蒼紅の章第7節:神絵師に言語の壁はない

 昼の酒場はこれからクエストに行く人たちが腹ごしらえのため集まり、ほぼ満席の状態だった。

 多くのグループが十人以上の団体なのに対し、こちらは三人だけだったので思ったより早く席に通される。


「さてなににするか」


「う~~~ん……うん、読めない」


 覚えの速いイオはもうメニューもある程度読むことができるが、イアオネの二人はまだちんぷんかんぷんといった様子だ。

 幸いメニューは全て写真付きなので指差しでなんとか注文することくらいは出来る。

 メニューが決まると手を挙げてウェイトレスを呼ぶ。注文を取りに来た金髪エルフの美少女に寝起きのイアオネが注文したのはまさかのステーキ。昨日の夕食でもお代わりしていたメニューで相当気に入ったのだろう。

 その際エルフウェイトレスが何かを尋ねてくる。


「え? なんて? イオ~通訳」


「さぁ~俺にもさっぱり」


「「えっ???」」


 イオは確かにコテモルン語の文字と発音は覚えたがそれはあくまで文字単体での話、単語以上になるとさすがのイオでもお手上げ。

 一つ一つの文字そのものは読めてもその文字列が作り出す単語の意味まではまだ教わっていないので分からない。

 例えば「ス」「テ」「ー」「キ」のそれぞれの文字の書き方や読み方を知っていても「ステーキ」という単語の意味までは分からない。この酒場に限ってはご丁寧に写真が載っているからおおかた予想はできるがこれが文字だけだった場合何が出てくるのか想像するのは難しい。


 しかも日本語の五十音とコテモルン語の五十音は合計文字数や表にした時の並び方の特徴こそ似ているがただ単に置き換えればいいというわけではない。

 例えば今注文したステーキ。日本語ではステーキという文字列でステーキと発音するが、コテモルン語では五十音表で見た時の日本語の「ス」の位置に該当する文字は注文したメニュー名には一文字も使われていない。

 ステーキのような写真が載っている他のメニュー名にもすべて共通して書かれている単語なのでこの単語がおそらくステーキを指してしているのだろうがその単語はそもそも四文字ですらない。


 ゆえにただ単純に文字を置き換えるだけでは通用しないのだ。

 さらにイントネーションも今まで聞いたことがない独特なものでとにかく違和感が凄い。

 なのでエルフウェイトレスにはあえて日本語で「言葉が分からない」と言ってお互いの言語が分からないことを伝える。

 するとイオの意図を理解したのかしばらく考えたあと少々お待ちくださいのジェスチャーをして一旦裏に下がっていく。


「もしかして日本語が分かる人がいるのかな?」


「だといいけどな」


「天才料理人転生した異世界で酒場を開く……てきな?」


「何でもかんでも異世界につなげようとするの悪い癖だぞオネ」


 そんな雑談をしているとエルフが戻ってくる。その手にはメモ帳らしき紙束が握られておりペンを握るとものすごい速さで紙に何かを描き始める。

 数分後描いたものを三人に見せてくる。一ページ目上部にはステーキの単品の絵、下にはご飯とサラダが付いたセットが描かれている。


「すご~い、上手」


「えっ、やばっ……やば」


「有能だ」


 ペンで書いたとは思えないまるでモノクロ写真のようなイラストのクオリティに三人とも驚きを隠せないでいた。イラストを交互に指さしどっちにしますかのジェスチャーにイアオネはセットの方を指さす。

 エルフはセットをオーダーにメモしてメモ帳のページをめくる。

 二枚目にはステーキの断面図が三つ描かれており、上がレア、真ん中がミディアム、下がウェルダンとなっている。こちらもまた見事な神イラストで一目で焼き加減と分かってしまうほどだ。

 焼き加減は二人ともミディアムを選択。オーダーにメモしたあと、メモ帳をしまいメニューを指さすと「他に注文はありませんか?」といった雰囲気でオーダーシートにペンを走らせるジェスチャーをしながらこちらを見てくる。三人とももう頼むものはないので同時に首を横に振るとエルフはぺこりと一礼して奥に下がる。


