第25話 みんなの前で
運搬係の音符たちが魔物を押しのけ、結界内にグランドピアノを運んできた。
ピアノが宙を移動してくるのはなかなかにシュールな光景である。
澪亜は結界の大きさを広げ、皆に下がるように言って、中央にピアノを置いてくださいと音符に指示を出した。
「ゆっくり、ゆっくり――」
「礼拝堂のピアノじゃねえか?! おいおめえら、なんでもいいから地面に布を敷け! 地面に直置きするなんてとんでもねえ!」
ドワーフのシュミットがあわてて叫び、皆が一斉にアイテムボックスから敷物を出した。
カラフルな色の敷物が地面に広がり、その上にピアノが着地した。
「まあ……申し訳ありません……先にお伝えしておけばよかったですね」
「レイアも思いつきで行動するところがあるんだな」
「ぁぅ……お恥ずかしい限りです」
「ガハハ! いいってことよ」
シュミットが背をのけぞらせて笑った。
他のドワーフたちも澪亜が恥ずかしがる姿を見て、楽しそうに顔をほころばせている。
「次回からは気をつけます。もっと冷静にならねばいけませんね」
「思いついたものはすぐに試す――レイアは鍛冶師に向いてんじゃねえか? 聖女に飽きたらいつでも鍛冶師の世界に来たらいい」
「そのときは、よろしくお願い申し上げます」
(ものづくりも楽しそうだね……)
澪亜がにこりと笑うと、シュミットがうなずいた。
横で見ていたゼファーとフォルテが、澪亜を見つめた。
「ピアノなんて持ってきてどうするんだ?」
ゼファーが言った。
「そうね。音楽鑑賞もいいけど、そんな状況ではないわよ」
フォルテもピアノを見て不思議な顔をしている。
「聖魔法はヒカリダマさんのお力をお借りしております」
「あー、あの、レイアが魔法を使うとき、ふわふわ浮いている光の玉のこと?」
「はい、そうです。ヒカリダマさんはあまり武器がお好きではないようなので、音楽を聴いていただいて、やる気を出してもらおうと思っております」
「……よくわからないけど、レイアがそう言うなら見守るわ」
「ありがとうございます。ウサちゃんの助言なので、間違いないと思いますよ?」
「伝説の聖獣フォーチュンラビットって色々知っているのね……」
フォルテが腕を組むと、きゅうとウサちゃんが鳴いた。
「ウサちゃんはいつも私たちを助けてくれますね」
澪亜はそう言いながら鍵盤の蓋を開け、椅子に座った。
「きゅう!」
ウサちゃんが嬉しそうに、ピアノに飛び乗った。
音を聴く特等席だ。
(まずは曲を弾いてヒカリダマさんを集める……。音楽を途切れさせず、浄化音符を武器にまとわせてみよう)
澪亜は方針を固めて座る位置を確認し、右足をペダルに乗せた。
深く息を吐いて、両手を動かす。
(何を弾こうかな……)
考えを巡らせて視線を宙へさまよわせると、視線を感じた。
「……まあ」
気づけば、ゼファー、フォルテ、シュミット、ドワーフたち、冒険者たち、街道設計者、記録係、すべての仲間が澪亜へと視線を送っていた。
この世界のピアノは音楽家と金持ちしか持っていない高級品である。それを聖女である澪亜が弾くとなれば、注目するのは当然だった。
約百二十名から一斉に見られ、澪亜は鍵盤の上に置いた手が固まった。
(私……こんな大勢の前で弾いたことがないよ……)
澪亜は自分の演奏を聴いて喜んでくれる両親と鞠江のために、ピアノを習いはじめた。いつしかピアノの奥深さにのめり込んでいき、今では自分のアイデンティティの一つになっている。
ピアニストである鞠江仕込みの実力は確かではあるが、コンクールなどに出場したことはなく、大勢の前で弾いた経験が皆無だった。
(ああっ……皆さん見てますね……すごく目をキラキラさせてる……!)
