蒼の章第4節:夢魘
オネがスライムに完全敗北した日から数週間が過ぎたある日の朝、いつもは早起き最下位争いをしているイアが珍しく一番早くに起きる。
しかも今回はいつものようなふわふわとした寝起きではなく、初めからしっかり目が覚めていてどこか別人のような眼差しをしている。
部屋の掛け時計はまだ朝の四時を少しすぎたくらい、そろそろ太陽が出始めるだろうというこの時間では空はやはりまだ薄暗い。
「LIFE LOVE PEACE」
窓から外を眺め、手を胸の前で正面から見て『♮』を斜め四十五度傾けた形になるように構えると故郷のうたい文句を呟く。
するとイアの体が七色の光をの粒子を帯び、その光の粒が集まるとクリスタルのような結晶へと姿を変える、それが砕けると中からクリスタルのように透き通った青白い蝶が一羽飛び立つ。蝶は次々と生まれ部屋中を埋め尽くしていく。
「ARIA THE WORLD――、」
「イア」
「ッ!?」
背後から名前を呼ばれ一瞬動揺するも直ぐに一呼吸を置いてゆっくりと振り返る。
起きていたのか起こしてしまったのか、そこには右人差し指をゆるく前に伸ばしイアの創り出して蝶を止まらせているイオが立っていた。
二言目は発さず、ただただいつも通り、何を考えているのか分からない無表情でこちらを見つめてくる。
「………なんで止めるの?」
「………」
「………………」
「………………」
イアの質問にイオは指先に止まった蝶に視線を落としただけで沈黙を続ける。
しかし伝えたいことは大体わかった。理由までは分からないがどうやら今からイアのする行いを止める気らしい。
なんで止めるのか今のイアには分からなかった。いつもは全肯定してくれるイオだがこの時に限っては必ず反対してくる。
「何故だ?イアも君もこれを望んでいるだのろう?」
「そうだな、でも決めるのはお前じゃない、イアだ!」
「……また、後悔することになるぞ?」
「後悔しないために今ここで止めてるんだろ」
こちらの警告に全く耳をかそうとしないイオに痺れを切らし目を瞑ると深いため息を吐いて能力を解除する。
イアを覆っている光は徐々に弱まって消え、クリスタルの蝶は次々と
砕け散り光の粒子となって消えていく。
「おはようイア、今日はやたら早起きだな」
「う〜ん……まにゃねみゅい……ふにゅあ~~~」
丸でさっきまでの事が無かったかのようにイオが改めて挨拶をすると、イアもさっきまでとはまるで別人の様に重い瞼をこすりながら大きな欠伸をして答える。
「今なら二度寝が間に合うぞ」
「おやすみ~」
「おう、おやすみ」
「なに言ってるの?イオも一緒に寝るんだよ?」
「はいはい、いつもの時間に起こすかr――、」
完全スルーでバックパックから暇つぶし用の本を取り出したイオをイアが強制的にベッドへ引きずり込みそのまま抱き枕にする。
――そういえばこっちの世界に来てから一緒に寝るのはこれが初めてかも……
地球にいたころはしょっちゅうイオのベッドに潜り込んで寝ていたイアだが、ロクに先を越されたり、疲労で体が動かなかったりとなんだかんだでチャンスを逃し続けていた。
イオと一緒に寝るときの安心感と温もりに懐かしさを感じながら一分もしないうちに再び深い眠りへと落ちていく。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
気が付くとイアは水面の上に立っていた。
あたり一面地平線の奥まで広がるエメラルドグリーンの水面は波ひとつなく、澄み渡った蒼い空の世界を綺麗に反射する。
足元の海底には異常極まりない、非ユークリッド幾何学的な外形を持つ多くの建造物で構成された超巨大な都市が沈んでおり、魚などの生命の反応は確認できない。
――ここ……どこだっけ?
