第33話 音楽祭のはじまり


 それから澪亜は毎日SNSに写真をアップしていった。


 ジョゼフからもらった洋服のコーデをアップしたり、撮影の合間にブリジットとツーショットを撮ったり、ピアノを弾いている写真や、ウサちゃんがお尻を振っている短い動画なんかも上げた。


 反応は上々で、画面越しにも聖女スキルが発動しているのか『癒される』というコメントが多い。


 初めて使うアプリは知らない人とのつながりができて、澪亜にとって新鮮で楽しく、新しい自分が作られていくような気がした。


「本物の自分は現実にいるのよ。忘れないようにね」


 鞠江にそんなことを言われるくらい、毎日アプリをチェックしている。


(そうだね。スマホばかりしていると他のことがおろそかになるから……一日三十分にしておきましょう)


 そう自分で決めて実行できるところが澪亜の強さであった。


 PIKAREEの公式アカウントのおかげもあり、澪亜のフォロワーは気づけば3000人まで増えていた。


 これには純子が大いに腹を立てた。


 日に日に機嫌が悪くなり、金曜の昼休み、澪亜に罵声を浴びせて早退してしまった。クラスの注目が自分ではなく、いじめていた澪亜に向いているのが何よりも許せなかったようだ。


「週明けを楽しみにしておけ」


 そんな捨て台詞を残して彼女は去っていった。



      ◯



 土曜日になり、ついに音楽祭が始まった。


 最寄り駅の広場に特設ステージが設置され、市内の吹奏楽部や市民有志による演奏会がスタートする。地元民には馴染み深い祭りであり、澪亜も数年前、買い物のついでに見たのを覚えている。


 もっともそのときには両親は亡くなっており、鞠江は目が見えず、家を長時間空けるのは心配であったため五分程度しか見られなかったが。


 この祭りは申し込めば玄人でも素人でも参加できる手軽さが売りだ。音楽に関係していれば漫才でも、ラップバトルでも、何でもありなところが面白い。


 そして特設ステージとは別に、改札前の広いスペースにグランドピアノが設置されていた。


 ストリートでピアノを弾くことが好きな演奏者たちには有名で、朝から演奏待ちの列ができていた。知る人ぞ知る、と言った具合である。


(改札の前だから人がたくさんいるね……)


 澪亜は緊張した面持ちで列に並んでいた。


 ジョセフからもらったデコルテラインの見える白シャツと、ゆったりしたフレアスカートにしわがないか確認した。


 三種類の鉄道路線が交差している駅は土曜日ということもあって賑わっていた。グランドピアノを中心にベンチが設置され、駅のコンコースには企業が出している食品の路面店が並んでいる。


 聖女でレベル75、魅力値9200の澪亜は人々の注目を集めていた。


 本人は気づいていない。


「きゅっきゅう」


 腕に抱いているウサちゃんが「楽しみだね」と言った。


「そうですね」


 もふもふと丸い背中を撫でると、前にいる鞠江が振り返って、いたずら小僧のように笑った。


「まずは私が弾いて驚かせるでしょ? そのあと澪亜が弾いて、最後に連弾しましょう。これでYチューブのフォロワーゲットよ! タイトルは“孫とピアノ弾いてみたら拍手喝采?!”がいいかしら」

「おばあさま……少し緊張してきました」


 むにっとウサちゃんの首のお肉を揉んで気を紛らわせる。


「一人の持ち時間は五分だけど、係員の方には二人で十分と伝えてあるからね。タイムキープは私にまかせなさい」

「おまかせいたしました……!」


 そう言って息を吐くと、ロープで区切られた列の向こうで、ちひろが手を振っているのが見えた。彼女にはスマホでの撮影をお願いしている。


 さらにはピアノを弾いている澪亜を撮りたいというブリジットがスケジュールの合間を縫って、絶好のポジションに陣取っていた。彼女の一眼レフは高解像度の動画も撮影できる。


『レイア! 楽しみにしているわ!』


 彼女は人目を憚らずフランス語で叫んで、何度も投げキッスを送ってくる。美人のフランス人がそんなことをすればすぐに注目の的だ。


 応援はありがたいが、ちょっと恥ずかしかった。


 ストリートピアノを楽しみに待っている客たちがブリジットを見て、「何かの撮影?」と囁いている。


 緊張しているうちにストリートピアノのオープン時間となり、最初の演奏者としてこの街出身のピアニストが登場し、持ち時間で大いに会場を湧かせた。


(私とおばあさまの前に十人いるから、あと五十分だね)


 列の人数を数えて出番を待つ。


(演奏者は子どもからお年寄りまでいるね。みんな楽しそう)


 音楽と書いて音を楽しむとはこのことだなぁ、と澪亜は感じた。失敗しても温かい拍手を皆がしてくれるし、楽しく演奏していればオーケーという空気が心地いい。


 いつしか時間を忘れて列に並んでいる演奏者のピアノに聴き入り、素晴らしい演奏に何度も熱い拍手を送った。


「じゃあ澪亜、私が呼んだら来てね」


 前の演奏者が終わり、係員に呼ばれた鞠江が緊張を感じさせない足取りでピアノへと向かう。


「わかりました」

「きゅう」


 ウサちゃんと一緒に返事をすると、鞠江が席に座った。

 今日の鞠江は紺色のセットアップを着て、胸にはブローチをつけている。髪型も化粧もばっちりだ。


 蝶ネクタイをつけた司会者が笑顔で鞠江にマイクを向けた。


「お名前は?」

「平等院鞠江ですわ」

「ピアノ歴は何年ほどでしょうか?」

「そうねぇ、五歳からやっているから五十七年かしら」


 応援に来ているご近所さんから「大ベテラン!」と声が上がり、会場に笑いが起こった。鞠江が調子よく両手を上げて、まあまあ、見てなさいよと余裕のある表情で場を制し、さらに笑いが漏れる。


 笑い声が収まると、鞠江が鍵盤に両手を乗せた。

 堂に入った後ろ姿に、澪亜は空気が変わったのを肌で感じた。


(おばあさまのスキルが発動したのかな?)


