私の時間

 爽やかな風が教室に吹きこんできた。先生が黒板に写していく文字を、私はノートに写していく。



 私はこの授業という時間が好きだ。この静寂も好き。



 そして一番は目の前に座っている彼を、ボーッと眺めていても、大丈夫なこの時間が私は好き。



 私は自分で言うのもなんだが、頭が良く、そして容姿も良いと思う。



 そんな私を男子たちはチラチラと見てくることが多い。そんなに人と話すことのない私は、いつもチラチラと見られることばかりで、好きじゃない。



 でも目の前に座る彼だけは違う。退屈そうな後ろ姿。私になんて全く興味もなさそうな、その姿が私はとても愛おしかった



 黒板の字をノートに写していると、シャーペンの芯がなくなった。



 あまり人と接してこなかった私は、周りの誰かに芯をもらえるような関係の人はいない。



 私は前の席に座っている、その後ろ姿を見つめる。



「ううっ!」



 目の前の彼が突然大声をあげた。



 そしてチラチラと私の方を向き、芯をくれた。とても無愛想にだ。



 この反応……やっぱり覚えてないのかな……。



 でも私は嬉しかった。その嬉しさを表情に出すのを堪えながら、ただ一言だけ言った。



「あ、ありがとう……」



 そして何も言わず再び彼は前を向きなおす。



 ーーその瞬間、彼の匂いが一瞬だけ香った



 懐かしい匂い。もうあんなに前の話だし、きっと小さかったから覚えてないのだろう。



 きっと……、あの約束も覚えていないんだろうな。



 そしてその後の授業も、私はその大きいとは言えない彼の背中を眺めながら、授業を受けた。



 私はこんな風だが頭はいい。ちゃんと予習や復習を欠かさないし、宿題だって忘れたことはない。



 だから、授業中のこれくらいの息抜きは、自分の中ではセーフと言う風に解釈しているのだ。



 そして昼休み、私は係なので先生から資料の、プリントを運んでくれと頼まれた。



 よくこのように頼まれごとをされたりはするし、それは別に嫌でもない。



 どうせ昼休みは一人で弁当を食べるだけなのだ。



 プリントを運び、廊下を歩いてる時に開いていた窓から、強い風が咄嗟に吹き込んできた。



「キャッ……」



 強い風に持っていたプリントの山が、廊下に散乱してしまった。



 うわあ……最悪……。



 私は思わず溜息をつき、丁寧に一枚一枚拾っていく。



 ふと拾っていたプリントの中に、宗方くんのを見つける。なんだか、少しだけ微笑ましい。



 その時、前から足音が聞こえてくる。



 誰か来た。こんなところ見られるの嫌だなあ……宗像くんなら嬉しいけど……なんて。



「大丈夫?僕も拾うよ?」



 それは宗方くんの声だった。



「ありがとう……。た、……宗方くん」



 危なかった……。別に隠すことじゃないけれど彼が覚えてないから、私だけっていうのはなんか嫌。



そんな私を見て、宗方くんは不思議そうな顔をしていた。それでも彼は、全てのプリントを拾ってくれた。



「本当にありがとう。」



「ううん。大丈夫だよ。」



 それだけ言ってそそくさと宗方くんは、その場を去って行った。



 その去っていく彼の後ろ姿を私はぼーっと眺めていた。



 なんだか私の方だけ、意識してるようで馬鹿みたいかな?



 高校二年生になり、宗方くんが前の席になってからというもの、わざわざ甘い匂いの香水までつけている私。



 あぁーーー。こんなに乙女っぽかったのかあ! 私は!



 両頬が少しだけ熱くなったのがわかる。今の私は、あまり人に見せられたもんじゃないだろうな。



 彼とは小学校に上がる前に離れ離れになり、そして高校でまた会えた。のだが、彼は全く私のことを覚えていない。



 私はずっと忘れずに大切にしてたのになあ……。



 そして放課後を迎え、部活にも入ってない私はそのまますぐに家路につく。



何か小腹が空いたから、帰り道にあるコンビ二エンスストアに寄り、何かを買おうとデザート売り場を物色していると、何やらレジの方が騒がしかった。



 何だろう? 何かトラブルかな?