湖?海?……なんとなく見覚えがあるような……無いような……気がしないことも……無いような……そんな感じの風景………?。
そんな風景に疑問を抱いていたも関わらず、イアはここが何所かを思い出そうとはせず、なぜか思考を停止して水面をまっすぐに歩きだす。風が全く吹かず波の起きないこの水面では歩くたびに足元から生まれる波紋が小さな波となって広がりすぐに消える。
――――懐カシイ顔ガ来タモノダ……
何も考えずただただ本能的に水面を彷徨っていると突如頭の中に声が響き思わず歩みを止める。
生命が発しているとは思えないほど低く不気味な声、しかし不思議と恐怖はない。それどころか懐かしさを感じる。
――誰?
――――……ソウカ、我ガ名ハ『クトゥルフ』……『
――くとぅる……クトゥルフ!?
自身をクトゥルフと名乗る声、確かにクトゥルフはテレパシーで夢の中などに現れると言われているが……仮にこの声が本物だとすればこの異世界にはクトゥルフが実在するということになる。
――――折角ノ再開ダ……トハ言エ……汝ハ覚エテイナイダロウガ……
この時点でイアは少し混乱していた。
この自称クトゥルフはまるで、昔どこかで会っているとでも言いたげな意味深な発言をしているが、クトゥルフに会ったことなんてTRPGの中でしかない。
それにここまで個性的な声なら流石に覚えていられる自信がある。
ならやはりこの声の言う通り、ただ自分が忘れてしまっているということなのだろうか?イアはこの自称クトゥルフの言っていることをちょっとだけ信用してみることにした。
――どこかでお会いしましたか?
――――その昔……我ト汝ハ幾度トナク顔ヲ合ワセテイル……
――へぇ~そうなんだぁ~……そうなの!?
――――真偽ハ全テ汝ノ思ウガママ……
――……本物なの?
――――ソレモ汝ノ思イ次第……
――イアの思い次第……信仰……みたいなものかな?
煮え切らない自称クトゥルフの言葉に余計混乱するイア。
――じゃあここは……ルルイエ?
――――ココハ汝ガ想像シ……汝ガ望ム理想ノルルイエ……ソレガコノ世界……
つまりここは本物のルルイエではなくあくまで想像上の世界という事らしい。
クトゥルフにそんな能力ってあったけと思いつつも想像という言葉に違和感を感じる。
――イアが想像したルルイエ……そっか、ここは夢の世界!そうでしょ!
――――半分正解……ココハタダノ夢ノ世界デハナイ……『
――はへ~~~……
割と好きなクトゥルフの話だったのでいつもより粘っていたイアだったがとうとう処理の限界が来てしまい思考が停止する。
――――マルデ別人ダナ……理解出来ヌナラ実際ニ見セテヤロウ
自称クトゥルフの言葉と同時に突如水面が揺れ、波ひとつ無い穏やかなエメラルドグリーンの世界が瞬く間に濁りはてた荒波の世界へと変貌する。
突如発生した雷雨と共に辺り一帯が渦潮と津波に覆われハリケーンレベルの強風まで吹き出す。
しかし夢の世界ということもあり、風で吹き飛ばされたり、波に呑まれたりはしない。そしてもちろん水や風の冷たさも感じないし、肌に触れる感触すらも感じない。
目の前で起こる天変地異に唖然としていると、水面が割れ水中から巨大なナニカが姿を現す。
ぬるぬるした鱗かゴム状の瘤に覆われた数百メートルもある山のように大きな緑色の身体。背に生えたドラゴンのようなコウモリに似た細い翼を大きく羽ばたかせ、海上に発生する竜巻『ウォータースパウト』をいくつも作り出している。
タコやイカのような頭足類に似た頭には六つの眼がついており、顎には髭のように生やした無数の触腕がうねうねと吐き気を誘うように気持ち悪く動いている。水かきを備えた手足には山を一撃で引き裂くことが出来そうなほど巨大で鋭い鉤爪を持っており、人間と同じ二足歩行の姿で立っている。
――――ナルホド……今ノ汝ニ我ハコウ見エテオルノカ……
――……クトゥルフ
その見た目はイアがいつも想像しているクトゥルフの姿そのもの、恐怖を絵にかいたような異形の姿だった。
――――コレガ汝ノ想像ガ生ミ出シタ我クトゥルフノ仮ノ姿……今ノ汝ガ想像スル我デハコノ程度ノチカラシカ得ラレヌガ……
丁寧に説明してくれるクトゥルフだが肝心のイアはまだ思考停止したまま、当然話を聞いているわけもなくただただポカーンとアホ顔をさらしている。
――――トハイエ……ソノ身体ニナッテナオ……我ガ
――――腐ッテモ、星ノ管理者ト言ウコトカ……マタ我ノ邪魔ヲスル前ニ倒シテオクベキカ……
自称クトゥルフの『星の管理者』という言葉に反応する様にイアがハッと我に返る。
我に返ったイアが目撃した光景はこちらに向かって伸びてくる巨大な触腕とそれが帯びる押しつぶされそうな殺気、オーボエのようなくぐもった声にも異形の姿にも一切恐怖を抱かなかったイアが思わず数歩後ずさりする。
――――ドウシタ……何ヲ怯エテイル……
――!?
