第1話 中学1年男子の場合


 命の価値に差はないとは思う。でも、それは社会的に見た時で、一個人では命の価値は大きく違う。自らの命もそう。自らが生きている意味を持てなかったら、生きることは辛くなる。自分が勤める天界での仕事はそのことを深く考えなきゃいけなくなる。


今日から新人が来るらしいが、いろんな部署がある天界での仕事の中でわざわざこんなところを希望する人間がいるのが不思議だ。仕事は1日に1人しか進まないし、判決は気持ちのいいものではない。基本的にここでは一つの判決しか出さない。それがいいものでは決してない。


ドアの叩く音がする。新人が来たみたいだ。俺は扉を開けて、新人を招き入れる。扉を開けて、目の前にいたのは15、6の女の子だった。ちなみに、天界で働く人間の姿は、生前で1番思い出の濃かった時期の姿になる。その方が、仕事に打ち込みやすくなるかららしい。ちなみに自分の姿は16歳くらいの子供だ。実際には19まで生きた。


「はじめまして。しおりと言います。今日からよろしくお願いします。」


新人らしく元気のいい挨拶だった。


「よろしく。ようこそ。日本の自殺課へ。」


日本には自殺を裁く法がない。本来、自殺は宗教的にはアウトのことが多いため、宗教を信仰している人ならその教祖様が裁いてくれるのだが、信仰の自由が認められている日本には宗教を信仰していない人もざらだ。そのことに困った天界の人々が、このような部署を作り、当時下っ端だった自分に仕事を押し付けた。裁きの方法は自分で決めて、天界の上方部に許可をもらった上で行っている。その方法が問題で今まで誰もここにはこなかった。この子が来るまでここは自分1人で回していた。


「わかっていると思うけど、ここは俺と君だけ。仕事の量は1日ひとりまでだから、そこまで大変じゃない。休みはしっかりあるけど、初めてだとかなり精神的に来るものがあるから気をつけるように。」


新人らしく、しっかりとメモをとっている。


「ここはできてまだ、200年くらいだから比較的新しいところで、決まっていないところも多いからよろしく。わからないところがあったらその都度俺に質問してくれ。今日はまず仕事の内容を覚えてもらうために俺のことしっかりと見ておいてくれ。」


一通り説明を終えて通常の業務に移る。


 今日の仕事は中学校一年生の男子の裁判だ。裁判を受ける側は、死んだ年齢のままで裁判を受ける。見た目が自分に近くなればなるほど複雑な思いがある。なぜ?とか、可哀想とかそういうことを思ってはいけない。一応ここでは罪人であることは変わらない。何歳であれ平等に裁きを受けさせるのが自分たちの仕事だ。横でその子の資料を見ていたしおりの顔が暗い。


「こんなに若くして亡くなってしまった子を裁判にかけなきゃいけないのは少し心苦しいですね。」

「こんなことの連続だぞ。ここでは罪人なんだから凛とした態度で対応しなきゃいけない。死んでしまったら年齢は関係なく、扱われるからな。ここでは、生前いくつまで生きたかなんて気にしちゃいけない。特にうちはな。若くして自殺に走ってしまうことが多いからな。特に今日の子みたいな年齢層は多いぞ。新しい環境になれなかったりとか、多感な時期で誰にも相談できなかったみたいなことが多いからな。」


「そんな子でも裁かなききゃいけないんですか?」


このままではこいつにここの仕事は耐えきれない。

「お前は何歳まで生きた?」


「私ですか?私は72歳くらいまでです。」


「いろんな人の死を見てきたろ?」


「そうですね。親の死。友達の死。大切な人も自分を置いて逝ってしまいました。」


「そこにいた人間が自ら死を望むように見えたか?」


「そんなわけないじゃないですか!!」


声を荒上げる。


「だからだ。どんなことがあったとしても自ら死を望んで、行動してはならない。お前みたいに自分を失って悲しむ人がいるからだ。ここに来る前の研修会で言われなかったか?転生した命は前世の行動に少しだけ引っ張られる。例えば、犯罪を犯してしまった人の前世を持ってしまった人が少なからず犯罪を犯してしまうということだ。だから、罰を受けて改心したのちに輪廻の流れの中に返す。自殺も一緒なんだ。前世自殺をした人間もその影響を受けて同じ行動をとってしまうことがある。だからこそ、裁かなきゃいけない。でも、この国には自殺に対する法はない。だから、ここで俺たちが代わりにやらなくちゃいけないんだ。お前みたいに傷つく人が出ないために。」


「・・・。」


しおりは黙ってしまった。


「なれろとは言わない。逆になれてはいけない。自殺をした人間がどんな裁きを受けるかはこれからわかる。しっかり受け止めて覚えておくんだ。決して忘れてはいけない。時間だ。じゃあ、初仕事に行こうか。」


自分は目の前にある扉を開けた。


 そこには、少し大きめの机と椅子、乱雑に置かれた大量の書類があった。基本的に1人でしか仕事をしていなかったため、かなり散らかっている。


「少し散らかっているけど、一応君の席は用意しておいたから、そこに座ってくれるかな?」


書類の山の中に適当にいておいた机と椅子がある。


「散らかってますね。」


「ごめん。今度、しっかりと整理整頓するから。」


「いいえ。なら一緒にやりましょう。2人でやった方が早く終わりますし。」


「そうか。なら、今週末にでも2人でやろうか。」


「わかりました。予定開けておきますね。」


しおりは少しだけ自分の周辺を片付け、最低限メモとを取れるくらいのスペースを確保した。


「準備ができたか?」


「大丈夫です。」


「なら、今日の人呼んでくるから一緒に行こう。」


自分は今日使う資料のみを持ち、しおりを連れ、外に出る。


天界の外は生前の世界とあまり変わらない。文化レベルも、科学のレベルもほとんど変わらない。少し違うところはたまに空を天使とかが飛んでいるくらいだ。裁判を待っている人たちは、基本的にある地域の中で自由に生活をしている。重罪を侵した人は、流石に監獄に入っている。もし、そこで問題を起こすととんでもないことになるのと、食事も睡眠も娯楽も自由なので問題を起こそうという気にならなければ基本的には問題は起こることはない。裁判を受ける人は放送で名前を呼ぶ仕組みになっている。呼んでもこない場合は無理やり拘束して、連行される。まあ、そんなことはほとんど起こらない。係の人に資料を渡し、放送をしてもらう。


「新人さんかい?」


放送を担当する方がしおりに話しかけている。見た目は30代くらい。まあ、この世界では見た目は一切参考にならないが。


「はい。今日からなんです。」


「よかったじゃないか。いつも1人で寂しそうな顔していたし。」


「余計なお世話ですよ。」


「私もよかったと思ってるんだよ。あんたの仕事は1人で背追い込むのはあまりにも重いからね。新人さん。これから、あんたが見る光景は少し、きついものがあるけど、こいつのこと支えてあげてな。こう見えても繊細な人間だからね。」


「わかりました!!」


元気に答えるしおり。その姿を見て自分はため息をつく。


 30分後。今日の子がきた。名前と顔を確認して自分たちの仕事場に戻る。


 「汚いけど、そこにある椅子に座ってもらえるかな?」


その子は静かにそこに座る。


「確認のためにもう一度名前と、年齢を言ってくれるかな?」


「田中幸助。13歳です。」


「はい。確認しました。ここでの会話は全てシークレットになってます。ないとは思いますがここで暴れた場合は自分が力ずくで制圧するのでよろしくお願いします。」


自分はその子の情報が書かれた資料に目を通す。


「いじめかい?」


幸助くんの反応はない。


「隠さなくていいんだよ。辛かったことも、悲しかったことも。自分たちはそこまで干渉するつもりもないし、責め立てることもしない。」


静かにゆっくり首が傾く。


「そっか。辛かったね。」


今度ははっきりと首が縦に傾く。


「そっか。ここでは君みたいな年代の子がよくくる。自分から命を経ってしまた子達の多くはいじめが原因だった。君はその子たちと同じ裁きを受けることになる。辛いことだけど覚悟はいいね?早速だけど始めるよ。」


「そんなサクサク進んでいいんですか?」


「問題ないよ。ここでの判決は決まってるから。どうなっても結果は変わらない。死に方が裁きの対象なんだから。」


幸助くんは恐怖からか縮こまっている。


「安心して。痛いことはしない。怖いこともない。ただ、君に1日だけ時間をあげる。生前の世界に戻って、いろんな人と関わってもらう。でも、ちょっと違うのは君がある行動をとっていたということだけ。今回の場合はいじめを他の人に告発してたってこと。それ以外は何も変わらない日常だ。その後のことは、その時に話す。」


幸助くんは困惑しているようだった。


「難しかったかな?簡単にいうと、もう一度君は、生き返るってこと。1日だけね。その世界では君が抱えていた問題が解決されていて、君は死んだことにはなっていないって感じかな?」


「もう一度だけ、生き返ることができるの?」


初めて幸助くんが口を開く。


「そうだよ。でも、1日だけ。」


「そのあとは?」


「ごめん。ここでは言えないんだ。決まりでね。じゃあ、早速はじめたいんだけどいいかい?」


幸助くんはうなずいた。


「じゃあ、俺の後ろにある部屋についてきてくれるかな?しおりもきてくれ。」


自分は椅子から降りて、机の中から鍵をとり、後ろの扉を開けた。

 

 部屋のドアを開けると、日焼けサロンのようなカプセルがある。


「ここに入ってもらうから。次に目が覚める頃にはもう君は生前の世界にいる。時間になったら俺たち2人で迎えに行く。それまで、1日君には自由に過ごしてもらうから。何をしてもオッケーだから。じゃあ準備はいいかい?」


幸助くんは大人しく自分の指示し従い、カプセルの中に入る。


「じゃあ、また1日後にね。たった1度の生き返りを楽しんでね。」


カプセルの蓋を閉め、カプセルを起動する。強い光に包まれて幸助くんの姿が見えなくなる。


「じゃあ、しおりにはこのあとどうなるのか説明をしようと思う。」


自分はしおりに、ここでの裁きの内容を説明し出した。




 僕が起きたのは自分が命を経ってから、3日後のことだった。いつも見ていた、自分の部屋の天井。体を起こし、伸びをする。背中からポキポキと音がする。そして、手を開いたり閉じたり。本当に戻ってきたみたいだ。


「幸助。起きなさい。学校遅れるよ。」


下から母さんの声が聞こえる。制服に着替えて、下に行く。


「おはよう。」


少し緊張しながら朝の挨拶をする。


「どうしたの?普段そんなこと言わないでしょ?早くご飯食べちゃいなさい。」


母さんは何事もなかったように僕に接する。まるで、自分が自殺したことがなかったかのように。


「そうだ。今日は母さんも学校に行くからね。いじめの件について先生からちゃんと説明を受けたくてね。」


朝食を食べながら、母さんの話を聞く。どうやら、自分がいじめのことを先生に言って、自分以外のいじめも発覚して、学校に出ず楽なったいじめっ子は転校したらしい。あの人が言っていたことは本当だったみたいだ。


 朝食を終え、身嗜みを整え、家を出る。そうすると、玄関で自分を待っている人がいた。確か、夏帆ちゃんだったかな。自分と一緒でいじめに悩んでいたと、母さんからさっき聞いた。


「おはよう。」


「おはよう。どうしたの?」


「いや、一緒に学校に行きたいなって。」


僕から目を逸らし、照れながら言っている。自分に気があるのかな?もし、そうなら嬉しいな。


「そっか。なら一緒に行こうか。」


僕たちは2人並んで、学校に向かった。


夏帆ちゃんはせっかく一緒に行くのに自分から目を逸らしながら、僕の隣を歩いている。何がしたいんだろう?


「あのね。ありがとう。」


突然、話しかけられた。しかも、感謝された。


「僕は何もしてないけど?」


そういうと夏帆ちゃんは目を見開いて自分に近づいてきた。


「そんなことないよ!!私も、勝くんに虐められてたから、とっても助かったんだよ!!それに、カッコよかったし・・・。」


最初の大きな声に比べて、後半は少し声が小さくなっていたが僕にははっきり聞こえていた。夏帆ちゃんは自分の顔が近いということに気づきまた目を逸らしてしまった。でも、さっきよりも顔が赤くなっていた。


「そっか。よかった。嬉しいよ。」


僕は少し恥ずかしさもあったが、素直な気持ちを伝えた。すこし時間が経っても、夏帆ちゃんはまだ僕から顔を背けたままで会話もない。僕は勇気を振り絞って夏帆ちゃんに体を近づける。手が触れる。少しびっくりしたみたいだけど、僕から離れることはなかった。僕はさらに、掌と掌を合わせ、優しく握る。戸惑いがあったのかもしれない。夏帆ちゃんは顔を向ける。ようやく僕に顔を見せてくれた。戸惑っている顔に僕は笑顔で答える。それに答えるように少しずつ夏帆ちゃんの手に力が入っていく。肩と肩が触れる距離まで僕たちは近づいた。歩きにくさはあったけど、なんかこのまま離したくないと素直に思った。でも、2人の間に会話はなかった。言葉を発するとこの2人だけの空間が壊れそうだったから。


