蒼紅の章第4節:秘密

 この世界の人間の言語は国や地域によって違うが共通語はコテモルン語・コテモルン文字と呼ばれており、地域によって微妙に異なる部分もあるが、基本的にはどこに行っても通じる地球で言うところの英語のような言語らしい。そして異種族にも種族ごとに言語があるらしく、他種族と話したい場合はその種族の言語も覚える必要があるらしい。もちろん相手がコテモルン言語を話せる場合は例外。

 単語の文字列や発音の仕組みは日本語に酷使しており、母音で終わる開音節言語の性格が強く、音韻は子音+母音の音節を基本とし英語と違い文字数と発音数が同じだったりBとV、LとRといっためんどくさい発音の違いもそこまで重要にはなってこない。しかも全く同じ発音で複数の意味を持つ言葉は無く読み方が一緒でもアクセントやイントネーション一つで全く違う意味の言葉になったりもするらしい。ゆえに表記体系は漢字に該当する文字は無く文字の変換という概念も無いためある意味文字・発音・意味が一致しやすい言語だ。

 文も基本は主語・修飾語・述語の語順で構成されるSOV型だが親しい仲になってくると伝わればいいという考えになる人が多いらしく文法は基本さえできていれば不便はないらしい。


「とりあえず簡単に特徴をまとめたけどここまでで分からないところはある?」


 正面の黒板にコテモルン文字の五十音とその発音を日本語で書き、左右の黒板には文法や例文が日本語訳で丁寧にびっしりと書かれている。ここまでの講義でイアオネは序盤で頭がパンクする平常運転、ロクワンはまだまだ余裕といった表情、オニは退屈そうに欠伸を噛み殺している。思った通りイアオネ以外は心配しなくてもよさそうだ。


「イオさん、ペース下げた方がいいですかね?」


「いや、あの二人に合わせてたらマスターまでに何十年もかかるからそのまま置いて行っていいですよ。むしろペースは俺に合わせてください」


 口を開け斜め上を見上げたまま微動だにしないイアオネを心配しジルが訪ねてくるがイアオネは言語を覚えるのが苦手だ。特にイアは日本に十年近く住んでいるというのに未だに語彙力は皆無だ。そんな二人に合わせていたらイアへの負担がますます大きくなってしまう。だから今回は遅い奴は置き去りにし早い方に合わせるスタイルで行かなければならない、ゆえに時間の無駄遣いである小休憩は一切取らない。とりあえずまずは日本語で言うところの五十音と濁音をさっさと覚え、今日で片言レベルで話せるくらいにはなりたいと考えるイオ。


「確かに俺の旅が数十年もここでストップするのは嫌ですけどイオくんのペースに合わせるのは流石に・・・・・」


「いいですよ」


「問題なし」


「お好きにどうぞ」


 イオの自己中心的な発言に戸惑いチラッとついて来れている三人に目を向けると全員イオの意見に賛成する。誰一人として反対しないこの状況にジルは戸惑いを通り越してかなり引いている様子だった。結局思考停止しているイアオネ以外の三人の許可が出たことにより授業ペースはイオ基準になり先ほどの倍のペースで授業は進んで行き、陽が落ちる頃には異世界五十音と発音は完璧に仕上がっていた。


 ──そろそろオネのアレがくる頃だろ



 『くきゅ~~~・・・・・』



「・・・・・お腹すいた~」


 はい来ました。オネの正確な腹時計。お腹がすいている時に限りそれぞれ朝の七時、昼十二時、夜七時、寸分狂わず毎日同じ時間に鳴り本人は決まって「お腹すいた~」と呟く。一応羞恥心はあるらしいが本人曰く「恥ずかしがってる暇があるならお腹を満たしたい」とのこと。


「兄貴そろそろ飯にしようぜ・・・・・と言っても金ないけど」


 途中から居眠りしていたオニがオネの空腹と同時に目を覚ます。今日はまだ全然寝ていないせいか目はほとんど空いておらずバランス感覚もズタボロだ。しかし自分で動けているということはまだ眠気は限界に達していないらしい。