クトゥルフが伸ばしてきた手が目の前に着た瞬間イアは反射的に背を向け一目散に逃げ出す。
夢だと分かっているはずなのに、現実じゃないと認識しているはずなのに、体が勝手に動いて止まろうとしない。あてもなく、どこまでも続く感覚のない荒れ狂う波の上を必死になって走る。
しかし走り始めてすぐに異変に気付く、体がすごく重い。全力で走っているはずなのに全くスピードが出ない……というよりかは、いつも現実で走っている時と同じイメージして動かしているはずなのに体が全くついてこないといったほうが正しい気がする。
――!?
数歩走ったところで辺り一面に真っ黒な影が落ちる。
まさかと思い走りながらチラッと後ろを振り返るとクトゥルフの山のように巨大な体がすぐ後ろにまで迫っており、伸ばした腕に関してはすぐ真後ろにまで迫っていた。四肢を動かす速さは夢の中にいるイアと同じくらい遅いが、一歩で進む距離の差があまりに大きいので一瞬で距離を詰められる。
――イヤだ、追い付かれたくない
夢なのになぜそう思っているのかも考えず、思い通りにならない四肢を無我夢中で動かす。
しかし当然速さで敵うはずもなくとうとう追いつかれ、ぬるぬると糸を引いた粘液にまみれた触手が全身に絡まりイアはそのまま上空へ持ち上げられる。
しかしよくよく考えればここは夢の世界、どんなに気持ち悪い触手でも感触を感じるということは――、
――ひゃいっ
視覚以外のすべての感覚が途切れていたはずのこの世界でソレだけは例外として存在していた。
肌を滑るように絡みついてくる触手は今まで感じたことのない、内側がむず痒くなるような気分にさせてくれる――、ということは一切なく、感じるのは全身を駆け巡るホラー映画などとは比べ物にない、背筋どころか全身、その周りの空気までもが凍り付くほどの寒気と万物を腐らせ混ぜ合わせた特殊兵器
荒波や暴風からは変わらず何も感じないのにこのクトゥルフだけは現実同様感覚に刺激を与えてくる。
身体が勝手に逃げ出したのもこれなら十分に納得でき――、
――痛いっ!?
先ほどまで全身を舐め回すようにうねっていた触手の締まりが一気にきつくなる。しかもただ締め付けるのではなく首四肢を引きちぎろうと捻じりながら強引に引っ張ってくる。
そしてやはりこのクトゥルフ相手には痛覚までもが働くようで首から足のつま先に至るまで全身の痛みが一気に脳へと押し寄せる。
本当ならとっくに失神している状態だが、夢の中だからなのか全く意識が遠のく気配がない。
しかもクトゥルフは全身を引きちぎるだけでは面白くないのか、そのあまりの苦しさから言葉にならない叫び声をあげるように開けているイアの口に容赦なく余った触手を侵入させてくる。それだけではない、耳・鼻・下半身。全身から体内へ送り込んでは内側から突き破ろうとする。
――――カツテ星ノ管理者ト言ワレタ者ガ今デハコノ程度……時ノ流レトハ残酷ナモノダ……
――っぅ……助けて……イオ!!!
硬く目をつぶり全身の痛みに耐えながら届くはずのない願いを強く抱く。
すると右手にとても暖かいぬくもりを感じる、と同時に体の耐久が限界に到達しイア身体は…………
「イオ!!!!!」
自分の身体が惨たらしく閲覧注意になる直前でハッと目が覚め勢いよく上体を起こす。
いつもの部屋、いつものベッド、暖かい朝日、どうやらトラウマ直前で現実に戻ってこれたらしい。
「おっ、おはようイア」
「………………」
息切れを起こしているイアのすぐ隣から声が聞こえ、そっちにゆっくり振り向くといつもそばにいてくれてイアが最も安心できる存在がいつもと変わらない優しい笑みを浮かべベッドに腰掛け、イアの左手を右手で恋人繋ぎで握っていた。
「一応言っとくが、イアが握ってきたんだからな」
「………………」
恥じらう様子はなく淡々と喋りながらさらに強く手を握ってくるイオをじっと見つめていると心の奥から言葉にできない何かがものすごい勢いでこみ上げてきて目頭が熱くなってくる。
「どうした?」
「……ィォ」
「なに?」
「………イオオオオオオオオオオオオォォォォォォ!!!!!」
こみ上げてきた何かは抑える暇もなく速攻ノンストップで爆発し、イアは泣きながらイオに抱き着くと勢いそのままにイオを床へと押し倒す。
「どうしたイア?」
普通ならここで慌てふためいたりラッキースケベになったりするパターンなのだが、イオの場合抱き着かれることは想定内なのか慌てる様子は全くなく逆にそっと頭を撫でてくる。
「イオオオオオォォォッ!!!イオイオイオオオオオォォォッ!!!!!」
夢の中では無我夢中で走っていたイアだが、現実では無我夢中でイオを抱きしめ泣きじゃくる。
もちろん感情に飲まれているイアが力加減なんてできるはずもなく、無意識にどんどん抱きしめる力を強くしていく。
「イア!?流石に苦しイタタタタ絞まってる絞まってる、ピンポイントで絞まってるっ」
――十分後
「落ち着いたか?」
「……う”ん”」
ようやく正気に戻ったイアと解放されたイオ、特に意味があるわけではないが二人向き合って床に正座する。
「それで、なんか嫌な夢でも見たか?」
「うん……」
「どんな夢だったんだ?」
「えっとね……えとね………待って待ってね、今ここまで出かかってるから」
舌先現象を主張するイアは首ではなくおへその下のあたりで手を水平に構える。
「それは出かかってるとは言わなんだよな…」
「…………イオ~どんな夢だったけ?」
「俺が知るわけ無いだろ」
「う~~~ん……思い出せない」
「逆になに覚えてる?」
「えっとね、すごく怖かった」
「それと」
「……ものすごく怖かった」
「他は?」
「………………超怖かった」
「怖い以外で」
「…………………………気持ち悪い」
「おけ、分かったもういい」
「なんで思い出せないんだろう」
起きた瞬間までは絶対に覚えていたはずなのに気が付けば恐怖だけを残し夢の記憶が綺麗サッパリ無くなっていた。必死に記憶を辿ってもたどり着くのはモザイクの世界だけでどんな場所だったか何に怯えていたのかすらも思い出せない。
「…………」
「……イオどうしたの?」
なんとしてでも夢での出来事を思いだすために勉強している時の数十倍頭を悩ませているとイオがこちらを半目でじぃ~っと見つめてくる。
「……いやっ何でもない、オネ起こして飯行くか」
「うん」
「ご飯!!!」
イオの『飯』という単語に反応したのか、さっきの騒がしい状況でも爆睡し続けていたオネがものすごい勢いでガバッと上体を起こすと、テキパキと無駄のない動きで瞬く間に寝ぐせ以外の身支度を済ませる。