 学校に近づくと、他の人に見られたくないので少し名残惜しいが夏帆ちゃんとつないでいる手をはなす。ついこの間までこの校門を潜るのが怖かった。そんな校門を2人で並んでわたる。生徒会の人があいさつ運動をしている横を通り、学校の中に入る。今、僕の目の前にある下駄箱を開けるのが怖かった。虫が入っていたり、上履きがなくなっていたり。いろんなことをされた。自分がいじめられていることを言えなかった僕は、どんなに汚れていても異臭がしても履き続けていたので、この上履きは自分がどんなに我慢したかを証明するものだ。下駄箱を開けると、ボロボロになった上履きはなく、綺麗になっていた。そう言えば母さんが朝、汚くなってたから買い換えておいたって言っていたような気がした。


「どうしたの?」


後ろから、すでに上履きに履き替えた夏帆ちゃんが不思議そうに僕のことを見ていた。


「うんん。なんでもないよ。行こうか。」


「そうだね。」


夏帆ちゃんは笑顔で答えてくれた。


履き慣れていない新品の上履きに少し苦戦しながら最上階にある1年生の階に着く。僕の教室は1年2組。教室に入るのはいつも緊張していた。その都度、いろいろな覚悟を決めてこの部屋に入っていた。夏帆ちゃんが先行して教室の扉を開けるや否や数人の同級生に囲まれた。


「おはよう。」


その近寄ってきた同級生から挨拶をされた。そんなこと今までなかったからどうしていいかわからない。


「お、おはよう。」


ぎこちなく挨拶を返すしかできなかった。なんとなくだが、同級生の目は輝いていた。


話を聞く限り、いじめを受けていたのは僕ら以外に相当数いたらしい。内容も様々でお金持ちの子からはお金を巻きあげたりもしていたらしい。僕はクラス中から英雄扱いされて、いつも窓際にいた自分がいつの間にかクラスの中心になっていた。


 しばらくすると先生がクラスに入ってきた。先生は教壇に立ってすぐに、


「すまなかった。」


僕たちに向けて頭を下げた。


「いじめに気付けなかった。これは俺の責任だ。今まで苦しい思いをしてきたみんなに謝っても謝りきれない。今回、幸助くんからの報告で初めていじめが発覚した。ありがとう。知らせてくれて。」


先生は再び自分たちに頭を下げた。


そこからは、普段通りの日常。今までいろんなことが頭の中にあって授業に集中できたことがなかった。落書きのされていない教科書にノート。ボロボロになっていないシャーペンの芯。真っ黒になってない消しゴム。どれも、中学校に入って初めての経験だった。勉強も今までしようと思っていなかったから何もかもが新鮮で別の世界に来たみたいで楽しかった。隣に座っている子が教科書を忘れたので机をくっつけて一緒に見る。学校で笑うことなんてないと思っていた。


 昼休みになり、お弁当の時間。今まで1人で隠れて食べていたけど、今日はいろんな人からお誘いがあった。でも、今日は一緒に食べる人を決めていた。


「夏帆ちゃん。一緒に食べよう。」


「私でいいの?」


「夏帆ちゃんがいいの。」


クラス中からからかわれたが、気にしない。静かに2人っきりで食べたかった。


 夏帆ちゃんを連れて、屋上に行く。


「本当にいいの?いろんな人に誘われてたんでしょ?」


「気にしない気にしない。お昼ご飯は好きな人と食べたいじゃん?」


自分の言葉に夏帆ちゃんは顔を赤らめる。


「早く食べよ。お腹すいた。」


学校で誰かと一緒にお弁当を食べられるだけで嬉しかったが隣には夏帆ちゃんがいることが何より嬉しかった。今までの自分では考えられないくらい幸せな時間だった。


お弁当を食べながら、話をする。日常のことから今まで受けてきたいじめのこと、自分に対する思いだったり、自分の思い。夏帆ちゃんは自分でお弁当を作っているということですこし貰ったりもした。お弁当を食べ終わった後も、2人っきりでいた。


「あのさ、僕たち付き合ってるでいいんだよね?」


さっきまで、饒舌に話していた夏帆ちゃんは自分から目を逸らし、答えずらそうにしていた。はっきりとした告白はしていない。でも、ある程度、行動では伝えていたとは思う。もし、夏帆ちゃんが嫌ならすぐに拒否するだろうからおそらく答えはYESなのだと思う。中学一年でも、そういう色恋沙汰に興味がないわけじゃない。むしろ、興味津々な時期だ。今まではそんなこと意識する余裕がなかった。この安息ができてまだすこししか時間は立っていないけど心にかなり余裕が生まれてきた証拠だと思う。


「じゃあ、言葉にするね。好きです。僕とお付き合いしてください。よろしくお願いします。」


自分が告白すると、さらに夏帆ちゃんの顔は赤く高揚していた。夏帆ちゃんは反応してくれない。


「ダメかな?嫌だったら断って欲しいけど。」


「嫌じゃない!!」


夏帆ちゃんは食い気味に否定してきた。顔をしばらく見合わせると、再び夏帆ちゃんは顔を赤くして僕から目を背けてしまった。


「ただ、嬉しくて恥ずかしかっただけだから。」


「じゃあ、これから慣れていかないとね。」


夏帆ちゃんは僕と顔を合わせて、


「私も好きです。これからよろしくお願いします。」


夏帆ちゃんは深々と顔を下げた。そんな、夏帆ちゃんの顔にふれ、顔を上げさせ、唇を重ねた。流石に、これは僕も恥ずかしかったので重ねた後は、体を回し、何も話せなくなった。背中を合わせて、お互いの体温を感じながら、今さっき手に入れた幸せを感じていた。


重ねて以降、何もないまま昼休みも終わりに近づき、教室に戻る時間になった。


「夏帆ちゃん、教室に戻ろうか?」


僕が立ち上がろうとすると、腕を掴まれた。


「夏帆ちゃんは嫌。夏帆がいい。」


自分がずっとちゃん付けで読んでいたことが気になっていたのだろうか、下の名前だけで読んで欲しいということだった。

「わかった。夏帆、行こうか。」


自分は腕に力を入れて、すこし強引に夏帆を立たせた。すると、夏帆は自分に近づき、口を重ねた。急なことにびっくりして少し、思考が止まった。夏帆は顔を赤くしながら、


「お返し。」


とだけ言って顔を伏せた。


 教室に戻ると、周りから昼休みでの出来事について、ひやかされた。別に隠すこともなかったので正直に話した。夏帆のほうにも人だかりができていた。昼休みが終わっても、僕と夏帆の周りには人だかりができていたので教室にきた先生が自分の席に座るように促した。


5時間目は体育で、体操着に着替える。もちろん女子は女子更衣室にいくが夏帆が自分の席にきた。


「どうしたの?」


「体操着忘れたから、長袖持ってたら貸して欲しいなって。」


「さすがにサイズが合ってないと思うけど?」


夏帆は154で、僕は160後半ある。上は着る事ができても、下はさすがに大きすぎる。


「下はあるから大丈夫。上だけ借りたいなって。」


夏帆の手元を見ると半袖の体操着はある。夏のこの時期に長袖を着ることはないと思ったが、僕は着る事がないので貸すことにした。


「わかった。いいよ。夏の間は借りてていいからね。」


夏帆は自分から渡された体操着を大事そうに抱えながら女子更衣室に向かった。その時、自分たちに注目が集まっていることに気づかなかった。もうすでに、着替えた友達から自分の近くで話している。内容までは聞こえなかったが、チラチラこっちを見ていたのでおそらく自分たちのことを話しているのだろう。自分が制服を脱ぐ。体に痛いところはなく、怪我も綺麗になくなっていた。


