蒼紅の章第3節:転生者

 店内から聞き慣れた言語が聞こえ、六人全員が声のした方へと振り向く。そこにいたのは一人の少年。どっかの世界で主人公してそうな見た目と存在感。そしてロクと外で喧嘩してたときにこちらを見ていた通行人の一人、普通の人間じゃないという事だけは分かっている。


「・・・・・あなたは、俺たちの言葉が分かるのか?」


「僕はジル、ジル・ギ・ラウリューモ。元日本人の転生者さ」


 こちらの日本語を理解し同じ日本語で返答してくる。どうやら元日本人というのは本当らしい、となれば転生者というのも本当の事だろう。この主人公オーラに加え異世界転生者、もうこの時点でお約束の予感しかしない。


「俺はイオ、そしてこっちから順番にイア、ロク、ワン、オネ、オニ」


 突然のことに思考が停止してしまったのかポカーンと口を開けたままフリーズしているイアとオネを一旦放置して、ARIA家六人の名前だけ紹介する。それが終わるとちょうどイアがフリーズ状態から戻ってきて少し周りをきょろきょろした後目の前ジルと対面する。

 しかしここでイアが予想外の行動をとる。なんとジルを認識した瞬間サッと逃げるようにイオの後ろに隠れたのだ。イアは別に人見知りというわけではない、語彙力は乏しいが、そのぽわぽわとしたマイペースな性格で初対面でも周囲ごと自分の世界に連れていってしまうくらいにはコミュニケーション能力はある。そんなイアが会話するどころか自分から接触を避けた。服を力強く握るその手はかすかに震えており表情からも余裕が感じられない。それによりイアといまだにフリーズしたままのオネ以外の四人全員が表には出さないが同じ仮説を立てる。


「すみません、イアはかなり人見知りなところがあって慣れるまで少し時間がかかるんですよ」


「あっそうなんですか、なんなか・・・すみません」


「いえ、ちょっと落ち着かせてきますね。ロクちょっと代わりに話聞いてて」


「りょーかーい」


 ジルの事をロクたちに任せイオはイアを連れ一旦酒場を出る。

 外に出るとこの世界に来た時に最初にいた宿舎前の噴水の広場まで歩く。気づけばもう日が沈む時間帯で刻々と色を濃くしていく夕焼けが優しく二人を照らす。酒場から離れるにつれイアも徐々に落ち着いていき噴水の広場に来る頃にはまだ表情は暗いものの震えは収まっていた。イアを噴水の淵に座らせ何度か大きく深呼吸させた後に本題に入る。


「イア、YESかNOで答えてくれればいい。


 こちらの質問にイアは小さく頷く。イアには他の五人が持っていない力がいくつかある。その中の一つが【魂を見る力】。魂は生きとし生けるものすべてに備わっており神だろうと悪魔だろうと例外は無い。そして魂は別名心とも呼ばれ持ち主の心情により多彩に変化するという。イアは魂を光のオーラと例えていて正の感情に満たされている時は美しく輝き、逆に負の感情に飲み込まれている時は禍々しい漆黒に塗りつぶされるとのこと。つまり黒かったということはジルの魂が負に飲まれ漆黒に染まっていたという事、この状態をARIA間では「不調和に呑まれている」と表現する。イアに不安を抱かせてしまったこととこういう事態を想定しなかった自分の詰めの甘さに反吐が出る。地球で平和ボケしてしまった自分への罰として、後でロクにぶん殴ってもらおうと決めイアの頭に手を置くと思いっきりわしゃわしゃと撫でまわす。


「あ?えっ?ふぇ?なに、なに?」


 突然のイオの行動になにがなんだかさっぱりと戸惑うイアを無視しさらに激しく撫でまわす。


「イオ?やめ・・・や、や、やめt・・・ストッ・・・ね、聞いt・・・うぅ・・・・・もぉイオっ!!!」


 一分ほどわしゃわしゃしたところでようやく手を止める。イアの髪は当然のようにボサボサになっておりイア自身も頬を膨らませしかめっ面でこちらを睨んでくる。しかしそんなことはお構いなしに今度はそのパンパンに膨れた両頬に指をさして中の空気を一気に噴出させる。