 以前、鞠江にお願いされて鑑定したステータスを思い浮かべる。


――――――――――――――――――

平等院鞠江

 ◯職業:ピアニスト

  レベル1

  体力/5

  魔力/0

  知力/20

  幸運/10

  魅力/35

 ◯一般スキル

 〈楽器演奏〉ピアノ――超絶技巧

 〈礼儀〉貴族作法・茶道・華道・習字

 〈株式トレード〉

 〈宝石鑑定〉

 〈人気者〉

 〈挑戦者〉

――――――――――――――――――


 鞠江の持っている〈人気者〉というスキルが聴衆の心をつかむのではないかと予想していると、演奏が始まった。


 アルカンという作曲家が作った『鉄道』という通り名の曲だ。


 蒸気機関車が疾駆するような曲調で、左手は8分音符の連打、右手は16分音符が連続しているため、人間の限界に挑戦するような指さばきが必要とされる。


 前に弾いた十名を遥かに超えた技術による旋律が響き、聴衆は圧倒された。


(これを軽々と弾くおばあさまって本当にすごいよなぁ……)


 指が魔法のように動くとはこのことだろうか。

 鍵盤の上で鞠江の指が別の生物のように躍動する。


 ただ事ではないと通行人が足を止め、ピアノを中心としたベンチの周囲に人垣ができ始める。


 五分ほどの曲だが、三分に省略して弾き終わると、拍手が鳴り響いた。


「おばあさま、素晴らしいです!」


 澪亜も感情のままに拍手をする。

 ちひろとブリジットが凄みに驚き、感動していた。


 司会者がすかさず近づき、鞠江にマイクを近づけた。


「今の曲は?」

「鉄道と言う曲ですわ」

「失礼ですが、プロの方でしょうか?」

「そうね。最近、Yチューブも始めたの。生徒さん募集中よ~」


 茶目っ気たっぷりに鞠江が言うと笑いが起きる。


「次は孫にバトンタッチするわね」


 鞠江に手招きをされ、心臓が跳ねた。


「きゅっきゅう」


 大丈夫だよというウサちゃんの励ましを聞きつつ、グランドピアノの前まで進んだ。


 澪亜が登場すると、その美しさと淑やかさに周囲からため息のような吐息が漏れた。誰しもが気づかぬうちに聖女である澪亜に魅了されていた。


 司会者が一瞬ぽかんと口を開けたが、数秒で我に返ってマイクを向けた。


「お名前は?」


 司会者の笑顔とマイクの向こうに、大勢の観客が自分を見ている光景が見えた。


(すごく……見られています……!)


 設置されたベンチはいつの間にか満席で、形成された人だかりの輪がさらに人を呼んでいた。改札からは利用者が出てきて、時間のある人たちが「何かのイベントかな?」と集まってくる。


「お孫さんはどうやら少し緊張しているみたいですね。大丈夫です、楽しんでいきましょう!」


 司会者が軽快に声を上げると、周囲から拍手が起こった。


(ありがとうございます……)


 心の中でお礼を言って、澪亜は差し出されたマイクに口を近づけた。


「平等院澪亜と申します」

「ピアノ歴は何年ですか?」

「私も五歳から始めたので十一年です」

「腕に抱いているウサギちゃんもピアノの演奏に?」


 マイクを向けられると、ウサちゃんが「きゅう」と鳴いた。


「まあ」


 澪亜がころころと笑い、会場中が笑顔に包まれた。


 司会者はもっと質問をしたそうな顔であったが、時間が限られているので演奏を促した。


 鞠江が席を立ち、譲ってくれる。


「自由に弾きなさい。そうね、楽しい曲が聴きたいわ」

「かしこまりました」

「途中で私も入るからね」


 鞠江のウインクに笑顔で答え、ウサちゃんをピアノの上に乗せ、スカートを整えてペダルに足を置く。


 美人な高校生らしき女の子とウサギのペアに、数名がスマホを構えて写真を撮っている。


 ちひろはスマホの内蔵データ容量を使い切る勢いで高速連写をしていた。


(おばあさまは私の曲を決めなかった。ストリートなんだから、その場の雰囲気に合わせるのがいいでしょうとのことだったけど……できるかな?)


 一瞬、失敗する光景が脳裏をよぎる。

 しかし、異世界で冒険者百人の前で演奏した自信が澪亜の背中を押してくれた。


(異世界にはいつも助けられているね……)


 フォルテ、ゼファー、シュミットたちの演奏を聴いたあとの、子どもみたいな笑顔を思い出すと、緊張がふっと肩から抜けた。


(なんの曲にしよう……鉄道……楽しい……)


 そこまで考えて、鍵盤に両手を置いた。





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