 体育の時間になり、女子と合流してから授業が始まる。夏帆はぶかぶかの自分の長袖の体操着を大事そうにきていた。周りの女子に囲まれていて、人とのコミュニケーションが苦手なのか戸惑いながら1人1人の話を聞いていた。夏帆も自分と同じで、今までこんなに人から注目を浴びた事がなかったのだろう。


「何、彼女の方ばかり見てんだよ。」


クラスの男子に話しかけられた。


「気になるなら行ってやれよ。」


なぜか、背中を押されて夏帆のほうに向かう。すると、女子の方から、


「彼氏さんがきたよ。」


と言われて恥ずかしがりながら自分に近寄ってきた。


「ぶかぶかだね。」


「そうだね。でも、これでよかった。」


ぶかぶかの体操着の袖を顔に当てて、匂いを嗅いでいる。


「落ち着く?」


好きな人の匂いが落ち着く気持ちがわかるので聞いてみた。


「うん。落ち着く。」


「そっか。よかった。」


夏帆の頭に手を置きながら自分はささやく。夏帆は長すぎる袖で自分の顔を隠した。


「そこの2人。もうそろそろ始めるけど良いか?」


体育の先生がクラス中の注目を集めている自分たちに話しかけてきた。気づけばすでに授業の時間は始まっていて、クラスメイトはこっちを向きながらも整列していた。まだこんな人数に注目されることに慣れていない僕たちは赤面しながら自分の入りについた。


体育の内容は体育館を二つに分けて、男子はフットサル、女子はバレーボールだった。部活には入っていなかったが小学3年生からずっと強豪サッカークラブでサッカーをしていたから、そこそこ自信はある。クラスメイトにはもちろんサッカー部がいるが、そこまで強い学校ではないので実力はどっこいどっこいだと思う。


中学校の体育は基本的にその競技の部活に入っている人間が主導権を握る。どんな目立たない奴もその部活に入っているだけで周りから引っ張りだこになる。もしくは、部活の人間だけ集めてドラフトのようなことをする。例によってちょうど半々になるようにサッカー部のやつが別れて、ドラフトが始まった。運動部のやつから選ばれていく。帰宅部の僕がサッカーをしていたことは誰も知らないことなので最後の方まで残り自分が呼ばれる。


チーム分けができたところで早速ゲームが始まる。自分を含めて10人がコートに入る。ゲームが始まると、サッカー部の独占場。普段通学路の石ころを蹴るぐらいしかやらない人間にとって、ドリブルは難しい技術なのかも知れない。ゴール前で大人しくしていた自分の前にサッカー部のやつが蹴り込んでくる。どうせ撮れないと思っているのかフェイントも入れずにまっすぐに自分に迫ってくる。さっきのこともあり、あまり目立つのは避けたいがここまで舐められるのは流石の僕でもイラッとする。舐めた相手なら簡単にボールを取れる。流れるようにボールをとった僕はそのまま相手ゴールまで迫る。取られたサッカー部のやつは何が起きたのかわかっていないようだった。周りも、いきなり動き出した僕にびっくりしていた。簡単にゴール前まで行った僕は、そのまま決めてもよかったのだが目の前にいる仲間にパスを出して、そいつにゴールを決めさせた。ゴールを決めた仲間とハイタッチをして、仲間が詰め寄ってくる。


「お前、サッカーできたのかよ。」


「小学校までやってたんだ。最近ボール蹴ってなかったから動けて安心したよ。」


こっちのチームは大いに盛り上がっている。隣でバレーをしている女子の方もなぜか盛り上がっている。これが黄色い声援なのかと思った。思ったよりも頭に響いて心地いいものではないなとも思った。その声を上げている女子の中で静かに拍手をしている夏帆が可愛かった。


一点とったところで休んでいたチームメイトと交代する。男子の待機場所は体育館の中にあるステージの上。体育館中を見渡すことができ、男子だけでなく女子の方も見える。思春期の男子の頭の中はみんな一緒でサッカーや勝負事に真剣なやつ以外は全員女子の方を見ている。とは言っても、僕もその1人だ。まあ、自分が見ているのは夏帆1人だけだけど。昼休みの時に聞いたが夏帆は運動がかなり苦手でどんなに頑張っても下の上で、体育がいつも内申点を下げているのだと言っていた。夏帆のことを観察していると、ボールを怖がって自分の目の前に来ると全て避けるような感じだった。バレーボールはボールが体に触れている時間が極端に短いため、1番ボールに慣れていないとできない競技だ。スポーツが苦手な子には難しすぎる競技でもある。基本的にサーブだけで終わってしまうことが多い。力を合わせてつなぐことが大きな魅力の一つのスポーツなのに授業ではその姿を拝むことはできない。


「お前の彼女、運動苦手みたいだな。」


自分と同じチームで一緒に休んでいるやつに声をかけられた。


「そうみたいだね。怖がっているみたいだからね。」


夏帆も前には常に誰かいてずっと守られているみたいだ。ゲームはあまりやらないがよく動画で見る姫プみたいだ。


「なんか守られているみたいだな。」


「そう!今、僕も同じこと思った!!」


急にテンションをあげた僕にびっくりしたみたいだが、やってしまったみたいな顔をしてる自分の顔を見て笑っている。


「そんな顔しなくていいよ。普通に話そうぜ。」


そこから僕はこのチームメイトとずっと話していた。


 体育の時間の後。教室で着替える。教室には男子しかいないため制汗剤の独特な匂いが教室中に充満している。周りからはスプレーのシューッという音が響く。


「お前こういうの持ってないの?」


体育の時間に仲良くなったやつに声をかけられた。


「自分の匂いなんて気にしたことないから。」


「汗臭いと彼女に嫌われるぞ。かしてやるから使ってみれば?」


強引に制汗スプレーを渡された。その後もじっと自分のことを見ているのでおそらく使わない限り、逃してはくれなさそうなので仕方なく使うことにする。体にシューッと吹きかける。慣れていない僕にとってはあまり気持ちいいものではなかった。


「どうだ?」


なぜか感想を聞かれる。聞かれたところで何かあるわけではないのに。


「気持ちよかったよ。」


この場を逃れるためだけに一応答える。


「ほんとか?結構嫌そうだったけど?」


ニヤニヤしながら僕のことを見てくる。そんなに顔に出ていたかな?