「そうですね、きりもいいですし今日の授業はここまでにしましょうか。夕食は俺が奢りますよ」


 今日の授業が終了しみんな初めての異世界グルメに期待に胸を躍らせ何を食べようか話しながら一階へ降りていく。おそらくイアオネは地球で食べたことのないメニューを中心に頼むだろうから調子に乗って頼み過ぎて食いきれないなんてことにならないよう注意する必要がありそうだ。


「あっ、ジルさんちょっといいですか?」


 みんなと一緒に一階へ降りようとするジルを呼び止め部屋に二人きりの状況で少し話す。


「今回の件本当にありがとうジルさん。いや、ジル先生」


「先生はやめてください恥ずかしい。それにしてもイオくんは凄い学習スピードですね。正直驚きました」


「地球にいたころはいろんな国に行ってましたから、言葉を覚えるのは結構慣れてるですよ」


「そういうことですか。でもあれですね、姉弟でも勉強の個人差は大きいんですね」


 聞き取れると喋れるは全くの別物でイアはリスニングは得意だがリーディングが大の苦手で特にイアは地球で一番長く使っている日本語ですら長文が喋れないうえに意味を間違えて使っていることもしばしば。オネはイア程ではないがまともに喋れるようになるまでは少し時間がかかる、しかし日本語もイアより上手くスペックは完全に上だ。ロクワンは可もなく不可もなくといった感じで大抵の言語は検定上級者並には喋れる、問題があるとすれば他人を挑発したり見下すような言葉を中心に覚えようとすることくらいか。イオとオニはARIA家の中でもダントツで覚えるのが早い、オニは二回、イオに関しては一回で完璧にマスターしてしまうくらいバケモノじみている。なので初めて覚える言語はまず最初にイオオニが覚えてから他四人に教えるというのがいつものパターン。


「今回の授業料と夕食代は今夜にでもすぐに返しますよ」


「えっでも一文無しなんですよね? そんなすぐにじゃなくてもいいですよ、言語覚え終わってからでも」


「いや大丈夫ですよ、今晩クエスト行って稼いできますから」


「・・・・・そう・・・です、か?」


「詳しくはイアとオネが寝てから話します。二人とも結構披露してると思うので多分食べ終わったらすぐに寝ちゃう思いますし」


「!?」


 一瞬声のトーンが下がり昼間とは少し違う雰囲気を放ったイオに背筋に寒気が走るジル。


「どうかしましたか?」


「あっいえ、何でもないです」


 殺意を放つ鋭い目つきを向けられた気がしたジルがこちらを凝視してくるが頭がパンクした時のイア並みにきょとんとした顔を向けると気のせいだったかな? と頭を掻いてスルーする。


「お兄ちゃ~ん、ジルさ~ん早く~」


 なかなか降りてこないイオとジルをオネが呼びに来る。おそらく今のオネの脳内には異世界グルメを食べることしかないのだろう。今さっきまで勉強していたことを忘れていないか心配になるイオであった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 夕食を食べ終わり満腹になるとイオの言う通りイアとオネはぐっすり寝てしまう。完全に眠ったことを確認し会議室に全員を集合させる。イアオネを部屋の隅の壁にもたれかかるように寝かせ、一階で借りてきた毛布をかぶせる。


「じゃあ終わったら起こして」


 相変わらず眠たそうなオニは興味ないといった感じに大きな欠伸をしてオネの横に並んで一緒に寝てしまう。


「それじゃあ、さっそく要件を聞こうか」


「その前に約束してくれませんか。俺たちが今から言うことやこれから起こることに関しては絶対にイアとオネに喋らない事、勘づかれない事、この二つを守って欲しい」


 イオの警告と同時に会議室内の空気が一気に凍り付く。イオもロクもワンもイアオネが起きてる時は穏やかで優しげな雰囲気だったのに今はまるで真逆。まるで一流の殺し屋。冷酷・無慈悲・感情を持たない機械・漆黒の闇、これが三人の本当の顔なのかとジルは思い唾を飲み込む。