 チラッとレジの方を覗くと、黒い覆面を被った男の人が、店員さんにナイフを突きつけていた。



 な、何……!? どういう事……強盗……?



 人生で初めて自分の命が、危険にさらされる感覚に陥った。



 本当に死んでしまうのではないかという恐怖、まだこれでも今起こっていることが現実と信じられない。



 お店から逃げるにも、両膝がガクガクと震えその場から動けない。



 私は力が抜けるように、その場にスーッと座り込んでしまった。



 お店の中には、私以外にはお客さんはいないようで、レジでは店員さんが必死にお金をバックに詰めていた。



 怖い。怖い。誰か助けて……。



 なぜかこの時に宗方くんが脳裏に浮かんだ。



その時、パトカーのサイレンがいくつも聞こえてきた。犯人がその音に気を取られたうちに、店員は慌てて店の外に飛び出して行った。



 あっ、ずるい……。



 ピンチにも関わらず何故か、こんな楽観的な考えがすぐにでてきた。



 店員と入れかわるように、沢山のお巡りさんがコンビニの中になだれ込んできた。



 やっと助かる!!



 店に入ってくるお巡りさん達がやけに頼もしく見えて、日本も捨てたもんじゃない! なんて、もう助かった気分でいた。



 しかし、追い詰められた犯人が最後の抵抗をするように私の隠れていた方に逃げてしまった。



 ーーその男と私は目が合う。



 嘘……でしょ……?



男の右手にはキラリと光る刃物が見える。男はニヤリと笑い、すぐに私の方へ迫ってきた



 その時の男の表情たるや、腹ペコで絶体絶命の肉食獣が、ガクガクと震えるウサギを見つけたかのように、キラキラとしているように見えた。



 ーーガッ!



男は私を抱え込み、刃物を突き付けながら警察を牽制した。一人残らず店内から追い出し、そのまま店内に籠城し始めた。



 あまりの怖さに涙が止まらなかった。



「うっ……う。ヒック……」



「泣くんじゃねえ!! 黙ってろ!! くっ……さっさと金を奪って逃げるはずだったのに……」



 必死に泣くのを堪える。まだ、死にたくない。



 誰でもいいから助けて……。



 私の心臓の音と、犯人の荒い吐息だけが、この空間を支配していたのだが、その心地の悪く、べっとりと肌につくような空気を切り裂くように、突然大声が鳴り響いた



「うわああああああ!」



 えっ!? 宗方くん……!?



 それは一瞬だった。突然の大きな音に驚いた男の、右の手首をめがけて、宗方くんは黒い棒を力一杯振り下ろした。



 ガン!!



 痛そうな鈍い音が響き渡る。そして犯人が持っていた刃物が飛んでいく。



 男は痛がりながらも、すぐに逆の手で宗方くんの顔面を強打する。



 宗方くんはそのまま吹き飛ばされるが、その間に沢山のお巡りさんが店内になだれ込み、瞬く間に犯人を押さえ込んだ。



 あまりに一瞬の出来事で、私は暫く口を開けて、ぽかーんとしていることしかできなかった。



 その後、宗方くんと二人して警察署で話を聞かれ、そして解放された。



「痛てて……」



 宗方くんは痛そうに頬を抑えている。お巡りさんに病院に連れていくと言われていたけど、彼はそれを断っていた



「大丈夫……?宗方くん?」



 彼は頬を撫でながら軽く頷いた。



「ありがとう。本当にありがとうね宗方くん……」



「いや、大丈夫だよ。通ったものたまたまだし」



 彼は命を張って私を助けてくれた。やっぱり私は彼のことが好きだ。



 今日1日はやたらと彼と、接することが多かった気がする。これまでは全く話さなかったのに……。



「でも宗方くん、今日何度も私を助けてくれたよ? ありがと。」



私がそう言ったら、彼は少しの間を置き、頬を赤らめながら下を向いてしまった。



 どうしたのかな? 私なんか変なこと言った?



 この後、なぜか少しばかりぎこちない宗方くんと、途中まで一緒に帰った。



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