「えっうそ、オネちゃん早い」
ほとんど同じタイミングで着替え始めてこっちはまだ寝間着を脱いだ段階なのに……と思いながらイアは少しの間フリーズする。
「イアお姉ちゃんおそ~~い」
「イア遅~~い」
謎に勝ち誇ったドヤ顔で煽ってくるオネにイオが便乗しウザさが倍増する。
「はやく~はやく~」っと急かしながらイオの膝に座っていつもより酷い寝ぐせを整えてもらってるオネを無視し、マイペース(わざと少し遅め)に着替えを済ませる。
それにしてもご飯の事で早く早くと急かしてくるオネを見ていると本物の犬を見ている気分になる。よっぽどこっちの世界の食事が気に入ったんだな~と思うイア。
着替え終わると同時にオネの寝ぐせも整う。
いつものサイドに跳ねたピコピコ癖っ毛が無いので今日はピコピコヘアーじゃないのかなと思っているとぴょこんっとサイドが復活してピコピコ動く。
「準備できた?早く行こ~~~!!!」
イアが着替え終わったことを確認すると即座に立ち上がりはしゃぎながら部屋を出ていく。
「朝から元気だね~」
「落ち込んでないなら何よりだ。さて、俺たちも行くか」
そう言って立ち上がろうとするイオの膝にサッと無言で腰掛る。
すると流石はイオ、驚いたり困惑したりすることはなく即座に察してブラッシングを始める。
少しくすぐったいがやっぱりイオのブラッシングは気持ちがいい。気持ち良すぎてだんだん眠くなってーー、
「はい、終わり」
「えっ?」
「どうした?」
「なんか今日早くない?」
あと少しで寝落ちできそうという所でブラッシングが終わる。いつもならもっと時間がかかるはすなのだが、今回はいつもの半分……いや、三分の一もかかっていない。
イオが適当にやるとは思えないし、今日はそんなに寝ぐせ酷くなかったのだろうか?と思い物足りなさそうな顔をする。
「今日は珍しくそこまで酷くなかったからな、珍しく」
「なんで二回言ったの?」
「大事なことだから」
「大事?」
「大事。ほら、飯行くぞ」
「………………」
ブラシをテーブルの上に置いてある筒状のケースに投げ入れ、完全にブラッシング終了モードでイアが退いてくれるのを待っているイオにイアは少し不満そうに膨れた顔をする。
「……なに」
「物足りない」
「知らんがな」
膝の上から退けようと脇の下に回してきたイオの手を上から必死に抑え全力で抵抗する。
とはいえ単純な力比べでイオに勝てるはずもなく、あっけなく持ち上げられる。
一応足をバタつかせて更なる抵抗を見せるも全く効果は見られない。やはりイオ相手には説得でしか勝ち筋が見いだせないようで、論破されないことを祈りながら勝負を仕掛ける。
「あと十分、いや二じゅ……三十分でいいから」
「はいはい十分な」
「 三 十 分 !!!」
「流石に追加三十分は長すぎると思うんだが?」
「だって十分じゃ寝れないでしょ」
「そうさせないための十分なんだが…」
ブラッシングの気持ちよさの中で寝たいと主張するイアにこれから飯食いに行くのに寝たらダメだろと呆れるイオ。
「あと、オネちゃんの方が長いのがなんとなく納得できない」
「オッケーそっちが本心だな」
「あっ……」
勢いでつい本音が出てしまい、既に手遅れだと思いつつもそっと両手で口を塞ぐ。
チラッとイオの方に振り向くとイオはいつものような小馬鹿にした苦笑をしたり、呆れたジト目でこちらを見てくることもなく、持ち上げたイアをそっと自分の横に降ろす。
そしてバックパックからスタンドミラーを取り出して設置すると、テーブルに置いてある半透明のケースからヘアゴムとヘアピンをいくつか取り出す。