「ブフッ!・・・・・むぅ、さっきからなんなの」


 訳の分からない奇行ばかりやってくるイオに対し流石のイアもご立腹の様子。正直イオ自身もなぜこんなことをやったのか分からない、気づいたら無意識にやっていて止められなくなっていた。本能的にそうしたのかそれとも特に意味のない行動だったのか、本人ですら分かっていない奇行は謎のまま保留となり記憶の片隅へと追いやられる。理不尽な扱いを受けたイアはボサボサになった髪を手櫛で整えながらツンツンとつま先で脛を軽く蹴ってくる。そんなイアの弱攻撃を無視してイオは今後について考える。

 イアの態度で確信した、ジルはARIA家にとっては敵側に分類される存在だ。しかしそうなってくると新たな問題が発生してしまう。イアが有無を言わさず逃げ出す程不調和に飲まれているジルとこれ以上行動を共にするわけにはいかないが、そうするとせっかくの異世界語習得のチャンスが潰えてしまう。いつもならイアの安全が最優先なので早々に別れを告げる一択なのだが次いつ日本語を理解できる人に会えるか分からない以上このチャンスは無駄にしたくない。この世界に来てから本当に悩んでばっかりな気がする。ただイアオネの安全を確保するだけなら何の問題も無い、というよりイアオネの安全は他四人が揃っている時点で完璧に守られている。それならジルにこの世界についていろいろ教えてもらうルート一択即決だ。問題なのは守れるかどうかではなく、もし敵対した場合守るためにする行いをいかにバレずに実行するか。二人を守るためとはいえその手段をイアとオネは絶対に許してくれないだろう。だから絶対にバレてはいけない。そもそもジルを敵として認識したがなにも今すぐ敵対すると決まったわけではない、言ってしまえば異世界語習得まで敵対せずに穏便に済ませればいいのだ、とても簡単な話じゃないか。


 ──異世界語は誰か一人でもマスターすればいいんだから、俺自身が最短で覚えてしまえばいい


「イア」


「・・・・・なんですか」


 口調はまだ不機嫌そうだがつま先キックはやでめくれる。


「俺たちは今からジルに異世界語を教えてもらう」


「えっ・・・・・なに、言ってるの・・・・・」


 こちらの判断に驚愕しなんでそうなるの?とこちらを警戒するように身体を少し引いて距離をとる。無理もない、地球にいた時からずっとイアの安全を第一に考えて行動していたイオが自分から危険地帯に踏み込むと宣言したのだ、警戒されるのは必然。しかしここで食い下がる訳には行かない。


「ジルがどれだけヤバいかは分かってるつもりだ。あんな奴と毎日顔を合わせるのは不安だろうが、異世界語を学ぶチャンスを逃す訳にはいかない」


「うん・・・そうだよね、日本語が分かる人に次いつ会えるか分からないもんね・・・・・」


 イア自身こちらの考えに全く共感できないという訳では無く、あくまで目的に対するリスクが高すぎることに躊躇している様子だ。


「だから約束する。一ヶ月、一ヶ月で俺が全部覚える。だからそれまで何とか我慢してくれ」


「・・・・・・・・・・」


 勉強の期間は最長でも一ヶ月、それ以上はイアが耐えられる保証がない。だから異世界語を一ヶ月でゼロから全部覚えることを約束する。もちろんその間イアとオネへの接触は必要最低限に抑えなければいけないし、もし敵対するようなことがあれば勉強は即中断し二人に気付かれないようにジルは排除する必要がある。果たしてイアはこの条件を飲んでくれるだろうか。


「分かった、いいよ」


「いいのか?」


 今回ばかりはさすがのイアでも無理と言ってくると思ったのだが返答はまさかのオーケー。その表情からはもう恐怖は感じず、穏やかだが覚悟を決めた目でこちらを真っ直ぐ見つめてくる。


「だってイオだから、信じるよ」


 恥ずかしげもなく面と向かって信じると言ってくるものだから少し照れくさくなり、思わずにやけてしまった口元を手で隠し目を逸らす。こういう時のイアの励ましや鼓舞は何よりも力なる、こちらの無茶ぶりに成功を信じて付き合ってくれたのだ絶対に失敗する訳にはいかない、覚悟を決めた合図としてパンッと一回手を叩く。最後に変に同様されても困るのでこのことは他の四人には内緒にして二人だけの秘密にすることを約束させる。


「りょ〜かいです」


「ありがとなイア」


「うん、頑張ってね」



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 酒場に戻ると未だに思考停止してフリーズしたままのオネを現実に呼び戻そうと目の前で手を振ってみたり、ぺちぺちと頬を叩いて刺激を与えてみたりと試行錯誤しているロク・ワン・オニの三人とそれを手伝うジルの姿があった。まさかまだ固まったままだとは思っていなかったのでそれを見た瞬間思わず「嘘だろ」と無意識に声が漏れる。


「・・・・・・・・・・。」


 しかしイアはやはり悲しそうな顔でジルを見ている。最初イアから聞いた時は微かではあるが見間違いであってくれたらなぁ・・・という淡い願いを持っていたのだがこれで完全に受け入れなければならなくなった。イアは基本顔に出やすいのでこちらが本性に気づいていると悟られないようにする必要がある。いつものようにぽわぽわとしていれば少しは欺けると思うがそんな余裕ができるにはまだまだ時間がかかりそうだ。


「イア、無理すんなよ」


「うん・・・・・」


 イアは大きく深く深呼吸をしてからみんなのいるテーブルへと向かう。イオもイアへの心配をポーカーフェイスで隠し続く。


「あっ、おかえりー。イア大丈夫?」


「うん、もう大丈夫。・・・・・やっぱり無理」


 ロクとは今まで通り問題なく話すががやはりジルはトラウマになってしまったのか目が合うとサッとイオの背後に隠れてしまう。本能的に避けているのだがこれはこれで自然な人見知り感満載という感じで上手く欺けてそうなのでイアには我慢してもらい当面の間はこの素でビビっているのを利用させてもらう。


「もしかして俺、嫌われちゃいましたかね」


「慣れて来るまではそっとしておいてあげてください。無理に近づこうとすると逆効果なので」


「あぁそうですね、分かりましたそうします」


 ジル本人もイアが本当に人見知りだと思ってくれているようで残念そうな顔をしてこちらの要求に従う。魂がドス黒いと事前にわかっていなければこの顔を半分は信じてしまっていただろう。ジルがどういった反応をするかは賭けだったが、変にこちらを怪しむ様子はなくイアの人見知り(嘘)に対してもグイグイ攻めてくるタイプじゃなかったおかげで結果的にジルとの接触は必要最低限に抑えられそうだ。まずは第一関門を突破したことに心の中で安堵する。


「それよりジルさん、いろいろ質問したい事があるんですけどいいですか?」


 イアの方は何とかなりそうなので本題へ移る。敵側とはいえ今は日本語が話せる貴重な人材、いつこちらの嘘に気づくかも分からないので聞き出せるうちに少しでも多くの情報を教えてもらう必要がある。思わず少し食い気味になったこちらの要望にこれまた魂の色とは似つかない柔らかな微笑みで「いいですよ」と快く答えてくれる。


「はっ、え?日本語?」


「おっ、おかえり。速度制限でも来てた?」


「サーバーダウンしなかったのは偉いね」


「その反応に困るボケはやめてって言ってるでしょ」


 ここでようやく我に返ったばかりのオネに容赦なく弄りを加え追撃するロクワン。普通のボケじゃつまらないと主張する二人にツッコんで欲しかったらいい加減普通のボケを覚えてと面倒くさそうに正論をぶつけると二人の弄りから逃れるようにオニを盾にするオネ。


「ロク、ワン話進まないから一旦落ち着いてくれ」


 隙を見つけてはわちゃわちゃしようとするロクワンを制止し全員を一度着席させてようやく本題に入る。六人が一斉に質問すると混乱しそうなので、一番頭の処理速度が早いイオが代表して質問する。この世界のこと、言語や文化、種族ごとの暮らし、魔法などは存在するのかなどジルが知ってることは全部話してもらった。話を聞いて分かったことは・・・・・。


 1.ここがモンスターやダンジョンが蔓延る本物の異世界だということ。

 2.ジルはもとは日本人の高校生でトラックに轢かれて死んだ後神様によって死んだ時の年齢でこの世界に転生してもらったということ。

 3.転生時にチート能力を与えられたこと。

 4.今は冒険者として旅をしながらいろんなダンジョンを攻略して回ってること。

 5.言語は文化は地球同様国や地域によって異なっていること。

 6.魔法も魔術も存在すること。


 基本的にはよくある異世界の設定と酷使して理解に苦労はしなかった。強いて言えば言語が複数存在することがとてつもなく面倒臭いという事くらいだろうか。ついでにジルがこの世界のモンスターの詳細について話そうとしたがイアやオネに聞かれると厄介な内容が含まれる可能性があるのでそういう系の話はあとで聞くと言って遮る。


「アニメみたい」


「漫画かよ」


「ラノベじゃん」


 ジルのザ・異世界転生物語にイア・ロク・ワンの三人は感想を一言で口々につぶやく。一方こういったファンタジー系の話がARIA家で一番好きなオネは目を輝かせ憧れの世界に感動しているのか微動だにしない。オニは何か引っかかる点があったのか時折少し考える素振りを見せるも特に何か質問する様子はなく飽きてきたのかテーブルに突っ伏しそのまま寝てしまう。ジルからある程度話を聞いた後、こちらも自分たちの現状を教えてもいい範囲で伝える。


 1.ゲームをプレイしようとして気づいたらこの世界にいたこと。

 2.自分たちの知る限りではジルのように転生はしてないし、チート能力も貰ってないということ。

 3.初日から収入や言語などすべてが絶望的な事。


「確かに、言葉が分からないのは不便だね」


「ジルさんは言葉は最初から理解できてたんですか?」


「うん、俺は普通に理解できたね」


 ジル曰く転生する時に神様が言葉は習得した状態で転生させるとか何とか言ってたらしい・・・・・とのことなので、恐らく脳が自動で習得するようにしてもらったのだろう。自分たちとジルと違いから何か見つかるかもしれないと考えると、ひとつ自分たちが言語を理解できてない原因の可能性を思いつく。


「・・・・・もしかして、転生かの違いなのか?」


 イオの仮説に全くついてこれていないようでジル含め五人全員が首を捻ってはてなマークを大量に頭上にうかべている。そんなに難しいこと言ったか?と先ほどの発言を思い返してみるが何も難しいことは言っていない。イアオネはまだしもロクワンが理解出来ていないのは予想外、これくらいは頭回って欲しいんだがと思いながらやや大袈裟にやれやれとため息をついて二人を挑発する。声には出せないので口パクで「ふぁ○きゅー」と連呼してくる二人を無視し、さっきの転生してるかしてないかの違いについて自分たちとジルを比較しながら分かりやす〜〜〜く説明する。


「まず大前提として転生ということは地球人から異世界人として存在が切り替わったということ。そしてジルさんは転生する際、ではなく、成長した姿で転生するパターンだった。その際神様が言葉は習得した状態で転生させるって言ってたらしいからそれを踏まえて考えるとおそらく言語をすべて覚えた状態で脳が創られたか、言語自体は覚えていないけど脳が自動的に翻訳して口が自動で発音している。このどっちかが有力だろ、どちらにしても神様のおかげと考えれば最初から異世界の文字や言葉が理解できるのも十分納得できる」


「なるほど・・・・・イオさんたちは転生してないからそういう便利な脳をもらえなかったってことか。良く思いつくね」


 イオの仮説を聞いてARIA家のみんなは、なるほど、流石と納得し、ジルはイオの発想力の豊かさにこの人の思考回路どうなってるんだろうと感心する。たしかにARIA家メンバーはこっちに来る際誰一人として神様らしき存在には合っていないし声すら聴いていない。ジルが神様から言語は習得済みと聞いていることからだいたいこの説で合っているだろう、しかしこれはジルが嘘をついていない前提での話なのでほぼ百パーセントのこの説も実際には五十パーセントということになる。本当のことを言っているかどうかは後でイアに確認するとして今度は異世界語について頼みごとをしようとするとオネが割って入るように口を開く。


「異世界転生モノの作品を読んでると、なんで主人公は異世界の言語が最初から分かるんだろうっていつも思ってたんだよね。これが真実か」


「あぁ、確かに。言われてみればほとんどの作品がそうだよね」


「でもいざこうして異世界に飛ばされると、あんなご都合展開でも羨ましく思えるんだよね」


「そうだよね、現にこうして困ってるもんね」


 オネの話にロクワンが加わるとあっという間に雑談タイムに突入する。確かにご都合主義にはいろいろツッコミどころが多いし結構な頻度でバカにしてきたが、いざ転生してみるとそういった主人公補正は凄く欲しくなる。異世界に転生する時に欲しい能力第四位くらいにご都合展開と答えるくらいには欲しい能力だ。もしかして言語が分からない原因は転生・転移うんぬんではなく、ご都合展開を嘲笑っていたバツなのではないだろうか・・・・・なんて冗談を考えながらジルに話を戻す。