「少し、違和感があるだけで、なれてないだけだよ。」


「そうか。」


適当なやり取りの中に、友達ってこんな感じなのかなと思いがめぐった。悪いものじゃないな。


軽く談笑をしていると着替え終わった女子が教室に入ってきた。いまだに上半身を裸で過ごしている。女子は何もなかったかのように教室の自分の席に荷物を置く。所々から制汗剤がくさいと、クレームをいう声が聞こえる。確かに鼻を刺すような匂いがする。女子からはそういった匂いがしないのが不思議だ。


荷物を片付け終わった、夏帆が自分に近づいてくる。


「邪魔者は離れるか。」


そう言って、クラスメイトは自分から離れていく。


「名前は?」


少し失礼だと思ったが、今聞かないといけないと思った。


「渉だよ。これからもよろしくな。」


笑顔をお互いに交わした。


渉が自分から離れたら、少し駆け足になって夏帆が近づいてきた。


「邪魔だったかな?」


「大丈夫だよ。渉くんも気を使ってくれたから。」


少しだけ申し訳なさそうな夏帆に向けて僕はいう。


「いいんだよ。僕は夏帆の彼氏だから。遠慮しないで。そうだ放課後時間あるかな?」


僕の急な提案に少し夏帆は戸惑っていた。


「別に何もないけど。どうして?」


「いや、体育見てて少しだけでいいからボールに慣れてほしいなって。せっかく、成績がいいのに体育で落とすのはもったいないでしょ?」


「うん・・・。」


夏帆は少し乗り気ではないみたいだ。


「大丈夫だよ。少しずつなれていくためだから、そんなスパルタなことはしないし。」


「放課後は一緒に買い物行きたかったから・・・。」


上目遣いで僕を見る。そんな顔をされたら断れないじゃないか。


「そうか。じゃあまた今度にしようか。今日は一緒に買い物しようか。」


夏帆の表情がかなり明るくなる。


「わかった!!約束だからね!!」


少しだけテンションが上がった夏帆が自分に迫ってきた。


「でも、一回家に帰ってからにしよう。財布も何も持ってきてないから。」


夏帆と集合する場所を決めて、今日の最後の授業を受けた。



放課後。


2人で家路に着く。家の方向は一緒なのだが夏帆のほうが少しだけ遠い。待ち合わせ場所は自分たちの家の間にある公園。小さい頃よく遊んだところだ。もしかしたら、幼い頃からお互い遊んでいたのかもしれない。それほど身近な場所だ。制服のままがいいと言われたので制服のまま財布とケータイを持ってその公園に向かう。母さんは家にはいなかった。そういえば朝に学校に行くと言っていた。今日1日でいろいろありすぎて忘れていた。


 待ち合わせの時間より5分ほど早くきたが、もうすでに夏帆はそこにいた。


「ごめん、まったかな?」


夏帆は僕の顔を見ると顔を明るくして、


「うんん。私も今きたところだよ。」


と、首を振って答える。


「そっか。なら時間もないし、行こうか。」


僕は手を差し出した。夏帆はそれに応えた。


一駅先にある大型商業施設に行く。電車の中は放課後と言うこともあり、学生ばかりだ。買い物の時間は夕飯のこともあるので約2時間ほど。正直、少し短い気もするがあまり親には心配をかけたくない。電車内ではかなり席が空いているにもかかわらず隣同士に座り体を寄せ合った。一駅分なので5分もないが離れるのが嫌だった。


その大型商業施設は駅の目の前にある。田舎のあるあるだが例え平日だろうと、他に行く場所がないのでこう言ったところには常に人がいる。案の定、平日の夕方だが若い人からお年寄りまで幅広い年代の人で混雑している。夏帆は人混みを見て、僕の手を握る力を強めた。


「はぐれないようにちゃんと握っていてね。」


その言葉に夏帆は頷きで答える。さらに、体を寄せて僕から離れないようにした。

夏帆に連れられ、服屋に入った。定員さんの声をよそに、夏帆は欲しいものがあったのか、他のものに目もくれずに僕の手を引っ張った。


「これ欲しい。」


夏帆が立ち止まったところには、夏帆には少し大きく、僕にはぴったりな大きさのシンプルなパーカーだった。中学生なので手持ちはあまり多くはないが、値段はかなりリーズナブルなものだった。


「そうか。なら、これ買おうか。」


僕は一つだけパーカーをとり、会計に行こうとすると、夏帆は僕の袖を握った。


「違う。私も買うからもう一つ。」


夏帆は背伸びをしながらギリギリ届くか届かないかのところで頑張っていた。夏帆がなぜもう一つ欲しがっていたのかはわからなかったが、必死に届かない姿はしばらく見ていたかった。その姿を見れなくなるのは少しもったいない感じがしたが仕方ないので自分が取ることにした。パーカー2つを会計に持っていく。なぜか定員さんがニヤニヤしている。


「ペアルックですか?」


その言葉は聞いたことがあったがどういう意味かは知らない。僕が少し答えに困っているとそれを察した夏帆が、


「そうです!」


と、少し食い気味に応えた。


「そうですか。仲良しなんですね。」


店員さんは笑顔で答えた。2人分の値段を払い、店をでた。


さっきの店員さんが言ったことが気になって夏帆に聞いてみる。


「さっき店員さんが言っていたペアルックってなんだっけ?聞いたことはあるんだけど。」


夏帆の反応は少し驚いた感じだった。


「知らなかったんだ。ペアルックっていうのは恋人同士が同じものを身につけることを言うんだよ。」


夏帆に説明されて、なぜ言葉だけを知っていたのか思い出した。少し遠い記憶だが、小学生の高学年頃、クラスの女子が何か騒いでいたのを聞いていたのを思い出した。その時に単語だけは聞き取れただけでそれ以外のことは特に興味がなかったので聞いていなかった。その時は自分に彼女ができて、青春らしいことはしないと思っていたから。僕は夏帆の顔をじっと見つめた。夏帆はいきなり見つめられたことに首を傾げた。その夏帆に僕は笑顔で答えた。


パーカーを買い終えて、そこらへんをウロウロする。途中、クレープなどの買い食いをしたり、カフェの中でコーヒーを飲んだりした。もう少しで帰る時間になった頃、夏帆はある店の前で不自然に立ち止まった。


「どうしたの?」


夏帆は少しの間、心ここに在らずみたいな感じでぼーっとしていたが僕が話しかけたことに気づき急いで反応した。


「うんん。なんでもないよ。ちょっとトイレ行ってくるね。」


そう言うと、夏帆はお手洗いに向かっていた。夏帆が見ていたのは中学生にはすこし高い値段の指輪だった。これが欲しいのかと察することができたのだが、かなりの値段に少し買うことを戸惑ったが今まで使うことのなかったお小遣いがかなりあったのでせっかくなので2人分買うことにした。