準備が整うとイアの背後に腰を下ろして髪を結い始め、ものの数分でヘアアレンジを完成させる。
「本日のヘアアレンジはクロスポニーテールからの三つ編みワンテールにしてみました」
早速スタンドミラーの前で出来栄えを確認する。
「おぉ〜〜〜」
超ロングな髪は元々のふんわりとした感じを残しつつも可愛くオシャレにまとめ上げられていてとてもいい感じに仕上がっている。
「あっそうだ」
イオのヘアアレンジに十分満足したところでふとやってみたいコーデを思い付き、先日服やで品定めした時に見つけたワンピースに着替える。
イアがくるっと一回転して体を回すと、イアの着ていた服が一瞬でワンピースへと変化し着替えが完了する。その早さは早着替えとかそういうレベルではなくもはや魔法に近い。
ちなみに着替えの際、体を回転させる意味は本来ないのだが、イア曰く「その方がなんか早着替えっぽくない?」との事。
「どう?イオ」
「うん、似合ってる」
「えへへ~……でもあれだね」
「そうだな」
「「朝ご飯(朝飯)食べに行く格好じゃないね(な)」」
思った通りこういう髪型はワンピースにとっても合うが、おそらくオネの事だから朝食はいつもの酒場のはず。
さすがにこの格好は重装備の冒険者たちが集まる酒場に行くようなファッションではないなと同じことを思うイオイア。
一応酒場以外にもカフェやファミレスなど食事をとるところはいろいろあるのだが、オネはあの酒場がとても気に入っているようで基本他のところには行こうとしない。
別にそのあたりの事は気にしてないし、イオもイアがそれでいいならと反対する様子もないので小腹が空いたとき以外は基本あの酒場で食事するのが当たり前になっていた。
とりあえず元の格好に着替え直しイオと部屋を出る。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「や~~~っと来たっ。いつまで待たせるんですかね」
今日は何を食べるか話しながら三十分ほど遅れて宿の外に出ると、目の前には腕を組みながら仁王立ちしたオネの姿が、冷たく鋭い視線を送ってくる。
機嫌を伺うどころか顔を見るまでもなく怒っていると分かる。しかも完全に待たせたこちらが悪いので弁解の余地もない。
「朝ごはん食べに行くだけなのに準備に時間かかり過ぎじゃないですかね〜 」
「えっと……これは……」
見たところ謝って済みそうな感じではないし、遅れた理由を話しても逆効果になる気しかしない。
ここはイオにうまい具合に丸め込んでもらうしかなさそうなので、クイックイッっとイオの袖を引っ張ってこちらに視線を向けさせアイコンタクトで助けを求める。
アイコンタクトを受け取ったイオはしょうがないなと細く微笑むと、ポンッと右手をイアの頭の上に置いてオネの方に視線を戻す。
「悪いオネ、イアのわがままに付き合ってたら遅れた」
「イオ!?」
「ふ~ん……やっぱり……」
これはマズい、オネの不機嫌メーターがどんどん上がっていくのを感じる。
それにしてもイオが助けてくれないのは予想外、さっきの顔とこのポン置きの手は何だったの?あれですか、自分で何とかしろということですか?無理です…無理です!
今のオネの怒りを鎮められる語彙力はイアにはありません詰みです、ゲームオーバーです。
そう内心焦りまくっているとオネが組んだ腕をほどき右手を高々と上げる。
――あぁ……終わった……
オネの腕が振り下ろされるとイアはギュっと目を瞑り体を縮こませながら覚悟を決める。
――???
