第5話 彼に取りついたのは魔物でしょうか神様でしょうか。 

 いやもうそれだけじゃありません。

 天幕の隅に置かれた、今は使っていない弓を弾きつぶすわ、外に出たら私が乗った馬といい競争ができてしまうやら、その馬の上に手も触れず軽く飛び乗るやら、そのまま一緒に駆けていった山の方では木を倒してしまうとか。


「はい。目開きすぎ」


 そして木から木に飛び移ったあげく、ざくろの実を取って私に渡しました。

 気が抜けてへろへろになっていた私ときたら、ぷちぷちと口で甘酸っぱいそれを噛みつぶしつつ、頭の中で色んな考えが滅茶苦茶にぐるぐる渦を巻いていました。

 ぷちぷちぺっぺっ、と落ち着いて、食べて食べて種を散らしてから、私は彼に詰め寄りました。


「何なのいったい! ……まさか、本当に魔物に」

「んー、なのかもね」

「なのかもね、じゃないでしょう!」


 思わず彼の肩を掴んでわしわしわしわしと揺さぶりました。


「まあ落ち着いてダリヤ」

「これがどうして落ち着けるっていうの!」

「だって、魔物は何か俺にしてくれー、何かしたいことがあるんだろー、ってものだろ? でも違うし。魔物っぽくないじゃない」

「いつかそうしようとするかも」

「そんなことないよ」

「じゃあ何で皇帝に、なんて言うのよ」

「そこなんだけど」


 彼はあたりを見渡しました。私達がやってきていたのは、山の方でも少し奥目で、まず人っこ一人見当たりません。


「あのねダリヤ、そのうち東の方から攻めてくる連中が来るよ」

「東の方?」


 そう言われてもぴんと来ません。


「そう。東の方、商人が小麦粉とか持ってきてくれるおおもとの方。聞いたことない? ずっと一生同じ場所に根のついた家作って暮らしてるひとびとのこと」

「うちに来た商人の話を、裏で聞いたことはあるわ。でも遠いところじゃない」

「でもそれが、どうも最近こっちに迫ってきたらしいんだ」

「何であんたにそんなことわかるの?」


 そうです。地図の話もそうでしたが、今までの彼とどこか頭の中身がちがってしまっているようです。


「教えてくれるんだ」

「魔物が?」

「魔物じゃないって」

「じゃあ何って言えばいいの?」


 なるほど、と彼は少し考えました。私は座り込んだまま、膝を抱え、うつむきました。

 彼もしばらく考えていたのですが、やがてこう言いました。


「めんどうだから山の神様ってことにする」

「イリヤ!」


 そんなの神様に失礼でしょう! と言いかけたところで、彼は目の前に手のひらをかざしました。


「だからそこはしばらく俺とダリヤの秘密ってことで。ね?」

「ね、じゃないわよあんた……」


 どうしたことでしょう。何やら訳のわからない悔しさやら驚きやらが混じったせいか、目からぼろぼろと涙が出てきてしまいます。彼はあわてて私の肩を抱き寄せると、頭や背中を撫でてくれます。

 幼なじみというのは全く卑怯なものです。こういう時に私がして欲しいことをよく知ってるのですから。

 そしてぽんぽん、と背中を軽く叩きつつ。


「俺ねえ、確かに東の方とか興味あるし、見てもみたいし、俺の中の神様もそれを望んでるけど、まずはうちの部族のみんなが幸せでいて欲しいの」

「私だってそうよ」

「うん。だけど東の方は、ずっとその場所で居続けられる程の住みやすい土地ってことだから、今取り合いになってるんだ」

「取り合い」

「それがきっと、あと何年かすればこっちに火の粉が降りかかってくるんだ。神様はそう言ってる。だからそれに備えなくちゃならない、と」

「神様が」


 私はその言葉を使いました。お告げまでしてくれるなら、魔物よりは神様なのかもしれません。


「東からその時来る連中は多いんだ。うちの部族の羊を全部とりまとめてもその数に足りないほど、いや、その十倍百倍」

「ああもうやめて」


 私は頭を振りました。


「つまりイリヤあなた、それを止めたいのね」

「そう。よかったダリヤがそれをわかってくれて」

「神様の言ってることがわかってるわけじゃないわ。あなたの言っていることがわかっただけよ」

「それでいいや。だから何年かけてもいいんだ。みんなで楽しく幸せでいられるように、じわじわと何とかしていきたいんだ」

「じわじわ……?」


 何となくその言葉には首をかしげたくなりましたが、もういいです。神様なんだし。何かに当たっておかしくなったならそれはそれでいいです。


「でもイリヤ聞いて」

「何」

「その力は」

「うん、見せないようにするよ」


 本当でしょうか。果たして。

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