「………そう言えばイア、寝起きなのにガッツリ食べて大丈夫なのか?」


 常に食欲旺盛なオネはまあ分かるとして、基本小食気味のイアが朝食を食べていないとはいえ寝起きでガッツリ肉料理を頼んで大丈夫なのかと思うイオ。


「大丈夫、凄くお腹すいてるから」


 ──お腹空いてても寝起きステーキはきついと思うんだが……


 そう思いつつも万が一食べきれなかった時の対策はちゃんとしてあるのでこれ以上何も言わず今回は好きに食べさせることにするイオ。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 少し待つとオーダーを受けてくれた神絵師エルフがステーキセットを運んでくる。注文から三分も経っていないのにメニューが到着したことについては知る由もないので厨房に神の料理人でもいるのだろう程度に考えスルーする。

 厚切りの肉から滲み出た肉汁が鉄板の熱でジュウウウゥゥっと香ばしい音を奏でイアオネの食欲を誘う。

 手を合わせ「いただきます。」と挨拶し、昨晩出会ったお気に入りの味を心ゆくまで堪能する。

 寝起きでステーキを注文した時は正直どうなるかと思ったが、二人ともきれいに完食し満足そうにお腹をさする。


「まさか本当に完食するとは……」


「だから言ったでしょ」


「お兄ちゃんは何も頼まなくてよかったの?」


「いや、完食できなかった分を貰うつもりだったんだが……俺も普通に頼むか」


 そう言ってメニューを適当に開き、一番最初に視線に入った唐揚に決める。

 イオが手を挙げウェイトレスを呼ぶとありがたいことにまた神絵師エルフが来てくれる。

 イオが唐揚げを注文すると早速何か描きだし、一分ほどで完成したイラストを見せてくる。

 一枚目はステーキ同様単品かセットか、二枚目にはどうやら唐揚げの量について描いてあるらしく、一人用から宴用まで全五段階。右隣には指人形のようなデフォルトイラストで何人前の量なのか描いてくれている。

 イオは二番目に多い二~三人前の量を注文し完成を待つ。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 揚げたての唐揚げが運ばれてくると「いただきます。」をしてかぶりつく。サクッと香ばしい衣と軍鶏肉のようなコリコリとした触感に加え、噛んだ瞬間止めどなく溢れ出る甘い肉汁。


「う~~~まっ」


 なんの肉かは知らないが、今まで食べたことのない超絶上手い唐揚げを一個一個堪能して食べていると、オネがジ~~~っと物欲しそうにこちらを見つめてくる。


「……食べたいのか?」


 ぶんっぶんっとものすごい勢いで首を縦に振るオネに結構分厚いステーキを食べたのにまだ食べるのかと思いながら一つ食べさせてあげる。

 唐揚げを一口で頬張り、「んまぁ~」ととろけるような声を出し口いっぱいに広がるうまみを堪能するオネ。

 口の中が空になれば次の一個を、それもなくなればさらに次の一個を……という感じに全く遠慮せずまるで機械の如くどんどん横取りして食べていく。


「オネさん? そんなに食べるなら普通に頼んだら?」


「ううん、もうお腹いっぱいだからいい」


 三分の二ほど食べたところでようやくオネの手が止まる。

 イオも別に食べられたこと自体は気にしておらず残りを食べていく。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ラスト一個。最後の唐揚げを箸で掴むと、今晩は何にしようかなとメニューを眺めていたオネがパタンッとメニューを閉じ、また無言で唐揚げを見つめてくる。


「………………。」


「………………。」


 ちょっとの沈黙の後、イオがそっと微笑むとオネは身を乗り出して「あ~~~」っと口を大きく開ける。

 それを見たイオはおねだりするオネをスルーして何事も無かったかのように唐揚げを自分の口へ運び、咀嚼し、飲み込む。


「………………。」


 自分の予想と違う結果に終わったオネは、口を開けたままフリーズし、イオが手を合わせ「ごちそうさまでした。」を言い終わるとテーブルに崩れ落ちる。


「ん? どうしたオネ」


「うぅ……お兄ちゃんの嘘つき、最後の一個くれるって言ったのに」


「あぁ悪い、お腹一杯って言ってたから」


「ラスト一個は別腹でしょ!」


「知らね~よ、あと最後の一個あげるなんて言ってね~からな」


 感情のこもったオネの演技と、けだるそうに適当にあしらうイオの茶番が終わったところで会計をして外に出る。


 ちなみに数字の概念は地球と同じらしく、文字もどことなく似ている。

 通貨概念も少し似ており、地球同様地域や国ごとに専用通貨が存在し、この街の場合は金貨が専用通貨となっている。

 単位はゴールド、値段=金貨の枚数なので嵩張ったりいちいち枚数数えたりするのかと思ったが、どうやらこの街には空間魔術と条件起動型転送魔術が施された金貨専用の四次元金貨袋があり、それに金貨を入れておけば嵩張ることはなく支払いも専用の魔術回路を使って中から必要な分だけ転送させることができる…………らしい、ジル曰く。


「イオ~、この後どうする?」


「そうだな……まだちょっと時間あるし……どっか買い物でも行くか?」


「食べ物?」


「今さっき食ったばっかだろ」


「じゃあイオ、服買いに行きたい」


「……服いるか?」


 体質上実物の服を直接着る必要がないこの家族、ゆえに地球でも服は買わず自分たちで作って生活していた。


「異世界の衣装見てみたいじゃん。えぇっと……品納め?」


「おしい、品定め」


 イアの間違いにツッコみつつ要望通り服屋に向かう。

 最初この世界に来た時に立っていた噴水の広場から酒場に行く大通りの途中に服屋があったのをイオが覚えていたので探す手間は省ける。

 店は二階建てで一階は子供用中心、二階が大人用となっていた。

 三人は身長が百五十センチ台だが直接着る必要はないので片っ端から良さそうなデザインを見ていく。


 イオは動きやすそうな服を中心に見て回り一通り見たところでイアオネと合流する。


「あれ? イオもう終わったの?」


「相変わらず早いね、もう少しゆっくり見てもいいんじゃない?」


「動きやすければ基本何でもいいからな」


 いつも通り性能重視ファッションガン無視のイオに呆れると同時に適当に選んでいるのにちゃんとセンスがいいのは納得がいかないといった表情のイアオネ。ここからはイオにも手伝ってもらい次々と品定めをしていく。