……なにも起きない?オネの食べ物に対する情熱は正直異常なので、てっきり一発貰うことくらいは覚悟していたが、待てど待てど一向に何も起きる気配がない。
恐る恐る目を開けるとオネは振り上げた右手をこちらに向かって指さしていた。
相変わらず顔は怖いが物理的ダメージを与えてくる様子は無さそう。
「えっ……と……オネちゃん?……」
「イアお姉ちゃんだけヘアアレンジしてもらってズルい!!!」
「えっ?」
「ズルい!卑怯だ!!贔屓だ!!!」
予想の斜め上を行くオネの言い分に思わず困惑するイア。
オネちゃんってそういうことでここまで怒るタイプだったけ?それとも見た目ほど怒ってない?など色々考えながら、イアはとりあえず機嫌が悪いわけ訳を聞いてみる。
「…………オネちゃん?待たせたから怒ってたんじゃ?」
「もちろんそれも原因だけど……一割くらい。残りはそれ!その髪!」
「髪?……ヘアアレンジしただけだけど?」
「だからだよ!オネの時はダメって言われたのにイアお姉ちゃんだけズルい!!!」
そう言われてみれば確かに、先にブラッシングを受けていたオネの髪形はいつも通りでヘアアレンジは一切行われていない。
自分がしてもらえなかった事を、妹を待たせてまでやって来られたら確かにこうなるのも納得できる気がする。
地団駄を踏んでズルいズルいと連呼しながらイオの肩をバシバシ叩くオネ。
「あぁ……えっと……イオ?」
「まぁ飯食いに行くだけだしな」
元凶である当の本人はいつも通り平然としており、反省はしていない様子だった。
とはいえイオの事なのでおそらくオネの怒りを鎮める方法くらいは既に思いついてあるのだろう。端の方によって終わるのを黙って待つ。
「じゃあなんでイアお姉ちゃんはいいんですかね」
「まぁほら……イアからのおねだりだから……ねっ」
「イアの
「誤解を招く言い方はやめなさい、俺はただイア第一主義なだけだ」
「それをシスコンだって言ってるの!(くきゅるる〜)オニいないんだからオネにも優しくしてよ、ていうかしろ!約束したじゃん」
オニがいないことが影響しているのかこっに来てからオネが凄くイオに甘えるようになっている気がする。
お姉ちゃんとしては可愛い妹の姿が見れて嬉しいが、それと同時に何かもやっとした違和感を感じる。
このもやっとする現象はイオとオネがいつも以上に仲良くしている時に頻発するから恐らく原因は二人にあるのだと思うけど、流石に「仲良くするの禁止」とは言えないので、慣れるかオネが通常運転に戻るまで我慢しようと思うイア。
――お腹すいた……
「まぁ落ち着けって、そもそもイアのヘアアレンジをする事になったのはオネが原因なんだからな」
「はい?なにをどうしたらオネが元凶になるのさ(きゅるる〜)」
なんで待たされた側の自分に責任があるのか納得できないオネは再び腕を組み抗議する。その姿はどことなくワンを連想させる。
「どうもオネのブラッシングの方が長かったことに嫉妬したらしい」
「なにそれ?それとヘアアレンジがどう関係するの?」
「今日のイアそんなに寝ぐせ酷くなかったからブラッシング自体はすぐ終わったんだよ。で、オネの方が長かったことに嫉妬して不満そうだったから代わりにヘアアレンジしてあげたってこと。最初はやるつもりなかったんだけどな…」
「そんなくだらないことでオネはこんなに待たされたの(くきゅる〜)」
イオの懇切丁寧な説明に呆れてジト目になるオネ。
「くだらないとはなんだ、可愛いだろ」
「たしかに可愛いけど、そのせいでオネは餓死寸前なんだけど」
「そうだね~」
オネの怒りもまるで興味を示さず面倒臭そうに適当に流して小さい欠伸をするイオ。
イアとそれ以外に対する態度に差があり過ぎるのは今に始まったことではないが、やはりイアにばかり優遇が行くのは納得できないと不満たらたらなオネ。
「もう少し妹に優しくしてもいいんじゃないですか?」
「ねぇイオ、お腹空いた」
さっきから鳴っているオネの空腹音に早くご飯食べさせてあげたいと思ったイアの割り込みがオネの訴えと被る。
イオはどちらも発言もちゃんと聞き取れているが、どちらから先に答えるかとなればもちろん優先されるのはイアの方。オネの要望は一旦保留とし、まずは朝ご飯を食べてからそのあと考えようとイオは酒場へと歩き出す。
その後を追うようにイアが小走りで追いかけ、取り残されたオネも渋々後を付いて行く。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「そういえばオネちゃん、シスコンって何?」
少し遅めの朝食を済ませ酒場を出たところで何故かふと脳裏を横切った単語のその意味を聞いてみる。
もともと日本語を覚えるのが苦手なうえに、今までイオがそう言われている所は見たことも聞いたことも無かったので「シスコン」という単語そのものがイアにとっては初耳、もちろん調べたことすらない。
しかしオネが知っているということは日常的に使う言葉なのだろうか?ここが地球ならGoogle先生に聞いて即解決なのだが、残念ながら異世界なのでそういったことはできない。そもそも調べる機材が無い。
ゆえに有識者に聞くのが手っ取り早い。
イアがシスコンという単語を口にしたとたんイオとオネの歩みがピタリと止まりそれにつられてイアも首をかしげながら止まる。
イオは相変わらず無表情だが、オネちゃんは「気になるの~?」とでも言いたげなニヤニヤした顔をしている。
「そこまで言うなら教えてあげましょう。一言で言うならお兄ちゃんみたいな人の事」
――イオみたいな?……優しい人ってことかな?