「・・・・・わかった」


 ジルが了解するとほんの少しではあるが凍てついた空気が和らぐ。ほんの少しとはいえこの場の緊張感に今にも押しつぶされそうだったジルにとっては十分すぎるほどの和らぎであった。


「まず今夜から毎日、二人が寝たらロクとワンにはクエストに行ってもらう。もちろんお金を稼ぐ意味でな。その際ジルさんにはクエスト受付時の通訳を頼みたい」


「・・・・・それだけ? それがイアちゃんとオネちゃんに聞かれたらマズい事?」


 押しつぶされる寸前だった緊張感の正体がまさかの通訳。たったそれだけであれほど緊迫した空気になるものなのか? と思っていたジルだったが、三人の緊張感の正体は全然違うところにあった。


「そっ、訳あってあの二人にはクエストに行ってることを知られる訳にはいかなくてね。言語を理解できるようになるまではクエストくらいしか稼ぐ方法が無さそうだから、二人が寝ている間にこっそり稼ごうかなって」


「なんでダメなのか聞いてm・・・・・」


 あえてサラッととても気になる発言をするとジルが反射的に追求してくる。理由を聞こうとしてきたジルだったが瞬間三人の目のハイライトが消えたのを見て言葉に詰まる。こんな意味深な発言を詳しく知りたいと思うのも無理はない、だが全く信用できない相手に喋れるような内容ではない、それに教えたところでどうせ理解できないだろうから喋るだけ無駄。そんなことより夜の行動の理由については絶対に踏み入ってはいけない領域だと思わせ、口留めだけで安心せず本能的に喋ってはいけないと思わせる必要がある。ジルも分かってくれたのかこれ以上は深く追及はせず、クエストで稼ぐ方に焦点を合わせる。


「あぁ・・・えっと、通訳だけでいいんですか? みんなこの世界には今日来たばかりでしょ、いきなりモンスターと戦うのはちょっと無謀だと思うんですが、何なら同行しますけど?」


 こっちの世界でいろんなクエストやダンジョンに挑戦し、沢山のモンスターと戦ってきたジルはそうとう経験も溜まっている、そのジルが同行を希望するほどこの世界のモンスターは強いということなのだろう。どうせジルはこの世界に来たその日にチート能力も与えられていない人間がモンスターと戦うのは危険だと思っているのだろう。イアオネならまだしもロクワンにそんな心配は無用、どれだけこの世界のモンスターが強かろうとなんてことは無いだろうが一応確認しておく。


「っと、言ってますが?」


「邪魔にしかならないと思う」


「足手まといはいらない」


「・・・・・おまえらな」


「あはは、二人とも凄い自信だね」


 ロクワンの平常煽り運転に無神経すぎると呆れるイオとその自信はどこから来るんだ? と内心ツッコむジル。言っていることは一応正しいが何故そういちいち挑発する必要があるのか・・・確かにジルは敵だがオブラートには包んで欲しいものだ。特にワンのそれは初対面じゃなくても言ってはいけないワードだ。今の発言でジルからの一方的な信頼関係が無くなったかもしれない。もしそうなってしまったら授業はもうしてくれなくなるうえに言語問題の解決法をまた一から考え直さなくてはならない、それだけは絶対に阻止しなければならない。そう思ったイオはジルの気が変わらないよう珍しく必死にフォローする。


「ホンッッットごめん! あの二人基本ソロプレイヤーだから認めてない奴にはみんな煽り態度なんだ、マジでごめん!」


「あぁそういうタイプなんだ・・・大丈夫大丈夫、冒険者にはそういういう人も珍しくないから」


 ──あれ? 大丈夫? なんで? まあ大丈夫ならいいけど


 ブチ切れられてもおかしくないこの状況を「よくいるから」の一言で済ませてしまうジルの器の大きさ。こっちの世界だとこれが普通なのだろうか? 初対面で実力もろくに知らない相手に足手まといと言ってしまうことが普通だとしたら冒険者は相当闇の深い職業ということになる。これもご都合展開ってやつかと補正のせいにして無理やり納得する。