「でも本当に驚きましたよ、まさか異世界で元日本人に会えるなんて」


「俺も、こっちの世界で日本語を話せる人に会ったのは初めてだよ」


 ──・・・・・あぁもしかしてジルさんに会えたのが俺たちのご都合展開ってことか


 そう、この状況あまりにも都合が良すぎる。突然飛ばされたこの未知の世界でこんなにも早くピンポイントで生前の地球での記憶を持った転生者に出会ってしまった。これを完璧なご都合展開と言わずなんという。これで中身がまともだったら文句なしだったのだが、ご都合展開の帳尻合わせなのかハズレどころか最悪を引き当てる。あまり長話になるとイアが可哀想なのでとっとと用を済ませる。


「ジルさんもしよかったら、俺たちにこの世界の言語を教えてくれませんか?」


「うん、いいよ」


「えっいいんですか?そんなあっさり???」


 ジルは旅をしていると言っていたので半分断られること前提で頼んでみたが、いともあっさりオーケーを出してくれたので少し驚く。


「どうせしばらくはこの街に滞在するつもりだったし、一人旅は時間を気にせず自分の好きなように行動できるのが醍醐味だから」


 旅はしているが行先でどれくらい滞在するかはその時の気分次第とのこと。しかし、こちらとしては一刻も早く別れたいので早々に旅立ってくれた方が助かる。


「なるべく早く習得できるよう努力しますね」


 そんなこんなで不安要素はいっぱいだがジルがこの世界の言語を教えてくれることになった。言語問題が解決したところで今度はお金、収入源の話になる。


「そう言えばお金ないんでしたよね・・・?」


「見事に全員無一文です」


「ある程度溜まるまで俺が払いましょうか?お金は沢山ありますし」


 これまであらゆる地域を旅して出現しているいろんなクエストを攻略してがっぽり稼いでいるから全く問題ないと言うジルに小声で「その件は夜まで保留でいいですか」とイアとオネに聞こえないよう耳打ちする。


「何か事情でもあったり?」


「ええ、かなり厄介な事情がひとつ」


「イオ、なに話してるの?」


「なになに?なんの話?」


 こちらのひそひそ話が気になるイアオネが当然のように食い付いてくる。厄介な事情とはイアオネ絡みの事なので二人がいる場所ではとても話せない。チラッとロクワンにアイコンタクトを送るとそれを察したロクワンは了解と目で答え「はいはい後でねー」とイアオネそれぞれの腰に手を回し引き剥がすように自分たちの膝元へ持っていく。


「・・・ジルさん、語学学習って今からできたりします?」


「今日やる分のクエストはもう全部終わったから大丈夫ですよ。今すぐ始めるなら二階に会議室があるのでそこでやりますか?」


「じゃあ早速お願いします」


「みなさんもそれでいいですか?」


 ジルが女性陣四人に確認するとイアは相変わらずイオの腕にしがみついたままこくこくと小さく頷き他の三人もみんなそれでいいと承認する。異世界に来て最初のイベントがリスクの高い語学学習になったのははっきり言って想定外だが、言葉が通じない不便さは全員知っているので、いつの間にか起きていためんどくさがり屋のオニですら積極的に参加する。

 ジルに案内され酒場の二階へ行くとギルド用の会議室がいくつかありそのうちの一部屋に入る。両開きの扉を開けると中は学校の教室二つ分程の大きさで、中央に木製の楕円テーブルとそれを囲むように背もたれ付きのイスが二、三十個ほどならべてある。扉のある後方の壁を除き正面と左右には黒板のような板が埋め込んであり壁に刺さっている棒のような魔道具で板をなぞると文字を書くことができるらしい。扉の上には魔術で動く時計が設置してあり秒針はこの世界の自転とリンクしていてコンマ一秒のズレも起きないという。さすがは異世界、すべてが規格外すぎる。オネとロクワンの三人は早速黒板に自分達のデフォ絵を描いて遊んでいる。変にやる気だったオニは部屋に入った瞬間やる気が失われたのか気だるそうに「授業始まったら起こして」とふらふらとした足取りで席に着くとテーブルに突っ伏し寝息をたて始めたので十秒ほど経ってからぺちぺちと頭を叩いて起こす。


 全員が席に着いてオニが起きたところでジルは授業を開始する。

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