「すいません。」


この店に似合わない中学生が入ってきたので少しだけ店員さんが驚いていた。僕はその人の前に急いで行き、夏帆が欲しがってそうにしていた指輪の前に立った。


「これを2人分お願いしてもいいですか?」


こんな雑な注文でも親身になって接してくれる。


「彼女さんへのプレゼントですか?なら、彼女さんの指のサイズはわかりますか?」


僕は指輪のことを買うがもちろん初めてだったので、何も知らないまま注文をしていた。


「すいません。わからないです。」


「なら、ネックレスにするのはいかがですか?」


店員さんは夏帆が欲しがっていた指輪よりもすこしだけ安価なネックレスをお勧めしてくれた。


「これなら、指輪よりも安価ですし、この指輪と同じメーカーのものなのですこしデザインも似てますし、今度彼女さんと一緒に来た時に指輪とセットになっていいと思いますけど。いかがですか?」


店員さんの提案に乗り、ネックレスを2つ買うことにした。男性用のやつもあったのでちょうどよかった。


店員さんの勧めで買ったネックレスの袋を握り、店を出る。夏帆と別れた場所にはすでに夏帆がいた。


「ごめん。探した?」


「うんん。帰ってきた時にいなかったからびっくりしたけど、すぐに戻ってきてくれたから大丈夫だよ。」


夏帆の視線が僕の手に持っているものに向けられる。


「それ何?」


「後でね。落ち着けるところに行こうか。」


人通りの多いここで渡すのは周りに迷惑になると思ったので夏帆の手を引いて近くにあった飲食店に入った。席に向かい合わせで座り、軽く注文を済ませた。僕は自慢げに先ほど買った袋からネックレスの箱を出す。


「目を瞑って。ちょっとこっちに近づいて。」


夏帆は何かを察したのか、僕の指示通りに目をつぶり、顔を僕に近づけた。僕はネックレスを取り出して、まずは自分に。その後に手を伸ばして夏帆の首にかける。


「もういいよ。」


夏帆は少しずつ目を開ける。夏帆の顔が明るくなる。


「僕からのプレゼント。あの店の前で指輪見てたでしょ?指輪は夏帆のサイズがわからなかったから、買えなかったけど同じブランドのネックレスならいいかなと思ったけど。どうかな?」


「嬉しい。ありがと。」


夏帆は喜んでくれたみたいだ。


そうこうしているうちに、あたりはすこし暗くなっていた。僕たちは店を出た。

「最後に私行きたいところあるの。ついてきてくれる?」


夏帆からの提案があったので最後に、夏帆の買い物に付き合うことにした。僕たちはきた道を戻り、さっきいた場所に戻ってくる。


「ここって。」


「うん。もらってばかりじゃいけないと思ったんだ。2人で買いに来ればお互いにサイズのこと悩まなくていいでしょ?今度は私からプレゼントさせて。」


「でも・・・。」


「いいから、いいから。」


僕は夏帆に強引に手を引かれて店内に入った。


「いらっしゃいま・・・。あら?」


店員さんもまたきた同じ顔にすこし驚いたみたいだ。


「今度は彼女も一緒ですか?もしかして、ネックレスに何か不備がありましたか?」


「いいえ。違いますよ。ほら見てください。何も問題ありません。」


夏帆は自分の首にかかっているネックレスを自慢げに見せた。


「よかったです。お綺麗ですよ。」


そう言われると夏帆は顔を伏せて、照れているみたいだ。


「そんなことより、今度はペアリング買いに来ました。サイズは買ってください。」


「わかりました。なら、指のサイズを計りますね。」


店員さんは様々なリングの大きさが一つになっている器具を使って、右手の薬指のサイズを測った。結婚指輪を左手の薬指にするのは知っていたが、恋人同士のペアリングは右手にすると初めて知った。


「そうですね。彼女さんは7号で、彼氏さんは14号ですね。指輪のデザインは前におっしゃっていたものでいいですか?」


「はい。問題ありません。」

「なら、準備するのでそこのソファーでお待ちになっていてください。」


僕たちは言われた通りに店の奥にあるソファーに腰を下ろした。


「こちらが商品になります。確認をよろしくお願いします。」


店員さんが2人分の指輪を持ってきた。僕たちは指にこれをつける。サイズはぴったりで問題はないみたいだ。


「問題なさそうですね。」


「はい。ぴったりです。」

指輪を入れる箱をもらい、会計を済ませた。そうするといい加減帰らなくてはいけない時間。これ以上遅れると親に心配をかけてしまう。


帰りの電車の中。夏帆はずっと指輪を見ている。


「気に入ったの?」


「もちろん。私、初めて指輪を買うときはこれにするって決めてたんだ。両親の結婚指輪がこれだったから。」


「そうなんだ。」


夏帆の顔を終始ニコニコだった。


電車を降りると、すっかりあたりは暗くなっていて該当の光が眩しい。


「こんな時間になって怒られないかな?」


「怒られてもいいかも。怒られるよりも、今日のことが嬉しかったから。」


「それもそうだね。」


怒られることなんてどうでもいい。今が楽しくてたまらない。


住宅街の中はいろいろな匂いが混ざっている。この家はカレーだなとか、唐揚げだとか。鼻をきかせながら、すこしずつそれぞれの帰る家に近づいていく。


「もうついちゃうね。」


ふと、僕が話しかける。


「これからも一緒だから大丈夫だよ。」


と、夏帆はいう。


「そうだね。これからも一緒だもんね。」


「そう。じゃあまた明日。」


「また明日。」


何か僕の中で引っかかるものがあったが、この時僕は何かを忘れていたみたいだ。

家に帰ると、油の弾ける音が聞こえる。香ばしい匂いとともに、「おかえりなさい」という言葉が聞こえる。


「遅かったじゃない。もう少しで夕飯できるから着替えてきなさい。」


と、母さんに言われたので自室に戻った。夏帆とのことをいじられるのが嫌だったので、指輪とネックレスを外し、箱に大切に戻した。


部屋着に着替えて下に行くと、父さんが帰ってきていた。


「お帰りなさい。」


「ただいま。」


3人で食卓を囲み、今日あったことを話す。夏帆とのことはすこし恥ずかしいので話さなかった。帰るのが遅くなった理由は友達と遊んでいたと誤魔化した。2人は僕の友達という言葉に偉く感動していた。中学校に入ってからこんなに笑顔な僕を見たのは初めてだと、今までとすこし違う僕を褒めていた。学校に行った母さんは、担任の先生と教頭などと話したらしい。いじめの詳しい内容、他のいじめの被害者のこと。先生は自分が気付けなかったことを謝罪したみたいだ。それ以上に僕に対しての感謝を伝えていたみたいだった。母さんの料理はもちろん美味しかった。当たり前の日常の最後の一コマだった。