「でも二人ともこの世界のモンスターについては知らないよね? 大丈夫?」


 ジルはロクワンが二人だけで行くことが相当心配かのように結構しつこく同行を求めてくる。ただ単に本気で心配しているのか何か企んでいるのか、魂のドス黒さから考えれば可能性は圧倒的に後者、今イオたちに協力的なのも本来の目的のための下準備だとしたら? 事前に敵だと分かっているからこそ考えれば考えるほどよくない可能性が次々と思い浮かぶ。ここまで純度の高い不調和だと生きて調和させるにはイオやオニでは手遅れだしオネは力不足、唯一対抗できるのはイアくらいだがそれはあくまで本来の力で相手した場合の話で弱体化している今の状態では望みは薄い。比較的不調和の影響を受けにくいロクワンならおそらく調和することが可能なのだろうが、そうするとジルから異世界語を教えて貰えなくなってしまうので論外。


「ここが現実で相手が生命なら問題ない」


「 ☆ 余 ☆ 裕 ☆ 」


 こちらの悩みを他所にむちゃくちゃ調子に乗りまくってフラグを建てまくるロクワン、いい機会だから初クエストで痛い目にあってきてくれないかなと内心期待しながら忠告に耳を傾けようともしない二人に苦戦しているジルに少なからず同情する。基本自由気ままに行動するこの二人を止めるには動機そのものを完全論破するか脅して弾圧するかの二択しかない。長い間一緒にいる姉弟たちでさえ止めるのに一筋縄ではいかない問題児が会ったばかりのジルにどうこうできる訳もなく徐々にロクワンの圧に押されていっていく。


「・・・・・そう・・・ですか」


 心配すればするほど興奮して舞い上がってしまう二人にとうとうジルが折れクエストはロクワンの二人だけで行くことになった。


「じゃあジルさんクエストの受付だけお願いします。・・・・・好きにやってもいいけど調子には乗るなよ」


「はーい」


「わかってますってー」


 どうせ守ってはくれないだろうが一応注意だけはしておく。なげやりの忠告に準備運動がてら体を解しながら気の抜けた返事をする様子をジルが疑うような目でジッと見てくる。おおかたイオほど頭のキレる人がなんでロクワンの自由にさせているのか理解できないのだろう。仮にものいるに行くのだ、普通なら心配ものだろう。ここにいる誰よりもこの世界に詳しいジルの言っていることは正論だ。二人だけで行っては行けない理由を明確にしないとろは不審に思うがクエストに何かがあることは間違いない、もしかしたら急に異世界に召喚された理由や元の世界に戻る方法といった重要な手がかりかもしれないし、異世界あるあるのどうでもいい情報かもしれない。しかしあくまで正論であって正解ではない、お互いがちゃんと根拠踏まえて話しをすれば簡単に収まるのにそうしないのは信用がないから、話したくない又は話せない何かをお互いが隠している言わば拮抗状態、先に動いた方が負けるそんな心理戦。仮にジルが同行の真意を話したとしてもこちらの根拠は教えない、どうせ話しても理解されないことをわざわざ危険を冒してまで教えてあげる程お人好しではない。


「よしっ、行こー行こー」


「PAGG! PAGG!」


「やっと異世界らしくなってきたね」


「どんなモンスターがいるんだろう」


 準備運動が終わりクエストに行く準備が出来たロクワンが期待に胸を躍らせて一階へと降りていく。ジルも通訳のため一階へと降りて行くがその顔には複雑な表情を浮かべていた。

 三人が一階へ降りたのを確認し、フッと短く息を吐いたあと椅子に深く腰掛け全身を脱力させる。昼間は絶望そのものだっがなんだかんだで言語とお金問題は何とかなりそうでひとまず安心する、この運が今日よりもさらに大事な場面で帳尻合わせを受けないことを祈るイオだった。

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