「ねぇお兄ちゃん、こういうのって営業妨害になるのかな?」


「あくまで参考資料だからな、問題ないだろ」


 正直異世界の法律とかは全く分からないが流石に店の商品を参考資料にしただけで警察沙汰になるほど権利には厳しくないだろう。そう自分を言い聞かせ引き続き服を見ていく。

 あらかた見たところで店を出て語学学習のため酒場へと戻る。


「そう言えばお兄ちゃん、もの凄く今更だけどお金どうしたの?」


「あっ、それイアも気になってた」


 昼食の時イオは当たり前のように代金を支払っていたが、よくよく考えるといったい何時どこで稼いだのか不思議に思うイアオネ。


「ほんと今更だな、昨日二人が寝た後ロクとワンがクエスト行って稼いできたんだよ」


「えっ、なにそれズルい……なにそれズルい!」


「……モンスター……倒したの?」


 突然の告白にオネは驚き「羨ましい」とぐいぐいイオに言い寄る。

 一方イアはロクやワンがモンスターを倒してしまったのではないかと思い、悲しそうな顔をする。


「あぁ違う違う、モンスター倒す方じゃなくて、魔術鉱石とかの採掘のほう。アホみたいにレアな魔石とか鉱石見つけてきたから結構稼げたんだよ」


「そっか……なら良かった」」


「いいな~! オネも行きたかった! 異世界らしいことしたかった!」


 イオが事情を説明するとイアは安どの笑みを浮かべ胸をなでおろし、オネは余計羨ましそうに大声を出す。


「深夜限定クエストだぞ、起きてられるのか?」


「 ☆ 余 ☆ 裕 ☆ …………だと思う……多分……おそらく……きっと……」


 超ドヤ顔の余裕からだんだん目線を逸らし小さくなっていく声。最後の「きっと」はほぼかすれ声になっており、起きていられる自信がない事を自白しているようなものだ。

 イオも「だろうな」と少しバカにしたように鼻で笑う。


「じゃあじゃあ、別に深夜限定じゃなくてもいいから行こう! 明日の朝一で行こう!」


 とにかく何でもいいから異世界らしいこと(できればクエストやダンジョン係)がしたいオネは必死にイオに頼む。

 ちなみに一人で行こうとしないのは本物の異世界モンスターに遭遇するのが怖いからである。

 ゲームならホラーやグロ系でない限り全然問題ないのだが、やはり現実となると普通のモンスターでも怖く感じてしまうらしい。


「って言ってもな、深夜の方が報酬いいからしばらくはロクたちに任せるつもりなんだよな」


 ロクワンの行いをイアオネは絶対によく思わないだろう。だから夜の出来事は真実を嘘で塗り固めてでも隠し通さなければいけない。

 その対策の一つとしてイアオネには極力クエストへの干渉を避けさせること、クエストから離れれば離れるほどロクワンも動きやすくなるしバレるリスクも小さくなる。

 しかしファンタジー脳の二人を完全にクエストから切り離すことは不可能に近い、なら干渉を最小限にとどめ余計な知識を与えないよう言いくるめ、ごまかし、騙す。

 酒場も今は言葉が分からないから普通に通えるがあそこは最もクエストの情報が集まる場所、万が一ロクワンの功績が第三者に漏れてしまった場合イアオネが真実を知ることとなる最も危険な建物だ。

 今後ある程度言語を理解できるようになったらもう通わなくなるだろう。

 ただしクエストへの挑戦、これだけは絶対に何があってもダメ……というわけではない。しかしこれはイアオネ自身がモンスターに襲われる危険性を増すのでそういう万が一のことを考えるとやっぱりモンスター関連のクエストには行かせたくないと思うイオ。


「ロクお姉ちゃんずるい……ワンずるい……ロクお姉ちゃんずるい……ワンずるい……ロクお姉ちゃんずるい……ワンずるい……」


 しかしそんなイオの心配をよそにオネは呪いのようにぶつぶつと呟き始め、イアもそんなオネに苦笑いを浮かべる。


「そう不満そうにするなって、言語ある程度覚えたら考えとくから」


 クエストに関わらせたくないイオがクエストへの挑戦を拒否しない理由。

 それはイアオネの二人に現実を突きつけるため。リスクはかなり高まるが成功すればイアオネが自分たちからクエストに行こうとは言わなくなるだろう。あれこれ理由を付けて拒否するより自分たちから行かなくなる方がよっぽど楽、イオはそう考えている。


「絶対だよ! 約束だからね!」


「はいはい」


 行くクエストはもう決まっているのであとは時が来るまで耐え忍ぶのみ。クエストへ連れて行ってあげることを約束すると普段の稼ぎクエストをロクたちに任せることにも納得してくれた。さらには勉強も一段とやる気が出たみたいで結果的に一石二鳥の大収穫だ。それでも一切油断はできないが、とりあえず今はオネがロクワン同様毎日クエストに行くことにならず安心するイオ。


「…………終わった?」


 ロクワンが昨日クエストに行ったと話したあたりから歩みが止まっていたらしく、イオオネの会話が終わるとちょっと進んだところで野良ネコと戯れていたイアがよいしょと立ち上がる。イオオネは「悪い」「ごめんね」と軽く謝り再び歩き始める。

 大通りの真ん中に立っている時計を確認すると集合時間の十七時までもう十分くらいしかない。今から走って行けばまだギリギリ間に合う。


「じゃっお先~」


「えっあっ、オネちゃん待って~」


「転ぶなよ~」


 競争とでも言わんばかりにフライングして走り出したオネを慌てて追いかけるイア。そんなイアに注意しつつイオも急いで酒場へ戻る。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ほぼ全力疾走で酒場に駆け込んだ三人は一息つく間もなく二階へ賭け上がる。

 会議室に入ると既に他のみんなは集合しており、オニはイスの背もたれに身体が水平になるようにもたれ掛かり後ろの二本の足だけで絶妙なバランスをとったまま爆睡。ロクワンも暇すぎて死にそうといった顔を机に置きくでーっとしている。ジルも「おっ、来た来た」と読んでいた本を閉じる。


「あーイオやっと来たー」


「兄さん遅刻ー」


「んん? ……」


「えっ!?」


「うそっ!?」


 三人が入ってきたことに気づいたロクワンのマジで待ちくたびれたという表情・口調・オーラに思わず三人とも頭上にかかっている時計を見てる。三人が時計を見た瞬間、針がピッタリ十七時を指す。


「ジャストじゃねーか」


「「あぁ……うん、そうだね」」


 イオが突っ込むとロクワンはちらっと時計を見て、「あと一秒遅れてきてたらなぁ」と言って残念そうに落ち込む。

 イオは呆れて小さくため息を、イアオネは安どしながら大きな溜め息をついて席に座る。


「えぇっと、それじゃあみんな集まったし、時間なので授業を始めます」

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