フォルテ、ゼファーはプレゼントを開ける前の子どもみたいな顔で澪亜を見ており、冒険者たちは何が始まるのかとわくわくした表情をしている。ドワーフたちは魔物が周囲を取り囲んでいるにもかかわらず、各々がアイテムボックスから酒を取り出して構えていた。一杯だけでも飲む気満々のようだ。
(どうしましょう……緊張してきた……)
澪亜は期待を全力で向けられた経験がなく、自分の知らない感情が胸の中にうずまいた。
甘酸っぱくて、心臓が痛くなるような、不可思議な感覚が身体を包む。
「……」
気づけば両手が震え始めた。
指先がピリピリと痛い。
(……いつも、どんなふうに弾いていたっけ……?)
不安が胸に押し寄せた。
この感情が、期待を裏切りたくないという願望であることに気づかず、澪亜はただ翻弄された。
頭の中がパニックになりかけたそのときだった。
「きゅっきゅう」
ウサちゃんの声が響いた。
どうしたの、と心配してくれている。
ウサちゃんはぴょんとピアノから澪亜の膝に飛び移ると、つぶらな瞳で澪亜を見上げた。
「……すみません。こんなに大勢の方の前で弾いたことがなくて……緊張しております」
「きゅっ、きゅう?」
え、そうなの。今まではヒカリダマがいっぱいいたよね?
ウサちゃんがそう言って、鼻をぴくぴくさせた。
(そうだね……ヒカリダマさんはいつもたくさん集まってきたよね……)
ヒカリダマを人間だと思えば百二十人くらいどうってことはない。そんなふうに考えてみると、ほんの少しだけ気持ちが楽になった。
両手の震えが止まり、澪亜は顔を上げて待っている皆をぐるりと見つめた。
「あの、私は大勢の前でピアノを弾いたことがございません……失敗してしまうかもしれません。その際は、ご容赦くださいませ」
丁寧に頭を下げる。
すると、ゼファーとフォルテが明るい声を上げた。
「失敗したっていいぜ! 浄化魔法を武器に付与するのだってチャレンジなんだろ?」
「そうよ。ピアノを聴けて一挙両得よ」
シュミットがベルトに差した金槌を取り出し、一つ振ってみせた。
「当たって砕けろだ」
にやりと笑う。
よく見れば、皆が失敗を気にしているようには見えなかった。
むしろ、どんな曲でもいいから早く弾いてほしいと思っているように見える。
(皆さん……ありがとうございます……やっぱりこの世界の人たちは優しいね……)
澪亜は皆の期待に応えるべく、何度か深呼吸を繰り返し、指の動きを確かめた。
緊張はある。
失敗も怖い。
大勢の前でミスをして、どんな顔をされるかわからない。
(目を閉じて……集中……)
不安はまだ自分の中にあるが、澪亜はそれよりも早く音楽を聴きたいと思ってくれている、皆の想いに返答したかった。何より、ここで失敗を恐れては、今までピアノを教えてくれた鞠江に顔向けできない。
(私はお父さまとお母さまの子どもで、ピアニスト平等院鞠江の弟子だ。だから、大丈夫。私ならきっとできる)
ウサちゃんが、ぴょんと膝からピアノへと飛び移った。
つぶらな瞳と目が合う。
愛らしいウサちゃんの姿と癒しのオーラに、澪亜は緊張が解けてきた。
(弾くのは……自分よりも強い敵に立ち向かう皆さんにふさわしい曲……エルガーの『威風堂々』にしよう……)
「では、弾かせていただきます」
丁寧に一礼し、鍵盤に両手を乗せた。
すると、周囲から拍手が鳴り響いた。
こんな状況なのに、豪胆な人物ばかりである。聖女の力を信じていると言ってもよかった。
澪亜は笑みを浮かべ、指に力を込めた。
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