第4話 髪を梳いてもらうのは気持ちのよいものです。
その後族長に詰め寄る女達が次々と出たことで、皆を集めての話となりました。
「あなたの方はそんなに大ごとにならなかったの?」
「そんなことないよ」
軽く苦笑すると「後でな」と彼はその時はやり過ごしました。
井戸の周りに大人と認められた人たちが集まりました。族長は通る声で私たちからの顛末を説明し、トバリと二人の子供を紹介しました。
「しばらくここにいることになるが、居着くか戻るかは決めていないそうだ。しばらくトイケの一家に世話を頼んでいる」
わかった、と女たちから声が上がりました。
私の耳には彼女の顔半分を隠した衣服のことを話している声が入ってきます。やはり珍しいのでしょう。
「それで、そいつらがこっちまで襲ってこないという保証はないんだな」
「ない。皆、特に牧地の端へは何人かでまとまって行くように」
備えはしておくこと。もし見つけたら即座に誰か一人が必ず族長に連絡をすること、等々。
「要は移動の際の注意を常にしておくことである」
良い放牧地に移動する際には皆慎重に行動します。全財産を持って行くのですから。
しばらく定住できるところに落ち着いてしまうと、やはり気が抜けてしまうのは仕方ないでしょう。常に張り詰めてばかりでは保ちません。
「今はそれだけだ。大婆様、何か他に言うことはありますか」
女たちの中の最長老に族長は問いかけます。大婆様と呼ばれているこの方は、族長よりずっと年かさです。ただ本当の年齢は今ではもう誰も知らないそうです。
小柄で、布をもっさりと重ねて被り、じゃらじゃらと古風な形の腕輪や指輪や耳輪をつけています。足が少し弱ってきたということで、羊を追うことはしません。そして女天幕では皆がこの方に刺繍を教わったことがあります。
女たちをまとめるのにこれ以上の方はいないということで、族長も一目置いているのです。
「そうだね。今のところはないよ」
「そうですか」
するとイリヤが何やらつぶやきました。「今のところは、か」と言ったような気もします。
*
「うん、今のところは、だけど後で何かしら言う、ということだろうな」
女天幕に行ってわいわいと皆さんの言葉に揉まれたことで、今日はとても疲れました。
長い髪を解くのもおっくうになり、三つ編みをそのままに眠ろうと思っていたら、イリヤがそれはよくない、とわざわざ解きだし、櫛を借りて梳きだしました。このひとは私の髪は好きなのだと言います。
「せっかく長く伸ばしたんだ。ちゃんと綺麗にしてやらないともったいないだろ」
それはそうだけど。まあいいか、と背中に回った彼の気配にほっとします。
「力の加減の練習も兼ねてるんだけどな。いいかなあ?」
「どうぞ。それでも私よりていねいでしょう?」
それには答えません。きっと昼間見かけたように苦笑しているでしょう。
できるだけ優しく、優しく梳いているのがわかります。何となく眠くなりそうだったので、昼間から気になっていたことを聞くことにしました。
「あなたそう言えば、お土産配りのほうはどうだったの?」
「まあね。だいたいは良かったんだけど、さすがにカマトさんのところへの手紙には困った」
「どこから?」
「トバリさんと出会う前に行ったところ。そこに嫁いだ娘さんが光のことから心配になって、父親に妹が心配だ、ということを書いてもらったらしい。族長からエデルさんがどうなったか、という話は行ってると思うんだけど、その上で追い打ちをかけるような手紙だろ?」
「そこだけなの?」
「実際のところ、あちこちで心配だという、きょうだいを持って嫁いだひとたちが親のところに手紙を送ってきてはいるんだ」
確かに、イリヤの荷物は手紙が多かった気もします。
「ただ、ハイホンやテケリケほど遠くに嫁ぐことはそうないんだ。むしろ、俺たちが通ってきた場所の人たちの方が不安だろうな」
「私たちは気をつけてと言っただけだけど」
「結構俺たちが通ってきたところが今、あちこち揺れてるんじゃないかな」
あっさりという内容ではないとは思うのですが。
それでもこの髪を梳く動きがあんまりにもゆったり気持ちが良かったので、私はいつの間にか眠ってしまいました。
何やらイリヤの声がして、揺さぶってもいたようですが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます