第15話 撮影開始


『それじゃレイア、本棚と観葉植物の前に立ってちょうだい』


 ブリジットが爽やかに笑いながら、レンズのキャップを外した。


『承知いたしました』


(私がモデル……! やると決めたからには頑張らないと!)


 澪亜は緊張しながら本棚と観葉植物の前に立った。


 両手を身体の前で揃え、カメラのレンズに視線を合わせる。

 緊張のせいか七五三でカメラを向けられた子どものようだ。


『ただ立ってるだけなのに、絵になるわねぇ……』


 ブリジットがレンズを覗いて、ぺろりと舌で唇をなめた。


 獲物を狙うスナイパーみたいであったが、視線は鋭くない。彼女は自然と口角が上がるのを止められなかった。


『気品があるわね。それに、気高いわ。苦境にいながらも優しさを捨てなかったレディのオーラ……いえ、それ以上に何かもっと特別なものを感じるわね……。こんな子がまだいたなんて……。ジョゼフが恋したとか言ってたのもうなずけるわ』


 ぶつぶつとブリジットが独り言をつぶやいている。


 澪亜は勝手がわからず、じっと指示を待った。


(これでいいのかな? ポーズを取ったほうがいいの?)


 澪亜が考えていると、ぷっと吹き出す声がした。


「まるでなってないじゃない。バカみたいよ、あなた」


 関係者席でだらしなく座ってスマホを操作していた純子が、小馬鹿にした顔を澪亜に向けた。


(や……やっぱりそうかな?)


 澪亜は真に受けて気持ちが沈む。


「時間の無駄だから帰りまーす。監督〜、雑誌担当〜、ちゃんと私を載せてよね?」


 大声で言って、純子がスタジオから出ていった。


「もちろんおまかせください」


 現場監督の男性が、笑いをこらえて言った。

 先ほどの撮影はまさかのキャップつきである。


 彼はクソ生意気JKざまあみろと内心で思っていた。しかも新ブランド”PIKALEE”は出資元がフランスだ。純子の父親では口出しはできず、ジョゼフがうんと言わなければ特集ページの表紙になるなど不可能である。


 とりあえず、いつも通り純子を父親に睨まれない程度のポジションに掲載しておけばいい。


 そんなことを計算しつつ、彼は「痛快だ」と純子がいなくなってにやりと笑った。


 一方、ブリジットは純子の言葉など届いていないのか、世界に澪亜と自分しかいないと錯覚するほど集中力を高めていた。


『ブリジットさん? あの、このままの姿勢でいいのでしょうか?』


 たまらず澪亜が聞いた。


『もうちょっとそのままでいて』


 ブリジットはレンズを覗いたまま、真剣な口調で言った。


(プロなんだ……集中してらっしゃる。私も集中しないとね)


 澪亜はふうと息を吐いて、しっかり背を伸ばした。


『両サイドの照明を移動。ななめから当てて』


 ブリジットがファインダーを覗いたまま指示を出した。

 小笠原が通訳する。


「なにをぼさっとしてる! ムーブムーブ! 動いて!」


 現場監督の男が手を叩いた。ノリノリである。

 澪亜に見惚れていたスタッフたちが一斉に動き出した。


「ライト当てて!」「急いで!」「レフ板!」「衣装は変えますか?!」「わからないけど準備して!」「この子すごいぞ!」


 純子のときとは打って変わって、機敏な行動を始めるスタッフたち。


『もうちょっと下――天井の照明絞って――止めて。いいわよ』


 ブリジットが手で指示を出し、スタッフが動く。


『素晴らしい……』


 そんな感嘆のつぶやきを漏らし、ブリジットがカシャリとシャッターを切った。


 ただ姿勢よく立っているだけの一枚に、ブリジットが感激した。

 様々な角度に移動し、シャッターを切る手が止まらない。


(失敗を怖がっちゃいけないよね……。だから、自分からも動かないと……)


 澪亜は脳内でドワーフ族の持つハンマーをぶんと振って、ブリジットを見つめた。


『あの、ブリジットさん? ポーズはいかがしたらよろしいでしょうか? このままでいいいのですか? 言ってくだされば変えますので、お申し付けくださいませ』


 力強くうなずいてみせる澪亜。

 ブリジットは我に返って、笑みを浮かべた。


『夢中になってしまったわ。そうね、それなら、次は本を出して読んでちょうだい』

『本を読めばよろしいんですか?』

『ええ』


 澪亜は内心で首をかしげながらも本棚から本を引き抜いて、文字に目を落とした。


(ええっと、あまりうつむいては顔が映らないよね)


