうして?という感情がどうしても心の中から消えてはくれませんでした。私は今怒ってます。あってあなたの頭をぶん殴ってやりたいです。その後に、強く抱きしめてあげたいです。そうして、私はおそらくあなたの肩の上で「ごめん」というでしょう。でもそれは叶わない願いです。あなたと過ごした時間は私の人生で1番幸せな時間でした。ごめんね。こんなに早くお別れを言わなくちゃいけなくて。もっと一緒にいたかった。創の成長を一緒に見守りたかった。あなたの記憶がなくなるのは怖いです。自分が1番愛した人の記憶と1番幸せだった時の記憶ががなくなるわけですから。判決の内容は聞きました。あとは、その世界の創との時間を大切にしてください。ありがと。最愛の人。

佐久間さやか』



手紙を読み終えた自分は涙と嗚咽が止まらなかった。誰もいない、真っ暗な水族館の中で自分の声だけがこだました。


自分は最後の時間を創と過ごすために水族館の入り口まで全力で走った。いつ終わってしまうかわからない世界の中、自分たちの愛の結晶を見守るために。「ごめんね」を言うために。


入り口を開けると、すやすやと眠る創の姿があった。今すぐにでも抱きしめたいが、起こしてしまってはいけない。自分は創の隣で手を握り「ごめんね」と語りかけた。そうすると創の目から涙が溢れてきた。怖い夢でも見ているのだろうか。自分はそのまま隣で横になって。、起こさないように優しく創のことを抱きしめた。何度も頭を撫でて、何度も「ごめんね」といい、何度も頬を伝う涙を吹いた。


そこから、約1時間ほどだっただろうか少しずつ、気が遠くなる気がした。そろそろ時間なのかもしれない。


「もっと、創のこと見守ってやりたかった。スイミングスクールにも一緒に行きたかった。もっといろんな景色を一緒に見たかった。大きくなって、反抗期が来て、彼女を連れてきて、結婚して。そんな姿を見たかった。もうそれは叶うことはない。僕たちのところに生まれてきてくれてありがとう。もう、会うことはできないし、思い出すこともできないけど、あなたの幸せだけを願ってます。自分勝手な親でごめんね。」


ゆっくりと消えていった世界は涙で溢れていた。




勉さんが作った世界に自分たちは戻ってきた。


「この景色はいくら見ても慣れませんね。虚無という言葉が本当に似合う空間です。」


「何もかも消えてしまうからな。そういうもんだ。」


自分は勉さんの最後の品のキーフォルダーを手に取った。


「これって息子さんが買ったものですよね?」


「そうだな。彼にとっては奥さんと息子、自分を繋げる大切なものなのかもしれないな。」


「お子さんは大丈夫でしょうか?」


「心配ないよ。人間っていうのは辛い経験をした分、強くなれるものさ。なんかしらの方法で自分を奮い立たせて、辛い現実を受け止めて生きていく。その中で自分の大切なものを見つけてそれを守るために強くなろうとする。そうして少しずつ自分の過去と向き合えるようになる。支えがないと人は弱い。支えがなくなり、道を間違えた人間を裁くのが俺たちの仕事だ。」


「伯斗さんって若くして亡くなってるのに、なんか大人っぽいですね。」


「それはそうだろ。地上ではあまり長く生きてはなかったが、こっちにきてからは、もうだいぶ経っているかならな。この仕事上いろんな経験をした人間が来る。辛いことも楽しいことも見れる。その中で自分の中で思うことを言葉にしているだけだぞ。無駄話もそこまでにして、もう少しで時間だから帰るぞ。」


「はい。」


真っ白な世界に別れを告げて、彼を覚えている人間が2人だけの世界に戻った。


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