ご飯を食べ終えるとお風呂に入り、リビングで家族揃ってT Vをみた。お笑い番組やドラマ、ニュースなど。明日のことを心配した母さんが早めに寝るように促した

「幸助、明日も学校なんだから早く寝なさい。」


僕は母さんの指示に従い、自室に戻って、今日夏帆と買ってきたネックレスと指輪を大事にはめて床についた。


数時間後、僕は強い光で目が覚めた。


「いかがでしたか?時間です。お迎えにあがりました。」




24時間前。


「じゃあ、しおりにはこのあとどうなるのか説明をしようと思う。」


自分はしおりに、ここでの裁きの内容を説明し出した。


「日本の方では罪人ではない彼を直接的な罰を受けさせることはできない。でも、君も講習で習ったと思うけど、天界は間違ってしまった魂をそのまま輪廻に戻すことができない。本来、裁判が受けられる犯罪を行ったものは苦痛とともに自分の行いを後悔させる。そして、その人の生命力が切れるまでその苦痛を与えることになっている。」


いわゆる地獄というやつだ。そこでは裁判とともに罰を受けさせて、反省を促し、生命力が尽きたら輪廻の流れに戻す。反対に犯罪を犯していない人は、生命力が切れるまで天界でゆったりとした時間を過ごし、時間がきたら輪廻の流れに戻すことになっている。なぜ生命力が切れるまで時間をかけるのかというと、生命力が残っている人間を戻してしまうと、前世の記憶が残り転生先の人格形成に問題が起きてしまうからだ。


「でも、どうにかして生命力を削る必要があったんだ。だから、ここでは、彼の生命力を使い切るためにその膨大な大きさの力で別の新しい世界を作ることにした。」


人間の生命力は計り知れないものがある。ここでいう生命力というのは、1つのことに一喜一憂したり、その人の可能性だったり。その人の生きるエネルギーだけでなく、その人が叶えられるはずだった夢に対するエネルギーだったりする。ということは、生前に夢をかなえて安全燃焼した人間は生命力を使い切って、天界での生活は短くなり、すぐに転生する。本来ならそうして欲しいのだが、そんなことも言ってられないのがこの世界で、大半の人が夢を叶えられずに一生を終えてしまう。たとえ叶えたとしても完全燃焼できるとは限らない。だから、いつの時代も天界には人が溢れている。


「新しい世界を作るってどういうことですか?」


しおりが聞いてくる。


「言葉そのままだよ。この世界とは違う世界を作るんだ。全く同じ場所で、全く同じ人間が住む世界を作るんだ。」


「そんなこと・・・。」


「できるんだ。それほど人間の生命力は強くて、影響力がある。」


どういう原理かは知らないが、自分がこの提案をお上の方にしたら技術者が作ってくれた。催眠とか寝ているときに見る夢ではなく、本当に世界を作る。ただし、その世界は当事者の周辺のみに限られる。それが世界を保つための条件らしい。その世界の再現度はその人の残っている生命力の量に比例する。多ければ多いほどリアルになり、天界にいた記憶を失ってしまう。幸助君の場合は若くして自殺したので多くの生命力が残っている。おそらくだが、天界にいた記憶なんて残っていない。


「時間が来て、彼を迎えに行ったとき、彼と彼の力で作った世界は消滅する。記憶にも記録にも残らない。彼のことを覚えていられるのはこの天界で自分たちだけ。地上にいる人は天界に来ると同時に記憶から彼のことが消える。思い出も何もかもが消える。それが、彼に対する罰だ。」


地獄のように苦痛はない。痛みも一切ない。人の記憶から自分が消えるだけ。それが親であろうと恋人であろうと夫婦だとしても。地獄に行く人間のように自殺をした人間は天界にとっては間違った魂なのだから。


「そんなことって・・・。それなら地獄に行ったほうがいいじゃないですか。」


人の価値観はそれぞれ。しおりにとってはあらゆる苦痛の中でも忘れられるということが耐えられないのだろう。それには自分も激しく同意する。


「そうかもしれない。俺もそう思う。それでもこの方法で裁かなきゃいけない。それが俺たちに与えられた仕事で自殺に対する裁きの答えなんだ。」


わかりやすい罪状なら同情の余地なく捌くことができるかもしれない。でもここでは、苦しんで自ら命をたってしまった人を裁く必要がある。同情がなくなることは決してない。


「むしろ、俺はここでは幸せになって欲しい。でも、それはできないんだ。だからこそ、一時でもいいから幸せを感じて欲しい。そう思って、俺はこの罰を選んだ。」


しおりは自分の話を聞いて黙ってしまった。


そこからいろいろな手続きの準備をしてから2人で幸助君を迎えに行くことになった。ここの仕事が自分しか続かないのは実際に人間の存在が世界から消えるのを見てしまい、そのことに耐えられないからだ。しおりもおそらくその1人だろう。天界で仕事に着く人は、才能や学だけで選ばれるわけではない。人格や性格、人相も重要な選考条件だ。基本的に正義感が強く、優しい人が多い。自分がその人を手にかけている感じがあって耐え切れないのだと思う。


「そろそろ時間だ。行くよ。覚悟しておいて。」


自分はしおりにそう伝えて、幸助君が最初に入ってたところに向かう。幸助君が作った世界に入るのは簡単でカプセルに手をかざすだけ。自分たちがその世界に入ってから約15分後に世界が崩壊していく。カプセルのある部屋に入るとあれだけ強い光だったものが薄暗くなっている。生命力が尽きてきてる証拠だ。


「先に行ってくれるか?後から自分は行くから。」


あえてしおりを先に行かせる。それは以前逃げ出した人がいたからだ。しおりは覚悟を決めて、カプセルに手をかざして、これから消えゆく世界に入っていく。それを確認してから自分もしおりに続くようにお別れを言いに行った。


時間は幸助くんを迎えに行く時に戻る。


案の定、幸助くんは自分たちのことを覚えていなかった。


「思い出してもらえないかな?」


幸助くんの表情はすこし戸惑っている感じだった。


「時間がないからこれからのことを話すね。」


自分はこれまでの経緯とこれから起こることをしおりに説明した通りに説明をした。幸助くんの顔は青ざめていた。思い出したのだろう。しおりの顔も複雑な表情だった。


「理解してもらえたみたいだね。俺のことも思い出してもらえたみたいでよかった。もう時間も残されてないから何かいうことでもあるかな?」


幸助くんは自分の胸ぐらを勢いよく掴んできた。顔は不安と怒りでいっぱいだった。こんなに感情を表すのは最初にあった幸助くんには考えられないものだった。


「随分と今日1日で変わったね。それだけいい経験をしたのならよかったよ。」


自分の言葉に幸助くんはさらに腹を立てたようで胸ぐらを掴む腕に精一杯力を入れていて少し震えていた。


言葉にならない怒りを自分にぶつける幸助くんに自分はそっと、自分の胸ぐらを掴んでいる手に触れた。


「落ち着けとは言わない。無理だと思うから。でも、もう戻れない。ここで俺のことを殴ったとしてもこれから起こることは何も変わらない。それが幸助くんに与えられる罰だから。」