『もうちょっと顔を上げてくれる?』

『かしこまりました』

『いいわね。今読んでる物語はどんな内容かしら』

『緊張であまり頭に入ってきません』

『そうなの? ずいぶん落ち着いて見えるけど?』


 ブリジットがシャッターを切りながら、笑って澪亜に聞く。


『緊張を顔に出さないようにしています』


 澪亜は聖女能力のおかげか、どうにか普段の表情を保っている。

 気を抜いたら腰が抜けそうだった。


(たくさんの方に見られて、しかも写真を撮られているなんて……)


 自分が人前に立ってモデルになっていることが、まだ信じられなかった。


『レイア、好きな食べものは?』


 突然、ブリジットが撮影に関係ないことを聞いたので、澪亜は本から顔を上げた。


『好きな食べ物ですか? 色々好きですけれど、やはりフルーツが好きですね』


 カシャリとシャッターが切られる。


『フルーツいいわね。私、毎朝ミキサーにかけてジュースで飲んでるわ。今日はリンゴ、オレンジ、レモン、ピーチね』

『まあ、いいですね。素敵な朝食です』


 澪亜は笑顔でうなずいた。

 久しくミックスジュースを飲んでいない。


 ブリジットが素早く笑顔を写真に収め、さらに口を開いた。


『好きな色はある?』

『色ですか? うーん……』


 澪亜は真面目な子である。

 きちんと答えるべく本を閉じ、人差し指を顎に当てて小首をひねった。


 大人の女性顔負けのスタイルに、白のコーデュロイセットアップが映えており、スカートから覗く美脚がまぶしい。亜麻色の髪には照明で天使の輪ができていた。


 お上品な考えるポーズの中に、可憐さと可愛らしさが内包されている。

 スタッフたちは澪亜を見て、拍手をしそうな熱視線を向けていた。


 現場監督の男は小さな声で「おお、おおお、おおおっ!」と言っている。おおしか言えないのか。


『いいわ、いいわよ。私はこのときのために写真を始めたのかもしれないわ』


 ブリジットがカシャカシャとシャッターを切っていく。

 皆の反応に気づかない澪亜は結論に至ったのか、顎から指を離してブリジットを見た。


『ブルーとピンクが今までは好きだったのですが、つい最近は白が好きになりました』

『白? いいわね。あなたにぴったりの色だと思うわ』

『そうでしょうか?』

『白が好き。何か理由があるの?』

『最近、白とご縁がありまして……白が頭に浮かんでくるんです』


(ウサちゃんのもふもふした毛皮でしょう? それからお掃除した神殿。あとはライヒニックの聖女装備も白が基調だし……ちひろさんがお友達になってからは制服も好き……白って素敵だよね)


 澪亜は異世界に行ってから手に入れた大切なものが白に関係していることに、ブリジットの質問で気づいた。


『へえ。その中で一番縁があるものって何?』

『もちろんウサちゃんです』


 澪亜は幸せそうな笑みを浮かべた。


『ウサちゃん? それはあなたが飼っているペットなの?』

『ペットではなくお友達です』

『どんな子なの?』

『はい! 白くてもふもふしててですね、とっても可愛くて、お目々もくりくりで、ご飯を食べているときはお鼻が可愛らしく動くんです! お腹に顔をうずめると太陽の匂いがするんですよ?』


 本を持ったまま身振り手振りで説明する澪亜は、幸せそうな微笑みを浮かべた。


 スキル〈癒やしの波動〉〈癒やしの微笑み〉〈癒やしの眼差し〉が三連コンボで発動する。


 目に見えない波動が澪亜を中心に巻き起こった。


『あっ――』


 ブリジットは癒やしコンボを間近で全身に浴び、一瞬だけ幽体離脱して、自分が澪亜にカメラを向けている姿を真上から眺めた。


 これが天国にいるってことなのかな?

 仕事に追われるストレスとか、日々の悩みとか、どうでもよくない?

 そんなことをぼんやり感じるブリジット。


 この間約一秒。


『――!』


 ブリジットは現実世界へ戻ってきて、シャッターを切って澪亜の微笑みをデータに収めた。


 並のカメラマンだったら十秒は放心していただろう。

 ブリジットは完璧な一枚が撮れたと確信した。

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