イアにとってイオみたいなと言われて真っ先に思いつくのは「優しい」「頭いい」「スポーツ万能」「料理上手」など自分より優れている何かしらの長所だけであり、シスコン本来の意味には辿り着かない。
「オネ、イアに変なこと教えるな」
「えっ?シスコンって変な事なの?」
「違うよ、年頃の人にとっては常識だよ」
「イアは知らなくていい言葉だ」
強くは止めないが超めんどくさそうな顔をしているイオと、準備で待たされた仕返しなのかイオをさらに困らせてやろうとあえて意味深な発言を繰り返すオネ。
「どっち……?」
イオとオネ、互いが全く逆の事を言うせいで余計に混乱してしまうイア。しかしイオもオネも見た感じ嘘はついてはいない……ならどちらも正しいということなのだろうか?
意味はものすご~~~く気になるが、イオの反応を見る限りなんか踏み入ってはいけない領域な気がするイア。
好奇心か本能化、どちらを選択するか中々決められないイアはこういう迷ったり悩んだ時にいつもやっている決め方で手っ取り早く決めることにする。
「……よく分からないからじゃんけんで」
「よし来たオネ、じゃ~んけ~ん」
「えぇなんで~」
この展開を予期していたかのようにノリノリで掛け声を発するイオと、イアが好奇心を選ばなかったことにより急に焦り始めるオネ。
イアの判断で一気に流れが変わったことで形勢が逆転し、じゃんけんの結果はイオがチョキ、オネがパーでイオの勝ちとなった。
「じゃあ今回はイオの方で」
イア自身がどちらも正しいと判断した時に限り選択を他者に任せる『
一見ただ面倒臭がっているようにしか見えないが、イアがコレを大事な場面で使ったことは一度もない、あくまで日常の中でどちらにするかちょっと迷った時に使うだけ。
どちらにするか自分では決定付けられない時にあえて自分以外に選ばせる感覚に似ている。
今回もイオの勝ちということで、言う通り「シスコン」についてこれ以上は踏み込まない事にしたイア、再び宿へと歩みを再開させる。
もう昼も近い時刻なのになんとなくだが、今日は長い一日になる気がする三人だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
≪後書き≫
はじめましての方は初めまして、ご存じの方はおはARIA。IZです。
チートしかいないカオスな異世界でも平和に暮らしたい。通称「チカ異世」。
『蒼の章』第4節お待たせいたしました。
さてさて今回の後書きですが、本来は紹介したいアイテムがあったのですが、『紅の章』を見ていないと言う方向けにこちらでも宣伝しておきます。
唐突ですが今日から小説家になろうにて【チートしかいないカオスな異世界でも平和に暮らしたい。】のオリキャラver.【チートしかいないカオスな異世界でもチーレムしたい!!!】の連載がスタートしました。
まぁ本音としては、チカ異世がなろうの方で投稿できないので代わりにオリキャラルートの物語を書いちゃおうという何とも安易な考えです。
といっても主人公が変わっただけで世界観は全く同じなので相変わらず内容はカオスですが、多分こっちの方がなろう小説よりなので次話投稿までの暇つぶしとしてみていただけると嬉しいです。
この作品はあくまで二次創作ですのでこれを機に本家さんを好きになってくれる人がいたらうれしく思います。
それでは次回
【チートしかいないカオスな異世界でも平和に暮らしたい。】
蒼の章第5節:おにごっこ
紅の章第5節:ギルド結成
それぞれの後書きでお会いしましょう。
新曲
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