「俺は、何も罪なんか犯してない!!人殺しも、盗みも!!俺はいじめを受けていたから被害者の方だ!!裁くならあいつにしろよ!!なんで俺が罰を受けなきゃいけない!!」


目を真っ赤にして自分に問いかけてくる。こんな仕事をしている関係でこういうことは慣れている。その時に自分は決まって同じことを問うことにしている。


「本当に何もしてないかな?本当の被害者は本当にお前か?」


「当たり前だ!!」


「そうか。なら、教えてやる。自殺がどれだけ罪深いか。」


自分は力ずくで幸助くんの腕を振り解いた。


「しおり。ここでの話は他の人には黙っていてくれ。俺はこの消える世界で少しだけ禁忌に触れる。」


自分は振り解いた幸助くんの手首を力強く握った。骨が折れるか折れないかの瀬戸際の力で。


天界での裁判の中で禁忌とされているのは、決して地上にいる人間に影響を与えてはいけないということと、天界の人間に地上の人間の情報を与えないこと。1つ目はもちろんのこと、2つ目は地上に戻りたいという意識が芽生えて、万が一天界の警備をくくり抜けて地上に逃げた時に近しい親族にあってしまい、天界のことを知られた場合、その一族などその周辺地域の人間を一掃しなければ行けなくなるからだ。幸助くんの場合、もうすでに生命力は消えかけ、もうすでに存在を保つのがギリギリで展開から抜け出すことは不可能だ。それでも禁忌に触れることには変わらないがここは閉鎖された世界、しおりが言わない限り、どこにも漏れない。


「いいか?お前の自殺でお前の周りの人間の人生は大きく傾くことになった。まずは、お前の両親だ。お前の自殺以降、母親は無気力になり、体重は落ち、免疫が弱くなり病気がちになった。父親との衝突が増え、離婚。お前がいた頃の家族はバラバラ。お前を虐めていた奴も裁判の後、殺人者と言われ家族全員で心中。担任の先生は責任を取って辞職して職を失っている。まだ新婚で子供が生まれたばかりだった。」


幸助くんの顔に覇気がなくなっていく。


「お前は確かに生きていれば被害者かも知れない。でも自殺した時点でお前は多くの人間の人生に悪い影響を与えてる。これが自殺がこの天界で罪になる理由だ。」


自分は幸助くんの手を離した。そろそろ時間だ。


だんだん当たりはどんどん殺風景になっていく。幸助くんの部屋の窓からはきれいな夜の街並みが見えていたが、各家家の存在が確認できなくなっていた。おそらくもうこの世界に残っているのはこの部屋だけだろう。もって後、2分くらいだ。


「もう時間だ。君の存在は消えて、君の力で作られたこの世界も消える。顔を上げて周りを見てみろ。」


自分の言葉に反応して顔をあげる幸助くん。その時ちょうど、部屋にある本棚がチリになって消えていった。


「最後に聞きたいことでもあるか?」


最後の自分の呼びかけ。幸助くんの反応は薄い。


「本当の夏帆は僕のことどう思ってたんですか?」


「君が作った世界は君の中の想いを中心に作られてる。でも、それだとあまりリアリティがないから人の気持ちとかは地上にいる人間の感情を反映したものになってる。夏帆ちゃんは君のこと好きだったと思うよ。」


幸助くんは最後の自分の言葉に涙を流していた。


「そうなんだ。ならよか・・・。」


言葉の途中で幸助くんの生命力が切れた。もともとあった世界は虚無感の強い何もない空間になっていた。


自分は幸助くんのことを握っていた掌を見つめた。


「本当に何も残らないのですね。」


「そうだな。」


会話は少ない。会話をするような雰囲気ではない。何度も経験してきたこととはいえ、何の感情もないわけではない。この虚無感にはいくら経験してもなれる気がしない。何もない。何も感じない。存在が消えるということがどれだけ怖いことか。ここに来るたびに実感させられる。振り返るとしおりの顔は悲しさで溢れていた。


「大丈夫か?こんなことが毎日続く。嫌ならやめてもいい。上に俺から言っておく。」


この光景が耐えられないものだということを知っているからこそ、自分もあえて簡単にやめられることができるようにしている。逃げ道を作っておかないと、悲惨なことになることを俺は知っている。自分はもう腹を括っているから大丈夫だ。自分がやらないといけない使命感でなんとかここまで繋いできた。


虚無の中に2つだけひかるものがあった。自分はそれを拾い上げる。


「なんですかそれ?」


「幸助くんが生きていたという最後の証だよ。」


しおりに見せる。


「これまで消えてしまうと俺たちも幸助くんのことを忘れてしまうからね。そろそろ、帰ろうか。」


自分たちは幸助くんの世界があった場所からもとの世界に戻った。証だけを手に持ち、完全に消えた存在を思いながら。



元の見慣れた風景に戻る。虚無の空間とはかけ離れた、物が溢れた部屋。この風景をみると、すこしだけ落ち着く。自分が一つため息をつく。安堵から来るものか、もしくは他の何かの影響で自分の頬には伝うものがあった。しおりに気づかれまいと急いで袖を目に当てる。


「それどうするんですか?」


タイミング悪く、しおりはこっちを見ていた。隠す必要がなくなったので袖で乱暴に吹いていたが、人差し指で目尻を拭く。


「保管するんだよ。ついてきてくれるかい?」


裁判所から出て、隣に併設されている建物に入る。そこには自分がこの担当についてから関わってきた人が存在していた証があった。大きなものから小さなもの、名前が彫られたものや写真でいっぱいだった。溢れ開けるものの中に幸助くんの証を大切に自分は保管する。


「これだけの人を1人で裁いてきたんですよね?」


「そういうことになるな。」


ここに来ると考えさせられることがある。これでよかったのかなって。これだけ多くの人間の存在を自分は消してきた。例え罪人とはいえ、罪悪感が消えることはない。

「私、決めました。これからもここでお世話になります。」


突然の発言に証を見ているしおりの背中を見た。


「いいのか?これから毎日のように人間がこの世界から消えていく様子を見ることになるんだぞ。」


「あんな顔見せられたら今さらやめるなんて言い出せませんよ。そんなことをもう何百年1人でやってきたと思うとゾッとします。だから、すこしでも力になれればと思って。」


「そうか。わかった。これからもよろしくな。」


しおりに近づき、手を出す。しおりは自分の手を握った。


「これからよろしくお願いします。えっと・・・。」


「伯斗だ。」


「はい。伯斗さん。」


自分は初めて部下を得ることができた。消えていく存在を認知してもらえる人ができて嬉しかった。その時、少しだけ幸助くんが残した証、指輪とネックレスが反応した気がした。


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